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第一章 コードネーム”ゼノス”
第1話
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ふと窓の外を見ていると、雲一つない青空だった。
――もうすっかり夏だなぁ。
これほど太陽が高いとなると気温や紫外線が気になるものだが、厚く鉛色の雲ばかりで、天気予報を見逃そう物なら雨に降られるような鬱陶しい毎日に比べたら幾分かマシだと思える。
冷房が効いた教室にいるからかもしれないが、暑さという点を差し引いても、双葉奏音は〝夏〟が好きだった。
絵の具を落としたような真っ青な空に、宇宙にまで届きそうな入道雲――目を瞑ると、授業中にも拘わらずジリジリとアブラゼミの声が微かに耳朶を打つ。
丁度数学の授業中で、先生が提示した問題を解いている時間だからこその現象だった。
既に解き終わり、時間を持て余していた奏音は、もうしばらくこの夏の音を堪能しようと頬杖をついた――その瞬間。
「わっ⁉」
ウゥウゥ――と、心を粟立たせるサイレンの音が耳を突き刺した。
ぎょっとして目を見開くと、同じタイミングで爆音が轟く。
半ば自習のような形になり、読書に耽っていた先生は顔を上げ、問題に苦戦していた男子生徒も、隠れてスマホを弄っていた女子生徒もすべからく窓の外に視線を移す。
――いくら聞いても慣れないなぁ。
最近頻発しているそのサイレンは、緊急事態であるということを素早く伝えるために、わざと人の心を不安にさせるような音階にしているらしい。
その効果がテキメンであることは、クラスメイトや先生、そして自身も体を硬くしていることが証明してくれていた。
一つ息を吐き、心を落ち着けると、奏音は「確か、鳴ってから三十秒くらいだっけ」と呟く。
地震速報や津波速報、あるいはニュース速報のように、突然ソレはやってくる。
はじめは困ったものだが、慣れてしまえばどうということはない。
「皆さん、そろそろ頭下げて下さいねー」
二十代前半、昨年赴任してきたばかりでまだ教師生活が浅い先生も、至って落ち着いた様子で生徒に指示を出した。
生徒達も、またかよと愚痴を零しながら渋々といった様子で机に額を付けるように体を屈め、両手で耳を塞ぐ。
クラス委員長である奏音は全員が〝避難姿勢〟を取ったことを確認すると、自身も屈めて両耳を手でふさいだ。
――五、四、三、二、一……。
心の中のカウントダウンが終了した、その時。
今度は、耳をふさいでいてもわかるほどの轟音が鳴り響いた。
ビリビリと、肌が総毛立つ。間近で花火を見ているときのような衝撃。
いくら経験してもこればっかりは慣れることがないが、何も危険が及ばないという安心感があることで心の平静を装うことはできていた。
耳から轟音が消え去り、肌にまとわり付く衝撃も緩和されたころ。
ゆっくりと奏音が顔を上げると、先程までの平穏な景色が一変していた。
大きな大きな、総勢三〇〇人を超える全生徒が詰め寄っても余裕がある自慢の校庭に、黒い球体が出現している。
校舎を丸ごと飲み込んでしまいそうな大きさだが、ただそこに存在しているだけのソレ。
はじめこそ慣れず逃げ惑うように各々逃げ回っていたが、サイレンや震度5程度の地震では特段気にすることがなくなったように、すっかりその存在に慣れてしまっていた。
「また授業中断か……」
ため息混じりに先生が呟くと「はーい、みんな、顔上げて?」と生徒達を促し、突っ伏していた生徒達が顔を上げていく。
「見ての通り、いつもの〝アレ〟が出たから、今日の授業は中断。大丈夫だとは思うけど、これから他の先生達と対応を相談します。みんなはいつも通り、体育館に避難することになると思うけど、取りあえず待機ね。放送があるまでは静かにしてるのよ?」
生徒が慣れているのならば、先生も同じようにこの状況に順応している。
定型文のようにさらりと言うと「じゃ、あとは学級委員の二人よろしくね」と言い残してその場を後にした。
クラスメイトが「めんどくせぇ」とか「授業潰れたんだから楽じゃね?」「その後待機時間があるからなぁ」などと思い思いの愚痴を零している中、奏音はクラスにいるもう一人の学級委員、瀬野陽太をちらりと見た。
陽太は、自分と同じ学級委員であるというだけではなく、誰とでもフランクに接したり、身体能力が抜群だったりと、それだけでも人気者の素質を備えているというのに、期末試験などでも常に上位に名を連ねる、非の打ち所がない完璧超人だ。
もちろんクラスの中心人物だ。
加えて、日系アメリカ人という血筋から、日本人離れしたその顔立ちも彼の存在に付加価値を与えている。
幼なじみとしては鼻が高い限りだ。
そんな彼は、やはりこの状況でも動揺しているところは見せない。
寧ろ、周囲にまだ残っている微かな緊張をほぐすためなのか、おちゃらけた様子を振る舞いている。
流石だなぁ、なんてことを考えながらぼやぁと時間が経つのを待っていると、ほどなくしてクラスに設置してあるスピーカーから聞き慣れた教頭先生の声が聞こえてくる。
『皆さん、ご存じの通り、本日グラウンドに黒い球体が出現いたしました。これまでのように害はないものだと思われますが、関係各所に連絡したところ、迅速な処理が必要とのことですので、一時授業を中断し、学級委員の下、体育館へ集まってください。もう一度繰り返します――』
これまた定型文のように決まった誘導が始まる。
いつも通りだな、と口の中で呟いてから奏音も立ち上がった。
「ほら、みんな。移動するよ!」
自分の役割を全うするため、奏音はいつも以上に声を張り上げた。
今は緊急事態なんだぞ、そのことを自分自身にも言い聞かせるように。
――もうすっかり夏だなぁ。
これほど太陽が高いとなると気温や紫外線が気になるものだが、厚く鉛色の雲ばかりで、天気予報を見逃そう物なら雨に降られるような鬱陶しい毎日に比べたら幾分かマシだと思える。
冷房が効いた教室にいるからかもしれないが、暑さという点を差し引いても、双葉奏音は〝夏〟が好きだった。
絵の具を落としたような真っ青な空に、宇宙にまで届きそうな入道雲――目を瞑ると、授業中にも拘わらずジリジリとアブラゼミの声が微かに耳朶を打つ。
丁度数学の授業中で、先生が提示した問題を解いている時間だからこその現象だった。
既に解き終わり、時間を持て余していた奏音は、もうしばらくこの夏の音を堪能しようと頬杖をついた――その瞬間。
「わっ⁉」
ウゥウゥ――と、心を粟立たせるサイレンの音が耳を突き刺した。
ぎょっとして目を見開くと、同じタイミングで爆音が轟く。
半ば自習のような形になり、読書に耽っていた先生は顔を上げ、問題に苦戦していた男子生徒も、隠れてスマホを弄っていた女子生徒もすべからく窓の外に視線を移す。
――いくら聞いても慣れないなぁ。
最近頻発しているそのサイレンは、緊急事態であるということを素早く伝えるために、わざと人の心を不安にさせるような音階にしているらしい。
その効果がテキメンであることは、クラスメイトや先生、そして自身も体を硬くしていることが証明してくれていた。
一つ息を吐き、心を落ち着けると、奏音は「確か、鳴ってから三十秒くらいだっけ」と呟く。
地震速報や津波速報、あるいはニュース速報のように、突然ソレはやってくる。
はじめは困ったものだが、慣れてしまえばどうということはない。
「皆さん、そろそろ頭下げて下さいねー」
二十代前半、昨年赴任してきたばかりでまだ教師生活が浅い先生も、至って落ち着いた様子で生徒に指示を出した。
生徒達も、またかよと愚痴を零しながら渋々といった様子で机に額を付けるように体を屈め、両手で耳を塞ぐ。
クラス委員長である奏音は全員が〝避難姿勢〟を取ったことを確認すると、自身も屈めて両耳を手でふさいだ。
――五、四、三、二、一……。
心の中のカウントダウンが終了した、その時。
今度は、耳をふさいでいてもわかるほどの轟音が鳴り響いた。
ビリビリと、肌が総毛立つ。間近で花火を見ているときのような衝撃。
いくら経験してもこればっかりは慣れることがないが、何も危険が及ばないという安心感があることで心の平静を装うことはできていた。
耳から轟音が消え去り、肌にまとわり付く衝撃も緩和されたころ。
ゆっくりと奏音が顔を上げると、先程までの平穏な景色が一変していた。
大きな大きな、総勢三〇〇人を超える全生徒が詰め寄っても余裕がある自慢の校庭に、黒い球体が出現している。
校舎を丸ごと飲み込んでしまいそうな大きさだが、ただそこに存在しているだけのソレ。
はじめこそ慣れず逃げ惑うように各々逃げ回っていたが、サイレンや震度5程度の地震では特段気にすることがなくなったように、すっかりその存在に慣れてしまっていた。
「また授業中断か……」
ため息混じりに先生が呟くと「はーい、みんな、顔上げて?」と生徒達を促し、突っ伏していた生徒達が顔を上げていく。
「見ての通り、いつもの〝アレ〟が出たから、今日の授業は中断。大丈夫だとは思うけど、これから他の先生達と対応を相談します。みんなはいつも通り、体育館に避難することになると思うけど、取りあえず待機ね。放送があるまでは静かにしてるのよ?」
生徒が慣れているのならば、先生も同じようにこの状況に順応している。
定型文のようにさらりと言うと「じゃ、あとは学級委員の二人よろしくね」と言い残してその場を後にした。
クラスメイトが「めんどくせぇ」とか「授業潰れたんだから楽じゃね?」「その後待機時間があるからなぁ」などと思い思いの愚痴を零している中、奏音はクラスにいるもう一人の学級委員、瀬野陽太をちらりと見た。
陽太は、自分と同じ学級委員であるというだけではなく、誰とでもフランクに接したり、身体能力が抜群だったりと、それだけでも人気者の素質を備えているというのに、期末試験などでも常に上位に名を連ねる、非の打ち所がない完璧超人だ。
もちろんクラスの中心人物だ。
加えて、日系アメリカ人という血筋から、日本人離れしたその顔立ちも彼の存在に付加価値を与えている。
幼なじみとしては鼻が高い限りだ。
そんな彼は、やはりこの状況でも動揺しているところは見せない。
寧ろ、周囲にまだ残っている微かな緊張をほぐすためなのか、おちゃらけた様子を振る舞いている。
流石だなぁ、なんてことを考えながらぼやぁと時間が経つのを待っていると、ほどなくしてクラスに設置してあるスピーカーから聞き慣れた教頭先生の声が聞こえてくる。
『皆さん、ご存じの通り、本日グラウンドに黒い球体が出現いたしました。これまでのように害はないものだと思われますが、関係各所に連絡したところ、迅速な処理が必要とのことですので、一時授業を中断し、学級委員の下、体育館へ集まってください。もう一度繰り返します――』
これまた定型文のように決まった誘導が始まる。
いつも通りだな、と口の中で呟いてから奏音も立ち上がった。
「ほら、みんな。移動するよ!」
自分の役割を全うするため、奏音はいつも以上に声を張り上げた。
今は緊急事態なんだぞ、そのことを自分自身にも言い聞かせるように。
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