上 下
48 / 48

47 エピローグ

しおりを挟む
 一連の『黒塗り事件』は、エリザベートとアンナらの拘束を受け、一旦の解決を迎えた。エドガーら一般市民によるデモ隊と、鎮圧のために召集された警察官らはその場で解散の運びとなり、彼らは互いに協力し、リーリエの描いた新しい絵のために、作業用の足場を解体する作業に移っていった。

 美術展で最優秀賞を受賞した『空』は、事前の情報の通り隣国の宮廷からアーカンシェルに戻された。だが、噂とは異なり、アーカンシェル国立美術館の新しい展示棟に飾られることが予め決められており、移設に伴う式典が華々しく行われた。
 隣国の宮廷から差し戻された理由は、この絵は描かれた地にあるべきものであり、そこで最大限の魅力を発揮するというものだったのだ。
皇家の判断に、アーカンシェルの民は歓喜の声を上げた。その発言を裏付けるように、隣国の皇子が絵とともにアーカンシェル国立美術館を訪れ、そのことは国内外で大々的に報じられた。
 リーリエの『空』の新たな展示場所は、美術展と同じ展示棟の奥のあの場所に指定された。報道や噂を見聞きした国内外の芸術家らが、多く訪れ、街は芸術都市として大きく活気づいている。
 街の看板は補修が行われ、アーカンシェルの街並は元に戻っていた。『黒塗り事件』はあれ以来ぴたりと止み、首謀者であると結論づけられたエリザベートは、裁きを受け、実家に戻された。離縁されるかどうかは時間の問題という噂が流れている。

 リーリエは、アーカンシェル国立美術大学で新たな絵の制作に励んでいた。
 新たな依頼には、二度も黒塗りにされたアーカンシェルの女神ではなく、別の絵を、という注文が入っている。その理由は、アーカンシェルの女神はもう最高傑作が壁の絵として描かれているからというもので、リーリエはそれにアスカとの共作を申し出た。
 現役の大学生とアーカンシェルの女神、リーリエの共作は大学にとっても有益な申し出ということもあり、即日のうちに快諾された。

「でも、なんであたしなの?」

 高所作業用の台の上に立つアスカが、従機の操縦席に立つリーリエを振り返る。二人の前には共作に使用するキャンバス代わりに提供された、巨大な壁のモチーフがある。まだ白く、下絵が薄く描かれている程度のそれは、日の光を受けてキラキラと眩く輝いて見えた。

「みんなは私のこと、アーカンシェルの女神って言うけど……。私にとっての女神は、アスカだから」

「えへへっ。聞いたのはあたしだけど、面と向かって言われると照れるね」

 少し日に焼けて赤くなった鼻先を擦りながら、アスカが柔らかな笑みを見せる。その笑顔に目を細め、リーリエは自信を持って頷いた。

「何度でも言うよ。アスカは私の女神なんだから」

「……じゃあ、さしずめリーリエの白馬の王子様は、『誰かさん』かな?」

 照れ隠しにアスカが軽口を叩く。エドガーとアルフレッドを示唆するその言葉に、リーリエは軽く頬を膨らませた。

「もう、からかわないの」

「あ、でも、ピンチから救うって意味では、リーリエが王子様ってことになるのかな?」

「……ふふっ」

 アスカの冷静な分析に思わず噴き出す。
 アルフレッドの交通事故の時も、デモを起こした一般市民街の人々と貴族街の人々との衝突の時も、その場を収めたのは従機に乗ったリーリエだった。

「そうかもね」

 自分の成したことを認めながら、リーリエは真っ白な壁を仰ぐ。彼方に広がる空と同じ色を持つ、愛機フェイド・ファミリーズのシルエットが壁の上を軽やかに横切っていった。

「……なにか浮かびそう?」

「うん。いっぱい浮かんでて、どれを捕まえようかなって思ってるところ」

 まだ掴みきれない眩いビジョンが、ぱちぱちと弾けるように光となって浮かんでいる。その中には、エドガーとアルフレッドの姿もあった。

「……誰かさんみたいに?」

 リーリエのビジョンを見ているかのように、アスカがまた軽口を挟む。

「それはもういいってば」

 事実、あの騒動の後、改めてリーリエに惚れ直したという二人に言い寄られているところなのだ。

「二人の顔も浮かぶけど、でも、大事な幼なじみのアスカと描く絵だから、私らしい絵にしたいなって」

 アスカとの思い出が七色のキャンディやシャボン玉のように明るく浮かんで、目の前を流れて行く。その明るいビジョンは、ぱちぱちと胸の中で弾け、リーリエのなかの期待と希望を大いに膨らませた。

「……私らしい絵、かぁ。どんなリーリエも、あたしにとっては唯一無二だから迷うなぁ。あたしらしい絵もきっとそうなんだけど」

「でしょ?」

 共感の言葉を述べるアスカに、大きく頷く。同じ想いと同じ感覚を持つ幼なじみの存在が、リーリエには心地良かった。

「リーリエ!」

「あっ、噂をすれば……」

 差し入れを手にした、アルフレッドとエドガーの二人の姿が見える。二人はその後打ち解け、新しいアーカンシェルの街の構想を作るメンバーとして、貴族街と一般市民街の架け橋になっていた。

「……なかなか二人きりになれないね。貴重なガールズトークなのに」

「賑やかでいいと思うけどな、あたしは」

 近づいてくる二台の蒸気バイクの音に小さく顔を顰めながら、リーリエが苦笑を浮かべる。

「アスカは面白がってるだけでしょ」

「ふふふ。実際、面白いもん。リーリエも楽しいでしょ?」

「それは……そうだけど……」

 にこにこと頷くアスカに同意を示し、リーリエは従機から高所作業用の足場に飛び移った。
 目の前にある白い壁に、アスカが描いた下絵がごく薄く残っている。まだ絵というには抽象的なその円を中心に、リーリエの視界にぱちぱちと光が弾けた。
 絵のビジョンが浮かんでくる。
 様々な色が入り混じる、アーカンシェルを象徴する絵だ。
 これからのアーカンシェルの希望の光の絵になるだろう。

「始めよう、アスカ」

「そう来ると思ってたよ」

 ゴーグルを嵌めたリーリエに倣い、アスカもエアブラシを手に壁に向かう。
 リーリエが噴射した白い塗料の上に、アスカが水色の塗料を重ねていく。
 それは爽やかな夏の空に融けるように混じり合い、希望と歓喜の旋律がリーリエの身体を自然に動かしていく。
 新しい絵は、ここからまた紡がれていく。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(41件)

A・l・m
2024.01.29 A・l・m

完結作品なのでいいのかも知れないけど、タグが足りないのではなかろーか?

解除
イヴァン4世
ネタバレ含む
エルトリア
2021.07.08 エルトリア

最後までお読みくださいましてありがとうございます。
リーリエのアートに対する想いと願いが入り混じった動きのある場面、読み取っていただけて幸甚です。
冒頭のアルフレッド救出と同じような動きながら、また違う印象になるように努めました。
次回作、ご期待に添えますよう頑張りますね。(藤本)

解除
ジュリ
2021.07.04 ジュリ
ネタバレ含む
エルトリア
2021.07.05 エルトリア

>ジュリさま
お読みくださいまして、ありがとうございます。
アートを中心とした根強い対立がある世界で、リーリエが何を感じ、どう動くのかを問いかけながら執筆致しましたので、アートをされている方からの感想、非常に励みになります。
対立を生むものではなく、平和の象徴になっていくアーカンシェルの新しいアートの世界が輝きに満ちたものでありますように。
(藤本)

解除

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら醜女の悪役令嬢だったので、とりあえず自己改造から始めますね

下菊みこと
恋愛
ミレイは平凡な孤児の少女。ある日馬車に轢かれそうになった猫を助ける代わりに自らの命を落としてしまう。…が、目を覚ますと何故かその馬車で運ばれていた公爵令嬢、ミレイユ・モニク・マルセルに憑依していて…。本当のミレイユ様は?これからどうすればいいの?とりあえずまずは自己改造から始めますね! ざまぁの本番は27話と28話辺りです。結構キツいお仕置きになります。 小説家になろう様でも投稿しています。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

溺愛されている妹の高慢な態度を注意したら、冷血と評判な辺境伯の元に嫁がされることになりました。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナフィリアは、妹であるレフーナに辟易としていた。 両親に溺愛されて育ってきた彼女は、他者を見下すわがままな娘に育っており、その相手にラナフィリアは疲れ果てていたのだ。 ある時、レフーナは晩餐会にてとある令嬢のことを罵倒した。 そんな妹の高慢なる態度に限界を感じたラナフィリアは、レフーナを諫めることにした。 だが、レフーナはそれに激昂した。 彼女にとって、自分に従うだけだった姉からの反抗は許せないことだったのだ。 その結果、ラナフィリアは冷血と評判な辺境伯の元に嫁がされることになった。 姉が不幸になるように、レフーナが両親に提言したからである。 しかし、ラナフィリアが嫁ぐことになった辺境伯ガルラントは、噂とは異なる人物だった。 戦士であるため、敵に対して冷血ではあるが、それ以外の人物に対して紳士的で誠実な人物だったのだ。 こうして、レフーナの目論見は外れ、ラナフェリアは辺境で穏やかな生活を送るのだった。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

ショタジジイ猊下は先祖返りのハーフエルフ〜超年の差婚、強制されました〜

下菊みこと
恋愛
イザベルは、婚約者の浮気で婚約を解消したばかり。もらった慰謝料を全部教会に注ぎ込んで出家してやろうとまで考えたが、出家予定の教会に相談するため足を運ぶと不機嫌そうな少年と出会う。 彼は出家予定のイザベルに、星辰語の解読という難題を吹っかける。しかしイザベルはこれをさらりと母国語レベルで訳した。 イザベルは、星辰語の翻訳を趣味…というレベルは超越していたが、ともかく嗜んでいた。というか、神学校での専攻が星辰語で、元々センスがあった上に専門的に学んだので神官レベルを軽く超える能力はあった。 イザベルは少年に気に入られる。 そして、その少年はなんと皇帝陛下の大叔父。先祖返りのハーフエルフ、ユルリッシュ様だと判明。求婚され、妻兼星辰語翻訳の弟子にされてしまう。 小説家になろう様でも投稿しています。

悪役令嬢のお姉様が、今日追放されます。ざまぁ――え? 追放されるのは、あたし?

柚木ゆず
恋愛
 猫かぶり姉さんの悪事がバレて、ついに追放されることになりました。  これでやっと――え。レビン王太子が姉さんを気に入って、あたしに罪を擦り付けた!?  突然、追放される羽目になったあたし。だけどその時、仮面をつけた男の人が颯爽と助けてくれたの。  優しく助けてくれた、素敵な人。この方は、一体誰なんだろう――え。  仮面の人は……。恋をしちゃった相手は、あたしが苦手なユリオス先輩!? ※4月17日 本編完結いたしました。明日より、番外編を数話投稿いたします。

【完】チェンジリングなヒロインゲーム ~よくある悪役令嬢に転生したお話~

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
私は気がついてしまった……。ここがとある乙女ゲームの世界に似ていて、私がヒロインとライバル的な立場の侯爵令嬢だったことに。その上、ヒロインと取り違えられていたことが判明し、最終的には侯爵家を放逐されて元の家に戻される。但し、ヒロインの家は商業ギルドの元締めで新興であるけど大富豪なので、とりあえず私としては目指せ、放逐エンド! ……貴族より成金うはうはエンドだもんね。 (他サイトにも掲載しております。表示素材は忠藤いずる:三日月アルペジオ様より)  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。