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43 高まる反発
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黄昏色に染まる街を、リーリエの塗装用従機フェイド・ファミリーズとエドガーの愛車レッド・アローが併走している。長く伸びた影をその瞳に映していると、三日間の非日常が日常に戻る実感が胸にあたたかく広がっていく。頬が熱いのは、橙色に眩く照らす西日の光のせいだけではなかった。
街の入り口付近から東に進み、商業区の大通りに差し掛かると、あの黒塗りにされた看板が見えてくる。看板の周辺には、アーカンシェルの治安を担う警察官らが数人集まり、保全された現場の捜査らしきものを行っているのが見えた。
「どうやら、俺の嘆願が届いたようだな」
「……ええ……」
きちんとした捜査が行われれば、抑制の効果も期待出来るだろう。エドガーの視線に、リーリエは静かに頷いた。
事態は進展している。だが、言い知れない不安が胸の内に渦巻いている。それを吐き出すべきかどうか迷いながら、リーリエは黒塗りにされた看板のひとつひとつを眺めた。
高所にある看板にはほとんど手がつけられていない。被害に遭っているのは全て、人間の手が届く範囲だ。屋根に近い看板には、カラーボールのようなものが投げつけられた跡が残ったままになっている。単なる悪戯などではなく、明確な悪意を持って――あるいは、誰かの指示を受けてごく短時間に行われたのだろう。
――一体誰が……。
頭の中に、エドガーの拘束時のニュース映像が蘇る。被害者として映し出されたエリザベートのあの姿……。
限りなく疑わしいが、確たる証拠はない。一般市民が告発したところで、公爵夫人への暴言と見做されるだろう。エドガーの嘆願が、さながら暴行事件のように取り扱われたのと同じように。
「……壁の絵のことを、考えてるのか?」
「あ、うん……」
エドガーの問いかけで我に返ったリーリエは、無意識のうちに従機を店の前に停めていたことに気づく。
「不安なのも無理はない。早く次の対策を練らないとな」
エドガーが蒸気バイクのエンジンを切り、ヘルメットを外す。
「危険なことは、もうしないでね」
「わかってる」
リーリエが念を押すと、エドガーは眉を下げて頷いた。と、店の電話がけたたましく鳴った。
「リーリエ! 大変、大変なんだよ!」
電話の主――アスカの声が、リーリエの不安が現実になったことを知らせる。
美術大学に飾られていた修復済みのアーカンシェルの女神が、再び黒く塗り潰されたというのだ。
☘
黒塗りにされた絵の上に、赤でNEXTという文字と矢印が殴り書きされている。
「次……。次は……」
矢印の向きと、そのワードは、まっすぐに街の入り口の方角を示している。その悪意が他ならぬアーカンシェルの壁へと向けられていることに気づいたリーリエは、最悪の予感に目を大きく見開いた。
「壁、壁の絵を守れ!」
その矢印がリーリエの描く壁の絵のことを指しているのだと気づいたエドガーが、悲鳴のような声を上げると、リーリエの腕を強く掴んだ。
「行くぞ、リーリエ」
「…………」
エドガーに腕を引かれて駆け出しながら、極度の不安で心臓が激しく脈打っているのを感じる。その不安に拍車をかけるように、街の入り口に設けられた非常時用の鐘が鳴り響き始めた。
「壁が、壁の絵が!」
誰かが叫ぶ声と、悲嘆の声があちこちで上がっている。エドガーの愛車で壁に近づくにつれ、その声は大きくなり、人々の同情の視線が一斉にリーリエに集まった。
「……そんな――」
絶望的な光景に、それ以上の言葉は出て来なかった。
恐れていたことが、起きてしまった。
リーリエの心を嘲笑うように、壁の絵もまた、黒く塗り潰されてしまったのだ。
☘
非常時を知らせる鐘の音が止むと、辺りは人々の喧噪に包まれた。
壁の絵の無事を祈りながら駆けつけた人々は、そこにある無残に塗り潰された絵に怒りを露わにしている。
壁と向き合うように佇むリーリエは、エドガーに支えられてやっと立っている状態だった。
「……やっぱり貴族街のヤツらだ」
「美術展の結果を逆恨みしてるに違いねぇ」
人々の怒りが、言葉になって紡がれていく。静かだったその怒りは、伝播し、やがて大きな怒りへと変貌していった。
貴族街の何者かが美術展の逆恨みをしているに違いないという意見が持ち上がり、それはまことしやかに囁かれていく。怒りを伝え、声を上げようという意見が目立ち始めた。
「エドガー。貴族街を通り、公爵家にデモを起こそう」
「公爵家の依頼で進めている壁の絵だ。きちんと捜査して、犯人を吊し上げねぇと気が済まん」
「そうだそうだ!」
人々は声を上げ、怒りを伝える術を画策している。
「いつまで黙ったままでいるんだ、リーリエ。怒れ! あんたは怒っていいんだ!」
黒く塗り潰された壁の絵と向き合うリーリエを、人々が焚きつける。だが、リーリエは首を横に振ると、エドガーの支えを断り、人々に向き直った。
「ありがとう、ありがとう……。私のために怒ってくれて……」
群衆の一人一人と目を合わせるように、リーリエが穏やかに語り始める。
「みんなが私のためを思ってくれているのはわかるわ。でも、誰よりも私がそれを望んでいないの。お願い、わかって――」
「いや、だが……」
「こんなにされて黙っていられるかよ!」
リーリエの発言に、人々から反感の声が上がる。これだけ怒りが大きくなれば、最早自分だけの問題ではないことは、リーリエにもわかっていた。
「リーリエ……」
エドガーがリーリエに訴えかけるような視線を向ける。けれど、リーリエの意志は変わらなかった。
「私は大丈夫。描き続けられる。……みんなに絵を届けて見せる。だから、お願い」
リーリエの真摯な願いを聞き届けようと努めるように、人々がざわめいている。目立った怒りの声が止み、駆けつけた警官によって規制線が張られると、人々はその場を離れていった。
☘
愛機フェイド・ファミリーズに乗ったリーリエが、一人真っ黒になった壁と向き合っている。
「かわいそうに、リーリエ」
「どうにかしてやれないものかね……」
広範囲に及ぶ黒塗りの壁は、何度も重ねて新しい塗料を塗らなければならないほど濃く、リーリエは、夜な夜な一人で作業を続けていた。
エドガーたちの見張りも続き、警官らの巡回も行われた。
それでも、しばしば新たな『黒塗り事件』は起こり、傷心のリーリエの姿と、絵が消えてしまったままの壁に人々は深く心を痛めていた。
街の入り口付近から東に進み、商業区の大通りに差し掛かると、あの黒塗りにされた看板が見えてくる。看板の周辺には、アーカンシェルの治安を担う警察官らが数人集まり、保全された現場の捜査らしきものを行っているのが見えた。
「どうやら、俺の嘆願が届いたようだな」
「……ええ……」
きちんとした捜査が行われれば、抑制の効果も期待出来るだろう。エドガーの視線に、リーリエは静かに頷いた。
事態は進展している。だが、言い知れない不安が胸の内に渦巻いている。それを吐き出すべきかどうか迷いながら、リーリエは黒塗りにされた看板のひとつひとつを眺めた。
高所にある看板にはほとんど手がつけられていない。被害に遭っているのは全て、人間の手が届く範囲だ。屋根に近い看板には、カラーボールのようなものが投げつけられた跡が残ったままになっている。単なる悪戯などではなく、明確な悪意を持って――あるいは、誰かの指示を受けてごく短時間に行われたのだろう。
――一体誰が……。
頭の中に、エドガーの拘束時のニュース映像が蘇る。被害者として映し出されたエリザベートのあの姿……。
限りなく疑わしいが、確たる証拠はない。一般市民が告発したところで、公爵夫人への暴言と見做されるだろう。エドガーの嘆願が、さながら暴行事件のように取り扱われたのと同じように。
「……壁の絵のことを、考えてるのか?」
「あ、うん……」
エドガーの問いかけで我に返ったリーリエは、無意識のうちに従機を店の前に停めていたことに気づく。
「不安なのも無理はない。早く次の対策を練らないとな」
エドガーが蒸気バイクのエンジンを切り、ヘルメットを外す。
「危険なことは、もうしないでね」
「わかってる」
リーリエが念を押すと、エドガーは眉を下げて頷いた。と、店の電話がけたたましく鳴った。
「リーリエ! 大変、大変なんだよ!」
電話の主――アスカの声が、リーリエの不安が現実になったことを知らせる。
美術大学に飾られていた修復済みのアーカンシェルの女神が、再び黒く塗り潰されたというのだ。
☘
黒塗りにされた絵の上に、赤でNEXTという文字と矢印が殴り書きされている。
「次……。次は……」
矢印の向きと、そのワードは、まっすぐに街の入り口の方角を示している。その悪意が他ならぬアーカンシェルの壁へと向けられていることに気づいたリーリエは、最悪の予感に目を大きく見開いた。
「壁、壁の絵を守れ!」
その矢印がリーリエの描く壁の絵のことを指しているのだと気づいたエドガーが、悲鳴のような声を上げると、リーリエの腕を強く掴んだ。
「行くぞ、リーリエ」
「…………」
エドガーに腕を引かれて駆け出しながら、極度の不安で心臓が激しく脈打っているのを感じる。その不安に拍車をかけるように、街の入り口に設けられた非常時用の鐘が鳴り響き始めた。
「壁が、壁の絵が!」
誰かが叫ぶ声と、悲嘆の声があちこちで上がっている。エドガーの愛車で壁に近づくにつれ、その声は大きくなり、人々の同情の視線が一斉にリーリエに集まった。
「……そんな――」
絶望的な光景に、それ以上の言葉は出て来なかった。
恐れていたことが、起きてしまった。
リーリエの心を嘲笑うように、壁の絵もまた、黒く塗り潰されてしまったのだ。
☘
非常時を知らせる鐘の音が止むと、辺りは人々の喧噪に包まれた。
壁の絵の無事を祈りながら駆けつけた人々は、そこにある無残に塗り潰された絵に怒りを露わにしている。
壁と向き合うように佇むリーリエは、エドガーに支えられてやっと立っている状態だった。
「……やっぱり貴族街のヤツらだ」
「美術展の結果を逆恨みしてるに違いねぇ」
人々の怒りが、言葉になって紡がれていく。静かだったその怒りは、伝播し、やがて大きな怒りへと変貌していった。
貴族街の何者かが美術展の逆恨みをしているに違いないという意見が持ち上がり、それはまことしやかに囁かれていく。怒りを伝え、声を上げようという意見が目立ち始めた。
「エドガー。貴族街を通り、公爵家にデモを起こそう」
「公爵家の依頼で進めている壁の絵だ。きちんと捜査して、犯人を吊し上げねぇと気が済まん」
「そうだそうだ!」
人々は声を上げ、怒りを伝える術を画策している。
「いつまで黙ったままでいるんだ、リーリエ。怒れ! あんたは怒っていいんだ!」
黒く塗り潰された壁の絵と向き合うリーリエを、人々が焚きつける。だが、リーリエは首を横に振ると、エドガーの支えを断り、人々に向き直った。
「ありがとう、ありがとう……。私のために怒ってくれて……」
群衆の一人一人と目を合わせるように、リーリエが穏やかに語り始める。
「みんなが私のためを思ってくれているのはわかるわ。でも、誰よりも私がそれを望んでいないの。お願い、わかって――」
「いや、だが……」
「こんなにされて黙っていられるかよ!」
リーリエの発言に、人々から反感の声が上がる。これだけ怒りが大きくなれば、最早自分だけの問題ではないことは、リーリエにもわかっていた。
「リーリエ……」
エドガーがリーリエに訴えかけるような視線を向ける。けれど、リーリエの意志は変わらなかった。
「私は大丈夫。描き続けられる。……みんなに絵を届けて見せる。だから、お願い」
リーリエの真摯な願いを聞き届けようと努めるように、人々がざわめいている。目立った怒りの声が止み、駆けつけた警官によって規制線が張られると、人々はその場を離れていった。
☘
愛機フェイド・ファミリーズに乗ったリーリエが、一人真っ黒になった壁と向き合っている。
「かわいそうに、リーリエ」
「どうにかしてやれないものかね……」
広範囲に及ぶ黒塗りの壁は、何度も重ねて新しい塗料を塗らなければならないほど濃く、リーリエは、夜な夜な一人で作業を続けていた。
エドガーたちの見張りも続き、警官らの巡回も行われた。
それでも、しばしば新たな『黒塗り事件』は起こり、傷心のリーリエの姿と、絵が消えてしまったままの壁に人々は深く心を痛めていた。
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