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41 最悪の報せ

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 リーリエの塗装用従機――フェイド・ファミリーズが、黒塗りにされた看板にエアスプレーを吹きかけている。装填されたバニッシュペインターが吹き付けられると、黒塗りにされた看板からはたちどころに色が消え、地の色が浮かび上がった。

「……やっぱりよぉ、貴族代表のお嬢ちゃんの絵が選ばれなかった腹いせじゃねぇか?」

「あぁ、『湖畔の貴婦人』とかいうやつか……」

「結構な数のパトロンがついてたし、公爵夫人もバックアップしてたな」

「けどよぉ、他人の自画像みたいなモンを宮廷が飾るモンかねぇ?」

 集まった商業区域の人々が、リーリエの作業を見守りながら呟いている。飛び交う憶測は、リーリエに対する嫌がらせを懸念するものばかりだ。
 エドガーもそれを危惧して、『黒塗り事件』の捜査を求める嘆願に向かったと聞いた。
 手口はあの黒塗りにされたドレスを彷彿とさせる。だが、エリザベートやアンナが、そこまでするほど、自分に執着しているだろうか? というのが、リーリエの心境だった。
 アルフレッドとの関係はもう終わっている。謝罪こそ受けたものの、あの胸が高鳴るような恋の時間は既に過去のことだ。

「今は自由だから……」

 アルフレッドの婚約者のままなら、あるいは結婚した後なら、自分の絵は彼に合わせて変わっていたかもしれない。気づかないうちに、きっとそうしただろう。エリザベートの好みに合わせて花の絵を描いたように。
 けれど、今は違う。
 自分の思うままに、描き、表現して良いのだ。何者にも縛られず、心の赴くままに描ける環境は、リーリエの心痛を軽いものにしていた。

「もう一度描けばいいんだよ、エドガー」

 正体の見えない嫌がらせに不安はあるが、仲間がいる。街の内外からの応援の声も、街頭映写盤を通じてリーリエには伝わっていた。ニュースは『黒塗り事件』を大いに取り上げ、リーリエに対する同情や激励の声が幾度も報じられている。自分の目と耳で知りうる何倍もの人々が、リーリエを――リーリエの絵を支援しているのだという事実が、リーリエを強く支えていた。
 その上、エドガーらが開発したというバニッシュペインターがリーリエの物理的な作業の負担をうんと軽くした。黒塗りにされた絵を地道に塗り直す必要はなく、バニッシュペインターを吹きかけ、新たな絵を描くだけでいいのだ。

 目を閉じ、まっさらになった壁に新たなビジョンを描く。塗料をバニッシュペインターから緑色のそれに交換し、リーリエが夏の木陰を描き始めたその刹那。

「リーリエ、エドガーが!」

 アスカが叫びながら、現場に飛び込んで来た。

「どうしよう、どうしよう……!」

 悲鳴のような声を上げながら、アスカがリーリエの従機の足許に迫る。リーリエは慌てて作業の手を止めると、従機から飛び降りた。

「落ち着いて、アスカ。エドガーが、どうしたの?」

 手のひらを添えたアスカの肩が、激しい動揺に震えている。

「拘束されちゃった!」

 涙でいっぱいの目を見開いたアスカが、リーリエに抱きつく。いつも明るく、リーリエを支えてきたアスカのこんな不安な顔は見たことがなかった。

「そんな……」

 ぐらぐらと足許が揺らいでいるような、酷い不安がリーリエの身体を冷えさせていく。街頭映写盤が点り、臨時ニュースを知らせるメロディがアーカンシェルに響き渡った。

「アーカンシェルの一般市民街、商業区域で頻発している『黒塗り事件』について、激しい抗議を行い、貴族街の民の安全を脅かしたとして――」

「どうして……」

 ニュースは、繰り返しエドガーの拘束を伝えている。捜査の嘆願に向かったはずのエドガーは、激しく何かに怒っている。それを制する警察が、三人がかりでエドガーを拘束していた。
 カメラが切り替わり、その視線の先にあるものが、映し出される。エドガーの視線の先には、エリザベートとアンナの姿があった。

『あんな落書きごときで、大人げないこと』

 被害者として映し出されたエリザベートは、そう発言した。扇子で口許を隠してはいたが、その頬が笑みの形に歪んでいるのを、リーリエは見逃すことが出来なかった。
 自分でもわからないほどの、大きな悪意が向けられている。それは、自分だけではなく、エドガーや周囲の人間にも影響を及ぼし始めている。

「エドガー……」

 こんな時に支えになる彼は、拘束されてしまった。だが、その名を呟くと同時にエドガーの強気な笑顔がリーリエの脳裏に蘇り、励ましの声が聞こえたような気がした。
 何と言われたのかわからない。だが、エドガーからかけられた言葉の数々が、俯きかけたリーリエの顔を上向かせた。ここで挫けているわけにはいかなかった。
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