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38 顕在化する不安
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空高く上った太陽が、庇の向こうで燦々と煌めいている。
バンクシーペイントサービスのベンチにリーリエと並んで腰かけたアスカは、向かいの酒場から差し入れにもらった瓶ビールを喉を鳴らして飲んだ。
「あー、久しぶりの休みだー。昼から飲むビールは最高!」
「ごめんね。忙しくさせちゃって」
アスカの肖像を意識したマグロナルドの外壁のスプレーアートは、大いに評判を呼び、翌日には新聞社などが取材に訪れた。その効果か、店は連日大盛況が続いている。
「ふふっ。店長は大喜びだよ~」
アスカは冷えた瓶を日差しで火照った頬に押し当て、その感触を楽しみながら手土産のフライドポテトをつまむ。リーリエも、差し入れのツナバーガーに大口で齧り付いた。
「んっ、美味しっ」
「でしょ? リーリエのために、あたしが作ったんだ。最近は厨房にも入ってるからね」
マグロナルドで働くアスカは、フロア担当だ。気まぐれに厨房に入ることはこれまでにもあったが、それとは違う口吻にリーリエは目を瞬いた。
「え、なんで?」
「たまーにしつこいヤツがいるから、臨機応変にって感じかな。あ、でも気にしないで。接客は好きだから、やり甲斐があるし、バイト代も、ばーんと上がるみたいだしね」
リーリエの反応をあらかじめ予測したのか、アスカが早口で一気に喋る。
確かに、リーリエの絵を見てアスカに興味を持ったのであれば、そうした反応があるのも頷けた。絵を頼んだ店長とエドガーがここまで予測していたどうかはわからなかったが、その機転と采配に感謝しながら、リーリエはほっと息を吐いた。
「……それなら良かった」
アスカが作るツナバーガーには、リーリエの好きなクリームソースと粒マスタードがたっぷりと入れられている。囓った端から零れそうになっているソースを舌先ですくいながら、リーリエは空腹を思い出したように食べ進めた。
「んーっ、いい食べっぷりだね。……ところで、そう言うリーリエこそ、忙しいんじゃないの?」
アスカがツナバーガーの包みを開けながら、リーリエの顔を覗き込む。リーリエは苦笑して緩く頭を振った。
美術展での受賞をきっかけに、リーリエの元には多くの依頼が舞い込むようになった。作業用の従機を使うという見た目からは想像出来ない繊細な動きが特に評判を呼んでおり、それはエドガーが予測していた通り、ドローイングとセットで求められている。
「唯一無二のものだって、評価してくれる人が多いから、全部に対応できるわけじゃないんだよね」
他の都市からもドローイングなどの依頼が舞い込んでいるが、身体はひとつだ。
「あー、そっか。ただ絵を描いて売るって感じとはまた違うんだよね。リーリエの絵は、それを目の前で見て体感してこそって感じだし」
「うん。そういうのを求めてる人が多いから、良くも悪くも、忙しさはそこまで変わらないかなって」
「身体はひとつしかないもんね」
アスカの相槌に頷きながら、リーリエはツナバーガーを食べ進め、冷たい紅茶で喉を潤した。
絵の依頼があることは嬉しい。それに、自分にしか描けない絵を求められていることも光栄だと思う。だからこそ、自分の描きたいものと向き合わなければならないのだと、リーリエは目の前に広がるアーカンシェルの街並を改めて眺めた。
「それに、まずはこの街からちゃんと向き合っていきたいなって」
この街の商業区域には、リーリエと亡き父が手がけた看板があちこちに掲げられている。この街に新たな景観を生み出し続けてきているのが自分だという自負が、リーリエの中で確固たるものになりつつあった。
「……リーリエなら、そう言うと思ったよ。相変わらず真面目だなぁ」
リーリエの視線を追うようにアーカンシェルの街並を眺めながら、アスカが微笑む。
「そうかな?」
「そうだよ。リーリエのそういうところ、大好きだし尊敬する」
アスカはそう言って、真っ直ぐに目を合わせると唇の端を持ち上げて人懐っこい笑みを見せた。
「期待に応えたいって気持ち、きっとあると思うんだけど……。無理しないようにね」
同じことはエドガーにも念を押されている。ともすれば、頑張りすぎてしまう自分の性格を知っている幼なじみ二人からの忠告に、リーリエは苦く笑った。
「うん。身体が資本だからね」
「あ、誰かさんみたいなこと言うね。ひょっとして、もう同じこと言われた?」
勘の良いアスカが、にこにことリーリエの表情の変化を窺っている。
「もう、からかわないの」
リーリエは身体の向きを変え、誤魔化すようにツナバーガーに齧り付いた。その耳に、聞き慣れた蒸気バイクのエンジン音が響いてくる。
「あっ、噂をすれば、その誰かさんじゃない?」
アスカに促されるまでもなく、リーリエは音のする方に首を巡らせ、そこにエドガーの愛車レッド・アローを見た。エドガーは通り沿いに蒸気バイクを停め、ヘルメットカバーを持ち上げる。
「リーリエッ!」
そこに現れた険しい表情と声から、ただならぬものを感じ、リーリエは食べかけのツナバーガーをベンチの端に置いて立ち上がった。
「……なにかあった?」
「美術大学の敷地にあった、お前の絵が……」
問いかけに応えたエドガーは、そこで目を伏せ、言いづらそうに唇を歪めた。
酷く嫌な予感がした。なにか悪いことが起きる予兆に胸が騒ぐ。
「黒塗りにされてる」
その報告を受けた瞬間、リーリエの脳裏にはあの黒塗りのドレスのビジョンが浮かんでいた。
バンクシーペイントサービスのベンチにリーリエと並んで腰かけたアスカは、向かいの酒場から差し入れにもらった瓶ビールを喉を鳴らして飲んだ。
「あー、久しぶりの休みだー。昼から飲むビールは最高!」
「ごめんね。忙しくさせちゃって」
アスカの肖像を意識したマグロナルドの外壁のスプレーアートは、大いに評判を呼び、翌日には新聞社などが取材に訪れた。その効果か、店は連日大盛況が続いている。
「ふふっ。店長は大喜びだよ~」
アスカは冷えた瓶を日差しで火照った頬に押し当て、その感触を楽しみながら手土産のフライドポテトをつまむ。リーリエも、差し入れのツナバーガーに大口で齧り付いた。
「んっ、美味しっ」
「でしょ? リーリエのために、あたしが作ったんだ。最近は厨房にも入ってるからね」
マグロナルドで働くアスカは、フロア担当だ。気まぐれに厨房に入ることはこれまでにもあったが、それとは違う口吻にリーリエは目を瞬いた。
「え、なんで?」
「たまーにしつこいヤツがいるから、臨機応変にって感じかな。あ、でも気にしないで。接客は好きだから、やり甲斐があるし、バイト代も、ばーんと上がるみたいだしね」
リーリエの反応をあらかじめ予測したのか、アスカが早口で一気に喋る。
確かに、リーリエの絵を見てアスカに興味を持ったのであれば、そうした反応があるのも頷けた。絵を頼んだ店長とエドガーがここまで予測していたどうかはわからなかったが、その機転と采配に感謝しながら、リーリエはほっと息を吐いた。
「……それなら良かった」
アスカが作るツナバーガーには、リーリエの好きなクリームソースと粒マスタードがたっぷりと入れられている。囓った端から零れそうになっているソースを舌先ですくいながら、リーリエは空腹を思い出したように食べ進めた。
「んーっ、いい食べっぷりだね。……ところで、そう言うリーリエこそ、忙しいんじゃないの?」
アスカがツナバーガーの包みを開けながら、リーリエの顔を覗き込む。リーリエは苦笑して緩く頭を振った。
美術展での受賞をきっかけに、リーリエの元には多くの依頼が舞い込むようになった。作業用の従機を使うという見た目からは想像出来ない繊細な動きが特に評判を呼んでおり、それはエドガーが予測していた通り、ドローイングとセットで求められている。
「唯一無二のものだって、評価してくれる人が多いから、全部に対応できるわけじゃないんだよね」
他の都市からもドローイングなどの依頼が舞い込んでいるが、身体はひとつだ。
「あー、そっか。ただ絵を描いて売るって感じとはまた違うんだよね。リーリエの絵は、それを目の前で見て体感してこそって感じだし」
「うん。そういうのを求めてる人が多いから、良くも悪くも、忙しさはそこまで変わらないかなって」
「身体はひとつしかないもんね」
アスカの相槌に頷きながら、リーリエはツナバーガーを食べ進め、冷たい紅茶で喉を潤した。
絵の依頼があることは嬉しい。それに、自分にしか描けない絵を求められていることも光栄だと思う。だからこそ、自分の描きたいものと向き合わなければならないのだと、リーリエは目の前に広がるアーカンシェルの街並を改めて眺めた。
「それに、まずはこの街からちゃんと向き合っていきたいなって」
この街の商業区域には、リーリエと亡き父が手がけた看板があちこちに掲げられている。この街に新たな景観を生み出し続けてきているのが自分だという自負が、リーリエの中で確固たるものになりつつあった。
「……リーリエなら、そう言うと思ったよ。相変わらず真面目だなぁ」
リーリエの視線を追うようにアーカンシェルの街並を眺めながら、アスカが微笑む。
「そうかな?」
「そうだよ。リーリエのそういうところ、大好きだし尊敬する」
アスカはそう言って、真っ直ぐに目を合わせると唇の端を持ち上げて人懐っこい笑みを見せた。
「期待に応えたいって気持ち、きっとあると思うんだけど……。無理しないようにね」
同じことはエドガーにも念を押されている。ともすれば、頑張りすぎてしまう自分の性格を知っている幼なじみ二人からの忠告に、リーリエは苦く笑った。
「うん。身体が資本だからね」
「あ、誰かさんみたいなこと言うね。ひょっとして、もう同じこと言われた?」
勘の良いアスカが、にこにことリーリエの表情の変化を窺っている。
「もう、からかわないの」
リーリエは身体の向きを変え、誤魔化すようにツナバーガーに齧り付いた。その耳に、聞き慣れた蒸気バイクのエンジン音が響いてくる。
「あっ、噂をすれば、その誰かさんじゃない?」
アスカに促されるまでもなく、リーリエは音のする方に首を巡らせ、そこにエドガーの愛車レッド・アローを見た。エドガーは通り沿いに蒸気バイクを停め、ヘルメットカバーを持ち上げる。
「リーリエッ!」
そこに現れた険しい表情と声から、ただならぬものを感じ、リーリエは食べかけのツナバーガーをベンチの端に置いて立ち上がった。
「……なにかあった?」
「美術大学の敷地にあった、お前の絵が……」
問いかけに応えたエドガーは、そこで目を伏せ、言いづらそうに唇を歪めた。
酷く嫌な予感がした。なにか悪いことが起きる予兆に胸が騒ぐ。
「黒塗りにされてる」
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