公爵子息に気に入られて貴族令嬢になったけど姑の嫌がらせで婚約破棄されました。傷心の私を癒してくれるのは幼馴染だけです

エルトリア

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30 エドガーの贈り物

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「これ、試してくれよ!」

 従機の操縦席に向かって、エドガーがスプレー缶のひとつを投げ寄越す。ほとんど狂いなくリーリエの手許に収まった缶は、特別な説明がなくただ真っ白で、Dというラベルが貼られているだけの奇妙な品だった。

「これはなに?」

 操縦席から立ち上がり、マスクを外して声を張り上げる。

「俺が開発に携わってた、新作の塗料なんだ。試作は絶対にリーリエに頼みたくてさ」
 エドガーも声を張り、もうひとつのスプレー缶を振りながら、リーリエに使うように促した。

「私が? いいの?」

「当たり前だろ。そのために急いで来たんだぜ?」

 片目を瞑って、八重歯を覗かせて微笑みながら、エドガーが従機のそばに進んでくる。リーリエは頷くと、操縦席の後ろに搭載していた、試し吹き用のキャンバスを取り出した。キャンバスには試し吹きした緑の塗料が鮮やかな模様を描くように、幾重にも重なっている。

「これしかないんだけど、大丈夫かしら?」

 色味を確かめるのならば、真新しいキャンバスの方が都合がいいだろう。だが、生憎と余白のないキャンバスしか手許にはない。

「寧ろ、そっちの方がいいな」

 エドガーは笑顔で頷き、リーリエの手にしたキャンバスに目を細める。リーリエはその同意を受けてスプレー缶の蓋を外すと、キャンバスの端に吹き付けた。

「えっ!?」

 吹き付けた場所の色が一瞬にして消え、リーリエは驚愕の声を上げた。

「色が消えたわ、エドガー!」

「はははは、いい反応だ!」

 リーリエの反応に快活に笑ったエドガーが、もうひとつの塗料を示す。リーリエは、先に投げ寄越された缶を手許に置き、両手を構えた。

「次はこれだ。使ってみてくれ」

 リーリエの準備が出来たのを確かめたエドガーが、もう一つの缶を投げ寄越す。リーリエは、それを受け取ると、流れるような動きで蓋を外し、キャンバスに吹き付けた。

「凄い、楽しいっ!」

 塗料を吹きかけた部分から、浮き上がるように色が戻ってくる。リーリエは二つの塗料を左右の手に構え、それぞれの特性を考えながら同時に吹き付けた。
 緑の塗料を重ねた試し塗りのキャンバスは、見る間に木漏れ日のような表現が加えられていく。

「流石だな!」

 従機の昇降用の梯子を登り、キャンバスを覗き込んだエドガーが、ひゅぅ、と驚嘆の口笛を吹いた。

「初見でこれだけ使いこなすとは思わなかった。それ、もらってもいいか?」

「え、ええ」

 キャンバスに手をかけながら問いかけられ、リーリエは反射的に頷いた。

「バニッシュペインターAとD……。こんな使い方を思いつくなんて……」

 手許に引き寄せたキャンバスを改めて眺めながら、エドガーがしきりに感嘆の言葉を呟いている。
 その言葉を聞きながら、リーリエは改めてスプレー缶を眺めた。試作品というだけあり、真っ白な缶の片方にはD、もう片方にはAの表記があるだけだ。エドガーの言葉から推測するに、色を消す作用があるものと、色を浮かび上がらせる作用があるもの、の二本が対になっている商品であることが窺えた。

「……やっぱり、お前は天才だよ。リーリエ」

「そんな……。私はただ、絵が好きなだけで……」

「もっと自信持てよ」

 搭乗用の梯子をさらに上ったエドガーが、従機の肩に乗りながら、リーリエの髪をくしゃりと撫でる。

「こういうのは間違いなく才能だ。お前が認めなくても、俺は小さい頃からずっとそう思ってた。……もしも、自分が信じられないんだったら、俺を信じろ」

「エドガー……」

 力強く言うエドガーの手のひらに微かな力がこもる。アルフレッドと似ているようでいて、全く違うその言葉に、リーリエは唇を震わせてエドガーの名を呼んだ。

「それとも、俺は信じるに値しない男か?」

 上目遣いで見つめた視線の先で、エドガーが眉を下げて困ったように微笑む。少し悲しげなその顔を目の当たりにしたリーリエは、思わず大きく声を上げた。

「違うわ!」

「……だろ?」

 エドガーが下げていた眉を持ち上げ、わかりきってると言いたげな自信たっぷりの視線を返す。彼の自信が、リーリエには心強かった。

「俺の目は確かなんだ。お前の絵には、本当に惚れ込んでる」

 ぽんぽんとリーリエの頭を撫でたエドガーが、塗料を手にしたままのリーリエの手を握る。

「あ、うん……」

 自分と同じか少し小さいくらいだったはずのエドガーの手は、リーリエの両手を包み込めるほどに大きく逞しく成長している。その少し筋張った手の熱さにどぎまぎとしながら頷くと、エドガーは缶の中身を確かめるようにリーリエの手ごと上下に動かした。

「これと交換だな。この塗料でなにか描いてくれよ」

 特に意識した様子もなく続けるエドガーに、リーリエの緊張も幾分か和らぐ。

「あとで従機用のデカいやつも用意するからさ」

「いいの!?」

 願ってもないエドガーの申し出に目を瞬かせると、彼の顔が急接近した。

「リーリエ」

 額を軽く合わせたエドガーが、こつんとリーリエを小突く。小さな頃のエドガーが、怒ったときに目を合わせてしていた仕草だった。

「俺がいいって言ったらいいの。そういうの禁止」

「う、うん……」

 触れ合った前髪が視界の中で絡み合っている。目を逸らすことが出来ずにぱちぱちと瞬きをしながら頷くと、エドガーは無邪気な少年のような笑みを浮かべて額を離した。

「わかったなら、よし」

 くしゃくしゃと頭を撫でたエドガーが、従機の梯子を下り始める。

「それじゃあ、また後でな!」

 そう言い残すと、従機から軽々と飛び降り、エドガーは颯爽とレッドアローに跨がった。
 後に残されたリーリエは、塗料の缶を胸に抱いて、ぽかんと口を開き、走り去っていくエドガーの後ろ姿を見送る。

「すごい……」

 遠ざかる背を見つめているうちに、じわじわと興奮が蘇ってきた。

「すごいの、もらっちゃった……!」

 興奮が隠せずに、操縦席から従機の肩に移動し、大きく手を振る。左右に大きく振るその手の向こうに、新しいビジョンが幾つも浮かんでいるような感覚があった。
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