上 下
21 / 48

20 突然の来訪者

しおりを挟む
 スランプに陥ってから一週間。
 リーリエは、リハビリを兼ねて仕事に復帰した。

 バンクシー・ペイントサービスの鎧戸シャッターから、『休業中』の張り紙が外され、アーカンシェルの商業区を従機で走るリーリエの姿に、街の人々は安堵に胸を撫で下ろしていた。
 誰もが、リーリエがあの酷い仕打ちを乗り越え、元の生活に戻ったことを歓迎していた。ただ一人、リーリエの本当の不調を知るアスカを除いて。

「……その後はどう?」

「まだスランプ中、かな」

 差し入れのジェラートを頬に当てながら、従機の操縦席でリーリエは描きかけの看板を眺めている。古くなった看板の新しい塗装に合わせて店名を入れた絵を描いてほしいという依頼をそつなくこなしながら、リーリエは三角に盛り付けられた木苺のジェラートに齧り付いた。
 ひんやりとしたジェラートが、高揚して熱くなっていた口の中で溶けていく。甘酸っぱい味を喉を鳴らして楽しみながら、リーリエは舌先と唇を使って溶けかけたアイスを器用に舐め取っていった。

「仕事は出来るのにね」

「仕事だからだよ」

 依頼者の希望がある絵は、自分の意思とは切り離されているので、それほど影響はなかったが、自分が心から描きたいと思うものがなくなってしまっているのだ。それだけに、今描いている仕事の絵にも、どことなく自分らしさを感じられないような気がして、リーリエは眉を下げた。

「でも、その仕事もなんだか上手く行ってないかも」

「え!? これで!?」

 ジェラートの容れ物を兼ねている固焼きのワッフルを驚きで噛み砕いたアスカが、慌てた様子ではみ出したジェラートを口に頬張っている。何か言いたげにもごもごと口を動かしながらリーリエを見つめているアスカの言わんとすることを察し、リーリエは付け加えた。

「何かが違う気がするんだよね……」

 仕事である以上、自分のベストは尽くしている。だが、感じたことのない違和感のようなものがずっとつきまとっている感覚があった。
それがなんであるのか、どうすれば払拭出来るかがわからず、リーリエは顔を歪めて空を仰いだ。
 西に傾き始めた太陽が、橙色の光で街を照らしている。

 夕刻になり、大通りを走る蒸気車両の数も増え始めた。と、見慣れない真っ赤な車体の蒸気バイクが大通りを横切り、こちらに近づいてくるのが見えた。
 まるでリーリエの従機を目指しているかのように進んできた蒸気バイクは、その予感の通り目の前に停まった。

「バンクシー・ペイントサービスだな?」

 ライダースジャケットの青年が問いかけてくる。頭部を覆うヘルメットのせいで顔は見えなかったが、リーリエは頷いた。

「絵を描いてもらいたい。店主のお任せで、どーんとやってほしいんだ! 頼めるか!?」

「ごめんなさい、今は――」

 立ち上がり、依頼を断ろうとしたリーリエは、ヘルメットを外した青年の姿に思わず息を呑んだ。

「え? もしかして――」

 アスカも同じように、青年の顔をまじまじと見つめている。
 すらりと伸びた背丈が象徴する見違えるようなその容姿に、すぐには信じられない気持ちだった。最後に彼を見たのは、七歳の頃だ。
 それでも、笑うとえくぼが出来る、屈託のない笑顔は変わらない。

「エドガー!」

 驚きのあまり、リーリエは従機から飛び降り、幼なじみのエドガーに駆け寄った。

「久しぶりだな、リーリエ」

 八重歯を覗かせて笑うエドガーは、昔のようにリーリエを抱きしめてくる。
 アスカとは違う、逞しい青年の腕。その腕の中はあたたかかく、懐かしい匂いがした。
しおりを挟む
感想 41

あなたにおすすめの小説

呪われ令嬢、王妃になる

八重
恋愛
「シェリー、お前とは婚約破棄させてもらう」 「はい、承知しました」 「いいのか……?」 「ええ、私の『呪い』のせいでしょう?」 シェリー・グローヴは自身の『呪い』のせいで、何度も婚約破棄される29歳の侯爵令嬢。 家族にも邪魔と虐げられる存在である彼女に、思わぬ婚約話が舞い込んできた。 「ジェラルド・ヴィンセント王から婚約の申し出が来た」 「──っ!?」 若き33歳の国王からの婚約の申し出に戸惑うシェリー。 だがそんな国王にも何やら思惑があるようで── 自身の『呪い』を気にせず溺愛してくる国王に、戸惑いつつも段々惹かれてそして、成長していくシェリーは、果たして『呪い』に打ち勝ち幸せを掴めるのか? 一方、今まで虐げてきた家族には次第に不幸が訪れるようになり……。 ★この作品の特徴★ 展開早めで進んでいきます。ざまぁの始まりは16話からの予定です。主人公であるシェリーとヒーローのジェラルドのラブラブや切ない恋の物語、あっと驚く、次が気になる!を目指して作品を書いています。 ※小説家になろう先行公開中 ※他サイトでも投稿しております(小説家になろうにて先行公開) ※アルファポリスにてホットランキングに載りました ※小説家になろう 日間異世界恋愛ランキングにのりました(初ランクイン2022.11.26)

【完結】許婚の子爵令息から婚約破棄を宣言されましたが、それを知った公爵家の幼馴染から溺愛されるようになりました

八重
恋愛
「ソフィ・ルヴェリエ! 貴様とは婚約破棄する!」 子爵令息エミール・エストレが言うには、侯爵令嬢から好意を抱かれており、男としてそれに応えねばならないというのだ。 失意のどん底に突き落とされたソフィ。 しかし、婚約破棄をきっかけに幼馴染の公爵令息ジル・ルノアールから溺愛されることに! 一方、エミールの両親はソフィとの婚約破棄を知って大激怒。 エミールの両親の命令で『好意の証拠』を探すが、侯爵令嬢からの好意は彼の勘違いだった。 なんとかして侯爵令嬢を口説くが、婚約者のいる彼女がなびくはずもなく……。 焦ったエミールはソフィに復縁を求めるが、時すでに遅し──

【本編完結】婚約破棄されて嫁いだ先の旦那様は、結婚翌日に私が妻だと気づいたようです

八重
恋愛
社交界で『稀代の歌姫』の名で知られ、王太子の婚約者でもあったエリーヌ・ブランシェ。 皆の憧れの的だった彼女はある夜会の日、親友で同じ歌手だったロラに嫉妬され、彼女の陰謀で歌声を失った── ロラに婚約者も奪われ、歌声も失い、さらに冤罪をかけられて牢屋に入れられる。 そして王太子の命によりエリーヌは、『毒公爵』と悪名高いアンリ・エマニュエル公爵のもとへと嫁ぐことになる。 仕事を理由に初日の挨拶もすっぽかされるエリーヌ。 婚約者を失ったばかりだったため、そっと夫を支えていけばいい、愛されなくてもそれで構わない。 エリーヌはそう思っていたのに……。 翌日廊下で会った後にアンリの態度が急変!! 「この娘は誰だ?」 「アンリ様の奥様、エリーヌ様でございます」 「僕は、結婚したのか?」 側近の言葉も仕事に夢中で聞き流してしまっていたアンリは、自分が結婚したことに気づいていなかった。 自分にこんなにも魅力的で可愛い奥さんが出来たことを知り、アンリの溺愛と好き好き攻撃が止まらなくなり──?! ■恋愛に初々しい夫婦の溺愛甘々シンデレラストーリー。 親友に騙されて恋人を奪われたエリーヌが、政略結婚をきっかけにベタ甘に溺愛されて幸せになるお話。 ※他サイトでも投稿中で、『小説家になろう』先行公開です

婚約破棄を望む伯爵令嬢と逃がしたくない宰相閣下との攻防戦~最短で破棄したいので、悪役令嬢乗っ取ります~

甘寧
恋愛
この世界が前世で読んだ事のある小説『恋の花紡』だと気付いたリリー・エーヴェルト。 その瞬間から婚約破棄を望んでいるが、宰相を務める美麗秀麗な婚約者ルーファス・クライナートはそれを受け入れてくれない。 そんな折、気がついた。 「悪役令嬢になればいいじゃない?」 悪役令嬢になれば断罪は必然だが、幸運な事に原作では処刑されない事になってる。 貴族社会に思い残すことも無いし、断罪後は僻地でのんびり暮らすのもよかろう。 よしっ、悪役令嬢乗っ取ろう。 これで万事解決。 ……て思ってたのに、あれ?何で貴方が断罪されてるの? ※全12話で完結です。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

我慢してきた令嬢は、はっちゃける事にしたようです。

和威
恋愛
侯爵令嬢ミリア(15)はギルベルト伯爵(24)と結婚しました。ただ、この伯爵……別館に愛人囲ってて私に構ってる暇は無いそうです。本館で好きに過ごして良いらしいので、はっちゃけようかな?って感じの話です。1話1500~2000字程です。お気に入り登録5000人突破です!有り難うございまーす!2度見しました(笑)

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない

天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。 だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。

処理中です...