上 下
19 / 48

18 アーカンシェルの日常

しおりを挟む
 雨上がりの街を、薄い霧が覆っている。朝焼けを滲ませた空の色に、清掃用の人型従機の無骨な影が浮かび上がっていた。

 塵芥収集用の荷車を胴部に取り付けた清掃用従機の頭部には、操縦士兼清掃員が座している。清掃員は、二メートル弱の高さから、従機を操作し、長いアームを器用に収縮させながら収集場に出されたゴミを黙々と収集していく。荷台の上に置かれた大きなバケツ型のブリキの中は、大まかに分類されたゴミで満たされていった。

 早朝の商業区では、多くの店が鎧戸シャッターを閉ざしたままになっている。建物には、それぞれの店の特徴を備えたスプレーアートが描かれており、街が目覚めた後の活気を思わせた。

 それらのアートを一手に担っているバンクシー・ペイントサービスの鎧戸シャッターには、『休業中』の張り紙が貼られている。半分開いた鎧戸から現れたのは、リーリエではなく、母ミシェルだった。

 ミシェルは、ゴミの入った紙の袋を通りを進む従機の前に示すように置き、霧が晴れ始めた空を仰いだ。視界を横切るように従機の腕が動き、出されたゴミを荷台のバケツの中に押し込んだ。従機のアームの金具で紙袋が破れ、中のものがはみ出している。
 それはリーリエが、婚約発表の場で身に纏っていたドレスだった。





 霧が晴れると眩い朝の光が差し込んでくる。窓辺の席に座っていたリーリエは、差し込んできた白い光に思わず顔をしかめ、机に伏せていた顔の向きを変えた。

「はい、モーニングセット。おまちっ」

 厨房から注文の品を運んできたアスカが、リーリエの前にトレイを差し出す。

「はー、お腹空いたぁ」

 アスカはそう言いながらもう片方の手に持っていたトレイをリーリエの向かいに置き、赤と白のソファに勢い良く腰かけた。

「さっ、ごはん、ごはん」

 リーリエと向かい合うように座り直しながら、ウェイトレス姿のアスカが左右に身体を揺らしている。リーリエものろのろと身体を起こして、トレイを手許に引き寄せた。
 リーリエのトレイには、定番のツナバーガーと野菜のスープとサラダが、アスカのトレイには蜂蜜がたっぷりとかかったパンケーキと紅茶が載せられている。アスカはナイフとフォークを両手に構え、「いただきます」と、笑顔で朝食を食べ始めた。

「……んっ、美味しい~」

 婚約破棄から三日。街に戻ったリーリエに、アスカは変わらずに接してくれる。この日も眠れずに、アルバイト先に開店と同時に訪れたリーリエに、アスカは理由も聞かず、当然のように朝食の注文を取っていた。

「……いただきます」

 食欲はないと思っていたが、目の前で美味しそうに食べ進めるアスカを見ていると、忘れかけていた空腹を思い出したような気がした。ツナバーガーを手に取って齧り付くと、懐かしい味がして、目の奥が熱くなった。

「ふふっ、泣くほど美味しいからよーく味わってね」

 軽口を叩くように言いながら、アスカが蜂蜜を絡めたパンケーキを口に運んでいる。その幸せそうな顔を見て、リーリエも大口を開けてツナバーガーに齧り付いた。

 もう食事の作法を気にしなくてもいい。自分の好きなように食べて良いのだ。
 そう思うと、街に戻ってきた実感が湧いてくる。婚約破棄を突きつけられ、屋敷を追い出されたことは大きな心の傷となっていたが、その衝撃はこの三日で少し和らいできたのかもしれない。

「……ありがとう、アスカ」

「ん? 急にどした?」

 アスカは惚けたように、リーリエに瞬きを返して見せる。

「……なんとなく」

 特別な気遣いは不要だと言いたげなアスカの態度に、リーリエは苦笑を浮かべてツナバーガーを食べ進めた。

「あ、でも。ツナバーガーは泣くほど美味しいよ」

 唇の端に塩辛いものを感じて頬を拭う。知らず零れていた涙は、そこでぴたりと止まった。

「でしょ? もう、あたしが作ったツナバーガー以外は食べられなくなっちゃうかも~」

「ふふふ。それでもいいよ」

 冗談めかしたアスカの言葉に自然と笑いが込み上げる。リーリエの笑顔にアスカは目を細め、うんうん、と頷くように首を縦に振った。

「ちょっとは落ち着いた?」

「……まあまあかな」

 ずっと触れられずにいた話題の予感に、リーリエは苦く笑い、半分ほど食べ進めたツナバーガーを皿に戻し、スプーンを手にした。

「……そっか。あのさ、聞いて良いか迷ったんだけど、やっぱり聞いていい?」

 表情の変化を見つめながら問いかけられた言葉に、リーリエは頷いて先を促した。

「あのドレスって、やっぱり捨てちゃった?」

「あ、うん……」

「そっか。そうだよね~」

 アスカは額に手を当て、小さく唸るような声を発しながら足をばたばたとさせている。

「今頃は、収集車に回収されてるんじゃないかな」

「捨てたのって、今朝ぁ!?」

 リーリエが付け加えると、アスカが素っ頓狂な声を上げた。

「……なんかごめん」

「ううん。手許に置いておくようなものじゃないもんね。不謹慎だってわかってるんだけど、あのドレス最高だったから! だから、ちゃんとこの目で見たかったんだよね」

 一息にまくし立てるように言うと、アスカは手を伸ばしてリーリエの手を取った。

「この際だから言っておくけど、あのドレス、本当に最高だった! だから、もっと自信持ってほしい!」

「本当に……?」

「あたしがリーリエに嘘ついたりすると思う?」

 真剣な目をして問いかけられ、リーリエは慌てて首を横に振った。

「そういうこと。見る目がない人のことより、あたしを信じてよ!」

 リーリエの答えに満足したように微笑み、アスカがソファに座り直す。

「あとね、リーリエ。落ち込むのは仕方ないんだけど……」

 アスカはそう言いながらフォークを手に取り、パンケーキに勢い良く突き刺した。

「嫌がらせされたんだから、怒っていいんだよ」
しおりを挟む
感想 41

あなたにおすすめの小説

呪われ令嬢、王妃になる

八重
恋愛
「シェリー、お前とは婚約破棄させてもらう」 「はい、承知しました」 「いいのか……?」 「ええ、私の『呪い』のせいでしょう?」 シェリー・グローヴは自身の『呪い』のせいで、何度も婚約破棄される29歳の侯爵令嬢。 家族にも邪魔と虐げられる存在である彼女に、思わぬ婚約話が舞い込んできた。 「ジェラルド・ヴィンセント王から婚約の申し出が来た」 「──っ!?」 若き33歳の国王からの婚約の申し出に戸惑うシェリー。 だがそんな国王にも何やら思惑があるようで── 自身の『呪い』を気にせず溺愛してくる国王に、戸惑いつつも段々惹かれてそして、成長していくシェリーは、果たして『呪い』に打ち勝ち幸せを掴めるのか? 一方、今まで虐げてきた家族には次第に不幸が訪れるようになり……。 ★この作品の特徴★ 展開早めで進んでいきます。ざまぁの始まりは16話からの予定です。主人公であるシェリーとヒーローのジェラルドのラブラブや切ない恋の物語、あっと驚く、次が気になる!を目指して作品を書いています。 ※小説家になろう先行公開中 ※他サイトでも投稿しております(小説家になろうにて先行公開) ※アルファポリスにてホットランキングに載りました ※小説家になろう 日間異世界恋愛ランキングにのりました(初ランクイン2022.11.26)

【完結】許婚の子爵令息から婚約破棄を宣言されましたが、それを知った公爵家の幼馴染から溺愛されるようになりました

八重
恋愛
「ソフィ・ルヴェリエ! 貴様とは婚約破棄する!」 子爵令息エミール・エストレが言うには、侯爵令嬢から好意を抱かれており、男としてそれに応えねばならないというのだ。 失意のどん底に突き落とされたソフィ。 しかし、婚約破棄をきっかけに幼馴染の公爵令息ジル・ルノアールから溺愛されることに! 一方、エミールの両親はソフィとの婚約破棄を知って大激怒。 エミールの両親の命令で『好意の証拠』を探すが、侯爵令嬢からの好意は彼の勘違いだった。 なんとかして侯爵令嬢を口説くが、婚約者のいる彼女がなびくはずもなく……。 焦ったエミールはソフィに復縁を求めるが、時すでに遅し──

【本編完結】婚約破棄されて嫁いだ先の旦那様は、結婚翌日に私が妻だと気づいたようです

八重
恋愛
社交界で『稀代の歌姫』の名で知られ、王太子の婚約者でもあったエリーヌ・ブランシェ。 皆の憧れの的だった彼女はある夜会の日、親友で同じ歌手だったロラに嫉妬され、彼女の陰謀で歌声を失った── ロラに婚約者も奪われ、歌声も失い、さらに冤罪をかけられて牢屋に入れられる。 そして王太子の命によりエリーヌは、『毒公爵』と悪名高いアンリ・エマニュエル公爵のもとへと嫁ぐことになる。 仕事を理由に初日の挨拶もすっぽかされるエリーヌ。 婚約者を失ったばかりだったため、そっと夫を支えていけばいい、愛されなくてもそれで構わない。 エリーヌはそう思っていたのに……。 翌日廊下で会った後にアンリの態度が急変!! 「この娘は誰だ?」 「アンリ様の奥様、エリーヌ様でございます」 「僕は、結婚したのか?」 側近の言葉も仕事に夢中で聞き流してしまっていたアンリは、自分が結婚したことに気づいていなかった。 自分にこんなにも魅力的で可愛い奥さんが出来たことを知り、アンリの溺愛と好き好き攻撃が止まらなくなり──?! ■恋愛に初々しい夫婦の溺愛甘々シンデレラストーリー。 親友に騙されて恋人を奪われたエリーヌが、政略結婚をきっかけにベタ甘に溺愛されて幸せになるお話。 ※他サイトでも投稿中で、『小説家になろう』先行公開です

婚約破棄を望む伯爵令嬢と逃がしたくない宰相閣下との攻防戦~最短で破棄したいので、悪役令嬢乗っ取ります~

甘寧
恋愛
この世界が前世で読んだ事のある小説『恋の花紡』だと気付いたリリー・エーヴェルト。 その瞬間から婚約破棄を望んでいるが、宰相を務める美麗秀麗な婚約者ルーファス・クライナートはそれを受け入れてくれない。 そんな折、気がついた。 「悪役令嬢になればいいじゃない?」 悪役令嬢になれば断罪は必然だが、幸運な事に原作では処刑されない事になってる。 貴族社会に思い残すことも無いし、断罪後は僻地でのんびり暮らすのもよかろう。 よしっ、悪役令嬢乗っ取ろう。 これで万事解決。 ……て思ってたのに、あれ?何で貴方が断罪されてるの? ※全12話で完結です。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

我慢してきた令嬢は、はっちゃける事にしたようです。

和威
恋愛
侯爵令嬢ミリア(15)はギルベルト伯爵(24)と結婚しました。ただ、この伯爵……別館に愛人囲ってて私に構ってる暇は無いそうです。本館で好きに過ごして良いらしいので、はっちゃけようかな?って感じの話です。1話1500~2000字程です。お気に入り登録5000人突破です!有り難うございまーす!2度見しました(笑)

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない

天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。 だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。

処理中です...