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16 誓いの絵
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夜になってアルフレッドの部屋に招かれたが、気持ちは深く沈んだままだった。
「……浮かない顔だね」
温めたミルクをたっぷりと入れた紅茶を勧めながら、アルフレッドがリーリエの顔を覗き込む。心配そうな視線を向けられたリーリエは、静かに息を吐いて顔を上げ、彼の目を見つめ返した。
「何でも話して。君の心を澱ませているものは、きっと吐き出してしまった方がいい。……それがたとえ、私の母のことであったとしてもね」
苦しげに顔を歪めながら、アルフレッドが促す。リーリエは頷き、出来るだけ落ち着いた口調でナタリーのことを告げた。
「……ナタリーが、田舎に帰ることになってしまったの」
「ああ、それは心細いだろう。彼女は君に随分と良くしてくれていから」
急なことにもかかわらず、アルフレッドの返答は、まるでそのことを知っているかのようだった。
「私のせいで――」
「まさか。家庭の事情だと聞いているよ」
「嘘っ」
アルフレッドの言葉を、リーリエは短く否定する。そんな偶然があるはずもない。そう言いたかったが、アルフレッドは疑うことさえ頭にないように小首を傾げて見せた。
「急なことだから、支度金も渡してあると執事から報告を受けているけど。君は聞いていなかったのかな?」
困惑に顔を歪めながら首を横に振る。本当にそれが理由ならば、ナタリーはそう言っただろう。彼女は恐らく、リーリエにだけ本当のことを告げたのだ。
「……一週間もすれば戻ってくるよ。また君の側付きになるよう、私からも頼んでおこう」
「……ありがとう、アルフレッド」
解雇されたのでないとわかり、リーリエの表情にも安堵が浮かぶ。
「じゃあ、ナタリーのことは心配ないのね」
「心配? ないに決まってるさ」
念を押すように訊くと、アルフレッドは柔らかに笑って席を立った。
「それよりも、君に見せたいものがあるんだ」
アルフレッドがそう言いながら、部屋の奥の扉を開く。扉の向こう側には、真新しいキャンバスと新しい画材が揃えられていた。
「アルフレッド……」
彼が部屋に招いた理由に気づき、リーリエは驚きと喜びに口許を抑えた。初めて招かれたあの日、完成したばかりというアトリエでの出来事がリーリエの脳裏にありありと蘇った。
そのアトリエは、消失してしまった。けれど――
「もう一度、君と共作させてほしい。君が嫌でなければ、だけど」
アルフレッドのリーリエに対する想いは、何一つ変わっていなかった。
「……ここで? いいの?」
「もちろん。ここは私の部屋だ。誰にも文句は言わせないよ」
躊躇いながら問いかけるリーリエの手を引き、アルフレッドが腕の中に抱き寄せる。
「……リーリエ」
「アルフレッド」
抱き締められたリーリエは、戸惑いながらアルフレッドの背に手を回した。アルフレッドはその反応を待ってから、抱き締める腕に力を込め、指先でリーリエの長い髪を撫でた。
「不安にさせて、本当に済まない。母上のことも、許嫁のことも、私がどうにかしてみせる。時間は少しかかるかもしれないけれど、ついてきてくれるかい?」
アルフレッドの胸につけた額を動かし、自分の意思を示す。自分の不安が伝わっていたこと、なによりそれを解決しようとアルフレッドが動いてくれたことが、緊張と不安で強ばっていた心を緩めた。
「……私が出来ることはなにか、考えたんだ」
愛しむようにリーリエの髪を撫でながら、アルフレッドがゆっくりと身体を離す。目を合わせて真っ直ぐにリーリエを見つめたアルフレッドは、微笑みを浮かべ、塗料が並べられた棚からスプレー缶をひとつ手に取った。
「君に気持ちを伝えるためには、こうするべきなんだろうね」
あの日と同じアイビーの葉色に似た塗料を手に取り、アルフレッドが缶を振る。
「アイビーの花言葉を知っているかい?」
問いかけながら、アルフレッドはスプレー缶の蓋を外した。
「永遠の愛、だよ」
「……アルフレッド……」
欠けていたなにかを埋めるように、リーリエもスプレー缶に手を伸ばし、蓋を外した。場所も時間も違うにもかかわらず、あの日の感覚が身体の中に鮮明に蘇ってくる。
共作を申し出たリーリエに対して、アルフレッドが見せたアイビーの葉と蔦。手を伸ばすように光に焦がれるその姿は、アルフレッドなりの覚悟なのだ。
「さあ、何を描こうか」
「もう一度、あの絵を」
リーリエは微笑み、アルフレッドと目を合わせた。燃えてしまった絵の代わりを描く、挫けかけた想いを再確認するために、もう一度、誰よりも愛しいという誓いを立てるために。
「……浮かない顔だね」
温めたミルクをたっぷりと入れた紅茶を勧めながら、アルフレッドがリーリエの顔を覗き込む。心配そうな視線を向けられたリーリエは、静かに息を吐いて顔を上げ、彼の目を見つめ返した。
「何でも話して。君の心を澱ませているものは、きっと吐き出してしまった方がいい。……それがたとえ、私の母のことであったとしてもね」
苦しげに顔を歪めながら、アルフレッドが促す。リーリエは頷き、出来るだけ落ち着いた口調でナタリーのことを告げた。
「……ナタリーが、田舎に帰ることになってしまったの」
「ああ、それは心細いだろう。彼女は君に随分と良くしてくれていから」
急なことにもかかわらず、アルフレッドの返答は、まるでそのことを知っているかのようだった。
「私のせいで――」
「まさか。家庭の事情だと聞いているよ」
「嘘っ」
アルフレッドの言葉を、リーリエは短く否定する。そんな偶然があるはずもない。そう言いたかったが、アルフレッドは疑うことさえ頭にないように小首を傾げて見せた。
「急なことだから、支度金も渡してあると執事から報告を受けているけど。君は聞いていなかったのかな?」
困惑に顔を歪めながら首を横に振る。本当にそれが理由ならば、ナタリーはそう言っただろう。彼女は恐らく、リーリエにだけ本当のことを告げたのだ。
「……一週間もすれば戻ってくるよ。また君の側付きになるよう、私からも頼んでおこう」
「……ありがとう、アルフレッド」
解雇されたのでないとわかり、リーリエの表情にも安堵が浮かぶ。
「じゃあ、ナタリーのことは心配ないのね」
「心配? ないに決まってるさ」
念を押すように訊くと、アルフレッドは柔らかに笑って席を立った。
「それよりも、君に見せたいものがあるんだ」
アルフレッドがそう言いながら、部屋の奥の扉を開く。扉の向こう側には、真新しいキャンバスと新しい画材が揃えられていた。
「アルフレッド……」
彼が部屋に招いた理由に気づき、リーリエは驚きと喜びに口許を抑えた。初めて招かれたあの日、完成したばかりというアトリエでの出来事がリーリエの脳裏にありありと蘇った。
そのアトリエは、消失してしまった。けれど――
「もう一度、君と共作させてほしい。君が嫌でなければ、だけど」
アルフレッドのリーリエに対する想いは、何一つ変わっていなかった。
「……ここで? いいの?」
「もちろん。ここは私の部屋だ。誰にも文句は言わせないよ」
躊躇いながら問いかけるリーリエの手を引き、アルフレッドが腕の中に抱き寄せる。
「……リーリエ」
「アルフレッド」
抱き締められたリーリエは、戸惑いながらアルフレッドの背に手を回した。アルフレッドはその反応を待ってから、抱き締める腕に力を込め、指先でリーリエの長い髪を撫でた。
「不安にさせて、本当に済まない。母上のことも、許嫁のことも、私がどうにかしてみせる。時間は少しかかるかもしれないけれど、ついてきてくれるかい?」
アルフレッドの胸につけた額を動かし、自分の意思を示す。自分の不安が伝わっていたこと、なによりそれを解決しようとアルフレッドが動いてくれたことが、緊張と不安で強ばっていた心を緩めた。
「……私が出来ることはなにか、考えたんだ」
愛しむようにリーリエの髪を撫でながら、アルフレッドがゆっくりと身体を離す。目を合わせて真っ直ぐにリーリエを見つめたアルフレッドは、微笑みを浮かべ、塗料が並べられた棚からスプレー缶をひとつ手に取った。
「君に気持ちを伝えるためには、こうするべきなんだろうね」
あの日と同じアイビーの葉色に似た塗料を手に取り、アルフレッドが缶を振る。
「アイビーの花言葉を知っているかい?」
問いかけながら、アルフレッドはスプレー缶の蓋を外した。
「永遠の愛、だよ」
「……アルフレッド……」
欠けていたなにかを埋めるように、リーリエもスプレー缶に手を伸ばし、蓋を外した。場所も時間も違うにもかかわらず、あの日の感覚が身体の中に鮮明に蘇ってくる。
共作を申し出たリーリエに対して、アルフレッドが見せたアイビーの葉と蔦。手を伸ばすように光に焦がれるその姿は、アルフレッドなりの覚悟なのだ。
「さあ、何を描こうか」
「もう一度、あの絵を」
リーリエは微笑み、アルフレッドと目を合わせた。燃えてしまった絵の代わりを描く、挫けかけた想いを再確認するために、もう一度、誰よりも愛しいという誓いを立てるために。
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