純愛ヒート

かねざね

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「…あ、起きた?」

ふわ、とした意識の浮上と共に聞こえてきた声に千紘は瞬きを繰り返す。
頬に柔らかな感触を感じて視線を上げると、自分の部屋ではない天井の柄。
千紘は現状を把握仕切れていないのか、のっそりとした動きで起き上がる。

声の主は良一だった。
いつの間にか寝ていたのか、それにソファに居たはずなのにいつの間にか広いベッドの上に千紘は居た。
大丈夫?と尋ねる良一の背後には、座っていたはずのソファに腰掛けている統星の姿。
シャワーを浴びていた彼はいつの間に出てきたのだろうか、服装はホテルのものだと思われる厚手のバスローブを纏いどこか不機嫌そうに手元のパソコンへ何かを打ち込んでいる。

「逢沢さん、どこか気分悪かったりはしない?」
「す、すみません、俺寝ちゃったみたいで」

良一もいつの間にここへ来たのだろうか、千紘は身体を気遣う言葉に大丈夫と頷くと、ベッドから下りて立ち上がろうとするが、良一がそれを制すように千紘の肩に手を掛けてそのまま隣に腰を下ろしてきた。

「こちらこそ長いこと待たせちゃってごめんね、…あっちこっちとバタバタしちゃって」

公害フェロモンのせいで、というそれはきっと多分統星が起こしたラットの事だろう。

「さっきは急なことで説明が出来なかったんだけど…」

そう続けた良一の話はこうだった。

上條 統星は千紘が思っていた通りα‬性質を持つ、そしてその体質に少し問題を抱えていた。
α‬の発情、ラットは一般的にある程度のコントロールが可能とされているが統星はそのコントロールが上手く効かないらしい。
更には家系の血なのか、統星のラットは普通のラットよりも香りがキツく、周りに与える影響がとても強い。
それは時にβでも興奮を感じ取ることが出来るほど濃厚な香りなのだという。

「だからさっき、お店の人が倒れたんですか…」
「そうそう。僕みたいなβでも偶に「うわぁ…」って思うくらいのものだからね。さっきはそれに反応しちゃったΩの子が引き摺られるようにヒートしちゃって、俺はその対処もとい公害の後始末をしてたってわけ」
「それはなんて言うか……お疲れ様、です」

はァ、なんて大きなため息を洩らして零す良一に、どれだけ大変な事なのか想像もつかない千紘は言葉だけの労りを送るが「でも、」と良一は再び千紘の肩に手を掛けてきた。
今度は両肩をしっかりとまるで逃がさないとでも言うように掴むと、横並びの体勢から無理矢理向き合う形にされる。

「逢沢さんはそんな統星のラットが効いていない。…僕はね、これはもう運命なんだと思うんだよね」
「へ、?…運命?」
「そう、本来ならば僕みたいな干渉の少ないβが統星の近くに居られたら良いんだけど、僕も仕事が他にあって忙しいし…」

運命だなんてそれはまた大袈裟な。
けれど千紘の顔を覗き込む良一の表情は打って変わって真剣そのものだ。
ここで否定をしても、何か油を注ぎ兼ねないような勢いが背中から見えるような気さえする。

確かに仕事は欲しい。
なぜなら逢沢 千紘は今、絶賛求職中の身。
大学を出てから務めた会社は先日、一身上の都合で最近辞めてしまったばかりである。
我社に是非、ともなれば喜んで馳せ参じたい気持ちは確かにあるが、それが自分の体質と一体どんな関係があるのか。
そんな千紘の中で膨らみつつある不安を知ってか知らずか、きっと後者の良一はニコニコと愛想の良い笑顔で続ける。

「始めはお試しって形で全然構わないからどうかな?統星の身の回りの世話、食事とかその辺をぜひ面倒見て欲しいんだ」
「身の回りの…世話?」
「大丈夫だよ、統星は風呂やトイレは自分で出来る子だから!」
「良、お前俺を一体なんだと思ってんだ」

すかさず良一の後ろから黙っていた統星が不機嫌な色を隠さずに制した。
そりゃあ、あの歳でシモの世話は必要無いだろう…なんて思っても良一を隔てた向こう側が怖くて口に出せない千紘は心の中でそっと呟く。
それにしても紹介する、と言われていた仕事がまさかの家政夫とは思っていなかった千紘は困惑した色を隠せない。

「少し考えさせて…」と切り出した千紘に差し出されたのはスマートフォンだ。
電卓アプリが起動されたそこには数字が羅列されている。

「ちなみに基本給はこれ、更に能力給として割り振られたものとは別の仕事もこなせばプラスでこれくらいで」
「ぜひ、やらせてくださいっ」

前職の営業サラリーマン時代の基本給と同等の数字に、更には上乗せの可能性。
実質収入ゼロの千紘が選ばないはずが無い。
今度は千紘が差し出された良一の手を素早く逃がさないようにスマートフォンごと両手を重ねた。
一連の流れを見ていたのか「…釣られるのか」と、どこか呆れたような声が聞こえた気がしたが何でも構わない。
これは又とないチャンスだと千紘は飛び乗った。
その様子に決まりだね、と良一の表情もどことなく晴れやかなものである。

「それじゃこれが契約書と誓約書。あ、それと印鑑はあるかな」

ぽんぽんと手際よく書類を出してくる良一の手際の良さは流石と言うべきか、ざっくりと目を通した契約の内容は食事や掃除といった簡単なものだ。
これなら一人暮らしの経験もある千紘にとって特に問題も無さそうだと、家政夫の仕事の経験はもちろん家政夫という仕事も全く分からなくても根拠の無い自信が沸いてくる。

「それじゃ、すぐに…とでも言いたいところだけど準備とかもあるだろうし、仕事始めは2週間後でいいかな?」
「勿論です」

実にはっきりとした千紘の返事に、書類を抱え込んだ良一はとても満足そうににっこりと微笑むと記入済みの書類を片付けたのだった。

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