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第五章:“星”の欠片
63:私のやるべきこと
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「イアンさん、戻りました」
「おう、おかえり。顔合わせは済んだか?」
「はい。おかげさまで」
あれからアレンくんをお店に連れ帰り、私も文化開発庁本部に戻っていた。心なしか空気が綺麗だ、ちゃんと吸わずにいたらしい。二十一歳とはいえ、自制が利くのは偉い。精神的にはよしよしくらいしてあげてもいいのだが、彼はそれを許さないだろうから敢えて触れないようにする。
「エリオットくんは帰ってきましたか?」
「ああ、えらくご機嫌だった。なにかしら進展があったんだろうな」
ネイトさんに進展か……彼の笑顔はまだ二回しか見ていないけど、これから少しずつ増えていくのだろうか。エリオットくんが根気強く彼を人として扱っていたからだろうな。報われてよかったね、よしよししてあげよう。
アイドルに勧誘したりはしなかったのかな? それはそれでいいんだけど。となると、あとはアーサーか……アレンくんとお話しさせてあげるべき? いや、そうなると伯爵との商談が待っているのか。それはそれでよくないな。
「で、だ。こっちもこっちで依頼書を送りはした。返事はいずれ来るだろうが、あまり期待はするなよ」
「ありがとうございます。まあ、アイドルなんてよくわからないグループの稽古をつけろなんて無理難題もいいところですし……断られても仕方がないと思ってます」
そうなったら、あとは私次第だ。“データベース”を頼りにダンスとボーカルのレッスンをつけるしかない。最終手段にしたいけど、どこかでご縁があればいいなぁ。
ふと、イアンさんが窓を開ける。日が傾き始める時間帯だ。それでも空は暗いまま。ミカエリア上空――あるいはレッドフォード帝国を覆う煙が晴れたら、もっと綺麗な空が見えるんだけど。
「もう暮も目の前か」
「あ、そっか。今日は二十八日ですね。三日後には春暮かぁ……ん?」
「どうした?」
「あ、いえ……時間が経つのは早いなぁって」
イアンさんは怪訝そうな眼差しを向けてくる、適当に笑ってごまかしはした。
私の脳裏を過ったのは、記憶を取り戻した日のこと。あの日は確か、春明けの九日だった。え、嘘……まだその程度? この世界では十日で一週間だから、ギリギリ二週間にも満たないってこと?
第二の人生、ハイスピード過ぎるし密度がすごい。よく倒れなかったな私。キャパが増えたのは間違いなく弊社のおかげ。親指を立てておこう、指先は下向いてるけど。
「確かにな。お前に会ったのが十六日の夜だから、まだ十日と少ししか経ってねぇのか。すげぇ早さで動いてんな、いろいろ」
「やっぱりそう思います……?」
私だけの感覚ではないようだ。そもそもイアンさんだって去年の冬明から宰相の任に就いて、そこから一つ季節を越えて解任だもんなぁ。目まぐるしく感じて当然か。
そういえば、暮には“スイート・トリック”の公演もある。チケットは大事にしまってあるが、本当にこれ貰っちゃってよかったのだろうか。っていうか、それより気になることがある。
「そういえば、“スイート・トリック”の公演が生放送って本当ですか?」
「はあ? なに当たり前のこと言ってやがる」
「……あは、そうでしたね。私ったらうっかり屋さーん」
そうだ、知名度は世界的な一座なのだ。知らない方がおかしい。迂闊な発言だった。
私が気になっているのは、どこで放送するかだ。ケネット家にテレビはなかった。おそらくこの世界に、一般家庭に普及できるような映像端末がないのだろう。
だから気になる。渋谷の大型ビジョンみたいなものがあったりするのだろうか? だとしたら、アイドルのデビューライブはなんとかそれを利用したいところだ。
ただ、広告料がえぐそう。経費で落とせませんか? 無理だ、陛下に打診するの怖過ぎる。トラウマになってる。イアンさんから口利きしてもらおうかな……。
なんてことを考えて一人慄いていると、イアンさんが捕捉してくれた。
「ミカエリアからシテンに向かう駅の近くに大型ビジョンがあるんだよ。あそこの公演は毎回そこで放送されてんだ」
「はー、なるほど……ちなみに、広告料は……?」
「あー、どんくらいだったか……期間や回数にもよるだろうが、ざっと二百万くらいじゃねぇか?」
「にひゃくまん……」
そんな大金をどこから工面すればいいのだ。陛下におねだり……できるものか。そうだ、エリオットくん。彼はお小遣いをもらっているはずだ。ちょろっと二百万……なに考えてるの私、最低。
恐れるな、ドルオタ。アイドルに貢いできた額を考えろ。なーに、いざとなれば死ぬ気で働きゃ稼げる額さ。ケセラセラ。社畜はめげない。一人、拳を握る。イアンさんは「まあ」と続けた。
「いざとなったら俺からカインに打診する。そのくらいの仕事はさせてくれよ、仮にも上司なんだからよ」
「あなた、最高にいい男ですね……」
親指を力強く立てる。今度はちゃんと上向きだよ。
なんにせよ、トレーナーも見つかるかもしれない。広告料もイアンさんがどうにかしてくれそう。だからこそ、私は私のやるべきことに全力を出せばいい。
……のだが、問題は依然最後の一人。誰を加えるか、それなのだ。アーサーのこともある。アレンくんも交えて話さなければ、動くに動けない。エリオットくんも不安要素ではある。ネイトさんを誘ったりしないかどうか。
ただ、ネイトさんに関しては一考の余地が生まれたかもしれない。エリオットくんが機嫌よく帰ってきたというし、なにかしら実りがあったのだろう。笑顔や感情への探求心が高まっているなら、候補として考えるのは十分ありだ。
今後のプランを練っていると、イアンさんが立ち上がった。
「さて、ちょっと出てくる」
「え、どこに?」
「ネイトのところだ。あいつになにがあったのか、俺も知りたいからよ」
それは私もなんですけど。
二人で押し掛けるのも悪いし、今日のところは大人しく退いておこう。なんだこの悪役感。主人公ではないんだけど悪役も違うなぁ。
それなら明日はアレンくんと話しておきたいかな。アーサーのことについて聞いておかないといけないし。なんとかアーサーとも話したいところではある。
イアンさんの背中を見送り、一人。“データベース”を起動する。この世界に記された情報を引き出せるなら――個人のスケジュール帳も閲覧できるはずだ。個人情報ですけど。本当に良くない能力だな、一歩間違えばストーカーになれるよこれ。
「“ミカエリア 視察 日程”」
こんな簡単な検索ワードでも見つかるものだ。有能。でも使い方には注意しないとね。
見たところ、直近ではまさに今日視察だったらしい。うーん、出会えなかったのは惜しい。次の日取りはいつだろう……春明の三十日か。となると明後日。明日でいいのかなぁ、明後日にずらしてもいいかな?
あんまりわざとらしいとアレンくんに怪しまれるか。それなら話すのは明日でいい。ギルさんについても不安なところはあるけど、それはいま考えても仕方ない。悪い方で表面化しそうになったら手を打とう。
何気なく冷蔵庫を開ければ、出来合いの総菜、お弁当……適当に選んで温める。食べてはみるが、胸に一つの感情が湧く。
「バーバラさんのご飯が食べたくなった……」
うん、決めた。明日行こう。ご馳走になれたらいいなぁ。
「おう、おかえり。顔合わせは済んだか?」
「はい。おかげさまで」
あれからアレンくんをお店に連れ帰り、私も文化開発庁本部に戻っていた。心なしか空気が綺麗だ、ちゃんと吸わずにいたらしい。二十一歳とはいえ、自制が利くのは偉い。精神的にはよしよしくらいしてあげてもいいのだが、彼はそれを許さないだろうから敢えて触れないようにする。
「エリオットくんは帰ってきましたか?」
「ああ、えらくご機嫌だった。なにかしら進展があったんだろうな」
ネイトさんに進展か……彼の笑顔はまだ二回しか見ていないけど、これから少しずつ増えていくのだろうか。エリオットくんが根気強く彼を人として扱っていたからだろうな。報われてよかったね、よしよししてあげよう。
アイドルに勧誘したりはしなかったのかな? それはそれでいいんだけど。となると、あとはアーサーか……アレンくんとお話しさせてあげるべき? いや、そうなると伯爵との商談が待っているのか。それはそれでよくないな。
「で、だ。こっちもこっちで依頼書を送りはした。返事はいずれ来るだろうが、あまり期待はするなよ」
「ありがとうございます。まあ、アイドルなんてよくわからないグループの稽古をつけろなんて無理難題もいいところですし……断られても仕方がないと思ってます」
そうなったら、あとは私次第だ。“データベース”を頼りにダンスとボーカルのレッスンをつけるしかない。最終手段にしたいけど、どこかでご縁があればいいなぁ。
ふと、イアンさんが窓を開ける。日が傾き始める時間帯だ。それでも空は暗いまま。ミカエリア上空――あるいはレッドフォード帝国を覆う煙が晴れたら、もっと綺麗な空が見えるんだけど。
「もう暮も目の前か」
「あ、そっか。今日は二十八日ですね。三日後には春暮かぁ……ん?」
「どうした?」
「あ、いえ……時間が経つのは早いなぁって」
イアンさんは怪訝そうな眼差しを向けてくる、適当に笑ってごまかしはした。
私の脳裏を過ったのは、記憶を取り戻した日のこと。あの日は確か、春明けの九日だった。え、嘘……まだその程度? この世界では十日で一週間だから、ギリギリ二週間にも満たないってこと?
第二の人生、ハイスピード過ぎるし密度がすごい。よく倒れなかったな私。キャパが増えたのは間違いなく弊社のおかげ。親指を立てておこう、指先は下向いてるけど。
「確かにな。お前に会ったのが十六日の夜だから、まだ十日と少ししか経ってねぇのか。すげぇ早さで動いてんな、いろいろ」
「やっぱりそう思います……?」
私だけの感覚ではないようだ。そもそもイアンさんだって去年の冬明から宰相の任に就いて、そこから一つ季節を越えて解任だもんなぁ。目まぐるしく感じて当然か。
そういえば、暮には“スイート・トリック”の公演もある。チケットは大事にしまってあるが、本当にこれ貰っちゃってよかったのだろうか。っていうか、それより気になることがある。
「そういえば、“スイート・トリック”の公演が生放送って本当ですか?」
「はあ? なに当たり前のこと言ってやがる」
「……あは、そうでしたね。私ったらうっかり屋さーん」
そうだ、知名度は世界的な一座なのだ。知らない方がおかしい。迂闊な発言だった。
私が気になっているのは、どこで放送するかだ。ケネット家にテレビはなかった。おそらくこの世界に、一般家庭に普及できるような映像端末がないのだろう。
だから気になる。渋谷の大型ビジョンみたいなものがあったりするのだろうか? だとしたら、アイドルのデビューライブはなんとかそれを利用したいところだ。
ただ、広告料がえぐそう。経費で落とせませんか? 無理だ、陛下に打診するの怖過ぎる。トラウマになってる。イアンさんから口利きしてもらおうかな……。
なんてことを考えて一人慄いていると、イアンさんが捕捉してくれた。
「ミカエリアからシテンに向かう駅の近くに大型ビジョンがあるんだよ。あそこの公演は毎回そこで放送されてんだ」
「はー、なるほど……ちなみに、広告料は……?」
「あー、どんくらいだったか……期間や回数にもよるだろうが、ざっと二百万くらいじゃねぇか?」
「にひゃくまん……」
そんな大金をどこから工面すればいいのだ。陛下におねだり……できるものか。そうだ、エリオットくん。彼はお小遣いをもらっているはずだ。ちょろっと二百万……なに考えてるの私、最低。
恐れるな、ドルオタ。アイドルに貢いできた額を考えろ。なーに、いざとなれば死ぬ気で働きゃ稼げる額さ。ケセラセラ。社畜はめげない。一人、拳を握る。イアンさんは「まあ」と続けた。
「いざとなったら俺からカインに打診する。そのくらいの仕事はさせてくれよ、仮にも上司なんだからよ」
「あなた、最高にいい男ですね……」
親指を力強く立てる。今度はちゃんと上向きだよ。
なんにせよ、トレーナーも見つかるかもしれない。広告料もイアンさんがどうにかしてくれそう。だからこそ、私は私のやるべきことに全力を出せばいい。
……のだが、問題は依然最後の一人。誰を加えるか、それなのだ。アーサーのこともある。アレンくんも交えて話さなければ、動くに動けない。エリオットくんも不安要素ではある。ネイトさんを誘ったりしないかどうか。
ただ、ネイトさんに関しては一考の余地が生まれたかもしれない。エリオットくんが機嫌よく帰ってきたというし、なにかしら実りがあったのだろう。笑顔や感情への探求心が高まっているなら、候補として考えるのは十分ありだ。
今後のプランを練っていると、イアンさんが立ち上がった。
「さて、ちょっと出てくる」
「え、どこに?」
「ネイトのところだ。あいつになにがあったのか、俺も知りたいからよ」
それは私もなんですけど。
二人で押し掛けるのも悪いし、今日のところは大人しく退いておこう。なんだこの悪役感。主人公ではないんだけど悪役も違うなぁ。
それなら明日はアレンくんと話しておきたいかな。アーサーのことについて聞いておかないといけないし。なんとかアーサーとも話したいところではある。
イアンさんの背中を見送り、一人。“データベース”を起動する。この世界に記された情報を引き出せるなら――個人のスケジュール帳も閲覧できるはずだ。個人情報ですけど。本当に良くない能力だな、一歩間違えばストーカーになれるよこれ。
「“ミカエリア 視察 日程”」
こんな簡単な検索ワードでも見つかるものだ。有能。でも使い方には注意しないとね。
見たところ、直近ではまさに今日視察だったらしい。うーん、出会えなかったのは惜しい。次の日取りはいつだろう……春明の三十日か。となると明後日。明日でいいのかなぁ、明後日にずらしてもいいかな?
あんまりわざとらしいとアレンくんに怪しまれるか。それなら話すのは明日でいい。ギルさんについても不安なところはあるけど、それはいま考えても仕方ない。悪い方で表面化しそうになったら手を打とう。
何気なく冷蔵庫を開ければ、出来合いの総菜、お弁当……適当に選んで温める。食べてはみるが、胸に一つの感情が湧く。
「バーバラさんのご飯が食べたくなった……」
うん、決めた。明日行こう。ご馳走になれたらいいなぁ。
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