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第五章:“星”の欠片

幕間18:知りたいと願うこと

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 なぜこのようなことに? ミカエリア市街を嬉々として駆けるエリオット様。私の隣を歩くリオ様を見やれば、ひどく重苦しい表情をしている。私と同様の心境だろうか、なるほど。こういった表情も覚えるべきか。

 エリオット様は身を翻し、私たちに手を振った。子供が無邪気な笑顔を浮かべられるのは良いことだ。いずれは彼だけでなく、街全体が笑顔に包まれるように。私も誠心誠意尽くさなければならない。

「こっち! こっち行きましょう!」

「エリオットくん、あんまり走ったらぶつかっちゃうよ!」

 リオ様が彼を追う。私はどうするべきだ? 彼らを追いかけていくべきなのか? 考える。そうか、私は護衛としてもここにいる。ならば追わねばならない。彼らを危機から守るのが私の役目だ。

 エリオット様は気の向くままに街を行く。リオ様は彼が一人にならないように付き添っていた。その後ろを私が歩く。剣は持っていないが、暴漢を退けることはできる。街中とはいえ、警戒を怠ってはならない――。

 そのとき、エリオット様が私の手を引いた。

「ネイトさん、顔が怖いです」

「は……そうですか?」

「そうかな……? 私には違いがわからない……」

 リオ様が私の顔を覗く。エリオット様には違いがわかり、彼女にはわからない。私の表情は、それほど変化がないのだろう。彼女たちに出会うまでは、笑顔の必要性など感じなかった。

 笑顔が人々を安心させる。それはリオ様からの請け売りだ。しかし偽りの笑顔では意味がない。以前、エリオット様に微笑みかけても安心はさせてあげられなかった。

 真の笑顔――そこに至るために、私に必要なもの――欠けているものはなんなのだろう。

「いま、なにを考えてましたか?」

「有事の際は私が守らねば、と」

「それ! だから顔が怖いんです!」

 人差し指を突き付けてくるエリオット様。騎士の務めを果たそうとしたまでなのだが、どうして顔の怖さと繋がるのだろう? リオ様を見れば「ああ」と納得した様子だった。

「私は騎士です。お二方の身の安全を第一に考えるのは当然……」

「私、思うんです。あなたがこの場でも“騎士”だから、ですよ」

 穏やかに微笑むリオ様。言葉の真意が全く掴めない。私は騎士だ、この国の剣だ。騎士である以上、常に住民の安全のため尽力するのが務め。この場においても例外ではない。

 ――と、思っていたが、それが良くないという。騎士として在るが故に顔が怖い。因果関係が見出せない。疑問符が飛び交う私の脳内。説明が欲しい。それを叶えたのはエリオット様だった。

「ぼくたちは騎士のネイトさんじゃなくて、騎士じゃないネイトさんとお出掛けしてるんです」

「騎士じゃない、私……?」

 とても違和感があった。私は生まれながらに騎士として育てられてきた。騎士として――その役割を捨てたら、私は何者になるのだろう。

 守るための剣、そのための教育は受けてきたし、努力を続けてきた。それらを否定したら、私にはなにが残るのか――少し、怖くなった。

 顔に出ていたか、それとも内側を見透かされたか。エリオット様が私の手を引いた。

「わからないなら、それも一緒に見つけましょう! ほら、走りましょう!」

「っ、エリオット様! お待ちください……!」

「こーら! 私を置いていかないで!」

 背後からかかるリオ様の声はどこか弾んでいる。この状況を楽しんでいる? 身の危険を考えていないのだろうか? どこから暴漢が襲い掛かってくるか、強盗が迫ってくるか――そこまで周囲の状況を警戒せずにいられる理由は?

 私にはわからない。わからないが、きっとこれが“普通”なのだろう。自身の人生を生きているのだ。誰かに己を捧げることのない、自身に尽くす人生を。国の剣として生きた私にはできない生き方だ。

 跳ねるような足取りのエリオット様に連れられ、ミカエリア市街を駆ける。こんなに忙しなく、周囲に配慮せずに生きるのは些か心配ではあった。

 ――不思議と、不快ではない。

 そう感じるのは、騎士としておかしなことだろうか。私には、やはりわからなかった。

 =====

 日も暮れ始める頃、私たちは城への帰路を辿っていた。エリオット様は疲れたのか、ゆっくりと歩いている。私の手は握ったままだ。振り払うことも考えたが、民の笑顔を守る以上、それは選べない。

 反対側にリオ様が並ぶ。どこかおかしそうな笑みを湛えていた。

「今日は楽しめましたか?」

「楽しむ……そんな余裕もありませんでした。目まぐるしく、忙しない一日だったと思います」

 騎士としての務めを放棄し、エリオット様とリオ様と、なんの目的もなく街を散策する。気が気ではなかったし、父に知られればなにを言われるか。恐れもあった。騎士の自覚が足りないと言われれば、返す言葉が見つからない。

「……ですが」

 ――真の笑顔をとても間近に見られた。

 私を先導するエリオット様、時折振り返っては満面の笑みを見せる。彼は心の底から楽しそうだった。

 思い返せば、騎士も、民も、私の前で笑顔を見せることはなかった。気を引き締めるか、頭を下げられるか。私自身、真の笑顔を見たことがなかったのだと自覚した。

 目を閉じれば、まぶたの裏に彼の笑顔が焼き付いている。目を細め、歯を見せて、惜しげもなく感情を振り撒く。心に素直になったからこその表情。私はきっと、この笑顔を忘れることはないと思う。

「……感謝致します、お二人に」

「……! いえいえ、またお出掛けしましょうね。今度はイアンさんも一緒に」

「しましょうね……ぼく、また誘いますね……」

 あくび混じりのエリオット様に、リオ様が笑う。この笑顔を守っていきたい。そのために、私は騎士としての務めを果たすべきだ。その上で――もっと笑顔を知りたい。真の笑顔を感じたい。

 これは騎士にあるまじき願いなのだろうか。私には、まだわからない。

 
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