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第三章:正々堂々
幕間8:煙は掴めない
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執務室の扉が叩かれ、我に返る。珍しく感傷に浸ってたみたいだ、馬鹿なことに頭を使っている場合じゃない。軽く返事をすると、静かに扉が開かれた。顔を見せたのは、仏頂面の男前。表情さえどうにかすりゃあ潜入捜査とかにも行かせられるんだがな。
「失礼致します、ネイト・イザードです。イアン様、調査に進展がございました」
「あ? おう、聞かせてみろ」
「東区の住人から、酒場に元フィンマ騎士団の者が集まることが増えたと報告がありました」
「酒場に、ねぇ……そういや前の騎士団がよく世話になった酒場があったな」
「“火ノ元亭”ですね。以前私もお世話になりました」
「……それなら、お前に仕事を任せる」
俺の言葉にも眉一つ動かさねぇ。ただ黙って頷くだけだ。仕事は仕事、そう割り切ってるんだろう。その気持ちを作れるのは羨ましいと思う。俺は未だに、宰相という立場を受け止められていないというのに。
ネイトは俺の指示を待つ。能動的に動かないところが時折不気味に思えて仕方がなかった。意志が、心がないのかと。人間らしさが欠如した仕事への向き合い方は俺にはできないものだった。
「春明二十日の午後二十三時時、“火ノ元亭”に向かえ。お前一人で、だ。この件について他の騎士には口外しないように。どこから漏れるかわからねぇからな」
「拝命致しました」
「下がれ」
寸分の狂いもない、模範解答の礼をして部屋を去るネイト。あいつと話すと、自分が場違いであることをまざまざと思い知らされる。あいつの家系は、古くから騎士を輩出してきた家系だ。仕事に対する考え方や姿勢が違うのは当たり前。皇帝に仕える剣としての矜持があるんだろう。
――それに比べて、俺はどうだ?
忌々しい過去が脳裏を掠め、舌打ちを一つ。俺は本来、こんなところで仕事するような人間ではない。泥水啜って渇きを誤魔化し、ゴミを漁って飢えを凌ぎ、意地汚く生きるのがお似合いだったのに。どうしてこんなことになっている?
そんなこと、わかりきっている。元はといえば、どこぞの馬鹿が俺を拾ったからだ。犬かなにかだと思ってやがったのか、あの野郎。
「全部あいつのせいだ……」
「おや、あいつってどいつのことかな?」
不意に隣から聞こえてきた声に思わず体を仰け反らせる。椅子を蹴飛ばして臨戦態勢を取るが、向こうにその気がないのもわかっている。音もなく忍び寄り、行儀悪く机に腰掛けている輩は、俺を拾った大馬鹿野郎だった。
深紅色の長髪を流し、瞳は森を彷彿とさせる緑色。しなやかな体躯ながら隙がなく、口元は平時掴みどころのない笑みを湛えている男。装飾過多な礼服に身を包むその男は、ミカエリアの頂点に座る者。ひいては、この国の統括者。カイン・レッドフォード陛下だった。
「テメェ、ノックもなしに部屋に入ってくるとはどういう了見だ」
「あはっ、一国一城の主に『テメェ』だなんて、どういう了見だい?」
靄がかかったような、像が定まらない顔が鮮明に映った。こいつ、たぶん俺のこと馬鹿にしてやがる。俺の言葉尻を捕らえてご満悦だ。
出会った頃からわかっていたことーー遡れば、もう十年も前からこうだ。なんでこんな奴が国を仕切ってるんだか。世も末だ。
カインは机から降りることもなく、構えを解いた俺に「それで」と話を切り出した。
「反乱分子の件、順調かな?」
「どうだかな……ただ、市民から告発があったらしい。明日の夜、ネイトを一人で向かわせることにした。あいつならゴロツキが何人集まろうが勝てるだろうしな」
「そうだね、彼は優秀な騎士だ。けれど――その告発が罠だったとしたら?」
「は?」
「奴らはきちんと僕たちを恐れている。だからこそ、僕たちがどう考え、どう動くかが概ね予想できるはずだ。市民から報告があれば、調査に向かわせることくらい想像がつくはず。情報がネイトを通じてイアンに辿り着くことも、イアンが優秀な騎士を調査に向かわせることもね」
淡々と、感情が読み解けない不思議な声音でカインは語る。そこまで予想ができてるならお前が動けよ、なんで俺に任せてるんだこいつは。
昔から、カインがなにを考えてるのかさっぱりわからない。それが頂点に生まれたものと、ドブに吐き出された俺との違いなのか。腹立たしい。
「なんだよ、踊らされてるって言いたいのか?」
「実際になにかが起こるまでは、どんな想像も等しく可能性に過ぎないさ。それはそうと、運命の人と再会した感想は?」
なんの脈絡もなく話を切り替えてんじゃねぇ、なんてもう何度言ったことか。暮に出会い、宵に入る頃にはもう諦めた。残念ながらいつも通りのカインに、ため息を一つ。
「運命の人ってなんだ……あいつが覚えてるわけねぇだろうがよ。家族全員旅人っだったんだから、俺のことなんて旅先で出会った小汚い浮浪児でしかなかったんだろ」
「それもそうだね。きみはこんなに立派な人間になってるんだから、覚えていても同一人物だとは認識できないのも納得か」
「冗談も大概にしろ。俺が立派な人間なわけねぇだろうが」
「信用ないねぇ。僕の言葉ってそんなに嘘臭いかな?」
「一年中嘘言ってるようにしか聞こえねぇ」
「あはっ、そう」
空気が痛い。勿論、俺の機嫌が悪くなったのも理由の一つ。だが、それ以上にカインだ。表情は変わらないが、なにか違う。感情は確かにある、しかし読み解けない。空気の変化はわかるのに、どのように変わったのかが表現できない。
まるで違う生き物と対峙しているみたいだ。こうなったときのカインは、ただ恐ろしい。隙を見せたら首を刎ねられそうな、人間相手に感じるのとは別な圧力がある。
ごくりと生唾を飲んだ矢先、扉の外からやかましい足音が聞こえてきた。直後、忙しないノックと共に扉が開けられる。返事してねぇっつーの。
「宰相閣下! また陛下が部屋を抜け出しっ……ああああ陛下!? こちらにいらっしゃったのですね!」
「あら、見つかっちゃった。それじゃあまたね、イアン。今度はお酒を持ってくるよ」
「……とびっきりの高級品にしろよ」
「はいはい、可愛げのない舌になったものだ。皆、すまないね。部屋の中って退屈で、つい抜け出したくなっちゃうんだ」
そんな他愛のない話をしながら執務室を去っていくカインと騎士。一人の執務室は寂しいほど静かで、つい煙草を咥えてしまう。灰が落ちるのも厭わず、ぼうっと虚空を見つめる。
――リオは、覚えてなかったんだな。そりゃそうか。
わかっていたことだが、その事実がまた胸に穴を空ける。覚えていたのは俺だけで、あいつは“いま”を生きている。俺はどうして“いま”を生きられないんだろう。虚しさを埋めるように煙を吸い込み、吐き出す。
――手を伸ばしたって、実体がねぇんだ。掴もうとしたって、呆気なく消えちまう。夢も、未来も、俺にとっちゃ煙草の煙と変わらねぇよ。
「失礼致します、ネイト・イザードです。イアン様、調査に進展がございました」
「あ? おう、聞かせてみろ」
「東区の住人から、酒場に元フィンマ騎士団の者が集まることが増えたと報告がありました」
「酒場に、ねぇ……そういや前の騎士団がよく世話になった酒場があったな」
「“火ノ元亭”ですね。以前私もお世話になりました」
「……それなら、お前に仕事を任せる」
俺の言葉にも眉一つ動かさねぇ。ただ黙って頷くだけだ。仕事は仕事、そう割り切ってるんだろう。その気持ちを作れるのは羨ましいと思う。俺は未だに、宰相という立場を受け止められていないというのに。
ネイトは俺の指示を待つ。能動的に動かないところが時折不気味に思えて仕方がなかった。意志が、心がないのかと。人間らしさが欠如した仕事への向き合い方は俺にはできないものだった。
「春明二十日の午後二十三時時、“火ノ元亭”に向かえ。お前一人で、だ。この件について他の騎士には口外しないように。どこから漏れるかわからねぇからな」
「拝命致しました」
「下がれ」
寸分の狂いもない、模範解答の礼をして部屋を去るネイト。あいつと話すと、自分が場違いであることをまざまざと思い知らされる。あいつの家系は、古くから騎士を輩出してきた家系だ。仕事に対する考え方や姿勢が違うのは当たり前。皇帝に仕える剣としての矜持があるんだろう。
――それに比べて、俺はどうだ?
忌々しい過去が脳裏を掠め、舌打ちを一つ。俺は本来、こんなところで仕事するような人間ではない。泥水啜って渇きを誤魔化し、ゴミを漁って飢えを凌ぎ、意地汚く生きるのがお似合いだったのに。どうしてこんなことになっている?
そんなこと、わかりきっている。元はといえば、どこぞの馬鹿が俺を拾ったからだ。犬かなにかだと思ってやがったのか、あの野郎。
「全部あいつのせいだ……」
「おや、あいつってどいつのことかな?」
不意に隣から聞こえてきた声に思わず体を仰け反らせる。椅子を蹴飛ばして臨戦態勢を取るが、向こうにその気がないのもわかっている。音もなく忍び寄り、行儀悪く机に腰掛けている輩は、俺を拾った大馬鹿野郎だった。
深紅色の長髪を流し、瞳は森を彷彿とさせる緑色。しなやかな体躯ながら隙がなく、口元は平時掴みどころのない笑みを湛えている男。装飾過多な礼服に身を包むその男は、ミカエリアの頂点に座る者。ひいては、この国の統括者。カイン・レッドフォード陛下だった。
「テメェ、ノックもなしに部屋に入ってくるとはどういう了見だ」
「あはっ、一国一城の主に『テメェ』だなんて、どういう了見だい?」
靄がかかったような、像が定まらない顔が鮮明に映った。こいつ、たぶん俺のこと馬鹿にしてやがる。俺の言葉尻を捕らえてご満悦だ。
出会った頃からわかっていたことーー遡れば、もう十年も前からこうだ。なんでこんな奴が国を仕切ってるんだか。世も末だ。
カインは机から降りることもなく、構えを解いた俺に「それで」と話を切り出した。
「反乱分子の件、順調かな?」
「どうだかな……ただ、市民から告発があったらしい。明日の夜、ネイトを一人で向かわせることにした。あいつならゴロツキが何人集まろうが勝てるだろうしな」
「そうだね、彼は優秀な騎士だ。けれど――その告発が罠だったとしたら?」
「は?」
「奴らはきちんと僕たちを恐れている。だからこそ、僕たちがどう考え、どう動くかが概ね予想できるはずだ。市民から報告があれば、調査に向かわせることくらい想像がつくはず。情報がネイトを通じてイアンに辿り着くことも、イアンが優秀な騎士を調査に向かわせることもね」
淡々と、感情が読み解けない不思議な声音でカインは語る。そこまで予想ができてるならお前が動けよ、なんで俺に任せてるんだこいつは。
昔から、カインがなにを考えてるのかさっぱりわからない。それが頂点に生まれたものと、ドブに吐き出された俺との違いなのか。腹立たしい。
「なんだよ、踊らされてるって言いたいのか?」
「実際になにかが起こるまでは、どんな想像も等しく可能性に過ぎないさ。それはそうと、運命の人と再会した感想は?」
なんの脈絡もなく話を切り替えてんじゃねぇ、なんてもう何度言ったことか。暮に出会い、宵に入る頃にはもう諦めた。残念ながらいつも通りのカインに、ため息を一つ。
「運命の人ってなんだ……あいつが覚えてるわけねぇだろうがよ。家族全員旅人っだったんだから、俺のことなんて旅先で出会った小汚い浮浪児でしかなかったんだろ」
「それもそうだね。きみはこんなに立派な人間になってるんだから、覚えていても同一人物だとは認識できないのも納得か」
「冗談も大概にしろ。俺が立派な人間なわけねぇだろうが」
「信用ないねぇ。僕の言葉ってそんなに嘘臭いかな?」
「一年中嘘言ってるようにしか聞こえねぇ」
「あはっ、そう」
空気が痛い。勿論、俺の機嫌が悪くなったのも理由の一つ。だが、それ以上にカインだ。表情は変わらないが、なにか違う。感情は確かにある、しかし読み解けない。空気の変化はわかるのに、どのように変わったのかが表現できない。
まるで違う生き物と対峙しているみたいだ。こうなったときのカインは、ただ恐ろしい。隙を見せたら首を刎ねられそうな、人間相手に感じるのとは別な圧力がある。
ごくりと生唾を飲んだ矢先、扉の外からやかましい足音が聞こえてきた。直後、忙しないノックと共に扉が開けられる。返事してねぇっつーの。
「宰相閣下! また陛下が部屋を抜け出しっ……ああああ陛下!? こちらにいらっしゃったのですね!」
「あら、見つかっちゃった。それじゃあまたね、イアン。今度はお酒を持ってくるよ」
「……とびっきりの高級品にしろよ」
「はいはい、可愛げのない舌になったものだ。皆、すまないね。部屋の中って退屈で、つい抜け出したくなっちゃうんだ」
そんな他愛のない話をしながら執務室を去っていくカインと騎士。一人の執務室は寂しいほど静かで、つい煙草を咥えてしまう。灰が落ちるのも厭わず、ぼうっと虚空を見つめる。
――リオは、覚えてなかったんだな。そりゃそうか。
わかっていたことだが、その事実がまた胸に穴を空ける。覚えていたのは俺だけで、あいつは“いま”を生きている。俺はどうして“いま”を生きられないんだろう。虚しさを埋めるように煙を吸い込み、吐き出す。
――手を伸ばしたって、実体がねぇんだ。掴もうとしたって、呆気なく消えちまう。夢も、未来も、俺にとっちゃ煙草の煙と変わらねぇよ。
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