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第三章:正々堂々

21:試される精神力

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「……お昼だ……」

 ベッドの上で、ぽつりと呟く。昨晩のことがあったので、アレンくんのご両親の計らいでお休みを頂いた。疲れは溜まっていたらしい、まさかお昼まで眠りこけていたとは。

 重たい体をのっそりと起こし、寝癖を整える。着替えを済ませると、リビングにはアレンくんがいた。昨日の今日だ、少し気まずそうに笑う。

「おはよう、アレンくん」

「おはよう。昨日はごめんね、それとありがとう」

「ううん。ありがとうが言えるから、やっぱりきみはいい子だね」

「またそれ? オレ、そんなに子供っぽいかなぁ?」

 首を傾げるアレンくん。ああもう、本当に愛おしいなきみは。そういうところが子供っぽさの所以なんですよ、大人がやるとあざといんですよ。でもきみは可愛いんだよ。うーん、ティーンエイジャー限定の必殺技ですね。若さは尊い。

「……そうだ。アレンくん、エンノイドって知ってる?」

「エンノイド? 確か老後の生活をサポートする人形だったと思うけど……それがどうかした?」

「ううん、なんでもない。ちょっと小耳に挟んだ名前だったから気になったの」

 あの男たちはエリオットくんにエンノイドについて語っていた。無駄になったと。老後を補助するための人形と、エリオットくん。いったいなんの関係がある? 後で調べてみる必要がありそうだ。

「リオちゃん、起きてるかい!」

 階下からバーバラさんの声がする。私になにか用なのかな、アレンくんに一声かけて、階段を降りる。そこには、昨晩助けてくれた騎士様――ネイトさんがいた。相変わらず仏頂面で、鉄仮面という言葉がよく似合う。私が一礼すると、ネイトさんも礼で返してくれた。

「こんにちは、昨晩はありがとうございました」

「いえ、仕事ですので。早速ですが、本題に入ります」

「それなら上がっとくれ。ここじゃ他のお客さんに迷惑だよ」

 ごもっともである。ひとまずネイトさんを連れて上階に行くと、アレンくんが一瞬体を強張らせた。そうだよね、斬られそうになったもんね。いまはたぶん大丈夫だよ、なんとなくわかる。ネイトさん、命令がないとそういう実力行使はしなさそう。

「リオ。その人、大丈夫なの……?」

「大丈夫、だと思う……」

「ご心配なく。剣を抜くのは有事の際のみですので」

「……それなら、いいけど」

 いまだ警戒心の強いアレンくん。リビングで話すと休まらなさそうだし、私の部屋に招いた方がいいだろうか。ネイトさんが来たの、たぶん私に事情聴取するからだろうし。

「ネイトさん、差し支えなければ私の部屋でお話伺いますけれど。昨晩の件ですよね?」

「はい。事件現場に居合わせたのはお嬢さんですので、お話を伺いに参りました」

「ああやっぱり。どうぞ、こちらです。アレンくん、大丈夫だからね」

「う、うん……気を付けてね」

 気を付けるもなにも、ネイトさんが私に剣を向ける理由がない。心配するのも優しさ故か、ちゃんと生きて顔を見せなければならない。そんなに殺伐としたお話にはならないから大丈夫なんだけどね。

 ネイトさんを部屋に招き入れ、適当にかけてもらう。あれ、そういえば私、自分の部屋に男の人入れるの初めてでは……?

 生前もそんなことしなかったから、途端にどぎまぎしてしまう。無表情とはいえ顔立ちは整っているのだ、余計にそう感じる。

「さて、それでは当時の状況を詳しくお聞かせ願えますか」

 あ、完全に仕事モードだ。妙な空気にならなくて安心半分、勝手に意識した恥ずかしさ半分。既に居た堪れない。しかし相手が仕事ならば、こちらも真剣に応じなければ。

 昨晩のことを思い出せる限り話していくが、ネイトさんの表情はまるで変化しない。本当にお面でも被っているのではないかと錯覚するほど動きがない。表情筋が完全に死んでいる。こんなに美形なのに勿体ないな。でもこの人がふとした拍子に笑ったら、たぶん並大抵の女の子は恋に落ちそう。

 粗方話し終えるとネイトさんは深く息を吐いた。収穫なし、といったところだろうか。アーサーが言った内容とほぼ同じだったのだと思う。

「収穫はありましたか?」

「アーサー様と同様の証言でした」

「そうですよね……すみません、ご足労頂いたのに」

「いえ、仕事ですので」

 言葉と表情が完全に一致している。本当に、仕事を仕事と割り切って生きている感じだ。仕事以外なら笑ったりするのかな……全然想像できない。

「ネイトさん、一ついいですか?」

「どうぞ」

「笑ってみてください」

 うわっ、ここで初めて感情見せてきた。すっごい嫌そう。眉間のしわがくっきり見える。っていうかこの人、ちゃんと人の肌してるんだ。あまりにも動かなかったから、本当に鉄かなにかでできると思ってしまってた。ごめんなさい。

「理由をお聞かせ願えますか」

「そうですね……騎士様が笑顔ですと、住民も安心できるかと思いまして……私もしばらくはミカエリアに滞在する予定ですので」

 それらしい理由をこじつけてみるが、相変わらずネイトさんの拒否反応がすごい。ようやく彼が人間であることを確信できた気がした。ロボットみたいなんだよね、雰囲気が。声にも抑揚がないし、表情は言わずもがな。

 ネイトさんは目を伏せ、深呼吸を始めた。ああよかった、ちゃんと呼吸している。やっぱり人間だ。話してみないとわからないものだ。そうして顔を上げたネイトさんは、至極真面目な顔を見せる。いや、真面目というか、夢に出てきそうなほど整った真顔。

「民のため、ですか」

「ええ、民のためです」

 真っ直ぐに問いかけてきたので、こちらも目を逸らさない。ここで逸らしたら負けだ、契約が取れるかどうかは、相手が目を見てくれているかによる。こちらに対して真剣さがあるかどうか。ネイトさんは私の目を見てくれた、きっとこの真剣な気持ちは伝わっている。

 いや、真剣な気持ちではあるけど、ごめんなさい。ただの好奇心です。けれど笑顔に安心するという言葉に嘘はない。それが伝わったのか、ネイトさんは小さく頷いた。

「かしこまりました。それではまずーー貴女を安心させるために」

「ッア!」

 なんだいまの声は。我ながら人間離れした悲鳴だった。いやそれより、なんだこの顔は。鋭い眼はどこへやら、目尻は優しく下がり、横一文字の唇は微かに端が上がっている。たったそれだけの、ほんの小さな変化。なのに破壊力がすごい。文字通りの微笑だけでこれだ、思いっきり笑ったらどうなるんだ!?

 ポテンシャルが無限大過ぎる……異世界は化け物パラダイスだ。美形は魔物以上に魔物だよ。

 ネイトさんはすーっと真顔に戻る。私は夢でも見ていたのか。それくらい印象が変わる。ベースがこれだから余計に衝撃的なのだ、ギャップに殺されるってこういうことらしい。心が三途の川の岸まで疾走した気分だった。

「ご安心頂けましたか?」

「……ハァイ……とっても……」

「それはなにより。では、私はこれで。ご協力に感謝致します」

 すくっと立ち上がり、足早に部屋から去っていくネイトさん。風速四十メートル以上の突風だった。様子を見に来たアレンくんが驚いて肩を揺すってくる。そりゃそうだよね、魂が口から零れてたら心配くらいするよね。

 お父さん、お母さん。異世界を生き抜くには精神力が肝みたいです。
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