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第三章:正々堂々
幕間6:あの日の夢をもう一度
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「お前、あの坊主とどういう関係だ?」
あいつらが去った後、宰相閣下が唐突に尋ねてきた。どういう関係か、現状を適切に言い表す言葉が思いつかなくて押し黙る。閣下は小馬鹿にしたように笑う。
「ただ因縁つけられたってわけでもねぇだろうに。簡単に言い表せねぇような関係なのかよ」
「……そうですね。いま、私たちの関係性を適切に表現する言葉が、思いつきません」
「ほう? なら、適切に表現できるまで遡ってみな。お前らは、どういう関係だった?」
閣下の言葉に従い、記憶の糸を手繰り寄せる。掘り起こした思い出は尽く色褪せているのに、アレンの歌声だけはいまも鮮明なままだ。空を覆う分厚い雲を掻き消すような、真っ直ぐに突き抜ける歌声。僕はそれが大好きだった。
そう――出会いは確か、僕たちが五歳の頃だった。僕は付き人に連れられてミカエリアの街を視察に行っていた。いずれランドルフ家が街の中核を担うことになると、父上が仰られていたから。幼い頃から街を見て、民に寄り添う貴族になれと教育されていた。
そこで出会ったのだ、アレン・ケネットと。あいつは公園で歌っていた。当時の僕は、あいつの歌声になにかを感じた。伸び伸びと、自由に歌うさまに惹かれたのかもしれない。躊躇もしがらみもなく、ありのままに自分を表現するあいつが――羨ましかったのかもしれない。
付き人に無理を言って、声をかけた。あの頃は僕もありのままだったと思う。僕にとってあいつは極めて珍しい存在だった。僕が貴族と知ってもなお、かしこまることもなく接してくれた。“伯爵子息”のアーサー・ランドルフ。それが僕だったのに、あいつは僕を“アーサー”として見てくれていた。だから、親しくなれたのかもしれない。
アレンと会うようになってから、一つの季節が明けたとき。あいつは夢を語ってくれた。“たくさんの人の前で歌いたい”と。きみならできる、それだけの力がある。きみの歌を聞いた誰もが、きみを好きになるよ。幼い僕は精一杯の言葉で応援した。
――願わくば、僕が最初のファンでありたい。
そう思った矢先のこと。貴族としての教育に一層力が入った。父上に逆らうことなどできなかった僕は、ただ従うだけだった。アレンとは半ば強引に関係を断ち、一人前の貴族になるために邁進した。
「ケネット商店を買い取った。あれはランドルフ家の財産だ」
僕が十六歳になった頃、父上はこう言った。その店の名には覚えがあった。アレンの両親が経営する店だ。父上がどのような意図で買い取ったのかはわからない。
ただ、これはまたとない機会だ。成長したあいつはきっと、すごい歌手になっているに違いない。そう思っていた。
ただ、あいつも人間だった。僕と同じ時を生きてきたのだ、考え方なんて変わる。あいつは歌うことを辞め、ケネット商店の跡取りになる道を選んでいた。僕が黙っていなくなったからか、それとも心境の変化か。がっかりしたことだけは覚えている。
アレンは本当に夢を諦めてしまったのか? それは本当に心から選んだ答えなのか? だとしたら……夢を見ていたのは、僕だけだったのか?
それからはなにもわからなくなった。アレンのことも、僕のことも。貴族らしく振る舞うって、どうしたらいい? どうしたらアレンにもう一度あの道を歩かせることができる?
その結果が、あのざまだ。陰湿な嫌がらせで構ってもらおうとして、幼稚極まりない。その浅はかさをあの女――リオに見透かされたのだ。いつも通り、その場凌ぎの薄っぺらな屁理屈を並べて。それでも駄目だった。
僕は――あいつとどうなりたかったんだろう。どんな関係でいられたら幸せだったんだろう。
いまの関係性が曖昧な以上、僕の口から言えるのは、過去だけだ。
「……同じ夢を見ていた仲間、とでも言いましょうか」
「ハッハッ! そうかそうか、そりゃあいい。伯爵子息にもそんなピュアな時代があったとはなぁ」
「茶化さないでいただけますか。私は彼をずっと応援するつもりでした、それはいまも……」
「なら、どうしてそう伝えなかった?」
言葉に詰まる。どうして……どうして? どうして僕は言えなかった? 言えば良かったのに、あのとき声が出なかったのはどうしてだ? 戸惑う僕の心を見透かしたかのように、閣下は笑い飛ばした。
「それがお前だよ。あの坊主も言ってたろ、中途半端なんだよ。貴族としても一人の人間としても。お前はな、“自分”も持たず環境に流されてきただけのつまんねぇ男だ」
「……それ、は……」
「ほら、迎えが来たみてぇだぞ」
閣下が呼んだ騎士たちが姿を現す。言いたいことも言えないまま――いや、言いたいことすら見つけられないまま、家まで連れ戻されるのだろう。“自分”がないから反論もできない。情けなさばかりが露呈して、拳を握りしめる。爪が食い込んでも、力が緩むことはなかった。
駆け付けた騎士たちは閣下に敬礼する。彼らを一瞥し、礼服の懐から小さな箱を取り出した。中から細長い筒を一本取り出し、咥える。煙草らしい。潮風に乗って独特な香りが流れてくる。
「ご苦労さん。そいつを家まで連れて行け。伯爵子息だ、丁重にな」
「はっ! かしこまりました! さ、こちらへ」
騎士に連れられ、夜のミカエリアを歩く。足取りは重い。立ち止まりそうになって、唇を噛む。止まるな、歩き続けろ。現状を恥ずかしいと思えるなら、変われるはずだ。
「……っ、もう一度……」
あの日見た夢を見させてくれ。
この言葉が声になる日が来るとしたら――そんな空想も、いまの僕には描けなかった。
あいつらが去った後、宰相閣下が唐突に尋ねてきた。どういう関係か、現状を適切に言い表す言葉が思いつかなくて押し黙る。閣下は小馬鹿にしたように笑う。
「ただ因縁つけられたってわけでもねぇだろうに。簡単に言い表せねぇような関係なのかよ」
「……そうですね。いま、私たちの関係性を適切に表現する言葉が、思いつきません」
「ほう? なら、適切に表現できるまで遡ってみな。お前らは、どういう関係だった?」
閣下の言葉に従い、記憶の糸を手繰り寄せる。掘り起こした思い出は尽く色褪せているのに、アレンの歌声だけはいまも鮮明なままだ。空を覆う分厚い雲を掻き消すような、真っ直ぐに突き抜ける歌声。僕はそれが大好きだった。
そう――出会いは確か、僕たちが五歳の頃だった。僕は付き人に連れられてミカエリアの街を視察に行っていた。いずれランドルフ家が街の中核を担うことになると、父上が仰られていたから。幼い頃から街を見て、民に寄り添う貴族になれと教育されていた。
そこで出会ったのだ、アレン・ケネットと。あいつは公園で歌っていた。当時の僕は、あいつの歌声になにかを感じた。伸び伸びと、自由に歌うさまに惹かれたのかもしれない。躊躇もしがらみもなく、ありのままに自分を表現するあいつが――羨ましかったのかもしれない。
付き人に無理を言って、声をかけた。あの頃は僕もありのままだったと思う。僕にとってあいつは極めて珍しい存在だった。僕が貴族と知ってもなお、かしこまることもなく接してくれた。“伯爵子息”のアーサー・ランドルフ。それが僕だったのに、あいつは僕を“アーサー”として見てくれていた。だから、親しくなれたのかもしれない。
アレンと会うようになってから、一つの季節が明けたとき。あいつは夢を語ってくれた。“たくさんの人の前で歌いたい”と。きみならできる、それだけの力がある。きみの歌を聞いた誰もが、きみを好きになるよ。幼い僕は精一杯の言葉で応援した。
――願わくば、僕が最初のファンでありたい。
そう思った矢先のこと。貴族としての教育に一層力が入った。父上に逆らうことなどできなかった僕は、ただ従うだけだった。アレンとは半ば強引に関係を断ち、一人前の貴族になるために邁進した。
「ケネット商店を買い取った。あれはランドルフ家の財産だ」
僕が十六歳になった頃、父上はこう言った。その店の名には覚えがあった。アレンの両親が経営する店だ。父上がどのような意図で買い取ったのかはわからない。
ただ、これはまたとない機会だ。成長したあいつはきっと、すごい歌手になっているに違いない。そう思っていた。
ただ、あいつも人間だった。僕と同じ時を生きてきたのだ、考え方なんて変わる。あいつは歌うことを辞め、ケネット商店の跡取りになる道を選んでいた。僕が黙っていなくなったからか、それとも心境の変化か。がっかりしたことだけは覚えている。
アレンは本当に夢を諦めてしまったのか? それは本当に心から選んだ答えなのか? だとしたら……夢を見ていたのは、僕だけだったのか?
それからはなにもわからなくなった。アレンのことも、僕のことも。貴族らしく振る舞うって、どうしたらいい? どうしたらアレンにもう一度あの道を歩かせることができる?
その結果が、あのざまだ。陰湿な嫌がらせで構ってもらおうとして、幼稚極まりない。その浅はかさをあの女――リオに見透かされたのだ。いつも通り、その場凌ぎの薄っぺらな屁理屈を並べて。それでも駄目だった。
僕は――あいつとどうなりたかったんだろう。どんな関係でいられたら幸せだったんだろう。
いまの関係性が曖昧な以上、僕の口から言えるのは、過去だけだ。
「……同じ夢を見ていた仲間、とでも言いましょうか」
「ハッハッ! そうかそうか、そりゃあいい。伯爵子息にもそんなピュアな時代があったとはなぁ」
「茶化さないでいただけますか。私は彼をずっと応援するつもりでした、それはいまも……」
「なら、どうしてそう伝えなかった?」
言葉に詰まる。どうして……どうして? どうして僕は言えなかった? 言えば良かったのに、あのとき声が出なかったのはどうしてだ? 戸惑う僕の心を見透かしたかのように、閣下は笑い飛ばした。
「それがお前だよ。あの坊主も言ってたろ、中途半端なんだよ。貴族としても一人の人間としても。お前はな、“自分”も持たず環境に流されてきただけのつまんねぇ男だ」
「……それ、は……」
「ほら、迎えが来たみてぇだぞ」
閣下が呼んだ騎士たちが姿を現す。言いたいことも言えないまま――いや、言いたいことすら見つけられないまま、家まで連れ戻されるのだろう。“自分”がないから反論もできない。情けなさばかりが露呈して、拳を握りしめる。爪が食い込んでも、力が緩むことはなかった。
駆け付けた騎士たちは閣下に敬礼する。彼らを一瞥し、礼服の懐から小さな箱を取り出した。中から細長い筒を一本取り出し、咥える。煙草らしい。潮風に乗って独特な香りが流れてくる。
「ご苦労さん。そいつを家まで連れて行け。伯爵子息だ、丁重にな」
「はっ! かしこまりました! さ、こちらへ」
騎士に連れられ、夜のミカエリアを歩く。足取りは重い。立ち止まりそうになって、唇を噛む。止まるな、歩き続けろ。現状を恥ずかしいと思えるなら、変われるはずだ。
「……っ、もう一度……」
あの日見た夢を見させてくれ。
この言葉が声になる日が来るとしたら――そんな空想も、いまの僕には描けなかった。
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