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第一章:光と影

4:なにもかもがファンタジー

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「――そうだ、思い出した……!」

 何処から来たんだったか、馬車での長旅を終えた私――牧野理央はこのとき全てを思い出した。私は前世、ブラック企業に勤める営業だった。っていうか、無類のドルオタだった。期待の新人アイドルグループ、セブンスビートのファーストライブを前日に控えた夜、気が逸って信号無視した結果、交通事故に遭って死んだのだ。

 それから霊魂案内所、不慮の事故課という胡散臭い場所で手続きを済ませて、この世界で第二の人生を始めた……ことを、たったいま思い出した。いまのいままでどうして記憶になかったのか。っていうか、そのショックが強烈過ぎて、これまでの記憶が全部吹っ飛んだ。

 異世界なんてゲームみたいな世界なんだから記憶データの引き継ぎくらいあってもいいでしょうが! なんで“牧野理央”で上書き保存しちゃったの!? 言っちゃえば古いデータで最新のデータを上書きしたようなものでしょうに! 私が子供なら泣き喚いてる!

「……っていうか、やっぱり異世界だなぁ……」

 私はいま、人込みの只中にいた。辺りを見回せば、現実世界ではコスプレと呼ばれても差し支えのない装いの老若男女。いやはや現実味がない。異世界だから当然なのだが。建物も、見たところ「海外 街並み」で検索すればヒットしそうな見慣れなさ……というより、どことなく退廃的な印象を抱かせる不思議な街並みだった。建物の色がモノトーン調だから余計にそう感じるのかもしれない。

 ひとまず、代償が大きいとはいえ本来の目的も思い出せはした。異世界でアイドルをプロデュースすること。それがこの世界での生きる意味。しかし、まずなにをすればいいのだろう。新たなスタートを切る、それはいい。しかしコネクションも資本金も何一つない状態で、どうやってアイドルをプロデュースすればいいのか。いやそもそも、ここはどこなんだろう? なんていう国の、なんていう街?

 困り果て、右往左往。人込みに紛れていては動きようもないが、妙なところに迷い込むのも怖い。だが思い出せ。私は生前、営業の仕事をしていたのだ。足踏みしていては取れる契約も取れない。

「……よし! なにはともあれまずアクション!」

「あのー、大丈夫?」

 不意に背中からかけられる声。年若い少年のものだった。わけのわからない言葉を聞かれてしまった恥ずかしさもあるが、逃げ出すわけにもいかない。せっかく声をかけてくれたのだから、応じるのが社会人のマナー。

 振り返り、驚いた。セブンスビートにいそうなほど、若々しく愛らしい顔の少年だった。心なしか、雰囲気がセブンスビートのセンターを務める加賀谷大地くんに似ている気がする。

 髪の毛はさすが異世界、炎のように真っ赤。短めで、ところどころ跳ねているのが快活さを引き立てている。瞳もまた同じく、意志の強さを感じさせるルビーが埋まっている。身長は十代男性の平均程度だろうか、特別高くも低くもない。身体的な特徴は赤い髪くらいだ。けれど、目を離せない。どこか放っておけない弟感のようなものを感じた。

「……? オレの顔、なんかついてる?」

「えっ、あ、いいえ! すみません、じろじろ見ちゃって……」

「オレは大丈夫だよ。それより、きみのこと! もしかして旅の人? 帝都に来たのは初めて?」

「あ、えっと……はい。初めて来たから、ちょっと迷ってて……」

 帝都。帝都と来たか。つまり、ここは帝国の首都なのだ。帝国、つまり皇帝が治めている。日本の現代人にはピンと来ない政治形態だ。

 言葉に詰まる私に、赤毛の少年は人懐こい笑顔を見せた。

「どこに行きたいの? 案内するよ!」

「えっ!? そんな、悪いです!」

「気にしないで、好きでやってることだから! まずは宿取らないとね、持ち合わせは?」

 純粋な眼差しで投げかけられた質問に、私は息を飲んだ。

 持ち合わせ――つまり、お金。ちょっと待て、私はここに来るまでに馬車に乗ってきた。つまり、所持金はある。しかし目の前で財布を確認するのは嫌だった。だって浅ましくない?

 しかし、確認しないことには答えようがない。まずい、どうする。失礼を承知で確認するべきか? もしなかったらどうなる? 雨風凌ぐことすらままならない浮浪者だと思われてしまう。

 だらだらと吹き出る嫌な汗を見てか、少年は怪訝そうな眼差しを向ける。

「どうしたの?」

「あ、あはは……えーっと……」

 正直に話すべきなのか。この少年には話せない気がした。いざ恥を忍んで財布を見て、一晩越えるだけの持ち合わせすらなかったらどうしよう。この子、お金貸してきそう。なんなら「返さなくていい」とまで言いそうな人の良さを感じた。

 こんなキラキラした少年に金の無心なんてしたくない。大人のプライドが許さなかった。

 言葉に詰まる私を見て、少年はぱあっと明るい笑みを見せる。今度はなにを言う気だ、そんなにピュアな目をして……眩しすぎる。

「宿に迷ってるなら、うちに来ない?」

「ハイィッ!?」

 こんな幼気いたいけな顔をしてなんてことを言うの!? まさかのプレイボーイ!? 東京に出てからだって言われたことないのに!

 いやいや落ち着け牧野理央。この少年にそんな深い意図はない。一切の汚れを感じないこんな少年が女の子を家に連れ込んで大変なことをするなんて絶対にありえない。加賀谷くんだってしない、たぶん。

 動揺で固まる私に、少年は首を傾げた。え、可愛い。なにその仕草、最早天然記念物。カメラどこ? スマホの持ち込み禁止でしたか? 説明されてないんですけど!

「うち、雑貨屋やってるんだ。二階に部屋が余ってるから、そこ使っていいか父さんに聞いてみるよ」

 都会に汚された私を罰してほしい。少年の笑顔に嘘はない。目に見えるものが全てだと言わんばかりの真っ直ぐさ。

 ほーらやっぱり。純粋な提案だったよ。きみはそういう子だよね、一目見てわかったよ、うん。

「でも、一個だけ条件つけていい?」

「じょうけん……」

 あ、やっぱり、異世界だし、人身売買とか奴隷とか、そういう感じでしょうか。

 再び気を引き締める私だが、少年は申し訳なさそうに笑う。うーん、可愛い。こりゃあスカウトが放っておかないね。是非とも渋谷か原宿辺りをうろちょろして、素敵なご縁の元で芸能界デビューしてほしい。この段階でもう推せる。この世界の渋谷ってどこだろう? 原宿は?

 一人、危機感のない思案に耽っているなど気づきもせず、少年は言う。

「うちの店、家族三人で回してるからさ。ちょっとだけ手伝ってほしいんだ。いい?」

「……はい、勿論……」

「なにその顔、安心した? っていうかオレ、不安になるような話し方してた?」

「いえ……私が……私が悪かったんです……」

「うん……?」

 知らなくていい。きみはね、いまはなにも知らずにすくすく育つといいよ。大人になるとね、段々その真っ直ぐさとかキラキラした感じとか消えていくから。少しでもその輝きを守り続けて。

 私の不審な言動に困ったような少年だが、すぐに表情を切り替えた。若者はこういうところがいいなぁ。大人になって荒波に揉まれると、結構湿気てくるんだよね、心が。

「とりあえず、行こっか! 店まで案内するよ! オレはアレン、ケネット商店の跡取り息子です! きみは?」

「はっ! 申し遅れました! 私、舞楽株式……じゃなかった……えーっと、旅人のリオです」

「マイラクカブシキ……?」

「ううん、忘れてください……前の仕事の名残で……」

「うーん、わかった! さ、リオ! こっちだよ、ついてきて!」

「ヒエッ!? ちょちょ、ちょっとぉぉぉ……!」

 少年――アレンくんは私の手を取り、爛々とした足取りでご実家の方へ走り出した。なんだこれ、少女漫画みたい。若い男の子に手を引かれて走っている。この若さ……というか、青さというか……ついていけない。アラサーでも青春っぽい経験ってできるんだね。

 お父さん、お母さん。異世界はすごいです。
 
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