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2巻
2-2
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その後、俺を森の入り口まで連れてきた少女は、そのままどこかへ飛び去っていった。
事情はおろか、名前さえ聞けずじまいだったけど、俺は彼女のことが気になっていた。
エルフィは神竜の同胞を探していた。手かがりもなく、リントヴルムの背でもその姿を見かけたことはなかったのに、こんなところで巡り合うとは。
「明らかにわけありな雰囲気だったけど、一体何が……」
「ママー!」
思案していると、エルフィとアリアがやってきた。
「レヴィン、大丈夫? さっき、魔獣の雄叫びが聞こえて……怪我とかしてないよね?」
「ああ。心配いらないよ」
二人を安心させようとしたが、アリアは不安そうにこちらを眺めている。
「実際に見てみないと分からないかも」
ガシッと俺の肩を掴んだかと思うと、シャツをめくろうとする。
「へ、平気だって!」
なんとか制止しようとするが、かなり力が強い。
「だって、レヴィンが怪我を隠しているかもしれないし……」
「心配だからって、さすがにやりすぎだって……」
竜の背中に移住してから、アリアは過保護になってしまったようだ。
暴走する彼女をなんとか抑え、謎の少女と出会ったことは隠し、レイジングタウルスを見かけた旨を伝える。
「やっぱり、手分けするのはやめよう。私が守るから、みんなで一緒に王様を捜そうよ」
アリアの提案を受け、エルフィが大きく頷く。
「空から気になる景色が見えた。森の一部……湖のあたりが瘴気に包まれている。ママを一人にするのは危ない」
そういえば、少女に運ばれている時にそんな景色を見た気がする。なんだか気になるな。
俺たちは用心しながら湖に向かうことにした。
「酷い臭いだ……」
辿り着いた湖は、鳥や魔獣の鳴き声さえ聞こえない死の森に変貌していた。
粘着質の泥のようなものがあたりに散らばっており、湖面には異臭を放つ黒い水が溜まって、魚が浮かんでいる。
「レヴィンもエルフィも、私の側から離れないでね」
先導するアリアが球形の障壁を展開した。この中ならば、瘴気の影響を受けないそうだ。
「ママ、アリア、あそこを見て。光ってる」
エルフィの指差す先を見る。
「本当だな。あれは光でできた道……?」
そこには神々しく輝く、光の道があった。どうやら、この光には周囲の瘴気を退ける効果があるようで、あたりの空気が澄んでいる。
道なりに進んでいくとやがて、さらに眩い光の柱に包まれた神殿が見えてきた。
そこで俺たちは、衝撃の光景を目の当たりにする。
「「「ウッホ‼ ウッホ‼」」」
「え、ええい、放せ! このワシを誰だと思っている!?」
「黙レ、黙レ。オ前、罪ヲ償ウ。ソレガアーガス様ノゴ意志」
神殿には、甲冑を纏ったゴリラの騎士と、木の杭に磔にされて連行されるドルカス元国王がいた。
俺たちが祭壇の前へやってくると、物陰から一人の男が出てきた。
「よくぞいらっしゃいました。レヴィン様」
柔らかな声色で発せられる呼び名に、思わず背筋が凍った。
なぜなら、今「レヴィン様」と呼びかけたのは、かつて《聖獣使い》を騙り追放されたはずの元同僚――アーガスだったからだ。
高貴な身分であることを強調するかのように派手だった悪趣味な服は、聖職者じみた純白の衣服に。あどけない顔つきに不釣り合いな底意地の悪い笑みばかり浮かべていたのに、今は慈愛に満ちた表情をしている。
そして最も恐ろしいことに、目の前の彼は眩いばかりに光り輝いている。
「このような辺境にお越しいただけるなど、感激の極みでございます」
「「「ウホッ! ウホッ!」」」
優雅な所作でアーガスが一礼すると、周囲のゴリラたちが雄叫びを上げる。
「「「ウホオオオオオオオオオ‼」」」
ゴリラたちのドラミングに合わせ、アーガスの放つ不可思議な輝きがいっそう増す。
「うおっ⁉ 眩しい……!」
一体、俺は何を見せられているのだろう。
アーガスは《聖獣使い》を詐称し、アリアを無理矢理婚約者にしたり、グリフォンのヴァンを薬物で服従させたりと、好き放題した人物だ。
しかし、今の彼にその頃の面影はない。礼儀正しく微笑む姿も身体から発せられる神々しい光も、まさに聖職者にふさわしい雰囲気だ。
いや待て。そもそも、なんでこんなに光っているんだ?
「マ、ママ、この人どうしちゃったの? 確か散々ママを馬鹿にしてた人だよね?」
エルフィが困惑するのも無理はない。
聖獣降臨の儀でのアーガスの様子が脳裏をよぎる。
――クク……いいザマだなレヴィン。所詮貴様は三流貴族のゴミテイマー。彼女にふさわしいのは俺のような人間だ。
エルフィもその現場にいただけに、今の光景が信じられないようだ。
「レヴィン様、私は心を入れ替え、生まれ変わったのです。かつての私は虚栄心にまみれ、あなたのような偉大な人物を放逐するという愚行を犯しました」
アーガスが両腕を広げてゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「レ、レヴィンに近づかないで‼」
困惑するアリアが俺たちをかばう。
彼女もアーガスの変貌っぷりに戸惑っているようだ。
「おお、アリア様……あなたにも大変な失礼を働きました。遅まきながら謝罪させてください」
柔和な笑みを浮かべ、全身から眩い光を発しながら、アーガスは膝を折り、深々と頭を下げる。
「無論、『許してくれ』など申しません、あなた方が望むなら如何様にでも罰を受けましょう。さあ! さあ‼」
やがて、覚悟は決まっているとでも言いたげに五体を床に投げ出した。
祈るように瞳を閉じるアーガスの言葉に嘘はないようだ。恐ろしいことに。
「ね、ねえ、レヴィン、これってどういうことなの? 本当に同じ人だとは思えないよ……」
俺の服の裾を掴みながら、アリアが訝しんでいる。
それも当然だ。アーガスは彼女に執心しており、あの手この手で従わせ、自分のものにしようとしていたんだから。
「ウホッウホッ‼」
「ええい、いい加減下ろせ‼ 下ろすんだ。この毛むくじゃらのケダモノ共め‼」
人が変わったようなアーガスの様子に戸惑っていると、杭に磔にされて怒声を上げるドルカスが連れてこられた。
「駄目ダ‼ オ前ハ罪ヲ償ウベキ」
「何が罪だ‼ ワシはこの国の王だぞ、猿人め‼ 罪などあるはずがなかろう‼」
縄を引きちぎろうとしながら、ドルカスが叫び散らす。
「もしかして、まだ自分が国王だと思ってるのか……」
自分の状況を理解していないドルカスに呆れてしまう。
すでに彼は国民から見放されており、ゼクスの王位継承に異を唱える者はほとんどいない。
哀れな元国王を眺めていると、視線が合った。
「き、貴様はクズテイマー‼ おのれ貴様の……貴様のせいでドレイクは消え、ワシはこんなケダモノ共の群れに……謝罪しろ! 死んで詫びるがいい‼」
「はいはい、ごめんなさいごめんなさい」
もはや罵倒も心に響かない。
いくら喚いたところで、これまでのような横暴な振る舞いはもうできないのだ。
「なあ、アーガス」
「なんでしょうか?」
アーガスが聖者のような笑みを浮かべ、さらに光り輝いた。
「すまない。その光、眩しいから消せないか?」
「仰せのままに」
優雅に一礼すると、光が収まった。
それができるなら最初からそうしてほしかった。どういう原理で光っているんだ?
「エルウィンではドルカスがいなくなった件で大騒ぎだ。一体、なんのつもりでこんなことを?」
正直、ドルカスがどうなろうと構わないのだが、ゼクスを困らせる事態はどうにかしたい。
幸い、今のアーガスなら話が通じそうなので、穏便に尋ねてみる。
「愛を伝えるためです」
「……あ、愛?」
珍妙な答えに、面食らってしまう。
「彼の所業は知っています。民を拉致し、おぞましい人体実験を行った……しかし、ただ罰を与えるよりも、己の過去を見つめ直し、罪と向き合ってもらいたいのです。それがより平和な世界を作るのですから」
「へ、平和な世界かぁ……」
一点の曇りもない瞳で大層なことを言っているが……本当にアーガスに何があったんだろう。
そうこうしていると、祭壇に人が集まってきた。
ゴリラの騎士ではない、普通の人間だ。
「っ……ママ、あの人たちの魔力の流れ、ちょっと変」
なんだかエルフィの顔色が悪い。
「どういうことだ?」
「分からない。でも、ドレイクが邪竜になった時の雰囲気に少し似ている」
ドルカスを利用したドレイクは、己の肉体を改造して巨大な竜へ変化した。
それらは全て、非道な人体実験の成果であった。つまり、あの人たちは……
アーガスがゴリラの騎士から杖を受け取り、こちらを振り返る。
「お気付きのようですね。彼らはドレイク殿による人体実験の被害者であり、辛くも生き延びることができた人たちです。手足を欠損した者、失明した者、著しく老化した者など……そんな彼らを保護し、治療していたのが、こちらの私の伴侶です」
アーガスに促されて、いつの間にか隣に立っていたゴリラの淑女が美しい所作でお辞儀をした。
「……⁉」
アリアが見たことの無い表情を浮かべて硬直した。
無理もない。俺も驚いている。
今、アーガスは確かに自分の伴侶だと言った。シスターのような恰好をしたゴリラの淑女を。
「紹介しましょう。私の命の恩人にして愛する人、カトリーヌです」
「ようこそいらっしゃいました、お客人。わたくしはカトリーヌと申します。ここで治癒術士を務めております」
とても澄んだ優しい声でカトリーヌさんが自己紹介する。
俺たちはその状況に戸惑いながらも、彼女に挨拶を返す。
「カトリーヌは深い教養を持ち、魔術に優れた佳人でしてね」
しかし、これで合点がいった。ここにいるゴリラたちは、ただのゴリラではない。
「もしかして彼女たちは猩々なのか?」
それは類人猿によく似た容姿と、人間を超える膂力と知能を持つ幻獣の名称である。
性格は極めて温厚で、森の奥深くで女神への祈りを捧げながら静かに暮らす、奥ゆかしい種族だ。
祈りを捧げる姿の敬虔さから、彼らを神聖な獣として崇め、聖獣になぞらえて猩獣と呼ぶ者もいるとか。
人前に姿を現すことはほとんどなく、今では古い書物で存在が語られるのみだったが……
「今こそ明かしましょう。私に与えられた天職は《聖獣使い》ではなかったのです‼」
極めて真剣かつ堂々たる振る舞いで、アーガスが言ってのけた。
「……えっと、それは察していたが」
アーガスは聖獣降臨の儀で聖獣を召喚できなかったわけだし、今更すぎる告白だ。
しかし、アーガスは構わず話し続ける。
「国を追放されたあの日、私たちはドレイク殿によってこの瘴気に満ちた死の森に放り込まれました。瘴気に蝕まれ、死にかけていたところを救ってくれたのが、カトリーヌをはじめとする猩々です。その慈悲深さに胸を打たれた私は《猩獣使い》という真の力に目覚めました。そもそも私が《聖獣使い》だと思い込んでいた原因は……」
長い回想が始まる気配を感じて、俺は彼の言葉を遮った。
「ま、待った。要点だけでいいから」
「……【神授の儀】で大司教殿がこう言いました。『君はせいじゅうを操る力を持っている!』」
大きな声で大司教の声を真似る、迫真の演技だ。
「それを聞いた司祭殿は『せいじゅうを使役する者……間違いない、S級天職だ!』と」
なんだか嫌な予感がしてきた。
「最後にシスターがこう告げました。『あなたは《聖獣使い》です‼』」
酷い伝言ゲームだ……
それでアーガスは、自分が《聖獣使い》だと勘違いするようになったのか。
「しかし、それはほんの始まりに過ぎなかったのです! それ以降、私はS級天職を授かったことに気を良くし――」
「ちょっと待ってくれ。事情はよく分かったから、ドルカスをどうするつもりか、先に教えてもらってもいいか?」
アーガスの身の上話も気になるが、、まずはドルカス失踪の原因解明が先だ。
俺がここまで来た事情を話すと、アーガスはゆっくりと今回の騒動を語り始める。
「ここ最近の失踪事件は全て私の犯行です。私が各地の村から彼らを連れ出し、元国王を誘拐しました」
周囲の人々を示してさらに続ける。
「私が連れてきたのは、故郷に帰ったものの実験の後遺症を抱え、腫れ物扱いされていた民です。望む者を猩々が住まうこの地に導きました。ドルカス殿を攫ったのは、己の罪を知ってほしかったからです」
アーガスの言葉をきっかけに、かつての被験者たちがドルカスをじっと睨みつける。
しかし、ドルカスに反省の色はない。
「な、なんだその目は……! ワシは国王だぞ!? 民が命を差し出すのは、当然であろう‼」
「やはり、己を見つめ直すには時間がかかるようですね……ギデオンさん」
アーガスが手を叩くと、天井から執事服を着た背の高い男がシュタッと舞い下りた。
「えっ……!? あ、あんたは……!」
現れた男を見て、俺は言葉を失った。
なにせそいつは、かつてエルウィンのテイマーをまとめていた、テイマー長のギデオンだったのだ。
俺が国を追放されたのは、ギデオンの進言がきっかけだ。昔の彼は国王の顔色を常に窺っているような、おどおどした人物だった。
しかし、今は背筋をシュッと伸ばし、執事として申し分のない堂々とした佇まいだ。
「お久しぶりですな、レヴィン殿。かつては大変な無礼を働き、申し訳ございませんでした」
ギデオンが恭しく一礼する。とても優雅で、気品溢れる仕草だ。
昔の上司が執事になっていることは驚きだが、そんなことはどうでもいい。
何よりも目を引いたのはギデオンの肉体だ。
俺たちに向き直った彼が胸を張ると、シャツのボタンが弾け飛んだ。
「ああ、これはお見苦しいところを。またサイズが合わなくなってきたようですな……大胸筋が成長するのはいいことなのですが」
ギデオンは、極限まで仕上がったマッチョになっていた。
身長もあの頃よりずっと伸びている……遅い成長期だろうか。
「さて、ご用件はなんでしょうか、アーガス様」
「ドルカス殿を連れていってください。みんなのために労働する喜びを知れば、きっと考えが変わるでしょう」
「それはいい案でございますな。さあ陛下! いや、元陛下‼ たるんだ精神を鍛え直しますぞ‼」
ギデオンは手刀でドルカスの戒めを解くと、肩にかついだ。
「ギ、ギデオン、なんのつもりだ……まさか、追放した恨みを晴らそうとでも言うのか‼」
「なんと俗なお考えを! この神殿では、誰もが懸命に今日を生きているのです。あなたを遊ばせておく余裕などありません。ここで民のために尽くし、改めて己の所業を見つめ直されよ! 健全な精神は健康な肉体に宿るのですぞ‼」
以前の気弱で保身ばかりを考えていた姿はなく、はつらつと動き回るギデオンを見て、頭がくらくらしてくる。
「えっと……復讐のためにドルカスを攫ったんじゃなくて、改心の機会を与えるためってことか?」
「あなた方に多大な迷惑を掛けた私が言うのは恐縮ですが、それが人体実験を受けた者たちのためにできることかと」
正直、事態がちっとも呑み込めない。
とりあえずドルカス失踪の真相は、猩々と呼ばれる幻獣を従えるアーガスの犯行だった。
ところが彼もギデオンも追放されて改心しており、俺の知る人柄ではなくなっていた。
「えっと、レヴィン。どうするの? 元国王は連行した方がいいのかな?」
「いや、ひとまず放っておこう」
「え、でも……大丈夫なの?」
「悪い企みはないみたいだしな。ゼクスにはありのままを報告する。そうすれば、あとはどうにかしてくれるだろ……多分」
アーガスたちに思うところはあるが、今の様子を見たらどうでも良くなってきた。
「分かった。それじゃ一旦、戻ろう。私はレヴィンの騎士だから、レヴィンの判断に従うよ」
こうして俺たちは、過去と決別するのであった……
「お、お待ちください!」
悪夢から逃げようとした俺たちを、アーガスが引き留めた。
「その……どの口がと思われるでしょうが、どうか我々を助けてくださらないでしょうか?」
アーガスが、それは見事な土下座をした。
「それは一体どういう――」
ことかと尋ねようとした時、けたたましい雄叫びと共に、神殿の外壁が激しい音を立てて崩れた。
その向こうからやってきたのは、レイジングタウルスだ。
恐らく、先ほど遭遇した個体だろう。
「グォオオオオオオ‼」
この森の瘴気に汚染されたのか、レイジングタウルスは完全に正気を失っていた。
「お下がりください。ここは私が」
真っ先に前に出たのはアーガスであった。
「カトリーヌ、あなたの力を貸してください」
「はい」
アーガスが杖をそっと手放すと、垂直に浮かび上がった。
カトリーヌさんの手を握り、杖に向かって祈り始める。
「我らを見守りし、偉大なる主よ。どうか、邪悪なるものを祓いたまえ」
直後、杖に埋め込まれた宝玉が眩い光を発したかと思うと、まるで光の柱のような熱線が放たれた。
「ガァアアアア‼」
光線が魔獣を呑み込む。
レイジングタウルスは抵抗する間もなく、一瞬で消滅した。
「ふぅ……なんとか倒せましたね……おや? どうしましたか? そのように目を丸くして」
「今の力はなんなんだ……⁉」
並の魔術師とは比較にならないほど強力な魔力の砲撃であった。
一体どこでそんな魔法を習得したのか。
「猩々は森に祈りを捧げる、敬虔な生き物です。その気になれば、女神の力を借りて奇跡を起こせます。私は彼らの生き方に感銘を受け、共に生きると決めました。強い絆で結ばれたことで、私の《猩獣使い》の能力が高まり、猩々の力を借りることができるようになったのです」
幻獣との絆が深まったことで、テイマーとしての力が上昇した?
そんな話は初めて聞くが、こうして目の当たりにした以上、信じるしかないだろう。
◆ ◆ ◆
「レヴィン、アリア殿、これは一体どういうことなんだ?」
森の奥でアーガスと再会した翌日のことだ。
俺たちはリントヴルムの背に戻り、事件の顛末をゼクスに説明していた。
都市の中心部にある自宅の前で、アリアが困ったように答える。
「えっと……私たちもよく分からないというか……」
俺たちの視線の先では、慌ただしくゴリラ……猩々たちが働いている。
崩落した都市の資材を集めてくれているのだ。
「一つ確かなのは、ご覧の通り、この竜大陸に新たな仲間が増えたってことかな」
「伝説の猩々がエルウィンにいたとはな。しかし、あそこで働いている聖職者のような装いの男はまさか……」
俺は昨日の経緯を全て語る。
「……理解が追い付かない。第一アーガスはともかく、ギデオンは骨格からして別人ではないか!?」
ゼクスの言う通りだ。
以前のギデオンは俺やゼクスよりも背が低く、弱々しい見た目だった。
それが今や、俺たちよりもずっと屈強な体格をしており、猩々に交じって力仕事をしている。
「深く考えない方がいいかもしれません……」
アリアもギデオンを見て頭を押さえている。
骨格レベルで変貌を遂げた彼については、理解しようとするだけ無駄なのかもしれない。
ゼクスと話し込んでいると、エルフィがやってきた。
「ママ、猩々のひとたちはみんなここに運んだ。あとは【移住】を使って神殿を持ってくればOKだよ」
「エルフィ、大変な仕事を引き受けてくれてありがとうな」
俺はエルフィの頭を撫でる。
猩々たちはかなり重いため、ワイバーン二匹がかりで連れてこざるを得なかった。
そのため、力のあるエルフィにも手伝ってもらっていたのだ。
「へへ、頑張った……今夜は子兎のステーキが食べたいな。あ、でもチキンも捨てがたい……」
「チキンか……」
ふと、サンドウィッチを頬張っていた、昨日の少女を思い出す。
エルフィとリントヴルムの仲間……新たな神竜だ。
結局、名前は聞けず終いだったが、エルフィにはちゃんと話しておくべきかもしれない。
「エルフィ、君は前に、この都市を開拓してほしいって俺に頼んだよな」
「うん。ここはみんなが帰る場所だから、ちゃんとしておかないと」
神竜たちがいずれ帰る場所だということは、この世界にはエルフィたち以外にも神竜がいる可能性は高い。
「それなら、仲間にだって会いたいよな?」
「もちろん‼ だけど、この都市にはいないみたい。竜大陸のもっと遠くを探したらいるのかな? それとも地上にいるのかな?」
「もし、別の神竜と出会ったって言ったらどうする?」
「え……?」
エルフィが言葉を失った。
当然の反応だ。彼女にとって、数少ない同胞だ。
「ど、どこで見たの?」
「昨日向かった森の中だ。少し話をしたんだが、すぐにどこかに消えてしまった。すまんな、会わせられなくて」
「ううん。ママのせいじゃない。でも、そっか。私の仲間が……」
エルフィが目を閉じて感慨深げにしている。
新たな仲間が増えた竜大陸だが、エルフィのためにも神竜の仲間たちも探してあげたいものだ。
事情はおろか、名前さえ聞けずじまいだったけど、俺は彼女のことが気になっていた。
エルフィは神竜の同胞を探していた。手かがりもなく、リントヴルムの背でもその姿を見かけたことはなかったのに、こんなところで巡り合うとは。
「明らかにわけありな雰囲気だったけど、一体何が……」
「ママー!」
思案していると、エルフィとアリアがやってきた。
「レヴィン、大丈夫? さっき、魔獣の雄叫びが聞こえて……怪我とかしてないよね?」
「ああ。心配いらないよ」
二人を安心させようとしたが、アリアは不安そうにこちらを眺めている。
「実際に見てみないと分からないかも」
ガシッと俺の肩を掴んだかと思うと、シャツをめくろうとする。
「へ、平気だって!」
なんとか制止しようとするが、かなり力が強い。
「だって、レヴィンが怪我を隠しているかもしれないし……」
「心配だからって、さすがにやりすぎだって……」
竜の背中に移住してから、アリアは過保護になってしまったようだ。
暴走する彼女をなんとか抑え、謎の少女と出会ったことは隠し、レイジングタウルスを見かけた旨を伝える。
「やっぱり、手分けするのはやめよう。私が守るから、みんなで一緒に王様を捜そうよ」
アリアの提案を受け、エルフィが大きく頷く。
「空から気になる景色が見えた。森の一部……湖のあたりが瘴気に包まれている。ママを一人にするのは危ない」
そういえば、少女に運ばれている時にそんな景色を見た気がする。なんだか気になるな。
俺たちは用心しながら湖に向かうことにした。
「酷い臭いだ……」
辿り着いた湖は、鳥や魔獣の鳴き声さえ聞こえない死の森に変貌していた。
粘着質の泥のようなものがあたりに散らばっており、湖面には異臭を放つ黒い水が溜まって、魚が浮かんでいる。
「レヴィンもエルフィも、私の側から離れないでね」
先導するアリアが球形の障壁を展開した。この中ならば、瘴気の影響を受けないそうだ。
「ママ、アリア、あそこを見て。光ってる」
エルフィの指差す先を見る。
「本当だな。あれは光でできた道……?」
そこには神々しく輝く、光の道があった。どうやら、この光には周囲の瘴気を退ける効果があるようで、あたりの空気が澄んでいる。
道なりに進んでいくとやがて、さらに眩い光の柱に包まれた神殿が見えてきた。
そこで俺たちは、衝撃の光景を目の当たりにする。
「「「ウッホ‼ ウッホ‼」」」
「え、ええい、放せ! このワシを誰だと思っている!?」
「黙レ、黙レ。オ前、罪ヲ償ウ。ソレガアーガス様ノゴ意志」
神殿には、甲冑を纏ったゴリラの騎士と、木の杭に磔にされて連行されるドルカス元国王がいた。
俺たちが祭壇の前へやってくると、物陰から一人の男が出てきた。
「よくぞいらっしゃいました。レヴィン様」
柔らかな声色で発せられる呼び名に、思わず背筋が凍った。
なぜなら、今「レヴィン様」と呼びかけたのは、かつて《聖獣使い》を騙り追放されたはずの元同僚――アーガスだったからだ。
高貴な身分であることを強調するかのように派手だった悪趣味な服は、聖職者じみた純白の衣服に。あどけない顔つきに不釣り合いな底意地の悪い笑みばかり浮かべていたのに、今は慈愛に満ちた表情をしている。
そして最も恐ろしいことに、目の前の彼は眩いばかりに光り輝いている。
「このような辺境にお越しいただけるなど、感激の極みでございます」
「「「ウホッ! ウホッ!」」」
優雅な所作でアーガスが一礼すると、周囲のゴリラたちが雄叫びを上げる。
「「「ウホオオオオオオオオオ‼」」」
ゴリラたちのドラミングに合わせ、アーガスの放つ不可思議な輝きがいっそう増す。
「うおっ⁉ 眩しい……!」
一体、俺は何を見せられているのだろう。
アーガスは《聖獣使い》を詐称し、アリアを無理矢理婚約者にしたり、グリフォンのヴァンを薬物で服従させたりと、好き放題した人物だ。
しかし、今の彼にその頃の面影はない。礼儀正しく微笑む姿も身体から発せられる神々しい光も、まさに聖職者にふさわしい雰囲気だ。
いや待て。そもそも、なんでこんなに光っているんだ?
「マ、ママ、この人どうしちゃったの? 確か散々ママを馬鹿にしてた人だよね?」
エルフィが困惑するのも無理はない。
聖獣降臨の儀でのアーガスの様子が脳裏をよぎる。
――クク……いいザマだなレヴィン。所詮貴様は三流貴族のゴミテイマー。彼女にふさわしいのは俺のような人間だ。
エルフィもその現場にいただけに、今の光景が信じられないようだ。
「レヴィン様、私は心を入れ替え、生まれ変わったのです。かつての私は虚栄心にまみれ、あなたのような偉大な人物を放逐するという愚行を犯しました」
アーガスが両腕を広げてゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「レ、レヴィンに近づかないで‼」
困惑するアリアが俺たちをかばう。
彼女もアーガスの変貌っぷりに戸惑っているようだ。
「おお、アリア様……あなたにも大変な失礼を働きました。遅まきながら謝罪させてください」
柔和な笑みを浮かべ、全身から眩い光を発しながら、アーガスは膝を折り、深々と頭を下げる。
「無論、『許してくれ』など申しません、あなた方が望むなら如何様にでも罰を受けましょう。さあ! さあ‼」
やがて、覚悟は決まっているとでも言いたげに五体を床に投げ出した。
祈るように瞳を閉じるアーガスの言葉に嘘はないようだ。恐ろしいことに。
「ね、ねえ、レヴィン、これってどういうことなの? 本当に同じ人だとは思えないよ……」
俺の服の裾を掴みながら、アリアが訝しんでいる。
それも当然だ。アーガスは彼女に執心しており、あの手この手で従わせ、自分のものにしようとしていたんだから。
「ウホッウホッ‼」
「ええい、いい加減下ろせ‼ 下ろすんだ。この毛むくじゃらのケダモノ共め‼」
人が変わったようなアーガスの様子に戸惑っていると、杭に磔にされて怒声を上げるドルカスが連れてこられた。
「駄目ダ‼ オ前ハ罪ヲ償ウベキ」
「何が罪だ‼ ワシはこの国の王だぞ、猿人め‼ 罪などあるはずがなかろう‼」
縄を引きちぎろうとしながら、ドルカスが叫び散らす。
「もしかして、まだ自分が国王だと思ってるのか……」
自分の状況を理解していないドルカスに呆れてしまう。
すでに彼は国民から見放されており、ゼクスの王位継承に異を唱える者はほとんどいない。
哀れな元国王を眺めていると、視線が合った。
「き、貴様はクズテイマー‼ おのれ貴様の……貴様のせいでドレイクは消え、ワシはこんなケダモノ共の群れに……謝罪しろ! 死んで詫びるがいい‼」
「はいはい、ごめんなさいごめんなさい」
もはや罵倒も心に響かない。
いくら喚いたところで、これまでのような横暴な振る舞いはもうできないのだ。
「なあ、アーガス」
「なんでしょうか?」
アーガスが聖者のような笑みを浮かべ、さらに光り輝いた。
「すまない。その光、眩しいから消せないか?」
「仰せのままに」
優雅に一礼すると、光が収まった。
それができるなら最初からそうしてほしかった。どういう原理で光っているんだ?
「エルウィンではドルカスがいなくなった件で大騒ぎだ。一体、なんのつもりでこんなことを?」
正直、ドルカスがどうなろうと構わないのだが、ゼクスを困らせる事態はどうにかしたい。
幸い、今のアーガスなら話が通じそうなので、穏便に尋ねてみる。
「愛を伝えるためです」
「……あ、愛?」
珍妙な答えに、面食らってしまう。
「彼の所業は知っています。民を拉致し、おぞましい人体実験を行った……しかし、ただ罰を与えるよりも、己の過去を見つめ直し、罪と向き合ってもらいたいのです。それがより平和な世界を作るのですから」
「へ、平和な世界かぁ……」
一点の曇りもない瞳で大層なことを言っているが……本当にアーガスに何があったんだろう。
そうこうしていると、祭壇に人が集まってきた。
ゴリラの騎士ではない、普通の人間だ。
「っ……ママ、あの人たちの魔力の流れ、ちょっと変」
なんだかエルフィの顔色が悪い。
「どういうことだ?」
「分からない。でも、ドレイクが邪竜になった時の雰囲気に少し似ている」
ドルカスを利用したドレイクは、己の肉体を改造して巨大な竜へ変化した。
それらは全て、非道な人体実験の成果であった。つまり、あの人たちは……
アーガスがゴリラの騎士から杖を受け取り、こちらを振り返る。
「お気付きのようですね。彼らはドレイク殿による人体実験の被害者であり、辛くも生き延びることができた人たちです。手足を欠損した者、失明した者、著しく老化した者など……そんな彼らを保護し、治療していたのが、こちらの私の伴侶です」
アーガスに促されて、いつの間にか隣に立っていたゴリラの淑女が美しい所作でお辞儀をした。
「……⁉」
アリアが見たことの無い表情を浮かべて硬直した。
無理もない。俺も驚いている。
今、アーガスは確かに自分の伴侶だと言った。シスターのような恰好をしたゴリラの淑女を。
「紹介しましょう。私の命の恩人にして愛する人、カトリーヌです」
「ようこそいらっしゃいました、お客人。わたくしはカトリーヌと申します。ここで治癒術士を務めております」
とても澄んだ優しい声でカトリーヌさんが自己紹介する。
俺たちはその状況に戸惑いながらも、彼女に挨拶を返す。
「カトリーヌは深い教養を持ち、魔術に優れた佳人でしてね」
しかし、これで合点がいった。ここにいるゴリラたちは、ただのゴリラではない。
「もしかして彼女たちは猩々なのか?」
それは類人猿によく似た容姿と、人間を超える膂力と知能を持つ幻獣の名称である。
性格は極めて温厚で、森の奥深くで女神への祈りを捧げながら静かに暮らす、奥ゆかしい種族だ。
祈りを捧げる姿の敬虔さから、彼らを神聖な獣として崇め、聖獣になぞらえて猩獣と呼ぶ者もいるとか。
人前に姿を現すことはほとんどなく、今では古い書物で存在が語られるのみだったが……
「今こそ明かしましょう。私に与えられた天職は《聖獣使い》ではなかったのです‼」
極めて真剣かつ堂々たる振る舞いで、アーガスが言ってのけた。
「……えっと、それは察していたが」
アーガスは聖獣降臨の儀で聖獣を召喚できなかったわけだし、今更すぎる告白だ。
しかし、アーガスは構わず話し続ける。
「国を追放されたあの日、私たちはドレイク殿によってこの瘴気に満ちた死の森に放り込まれました。瘴気に蝕まれ、死にかけていたところを救ってくれたのが、カトリーヌをはじめとする猩々です。その慈悲深さに胸を打たれた私は《猩獣使い》という真の力に目覚めました。そもそも私が《聖獣使い》だと思い込んでいた原因は……」
長い回想が始まる気配を感じて、俺は彼の言葉を遮った。
「ま、待った。要点だけでいいから」
「……【神授の儀】で大司教殿がこう言いました。『君はせいじゅうを操る力を持っている!』」
大きな声で大司教の声を真似る、迫真の演技だ。
「それを聞いた司祭殿は『せいじゅうを使役する者……間違いない、S級天職だ!』と」
なんだか嫌な予感がしてきた。
「最後にシスターがこう告げました。『あなたは《聖獣使い》です‼』」
酷い伝言ゲームだ……
それでアーガスは、自分が《聖獣使い》だと勘違いするようになったのか。
「しかし、それはほんの始まりに過ぎなかったのです! それ以降、私はS級天職を授かったことに気を良くし――」
「ちょっと待ってくれ。事情はよく分かったから、ドルカスをどうするつもりか、先に教えてもらってもいいか?」
アーガスの身の上話も気になるが、、まずはドルカス失踪の原因解明が先だ。
俺がここまで来た事情を話すと、アーガスはゆっくりと今回の騒動を語り始める。
「ここ最近の失踪事件は全て私の犯行です。私が各地の村から彼らを連れ出し、元国王を誘拐しました」
周囲の人々を示してさらに続ける。
「私が連れてきたのは、故郷に帰ったものの実験の後遺症を抱え、腫れ物扱いされていた民です。望む者を猩々が住まうこの地に導きました。ドルカス殿を攫ったのは、己の罪を知ってほしかったからです」
アーガスの言葉をきっかけに、かつての被験者たちがドルカスをじっと睨みつける。
しかし、ドルカスに反省の色はない。
「な、なんだその目は……! ワシは国王だぞ!? 民が命を差し出すのは、当然であろう‼」
「やはり、己を見つめ直すには時間がかかるようですね……ギデオンさん」
アーガスが手を叩くと、天井から執事服を着た背の高い男がシュタッと舞い下りた。
「えっ……!? あ、あんたは……!」
現れた男を見て、俺は言葉を失った。
なにせそいつは、かつてエルウィンのテイマーをまとめていた、テイマー長のギデオンだったのだ。
俺が国を追放されたのは、ギデオンの進言がきっかけだ。昔の彼は国王の顔色を常に窺っているような、おどおどした人物だった。
しかし、今は背筋をシュッと伸ばし、執事として申し分のない堂々とした佇まいだ。
「お久しぶりですな、レヴィン殿。かつては大変な無礼を働き、申し訳ございませんでした」
ギデオンが恭しく一礼する。とても優雅で、気品溢れる仕草だ。
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何よりも目を引いたのはギデオンの肉体だ。
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「ああ、これはお見苦しいところを。またサイズが合わなくなってきたようですな……大胸筋が成長するのはいいことなのですが」
ギデオンは、極限まで仕上がったマッチョになっていた。
身長もあの頃よりずっと伸びている……遅い成長期だろうか。
「さて、ご用件はなんでしょうか、アーガス様」
「ドルカス殿を連れていってください。みんなのために労働する喜びを知れば、きっと考えが変わるでしょう」
「それはいい案でございますな。さあ陛下! いや、元陛下‼ たるんだ精神を鍛え直しますぞ‼」
ギデオンは手刀でドルカスの戒めを解くと、肩にかついだ。
「ギ、ギデオン、なんのつもりだ……まさか、追放した恨みを晴らそうとでも言うのか‼」
「なんと俗なお考えを! この神殿では、誰もが懸命に今日を生きているのです。あなたを遊ばせておく余裕などありません。ここで民のために尽くし、改めて己の所業を見つめ直されよ! 健全な精神は健康な肉体に宿るのですぞ‼」
以前の気弱で保身ばかりを考えていた姿はなく、はつらつと動き回るギデオンを見て、頭がくらくらしてくる。
「えっと……復讐のためにドルカスを攫ったんじゃなくて、改心の機会を与えるためってことか?」
「あなた方に多大な迷惑を掛けた私が言うのは恐縮ですが、それが人体実験を受けた者たちのためにできることかと」
正直、事態がちっとも呑み込めない。
とりあえずドルカス失踪の真相は、猩々と呼ばれる幻獣を従えるアーガスの犯行だった。
ところが彼もギデオンも追放されて改心しており、俺の知る人柄ではなくなっていた。
「えっと、レヴィン。どうするの? 元国王は連行した方がいいのかな?」
「いや、ひとまず放っておこう」
「え、でも……大丈夫なの?」
「悪い企みはないみたいだしな。ゼクスにはありのままを報告する。そうすれば、あとはどうにかしてくれるだろ……多分」
アーガスたちに思うところはあるが、今の様子を見たらどうでも良くなってきた。
「分かった。それじゃ一旦、戻ろう。私はレヴィンの騎士だから、レヴィンの判断に従うよ」
こうして俺たちは、過去と決別するのであった……
「お、お待ちください!」
悪夢から逃げようとした俺たちを、アーガスが引き留めた。
「その……どの口がと思われるでしょうが、どうか我々を助けてくださらないでしょうか?」
アーガスが、それは見事な土下座をした。
「それは一体どういう――」
ことかと尋ねようとした時、けたたましい雄叫びと共に、神殿の外壁が激しい音を立てて崩れた。
その向こうからやってきたのは、レイジングタウルスだ。
恐らく、先ほど遭遇した個体だろう。
「グォオオオオオオ‼」
この森の瘴気に汚染されたのか、レイジングタウルスは完全に正気を失っていた。
「お下がりください。ここは私が」
真っ先に前に出たのはアーガスであった。
「カトリーヌ、あなたの力を貸してください」
「はい」
アーガスが杖をそっと手放すと、垂直に浮かび上がった。
カトリーヌさんの手を握り、杖に向かって祈り始める。
「我らを見守りし、偉大なる主よ。どうか、邪悪なるものを祓いたまえ」
直後、杖に埋め込まれた宝玉が眩い光を発したかと思うと、まるで光の柱のような熱線が放たれた。
「ガァアアアア‼」
光線が魔獣を呑み込む。
レイジングタウルスは抵抗する間もなく、一瞬で消滅した。
「ふぅ……なんとか倒せましたね……おや? どうしましたか? そのように目を丸くして」
「今の力はなんなんだ……⁉」
並の魔術師とは比較にならないほど強力な魔力の砲撃であった。
一体どこでそんな魔法を習得したのか。
「猩々は森に祈りを捧げる、敬虔な生き物です。その気になれば、女神の力を借りて奇跡を起こせます。私は彼らの生き方に感銘を受け、共に生きると決めました。強い絆で結ばれたことで、私の《猩獣使い》の能力が高まり、猩々の力を借りることができるようになったのです」
幻獣との絆が深まったことで、テイマーとしての力が上昇した?
そんな話は初めて聞くが、こうして目の当たりにした以上、信じるしかないだろう。
◆ ◆ ◆
「レヴィン、アリア殿、これは一体どういうことなんだ?」
森の奥でアーガスと再会した翌日のことだ。
俺たちはリントヴルムの背に戻り、事件の顛末をゼクスに説明していた。
都市の中心部にある自宅の前で、アリアが困ったように答える。
「えっと……私たちもよく分からないというか……」
俺たちの視線の先では、慌ただしくゴリラ……猩々たちが働いている。
崩落した都市の資材を集めてくれているのだ。
「一つ確かなのは、ご覧の通り、この竜大陸に新たな仲間が増えたってことかな」
「伝説の猩々がエルウィンにいたとはな。しかし、あそこで働いている聖職者のような装いの男はまさか……」
俺は昨日の経緯を全て語る。
「……理解が追い付かない。第一アーガスはともかく、ギデオンは骨格からして別人ではないか!?」
ゼクスの言う通りだ。
以前のギデオンは俺やゼクスよりも背が低く、弱々しい見た目だった。
それが今や、俺たちよりもずっと屈強な体格をしており、猩々に交じって力仕事をしている。
「深く考えない方がいいかもしれません……」
アリアもギデオンを見て頭を押さえている。
骨格レベルで変貌を遂げた彼については、理解しようとするだけ無駄なのかもしれない。
ゼクスと話し込んでいると、エルフィがやってきた。
「ママ、猩々のひとたちはみんなここに運んだ。あとは【移住】を使って神殿を持ってくればOKだよ」
「エルフィ、大変な仕事を引き受けてくれてありがとうな」
俺はエルフィの頭を撫でる。
猩々たちはかなり重いため、ワイバーン二匹がかりで連れてこざるを得なかった。
そのため、力のあるエルフィにも手伝ってもらっていたのだ。
「へへ、頑張った……今夜は子兎のステーキが食べたいな。あ、でもチキンも捨てがたい……」
「チキンか……」
ふと、サンドウィッチを頬張っていた、昨日の少女を思い出す。
エルフィとリントヴルムの仲間……新たな神竜だ。
結局、名前は聞けず終いだったが、エルフィにはちゃんと話しておくべきかもしれない。
「エルフィ、君は前に、この都市を開拓してほしいって俺に頼んだよな」
「うん。ここはみんなが帰る場所だから、ちゃんとしておかないと」
神竜たちがいずれ帰る場所だということは、この世界にはエルフィたち以外にも神竜がいる可能性は高い。
「それなら、仲間にだって会いたいよな?」
「もちろん‼ だけど、この都市にはいないみたい。竜大陸のもっと遠くを探したらいるのかな? それとも地上にいるのかな?」
「もし、別の神竜と出会ったって言ったらどうする?」
「え……?」
エルフィが言葉を失った。
当然の反応だ。彼女にとって、数少ない同胞だ。
「ど、どこで見たの?」
「昨日向かった森の中だ。少し話をしたんだが、すぐにどこかに消えてしまった。すまんな、会わせられなくて」
「ううん。ママのせいじゃない。でも、そっか。私の仲間が……」
エルフィが目を閉じて感慨深げにしている。
新たな仲間が増えた竜大陸だが、エルフィのためにも神竜の仲間たちも探してあげたいものだ。
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