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2巻
2-1
しおりを挟む第一章
エルウィン王国の田舎貴族の家に生まれた俺――レヴィン・エクエスは、《聖獣使い》という超強力な【S級天職】を授かった。
《聖獣使い》には、聖獣を使役できる特別な力がある。
将来を期待されていたものの、【聖獣降臨の儀】でちっちゃなトカゲを喚び出したことで状況は一変。激怒した王様によって、国を追われてしまう。
エルフィと名付けたトカゲと共に森を彷徨ううちに、俺はある衝撃の事実を知る。
なんと、このトカゲこそが人と竜の姿を持つ伝説の聖獣、神竜族の生き残りであり、お姫様だったのだ。
彼女の案内で、巨大な大陸を背負った第二の神竜、リントヴルムと出会った俺は、彼の背中に移住することになった。
竜大陸には広大な土地と、古代都市が眠っていた。ここでは、竜大陸の住人が増えるほど、どんどん便利な魔導具が解放されていくという。俺はエルフィたちの頼みで、竜の背を開拓していくことになった。
一方、地上では当時のエルウィン国王、ドルカスの暴走で、隣国であるクローニアと戦いが起こってしまっていた。エルウィンで最も広い領地を持つラングラン公爵家の当主、ドレイクが国王を唆したため、争いは激化した。
俺は仲間たちと共にその戦争を治め、両国の間に平和をもたらした。
寂れた竜大陸を開拓して、誰もが平和に暮らせる国を興すのが、今の目標である。
◆ ◆ ◆
エルウィンとクローニアの戦いが終結し、一ヶ月が経ったある日。
竜大陸の自宅にて、ソファに座った俺は、周囲を見渡して呟く。
「なんというか、狭いな……」
今、我が家のリビングには竜の背で暮らす俺の家族や仲間たちのほとんどが集まっている。
テーブルに陣取り、裁縫仕事をしている母さんに、床に寝転がって難しそうな本を読むフィオナ姉さん。エルフィは魔獣であるヴァルキリー三姉妹を誘ってトランプで遊んでおり、その様子を妖精のフィルミィミィとカーバンクルのエスメレが微笑ましそうに見つめていた。
この家は、建物や魔導具を【建造】する都市の管理機能を使って作ったものだ。
最初は俺とエルフィだけの二人暮らしで、広く感じたものだったが……
「家族が暮らすだけならともかく、レヴィンの相棒たちまで来ると狭いな。それでも前の家よりずっと広いが……」
リビングの隅で、縮こまりながらコーヒーを飲んでいたグレアム父さんが言った。
この家には俺とエルフィ、故郷のルミール村から竜大陸に移住してきた両親と姉に加え、幼馴染のアリアや、竜大陸への第一移住者であるエリスが住んでいる。そのため、全員が一つの部屋に集まるとやや窮屈だ。
そして、少ない資材をやりくりして近くに家を【建造】した俺の相棒たち……ヴァルキリー三姉妹をはじめとする【契約】している魔獣が遊びに来ると、今のように部屋がぎっしりと埋まってしまう。
父さんの言葉を聞き、俺の隣に腰掛けていたアリアが、紅茶を味わう手を止めた。
「グレアムお父さん、私はレヴィンと……みんなと過ごせるなら、どんなに狭い場所でも気になりません。ゆっくりできるスペースがないなら、これからは私、ソファの下に潜って、邪魔にならないようにじっとしています」
なんだかとんでもないことを言っている。
「いやいや。それはアリアが大変だろ」
アリアは《神聖騎士》というS級天職持ちで、かつてエルウィン王国の騎士として前線で活躍していた。
しかしその実、ドルカスに無理矢理忠誠を誓わされ、非道な作戦の数々を強いられていたのだ。
このままだとアリアは幸せになれない。
そう考えた俺は、第一王子のゼクスと協力してクーデターを起こし、彼女を解放した。
故郷の家族を人質に脅されていた経験からか、家族がバラバラで暮らすことに反対なようだ。
「飲み終えたマグカップ、洗っておきますね。他にも空になった方はいらっしゃいますか?」
俺たちが話していると、赤い髪の少女……エリスが声をかけてきた。
エリスはもともと、隣国のクローニアで働いていた騎士だ。《暗黒騎士》と呼ばれる、アリアにも負けない強力なS級天職を持っていたが、寿命を代償にするというデメリットを抱えていた。
そのせいで、強欲な貴族のもとで命が尽きる寸前までこき使われていたのだ。
そんな境遇が追放されたばかりの自分と重なり、俺はエリスに竜大陸への移住を提案した。以来、大事な仲間として一緒に暮らしている。
当初、同居は衰弱したエリスが回復するまでの予定だったのだが……本人の強い希望があり、デメリットの呪いが完治した今も一つ屋根の下なんだよな。
「まあ、エリスさん。そこまでしなくても私が洗うのに」
「いえいえ! 居候させてもらっている身ですから。これくらい当然です‼」
立ち上がって手伝おうとする母さんを前に、エリスが小さく手を振る。
出会った頃は暗い表情ばかり浮かべていたが、今は明るい笑顔で率先して家事を手伝ってくれる働き者だ。きっとこっちの方が、彼女の素なのだろう。
「あれ? ヒヨコさんが描かれたマグカップがいくつかありますね」
マグカップを回収していたエリスが、ふと首を傾げた。
「十年くらい前にレヴィンが描いてくれたんです。アリアも含めて、家族でお揃いなんですよ」
姉さんが答えると、エリスは目を見開いた。
「そうなんですか? 絵がお上手なんですね。可愛いです!」
「子どもの落書きだよ」
可愛いというよりはムスッとしていて、どこか愛想が悪いヒヨコばかりだ。
幼い頃に買った無地のマグカップに描き上げたもので、自慢できるような出来ではない。
「ちなみに私の分もある」
エルフィがドヤッとマグカップを見せびらかす。
「本当ですね‼ 家族でお揃いの小物を使うなんていいですね」
エリスは幼少期に母親を亡くし、実の父とは最近まで確執があったから、そういうものに憧れているのかもしれない。
羨ましそうな様子に、父さんが立ち上がった。
「そうだ。エリスさんも使うかい? 実はもう一個マグカップが……」
父さんが言っているのは、祖父母が生きていた時のものだ。一個はエルフィが使っているが、残りはエリスに使ってもらった方がいいかもしれない。
キッチンに向かった父さんがマグカップを持って戻ってくる。
そしてエリスに差し出すのだが……
――ピキッ。
古いマグカップだからか、取っ手の根元部分が折れてしまった。
「わわっ……⁉」
床に落ちる寸前で、慌ててエリスが受け止める。
「すまない、エリスさん! 怪我は⁉」
「だ、大丈夫です。全部割れてしまわなくてよかったです」
「とはいえ、申し訳ないな。今度新しいのを用意して……」
「いえいえ‼ お気持ちだけで十分です」
エリスが遠慮がちに手を振る。
「でも、エリスさんだけお揃いじゃないっていうのも寂しいじゃない?」
遠慮するエリスに対して、母さんは気が引けるといった様子だ。
「たとえ、形に残らなくても、私にマグカップを贈ろうとしてくれた事実が嬉しいです。皆さんの思いやりが、私にとって一番の贈り物です」
笑顔でそう言うと、エリスはマグカップを回収していく。
俺たちに迷惑をかけまいという、彼女なりの気遣いなのだろう。
しかし、母さんたちは、「それは寂しい」と納得していないようだ。
「アリアさんも飲み終えたみたいですし、洗っておきますね」
「あ……あ、は、はい……よろしくお願いします……あ、ありが……とうございます」
「どういたしまして」
挙動不審なアリアに、俺は眉を寄せた。
この一ヶ月、二人の様子をこっそり観察してきたが、どうやら懸念が当たりそうだ。
《神聖騎士》として働いていた頃、アリアは《暗黒騎士》のエリスを非情な作戦で追い詰めたことがある。それがわだかまりを作るのではないかと心配していたのだが……
エリスは気にしていないようだが、アリアは引きずっているみたいだ。
それから数時間後。相変わらず俺たち家族はリビングでダラダラと過ごしていた。
「エリス、これなんて読むの?」
「『和睦』ですよ。仲違いしていた二つの国が仲直りするといった意味です」
居眠りしているクリムゾンレオのルーイの背中を机代わりにして、エリスがエルフィと紙の束を広げてじっと読んでいた。
「和睦するのは、エルウィンとクローニア?」
「ええ、そうです。エルウィンにクローニアの使節団が到着したようですね。写真に写っているのが、クローニアの第一王女であるエリーゼ殿下です」
「写真……それは知ってる。神竜たちがいた頃にも使われていた」
写真とは、魔法で目の前の光景を一枚の絵に焼き付けて保存したものだ。
最近実用化されたばかりだと聞いていたけど、神竜たちも同じような技術を使っていたのか。
「新聞を読んでいるのか?」
ルーイの背中に広げられているのは、エルウィン王国で発行されている新聞だ。
きっと、地上に降りてどこかの町で買ってきたのだろう。
「はい。エルフィちゃんの知ってる文字と現代の文字は結構違うみたいなので、こうして教えてるんです」
「そっか。俺たちと同じ言葉を喋るから、気が回らなかったな。ありがとうな、エリス」
エリスはこうして、俺たちが気付かないようなところに、よく気を回してくれる。
前に都市に魔獣が侵入して、ちょっとした騒ぎになったが、その時も真っ先に討伐した。それ以来、日中は町とその近郊の見回りをしている。
「他にも私にできることがあればなんなりとお申し付けください‼」
エリスは両手で拳を作って、気合い全開といった様子だ。
「エリスは昼間も働いているし、そんなに気負わなくてもいいと思うけどな」
「気負っているわけじゃないですよ。それに末っ子だったので、妹ができたみたいで楽しいです」
エリスがエルフィの頭をそっと撫でる。
確かに、こうして見ると仲のいい姉妹みたいだ。
「私もエリスのようなお姉ちゃんがいて嬉しい。優しく教えてくれるし、ご飯のおかずも分けてくれるし……」
「エルフィちゃんは食べ盛りですからね。あ、でも甘いものはほどほどにですよ」
「うぅ……分かってる。虫歯は怖い」
そんな二人のやり取りを見守っていると、父さんたちが急に騒がしくなった。
「ま、待つんだ。エルフィちゃん、それならパパもおかずを半分、いや四分の三あげよう‼」
「はいはい! なら、私はお裁縫を教えてあげるわ」
「それなら、私は算数でしょうか? だから、私のこともお姉ちゃんと……」
まだ出会って日は浅いが、みんなエルフィを可愛がっている。
俺が彼女に「ママ」と呼ばれているのを聞き、自分のことを「パパ」とか「お姉ちゃん」とか呼ばせたいらしく、よくアピールをしている。
「そういえば、エリスにはお兄さんがいるんだっけ」
囲まれてしまったエルフィを横目に、俺は尋ねた。
父親のことはちらっと聞いたが、兄の話はほとんど知らない。
「ええ。歳の離れた兄が……」
なんてことない世間話のつもりだったけど、なんだかエリスの歯切れが悪い。
もしかして、あまり聞かれたくない話だったのか? 話題選びをミスッたかもしれない……
気まずい沈黙を破り、エリスが取り繕うように言う。
「えっと……その……兄は忙しい人でして! ここ数年、あまり話せていないのです。別に仲が悪いとかそういうことじゃないですよ‼」
「そうなのか、エリスさん。それは寂しいね」
「私なんて、数ヶ月レヴィンやアリアと話せないだけで、気を失いそうだったのよ」
いつの間にか両親が話に加わってきて、悩ましそうに唸っている。
「皆さんと暮らしている今は、あまり寂しくありません。ここでの生活はとても楽しいですし。それに、勝手にですけど……これが家族の団欒なのかな、なんて思ってて……」
エリスが顔を真っ赤にしてもじもじと呟いた。
「す、すみません。勝手なことを言って……その、こんなふうに家族みんな揃って過ごした経験がほとんどなくって……」
俺にとってはいつもの団欒でも、エリスには新鮮に映るのだろう。
「……まさか、そんなことを考えていたなんて。母さん、これはもう決まりだな」
「そうね、あなた……エリスさん、私たちを家族だと思っていいのよ」
「えっ?」
突然の提案にエリスが困惑する。
「さあ、まずは私のことをパパと呼――」
「コラ、それが本当の目的だな」
俺は暴走する父さんを窘める。
「だ、だって、レヴィンはすっかり『父さん』呼びだし……アリアは最近ようやく『グレアム様』じゃなくて、『お父さん』って呼んでくれるようになったけど……本当はパパって呼ばれたいんだ! 寂しいんだよぉ‼」
「レヴィンも昔は、ママ、ママと甘えていたのにね」
「昔の話だろ……今は恥ずかしいよ」
エルフィに迫っていたのは、それが理由か。
そんなやり取りをしていると、母さんが咳払いをした。
「半分は冗談として……エリスさん、あなたはここで一緒に暮らし、息子を支えてくれた人です。だから、私たちのことだって本当の家族のように頼ってくれていいのですよ」
「狭い家だが、いつまでもいていいからな」
「狭いは一言余計だよ、父さん。家主は一応、俺なんだから」
「皆さん……ありがとうございます! 不束者ですが、これからもよろしくお願いいたします」
エリスが深々と頭を下げる。
とはいえ、団欒の場が狭いというのは考えものだよな。
【建造】でできる【民家:小】は、都市の魔力と【回収】した資材を消費して作っている。
住民が多くなり、税金代わりの魔力徴収量が増えた今なら、より広い家を作れるはず。
「そろそろ大きい家を作ってみたい……いや、先に村のみんなの家が必要かな」
俺の家族に限らず、ルミール村の人たちは、俺を追放したドルカスに見切りをつけて、リントヴルムに引っ越した。その際、都市の管理機能で地上の家ごと【移住】したのだが……エクエス領は貧乏だったから、ほとんどの家がボロボロだ。
「うむ。神竜文明の不思議パワーで村から家を持ってきたのはいいが、みんな大変そうだしな」
「まずは村の皆さんに快適な暮らしをしていただかないと、領主の名折れですものね」
父さんとフィオナ姉さんの言う通りだ。
しかし、困ったことが一つある。
「問題は建築家だな。村大工のアレンさんは高齢で、設計を頼むのは難しい。私たちではちょっとした修理が関の山だ」
父さんの言葉に、俺は頷いた。
【建造】で家を作るのは簡単だ。だが、各家庭の要望を叶える家を建てるには、専門的な知識を持ち、正確な設計を行う必要がある。俺を信じてついてきてくれた村の人たちには、素人が考えた家以上に快適な暮らしを保証してあげたい。
建築家か……どこかにそんな人材がいればいいのだが。
◆ ◆ ◆
それから数日後のこと。
リントヴルムの背に客人がやってきた。
「レヴィン、大変なことが起きた……君の力を貸してくれぇええええええ!」
見事な土下座を披露するのは、エルウィンの国王となったゼクスだ。
ゼクスがいつでもリントヴルムの背に来られるようにと、一番懐いていたワイバーンを彼に贈ったのだが、早速やってくるとは。
「なんだか疲れているみたいだが、大丈夫か?」
眉間の皺がいつもの三割増しだ。苦悶の表情を見るに、どうやら王位を継いでからもストレスの連続らしい。
俺はゼクスを自宅に招き、話を聞くことにした。
「……不手際を明かすようで恥ずかしい話なのだが、父上が失踪した」
父上……先王のドルカスか。
彼は民の虐待という恐るべき犯罪に手を染めており、その罪を問われて王位を追われた。
処分が決まるまで、王城の地下牢に幽閉されていると聞いたが。
「現在、父上とドレイクが行っていた人体実験の規模と被害を調査している最中でな。父上にも同行してもらい、ラングラン領中の実験場を確認する手筈だったのだが、その道中で馬車ごと消えてしまったのだ」
「まさか脱走したのか?」
「監視役として大勢の兵がいた。父上には武の才能がないし、彼らを出し抜けるとは考えられない……ああああああああああああ! どうしてこんなことに……!」
ゼクスが頭を抱え、悶える。
相当疲れが溜まっているようだ。あとで労おう。
「実は、我が国にもクローニアにも、戦争の継続を望む者がいるんだ。彼らは和平交渉の場を乱して、会議を停滞させている。今回の父上の失踪にも関与しているのかもしれない……」
「なんだって……?」
両国とも、前の戦いで相当な被害を出している。
それを続けようなんて、とんでもない人間がいたものだ。
「このままでは折角の和平交渉が頓挫しかねない。ゆえに、一刻も早くトラブルを片付けたいと思っている。頼む……どうか力を貸してくれ‼」
「もちろんだ」
先の一件でアリアを解放できたのは、ゼクスの協力があったからだ。
今こそ、彼への恩を返そう。
俺はアリアと共に【竜化】したエルフィに跨がり、ラングラン領に降り立った。
付近の村で聞き込みをしたところ、各地で人が失踪していること、そして、森の中から消えた人の声がしたという噂があることが分かった。
情報をもとに森へ向かった俺たちは、手分けして周辺を捜索することにした。
ところが……
「一体ここはどこなんだ?」
俺は森の中で迷子になっていた。
「誰かに力を借りるか……」
【魔獣召喚】を唱えれば、契約している魔獣を瞬時に喚び出すことができる。
手分けしようと言った手前、かなり恥ずかしいけど仕方がない。
そう思った矢先、頭上でガサッという音がした。
見上げた瞬間、何かが木の上から落ちてきた。
「な、なんだ!?」
俺は咄嗟に腕を伸ばし、落下物を受け止める。
腰を落として衝撃に備えるが、想像していたよりずっと軽い。
木から降ってきたのは、赤い髪の女の子だった。
「エルフィより少し年上の子か? でも、これは……!」
少女は首輪を付けていた。粗末な衣装を身に纏い、服から覗く素肌には、おどろおどろしい黒い痣が浮かんでいる。
どうやら気を失っているみたいだ。介抱するため、俺は彼女を地面に横たえる。
すると突然、少女が叫び声を上げた。
「っ……ぁ……ああああああああああ‼」
叫びに呼応するように、全身の痣が赤く光る。
突然の出来事に動揺した俺は、その場で固まった。
「こ、こは……」
ほどなくして少女が正気に戻った。
痛みが引いたのか、落ち着いた様子だ。痣の変色もすっかり収まっている。
「私……落ちて……あなたは誰?」
「俺はレヴィン。森の中で道に迷っていたら、木の上から君が降ってきて……咄嗟に受け止めたんだ。怪我はないか? よかったら治療するよ」
「……この痣は大丈夫……助けてくれて、ありがとうございます」
フィルミィミィを喚ぼうとするのをやんわりと断ると、少女が身体を起こし、俺に会釈した。
俺は彼女のことが気になって、あれこれと尋ねる。
「君はなぜこんな場所にいるんだ? 近くの村の子なのか? ただごとではない様子だけど、一体どうしたんだ?」
付近の村々から、人が失踪しているという話だが、この子もそうなのかもしれない。
「私は……その……」
――ぐぅうううう。
少女が口籠った瞬間、腹の虫が盛大に鳴いた。
「っ……! あの……これは違くて……‼」
物静かで陰のある雰囲気の子だったが、顔を赤らめ、慌てて取り繕っている。
その必死な様子を見て、俺は思わず噴き出した。
「少し待っててくれ。ちょっとしたものならあるから」
いざという時のために、軽食を持ち歩いていて正解だった。
俺はバッグからサンドウィッチを取り出し、少女に差し出す。
いろいろと聞きたいことはあるが、まずは安心させてあげないと。
「どういうつもりなんですか……? 私にはそこまでしてもらう理由が……」
「人を助けるのに理由なんていらないよ。遠慮なく食べてくれ」
サンドウィッチの具材はチキンのステーキだ。
ソースにはセキレイ皇国で使われている調味料……醤油を使い、さっぱりした味に仕上げた。
「ありがとう……ございます……」
警戒していた少女だったが、空腹には勝てなかったのか受け取ってくれた。
「……美味しい。こんな味付け、初めてです」
「口に合ったようでなによりだ」
少女が夢中でサンドウィッチを食べ進める。
こうしていると、エルフィと一緒に国を追い出され、樹海を彷徨っていた頃を思い出すな。
「ごちそうさま……でした。こんなに美味しい料理を食べたの、本当に久しぶり……」
うっすらと少女の目端に涙が浮かんでいるように見える。
そこまで喜んでくれるとは思わなかった。
「改めて聞くけど、君はこの近くの村の子なのか?」
少女がふるふると首を横に振る。
「それじゃ、どこから来たんだ?」
俺の質問に、少女は黙ってしまった。
答えたくないというよりは、答えられないといった雰囲気だ。
「……君の事情は分からないけど、もし困ってるなら、俺のところに来ないか?」
痣だらけの肌、まるで囚人のような衣服、滅多に食事を味わえない環境……彼女を放っておくわけにはいかないだろう。
「ごめん……なさい……私が戻らないと、お母さんが……」
「お母さん?」
詳しい事情を尋ねようとした瞬間、獰猛な雄叫びと共に、牛頭の巨人が目の前に現れた。
「レイジングタウルス……!? どうしてこんなところに?」
筋骨隆々のたくましい身体、両の手に持った巨大な戦斧。
レイジングタウルスは、牛が突然変異した魔獣で、体内に膨大な魔力を蓄えている。
きわめて珍しい魔獣だ。少なくともこのあたりで目撃されたなんて聞いたことがない。
少女を背中にかばったものの、俺一人では逃がしてあげられない。ここはエルフィを喚んで……
「魔獣召――」
「今から見せるもの、誰にも言わないでください」
俺の呪文を遮って、少女が拳をぎゅっと握り、前に進み出た。
彼女の背を見て、俺は息を呑んだ。
「まさか……!?」
少女の背中から雄大な真紅の翼が生えていた。
羽毛に包まれたエルフィのそれとは異なり、爬虫類の鱗で覆われた翼だ。その姿を見てレイジングタウルスが一瞬、たじろぐ。
「君は神竜なのか?」
俺の呟きに振り返り、少女が悲しげな顔をした。
「あなたに危害は加えません。怖がってもいいけれど、今だけは信じてください」
そう言って、俺を抱えると大空へ羽ばたく。
獲物を逃したレイジングタウルスの咆哮を聞きながら、俺たちはその場から逃げ出した。
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