21 / 50
現在編3
1
しおりを挟む
築四十年のアパートの一室は、ところどころ傷みが出てきている。
そんな部屋を、僕は結構気に入っている。
死ぬまでここに住みたいと思っている。
ここは、約二十年前、僕が生まれ育った部屋なのだ。
ママと一緒に過ごした楽しい思い出がいっぱい詰まっている。
大切な思い出を壊したくないから、この部屋にはママ活で出会ったママたちを入れたことはなかった。
一方で、本物のママがこの部屋に帰ってくることもなくて、部屋で過ごすことが寂しくもあった。
ベッドでスマホを片手にうたた寝していると、足音が聞こえてきた。
階段を誰かが上る音が聞こえる度に、僕はじっと耳を澄ませてしまう。
足音は、僕の部屋の前で止まったみたいだった。
ママのはずがない。他のママもこの家を知らない。
友達だってあんまり招いていないし、一度だけ来たことがある竹内とは色々気まずい状況だ。
じゃあ誰がと考えて、思い浮かぶのは数人の男の顔だった。
子どもの僕を、ギリギリまで追い詰めた、高宮家の、三兄弟。
あの人たちとはしばらく顔を合わせていないけど、僕のことをいつまでも放置してくれないだろう。
自由が終わる瞬間が近付いているのを、僕は薄々感じていた。
「蓮」
高宮三兄弟の誰かだったらどうしようと、恐る恐るドアスコープを覗いた結果視界に入ったのはボロボロな姿の蓮だった。
「どうしたんだよ。こんな遅くに」
僕は急いで扉を開けた。蓮はぼうっと突っ立っているだけで、なにも答えない。
蓮になにがあったのかなんてだいたい予想がついていた。
蓮に僕が呼び出されることはしょっちゅうだけど、蓮から僕の元を訊ねることはあまりない。
蓮はボロアパートなんて生理的に無理といつも馬鹿にしていた。
でも今は、そんなことを気にしてはいられないのだろう。
蓮は高宮三兄弟の三男、父親の霞さんに暴力を振るわれた時だけ、僕の家にやってきた。
僕は蓮の手を引いて部屋の中に誘導した。
蓮はなんの抵抗もしない。
蓮をソファーに座らせて手当の準備をしようとしたら、急に抱きしめられた。
「……蓮?」
蓮は震えている。そして、たぶん泣いている。
頭を胸に押し付けられているから顔は見えないけど、ポタポタと涙が落ちてくるのがわかった。
蓮は嫌いだ。
大嫌いな男の血を引いているから。
蓮だって結局高宮家の人間で、これまで僕に嫌なことをいっぱいしてきた。
だけど、今でも霞さんに暴力を振るわれているのを、ざまぁみろなんて思えない。
大人になって、力をつけても、霞さんに敵わない蓮。
蓮の兄の響でさえ未だに霞さんの影に怯えている。
霞さんに対する恐怖心は、二人の深い所に植えつけられてしまっているのだ。
嫌いなはずの二人を、僕はどうにかして助けてやりたいと思ってしまう。
響や蓮よりもずっと弱い僕にはなんの力もないのに。
実際、霞さんの前に立ったら、動けなくなって、ただのサンドバッグになってしまうってわかっているのに。
なんでこんな気持ちになるのだろうと、不思議だった。
「……アンリ、俺は、坊ちゃんが苦手だ」
「今、どうしてあの子の話になるの?」
「苦手だけど、アンリと坊ちゃんとを選べって言われたら、坊ちゃんのほうを選んでしまうかもしれない」
「……なんで?」
「坊ちゃんが、親父を止めてくれたからだ。坊ちゃんなら、俺を救えるかもしれないんだ」
救われたい。
僕も、蓮も、響も、ずっと、ずっと、救われたかった。
昔の蓮は、救われたいから、僕を囮にして身を守った。
今は僕を利用できなくなり、死にたくなるような苦しみと恐怖の中で、あの子が蓮の光となったのか。
あの子には、僕にはない力がある。
わかっていたけど、比べられると嫌になる。
蓮はそんなことをわざわざ僕に伝えにきたのか。
ならばさっさとあの子を選び、あの子の元に行ってしまえばいいのに。
だけど、僕に縋り付いて泣く蓮を、突き放せるわけがなかった。
そんな部屋を、僕は結構気に入っている。
死ぬまでここに住みたいと思っている。
ここは、約二十年前、僕が生まれ育った部屋なのだ。
ママと一緒に過ごした楽しい思い出がいっぱい詰まっている。
大切な思い出を壊したくないから、この部屋にはママ活で出会ったママたちを入れたことはなかった。
一方で、本物のママがこの部屋に帰ってくることもなくて、部屋で過ごすことが寂しくもあった。
ベッドでスマホを片手にうたた寝していると、足音が聞こえてきた。
階段を誰かが上る音が聞こえる度に、僕はじっと耳を澄ませてしまう。
足音は、僕の部屋の前で止まったみたいだった。
ママのはずがない。他のママもこの家を知らない。
友達だってあんまり招いていないし、一度だけ来たことがある竹内とは色々気まずい状況だ。
じゃあ誰がと考えて、思い浮かぶのは数人の男の顔だった。
子どもの僕を、ギリギリまで追い詰めた、高宮家の、三兄弟。
あの人たちとはしばらく顔を合わせていないけど、僕のことをいつまでも放置してくれないだろう。
自由が終わる瞬間が近付いているのを、僕は薄々感じていた。
「蓮」
高宮三兄弟の誰かだったらどうしようと、恐る恐るドアスコープを覗いた結果視界に入ったのはボロボロな姿の蓮だった。
「どうしたんだよ。こんな遅くに」
僕は急いで扉を開けた。蓮はぼうっと突っ立っているだけで、なにも答えない。
蓮になにがあったのかなんてだいたい予想がついていた。
蓮に僕が呼び出されることはしょっちゅうだけど、蓮から僕の元を訊ねることはあまりない。
蓮はボロアパートなんて生理的に無理といつも馬鹿にしていた。
でも今は、そんなことを気にしてはいられないのだろう。
蓮は高宮三兄弟の三男、父親の霞さんに暴力を振るわれた時だけ、僕の家にやってきた。
僕は蓮の手を引いて部屋の中に誘導した。
蓮はなんの抵抗もしない。
蓮をソファーに座らせて手当の準備をしようとしたら、急に抱きしめられた。
「……蓮?」
蓮は震えている。そして、たぶん泣いている。
頭を胸に押し付けられているから顔は見えないけど、ポタポタと涙が落ちてくるのがわかった。
蓮は嫌いだ。
大嫌いな男の血を引いているから。
蓮だって結局高宮家の人間で、これまで僕に嫌なことをいっぱいしてきた。
だけど、今でも霞さんに暴力を振るわれているのを、ざまぁみろなんて思えない。
大人になって、力をつけても、霞さんに敵わない蓮。
蓮の兄の響でさえ未だに霞さんの影に怯えている。
霞さんに対する恐怖心は、二人の深い所に植えつけられてしまっているのだ。
嫌いなはずの二人を、僕はどうにかして助けてやりたいと思ってしまう。
響や蓮よりもずっと弱い僕にはなんの力もないのに。
実際、霞さんの前に立ったら、動けなくなって、ただのサンドバッグになってしまうってわかっているのに。
なんでこんな気持ちになるのだろうと、不思議だった。
「……アンリ、俺は、坊ちゃんが苦手だ」
「今、どうしてあの子の話になるの?」
「苦手だけど、アンリと坊ちゃんとを選べって言われたら、坊ちゃんのほうを選んでしまうかもしれない」
「……なんで?」
「坊ちゃんが、親父を止めてくれたからだ。坊ちゃんなら、俺を救えるかもしれないんだ」
救われたい。
僕も、蓮も、響も、ずっと、ずっと、救われたかった。
昔の蓮は、救われたいから、僕を囮にして身を守った。
今は僕を利用できなくなり、死にたくなるような苦しみと恐怖の中で、あの子が蓮の光となったのか。
あの子には、僕にはない力がある。
わかっていたけど、比べられると嫌になる。
蓮はそんなことをわざわざ僕に伝えにきたのか。
ならばさっさとあの子を選び、あの子の元に行ってしまえばいいのに。
だけど、僕に縋り付いて泣く蓮を、突き放せるわけがなかった。
0
お気に入りに追加
464
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
魔法学校の落ちこぼれ
梨香
ファンタジー
昔、偉大な魔法使いがいた。シラス王国の危機に突然現れて、強力な魔法で国を救った。アシュレイという青年は国王の懇願で十数年を首都で過ごしたが、忽然と姿を消した。数人の弟子が、残された魔法書を基にアシュレイ魔法学校を創立した。それから300年後、貧しい農村の少年フィンは、税金が払えず家を追い出されそうになる。フィンはアシュレイ魔法学校の入学試験の巡回が来るのを知る。「魔法学校に入学できたら、家族は家を追い出されない」魔法使いの素質のある子供を発掘しようと、マキシム王は魔法学校に入学した生徒の家族には免税特権を与えていたのだ。フィンは一か八かで受験する。ギリギリの成績で合格したフィンは「落ちこぼれ」と一部の貴族から馬鹿にされる。
しかし、何人か友人もできて、頑張って魔法学校で勉強に励む。
『落ちこぼれ』と馬鹿にされていたフィンの成長物語です。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる