犬も歩けば雨晴るる

葉野亜依

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第七話

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 隣の部屋から晴多の元気な声が聞こえて来た。僕は煮立った土鍋の火を止めた。
 部屋を覗き込めば、ぼんやりとした比嘉さんが体を起こしていた。そんな比嘉さんの顔を晴多がぺろぺろと舐めている。尻尾もぶんぶん振っていて、比嘉さんが目覚めて嬉しいことが窺えた。

「比嘉さん、気分はどうですか?」
「……ちょっと怠いけど大丈夫、です」

 目覚めたばかりなせいか、たどたどしいが比嘉さんはちゃんと答えた。良かったと胸を撫で下ろす。

「お粥作ったんですけど、食べられそうですか?」
「……食べます」

 鍋敷の上に土鍋を置く。比嘉さんがベッドから出て来て机の前に座った。
 蓋を開ければ、ふわりと湯気が立ち込める。比嘉さんにスプーンを渡した。

「はいどうぞ」
「いただきます」

 手を合わせて、比嘉さんがお粥をすくった。ふうふうと息を吹きかけて、口に含んだ。
 人に手料理を振る舞ったことなんてほとんどないため緊張する。
 ゆっくりと咀嚼するのをじっと見つめていれば、比嘉さんが「美味しいです」と呟いた。

「優しい味がしますね」
「優しい味ですか……?」

 ――塩と梅干ししか入っていないんだけど……?
 優しい味かどうかはよくわからないが、どんどん食べてもらえているため一安心した。

「あまり食欲がなかったら、残しても大丈夫ですよ?」
「いえ、食べます。気力と体力を使ったせいか何だかお腹がぺこぺこで」

 美味しそうに比嘉さんが食べているからから、晴多が口を開いて見ている。それを比嘉さんは「あげないよ」と一言告げた。しゅんとした様子で晴多の尻尾が項垂れたのに笑ってしまった。

「ごちそうさまでした」

 比嘉さんはお粥を綺麗に完食した。そのまま土鍋を片付けようとするのを慌てて制す。

「座っていてください」
「でも……」

 立ちあがろうとする比嘉さんの膝の上に晴多が乗った。大人しくしていろとその目が語っている……ように見える。もしくは、お粥を食べさせてもらえなかったからひねているのかもしれない。不貞腐れたようにぱたりと尻尾がその膝を叩いた。
 僕はさっと土鍋を片した。洗うのは後でいいやと水につけ置く。
 比嘉さんの前に座って顔を合わせれば、比嘉さんが頭を下げた。

「助けてくださってありがとうございました」
「僕は何もしていないですよ?悪霊をやっつけてくれたのは晴多ですし」
「でも、宇津保くんが名前を呼んでくれたから、何とか取り込まれずに済んだんです。元々、今日は体調があまり良くなくて……ちょっと油断してしまって……」

 取り憑かれると多かれ少なかれ体力が削られる。体調が悪い時なんて最悪だ。僕も経験上その辛さはよくわかる。霊に対しての免疫力も弱くなっている気がする。心に余裕が待てなくなって、その隙を狙われやすいのだ。

「前に体調が悪い時に霊に取り憑かれて晴多に追い払ってもらったんですけど、晴多の体当たりに耐えきれなくてそのまま気を失ってしまったことがあって……だから、晴多も躊躇したんだと思います」
「そうだったんですね。確かに晴多の体当たりは強烈ですもんね……。比嘉さんが寝ている間、晴多が伏せた状態で比嘉さんの上に乗っている時はどうしようかすっごく迷いました」
「ああ……偶にあるんですよね。多分、心配してくれてのことだとは思うんですけど……どいてって言ってもなかなかどいてくれなくて……」
「正直熱でうなされているか晴多が乗っているからうなされているかわからなかったです」
「いやー体毛を味わうのにはいいんですけどね……」

 二人で苦笑いを零す。晴多は「何?」と不思議そうに首を傾げた。

「あ、そうだ。晴多にご褒美の豆乳をあげてもいいですか?」
「どうぞ」

 お椀の中に豆乳を入れて晴多の目の前に置く。爛々と目を輝かせて待っている。その姿に本当に豆乳が好きなんだなぁと改めて思った。
 飲んでいいよ、と声を掛ければ、晴多はあっという間に豆乳を飲み干した。名残惜しいのかぺろりと口元を舌で舐めている。

「良かったね、晴多」

 比嘉さんが優しく目元を綻ばせて、晴多の首元を撫でる。その光景を見ていると心があたたかくなった。

「好きだなぁ……」

 気づいた時にはそう口にしていた。
 え、と声を発した比嘉さん。あ、と固まる僕。晴多の息遣いが妙に大きく聞こえる。

「え、えっと、変な意味ではなくてですね!?晴多を撫でる比嘉さんの優しい目が好きだなぁって思って……!」

 僕は慌てた。慌てるあまり自分が何を言っているのかよくわかっていない。
 顔が熱くて頭が回らない。何かを言おうとしても言葉が出て来ない。

「わたしも……」

 何とも言えない空気の中、ぽつりと比嘉さんが呟く。僕は口を閉じた。

「わたしも、宇津保くんが晴多と楽しそうに遊んでいるところとか、霊のお願いを聞いてあげるところとか、怯むことなく悪霊から助けてくれたところとか……そういう優しいところが好きです」

 目を見てはっきりと言われた。
 心臓がどきどきと五月蠅い。比嘉さんの顔が赤い。僕の顔も真っ赤に染まっていることだろう。
 言葉を発しようとしたその時、体に衝撃を受けた。
 慌てて起き上がれば、丸い青い瞳と目が合った。
 僕の体の上に晴多が乗っている。わたわたしている僕たちを見て何だか楽しそうだと思ったのかもしれない。晴多が「ぼくも仲間に入れて!」とぱたぱたと尻尾を振りながら体を押し付けて来る。
 僕はふっと笑みを零した。

「勿論、晴多のことも好きだよ」

 晴多の首元を撫でる。ふさふさしたこの感触が前よりも手に馴染む。
 そんな僕と晴多を見つめて、比嘉さんはまるで蕾が花開くように微笑んだ。
 その笑顔を見て、やっぱり好きだなぁと僕は思うのだった。
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