犬も歩けば雨晴るる

葉野亜依

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第五話

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 わたしたちが通れるように、当たり前のように宇津保くんは扉を開けてくれた。
 カランカランとドアベルの音が響き渡る。
 その音にぴくぴく耳を動かしながら、晴多も喫茶店の中に入って来た。
 普通だったら、犬が喫茶店に入るなんて許されないことだろう。ちょっと罪悪感に襲われるが、晴多だけ外で待たせる訳にもいかない。
 ――晴多は良い子なので許してください……!
 心の中で謝りつつも、席に座る。
 注文して暫くすると店員さんがケーキセットを持って来てくれた。
 宇津保くんはブレンドコーヒーとチーズケーキのセットを、わたしは紅茶とモンブランのセットだ。
 ポットからカップに紅茶を注いで、砂糖を入れてぐるぐるとかき混ぜる。一口飲んでわたしは話し出した。

「先程は助けていただきありがとうございました」
「いえいえ。ほんと、大したことはしていないので。僕も一緒に資料を探してもらいたかっただけですし。それに、晴多の方が活躍していたし」

 名前を呼ばれたからか隣の席に晴多が飛び乗って来た。その視線はケーキに釘付けだ。
 青い瞳をきらきらとさせて、口からは少し涎を垂らしている。
 それを真正面から見ていた宇津保くんが苦笑した。

「晴多には後で豆乳を買ってあげるから」

 宇津保くんがそう言えば、晴多はぶんぶんと尻尾を振ってわん、と一声鳴いた。

「晴多は立派なボディガードですね。晴多がやっつけてくれたので、正直言ってちょっとスカッとしました」
「そうなんです。霊とかああいう人たちから守ってくれるんですよ」

 晴多が褒められてわたしも嬉しくなった。自分が褒められているのがわかっているのか、晴多が誇らしげに胸を張った。
 わたしはフォークを置いて晴多を撫でてやる。晴多は気持ちよさそうに目を細めた。

「比嘉さんと晴多は本当に仲が良いですね」
「そう見えますか?」
「はい」

 仲が良い方だと自分でも思っていたが、第三者から改めて言われると喜びとちょっとした気恥ずかしさがあった。
 宇津保くんがチーズケーキを口に運ぶ。咀嚼して飲み込んだ後、訊ねて来た。

「比嘉さんと晴多はどうやって出会ったんですか?」
「雨が降った日に彷徨っていたところを保護したんです」
「そうだったんですね」
「痩せっぽっちで汚れていて、放っておけなかったんです」

 これ以上は重い話になる。
 ――でも、宇津保くんならちゃんと話を聞いてくれるかもしれない。
 誰にも話したことのない、晴多の話を気づいたら話していた。

「……白足袋の犬は縁起が悪いって聞いたことありますか?」
「いえ……」
「足先が白い犬は足袋を履いているように見えて、白い足袋は葬式に履くものだからそう言われているそうです」

 それと、と話を続ける。

「まろ眉の犬は四つ目に見えるから不吉というのもありますね。四つ目の犬は飼い主を食べるだとか飼い主が短命になるとも言われているそうです」

 白足袋に四つ目……それはどちらも晴多に当てはまる特徴だ。
 つぶらな青の瞳が窺うようにじっとこちらを見ている。

「晴多の元の飼い主の家が不幸に見舞われたそうです。それで、親戚の人が言ったんですって。『白足袋に四つ目なんて不吉だから処分した方が良い』って……」

 ただの迷信。でも、その時代と地域に根付いた考えを覆すのは難しい。
 もし今の時代だったら、他に貰い手がいないか探すこともあるのだろうけれど。
 ぽつりと、宇津保くんは言葉を零す。

「そんな理由で……?」
「はい。そんな理由で、です。その姿で生まれてしまったのは晴多のせいでもないのに」

 好きでそんな風に生まれた訳じゃない。
 わたしだってそうだ。好きで霊が視える体質に生まれた訳じゃない。
 自分じゃどうしようもないことで排除される。わたしはそのことに同感して、同調してしまった。
 他人の都合で自分の人生を好き勝手されたくはない。
 宇津保くんがフォークを持つ手にぐっと力を入れた。きっと、理不尽さに怒っているのだろう。

「だから、この子はわたしが幸せにするって決めたんです」

 擦り寄って来た晴多の首元を撫でる。
 彷徨って、わたしと出会ってくれた。その縁を大切にしたい。
 汚れていた体を洗って、買って来たブラシでその毛をといてあげた。間違えるほど綺麗になって、その毛並みがふさふさしていたことを知った。
 犬が何を食べるか調べて、健康に良いからと買っておいた豆乳をあげたら、その豆乳が気に入ったようで、好きなものを知れて嬉しかった。
 新しい名前が欲しいと言ったからあげた。
 できるだけ好きに過ごさせてあげたい。好きなことをさせてあげたい。
 幸せな時を一緒に過ごしたい。
 そう思って、わたしは晴多と一緒にいる。少しでも、わたしといてくれる晴多が幸せだと感じてくれていたら良いなと思っている。

「晴多は幸せだと思いますよ」

 宇津保くんがわたしと晴多を見つめながらそっと言ってくれた。その目はとても優しげだ。

「……なんか、言わせちゃったみたいでごめんなさい」
「いえいえ。本当のことですよ。なあ、晴多?」

 宇津保くんの声に頷くように晴多が吠えた。ほんと、空気の読める良い子である。
 宇津保くんは晴多のことを褒めてくれて、晴多のことで怒ってくれて、わたしたちを気遣ってくれる。とても優しい人だと思う。そんな彼のことが――
 ――彼のことが……?
 続く言葉に首を傾げる。わたしは、今、何を……。

「……比嘉さん?どうかしたんですか?」
「いっ、いえ、ケーキ美味しいなって思って!」
「そうですね。こっちのケーキも美味しいですよ。一口食べてみますか?」
「……ええっ!?」

 思わず大きな声が出た。
 宇津保くんも目を見開いてびっくりしている。次いで、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません。冗談が過ぎました……」
「そうですよね冗談ですよね……」

 ――は、恥ずかしい……。
 わたしは誤魔化すように紅茶を口に含んだ。顔が熱いのは、あたたかい紅茶を飲んだから、ということにしておいてほしい。
 何とも言えない空気がわたしたちの間を漂っている。
 そんなわたしたちを見て、不思議そうに晴多が首を傾げた。
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