犬も歩けば雨晴るる

葉野亜依

文字の大きさ
上 下
5 / 7

第五話

しおりを挟む
 わたしたちが通れるように、当たり前のように宇津保くんは扉を開けてくれた。
 カランカランとドアベルの音が響き渡る。
 その音にぴくぴく耳を動かしながら、晴多も喫茶店の中に入って来た。
 普通だったら、犬が喫茶店に入るなんて許されないことだろう。ちょっと罪悪感に襲われるが、晴多だけ外で待たせる訳にもいかない。
 ――晴多は良い子なので許してください……!
 心の中で謝りつつも、席に座る。
 注文して暫くすると店員さんがケーキセットを持って来てくれた。
 宇津保くんはブレンドコーヒーとチーズケーキのセットを、わたしは紅茶とモンブランのセットだ。
 ポットからカップに紅茶を注いで、砂糖を入れてぐるぐるとかき混ぜる。一口飲んでわたしは話し出した。

「先程は助けていただきありがとうございました」
「いえいえ。ほんと、大したことはしていないので。僕も一緒に資料を探してもらいたかっただけですし。それに、晴多の方が活躍していたし」

 名前を呼ばれたからか隣の席に晴多が飛び乗って来た。その視線はケーキに釘付けだ。
 青い瞳をきらきらとさせて、口からは少し涎を垂らしている。
 それを真正面から見ていた宇津保くんが苦笑した。

「晴多には後で豆乳を買ってあげるから」

 宇津保くんがそう言えば、晴多はぶんぶんと尻尾を振ってわん、と一声鳴いた。

「晴多は立派なボディガードですね。晴多がやっつけてくれたので、正直言ってちょっとスカッとしました」
「そうなんです。霊とかああいう人たちから守ってくれるんですよ」

 晴多が褒められてわたしも嬉しくなった。自分が褒められているのがわかっているのか、晴多が誇らしげに胸を張った。
 わたしはフォークを置いて晴多を撫でてやる。晴多は気持ちよさそうに目を細めた。

「比嘉さんと晴多は本当に仲が良いですね」
「そう見えますか?」
「はい」

 仲が良い方だと自分でも思っていたが、第三者から改めて言われると喜びとちょっとした気恥ずかしさがあった。
 宇津保くんがチーズケーキを口に運ぶ。咀嚼して飲み込んだ後、訊ねて来た。

「比嘉さんと晴多はどうやって出会ったんですか?」
「雨が降った日に彷徨っていたところを保護したんです」
「そうだったんですね」
「痩せっぽっちで汚れていて、放っておけなかったんです」

 これ以上は重い話になる。
 ――でも、宇津保くんならちゃんと話を聞いてくれるかもしれない。
 誰にも話したことのない、晴多の話を気づいたら話していた。

「……白足袋の犬は縁起が悪いって聞いたことありますか?」
「いえ……」
「足先が白い犬は足袋を履いているように見えて、白い足袋は葬式に履くものだからそう言われているそうです」

 それと、と話を続ける。

「まろ眉の犬は四つ目に見えるから不吉というのもありますね。四つ目の犬は飼い主を食べるだとか飼い主が短命になるとも言われているそうです」

 白足袋に四つ目……それはどちらも晴多に当てはまる特徴だ。
 つぶらな青の瞳が窺うようにじっとこちらを見ている。

「晴多の元の飼い主の家が不幸に見舞われたそうです。それで、親戚の人が言ったんですって。『白足袋に四つ目なんて不吉だから処分した方が良い』って……」

 ただの迷信。でも、その時代と地域に根付いた考えを覆すのは難しい。
 もし今の時代だったら、他に貰い手がいないか探すこともあるのだろうけれど。
 ぽつりと、宇津保くんは言葉を零す。

「そんな理由で……?」
「はい。そんな理由で、です。その姿で生まれてしまったのは晴多のせいでもないのに」

 好きでそんな風に生まれた訳じゃない。
 わたしだってそうだ。好きで霊が視える体質に生まれた訳じゃない。
 自分じゃどうしようもないことで排除される。わたしはそのことに同感して、同調してしまった。
 他人の都合で自分の人生を好き勝手されたくはない。
 宇津保くんがフォークを持つ手にぐっと力を入れた。きっと、理不尽さに怒っているのだろう。

「だから、この子はわたしが幸せにするって決めたんです」

 擦り寄って来た晴多の首元を撫でる。
 彷徨って、わたしと出会ってくれた。その縁を大切にしたい。
 汚れていた体を洗って、買って来たブラシでその毛をといてあげた。間違えるほど綺麗になって、その毛並みがふさふさしていたことを知った。
 犬が何を食べるか調べて、健康に良いからと買っておいた豆乳をあげたら、その豆乳が気に入ったようで、好きなものを知れて嬉しかった。
 新しい名前が欲しいと言ったからあげた。
 できるだけ好きに過ごさせてあげたい。好きなことをさせてあげたい。
 幸せな時を一緒に過ごしたい。
 そう思って、わたしは晴多と一緒にいる。少しでも、わたしといてくれる晴多が幸せだと感じてくれていたら良いなと思っている。

「晴多は幸せだと思いますよ」

 宇津保くんがわたしと晴多を見つめながらそっと言ってくれた。その目はとても優しげだ。

「……なんか、言わせちゃったみたいでごめんなさい」
「いえいえ。本当のことですよ。なあ、晴多?」

 宇津保くんの声に頷くように晴多が吠えた。ほんと、空気の読める良い子である。
 宇津保くんは晴多のことを褒めてくれて、晴多のことで怒ってくれて、わたしたちを気遣ってくれる。とても優しい人だと思う。そんな彼のことが――
 ――彼のことが……?
 続く言葉に首を傾げる。わたしは、今、何を……。

「……比嘉さん?どうかしたんですか?」
「いっ、いえ、ケーキ美味しいなって思って!」
「そうですね。こっちのケーキも美味しいですよ。一口食べてみますか?」
「……ええっ!?」

 思わず大きな声が出た。
 宇津保くんも目を見開いてびっくりしている。次いで、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません。冗談が過ぎました……」
「そうですよね冗談ですよね……」

 ――は、恥ずかしい……。
 わたしは誤魔化すように紅茶を口に含んだ。顔が熱いのは、あたたかい紅茶を飲んだから、ということにしておいてほしい。
 何とも言えない空気がわたしたちの間を漂っている。
 そんなわたしたちを見て、不思議そうに晴多が首を傾げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

スパイスカレー洋燈堂 ~裏路地と兎と錆びた階段~

桜あげは
ライト文芸
入社早々に躓く気弱な新入社員の楓は、偶然訪れた店でおいしいカレーに心を奪われる。 彼女のカレー好きに目をつけた店主のお兄さんに「ここで働かない?」と勧誘され、アルバイトとして働き始めることに。 新たな人との出会いや、新たなカレーとの出会い。 一度挫折した楓は再び立ち上がり、様々なことをゆっくり学んでいく。 錆びた階段の先にあるカレー店で、のんびりスパイスライフ。 第3回ライト文芸大賞奨励賞いただきました。ありがとうございます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

小さなパン屋の恋物語

あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。 毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。 一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。 いつもの日常。 いつものルーチンワーク。 ◆小さなパン屋minamiのオーナー◆ 南部琴葉(ナンブコトハ) 25 早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。 自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。 この先もずっと仕事人間なんだろう。 別にそれで構わない。 そんな風に思っていた。 ◆早瀬設計事務所 副社長◆ 早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27 二人の出会いはたったひとつのパンだった。 ********** 作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

【完結】現世の魔法があるところ 〜京都市北区のカフェと魔女。私の世界が解ける音〜

tanakan
ライト文芸
 これは私、秋葉 琴音(あきは ことね)が現世で自分の魔法を探す物語である。 現世の魔法は夢物語の話ではない。ただ夢を叶えるための魔法なのだ。  京都市に住まう知らなければ見えない精霊たちや魔法使い、小さな小さな北区のカフェの一角で、私は自分の魔法を探すことになる。  高校二年生の冬に学校に行くことを諦めた。悪いことは重なるもので、ある日の夜に私は人の言葉を話す猫の集会に巻き込まれ気を失った。  気がついた時にはとある京都市北区のカフェにいた。 そして私はミーナ・フォーゲルと出会ったのだ。現世に生きる魔女である彼女と・・・出会えた。 これは私が魔法と出会った物語。そして自分と向き合うための物語。

『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと -   

設樂理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡ やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡ ――――― まただ、胸が締め付けられるような・・ そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ――――― ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。 絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、 遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、 わたしにだけ意地悪で・・なのに、 気がつけば、一番近くにいたYO。 幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい           ◇ ◇ ◇ ◇ 💛画像はAI生成画像 自作

日本酒バー「はなやぎ」のおみちびき

山いい奈
ライト文芸
★お知らせ いつもありがとうございます。 当作品、3月末にて非公開にさせていただきます。再公開の日時は未定です。 ご迷惑をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 小柳世都が切り盛りする大阪の日本酒バー「はなやぎ」。 世都はときおり、サービスでタロットカードでお客さまを占い、悩みを聞いたり、ほんの少し背中を押したりする。 恋愛体質のお客さま、未来の姑と巧く行かないお客さま、辞令が出て転職を悩むお客さま、などなど。 店員の坂道龍平、そしてご常連の高階さんに見守られ、世都は今日も奮闘する。 世都と龍平の関係は。 高階さんの思惑は。 そして家族とは。 優しく、暖かく、そして少し切ない物語。

希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~

白い黒猫
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】。 国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街はパワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。 その商店街にあるJazzBar『黒猫』にバイトすることになった小野大輔。優しいマスターとママ、シッカリしたマネージャーのいる職場は楽しく快適。しかし……何か色々不思議な場所だった。~透明人間の憂鬱~と同じ店が舞台のお話です。 ※ 鏡野ゆうさんの『政治家の嫁は秘書様』に出てくる商店街が物語を飛び出し、仲良し作家さんの活動スポットとなってしまいました。その為に商店街には他の作家さんが書かれたキャラクターが生活しており、この物語においても様々な形で登場しています。鏡野ゆうさん及び、登場する作家さんの許可を得て創作させて頂いております。 コラボ作品はコチラとなっております。 【政治家の嫁は秘書様】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 【希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々 】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/188152339 【日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 【希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~】  https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ 【希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376  【Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/813152283

処理中です...