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第十五話 夏の終わり(一)
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紐を解いてスケッチブックを開く。そこには家や庭、神社などの風景画だけでなく、ここへ来てから出会った様々な奇怪なモノたち――所謂あやかしたちも描かれていた。
「いろんなことがあったなぁ……」
ページをめくりながら、この家に来てからの出来事を思い出す。どれも奇怪な話で。でも、どれも本当の話だ。しょうもないことばかりだったけれど、ぼくにとってはとても大切な思い出だ。
「にきちゃん。つゆりちゃんたちが来たよ」
「あ、はーい」
ばあちゃんに呼ばれて、持っていたスケッチブックを置いて部屋を出る。
ぼくの足の怪我もすっかりと完治した今日。ばあちゃんの家に滞在する最後の夜を迎えていた。
つゆりさんとつゆりさんのお父さんを呼んで、皆で一緒に夕食を食べることになっていた。
父さんがこっちに来てから知ったことなのだが、なんと、父さんとつゆりさんのお父さんは親友だったらしい。二人で酒を交わし、まるで学生時代に戻ったかのようにあれやこれやと懐かしそうに、楽しそうに話していた。
「そうかぁ、あいつの倅だったのか……。だが、つゆりに手を出したら許さねぇからな」
「は、はあ……」
最初の言葉は明るい声で。そして、最後の言葉はそれはそれはドスの効いた低い声で。酒の力も相俟って、つゆりさんのお父さんに言われた言葉は……いや、つゆりさんのお父さんはそれはもう恐ろしかった。
けれど、その印象はがらりと変わった。いや、変わってはいないけれど、別の一面も見てしまったというか何というか……。
食事会に呼ばれたのは二人だけではなく、管狐や河童もいた。そして、この家に棲みついている小鬼たちも加わって、彼らも食事を楽しんでいた。
あやかしたち用に別に用意しておいた食事はあっという間になくなった。
相変わらず食べるの速いなあいつら、と思っていた矢先、つゆりさんのお父さんが突然叫んだのだ。
「い、一瞬のうちにして食事がなくなった、だと……!?一体どれだけのあやかしがいるんだこの家は!」
その声は震えていた。でも、決して怒っているからじゃなくて、どちらかと言えば恐怖故の震えのような……。
「あんたは相変わらずやねぇ」
「まあまあ、酒でも飲んで落ち着けよ」
ばあちゃんが呆れたように溜息をつき、父さんがつゆりさんのお父さんを宥める。
何だ何だと目をぱちぱちと瞬かせているぼくに、こっそりとつゆりさんが耳打ちしてくれた。
「私の父……クダたちやあやかしたちのことは視えていなくても一応認めてくれてはいんです。ですが、実は幽霊とかあやかしとかそういうモノが大の苦手なんです」
「へ、へー」
父さんが言っていた、奇怪なことが大の苦手な友だちってもしかして、いや、もしかしなくても……。
大人になってもやっぱり苦手なモノってあるんだなぁ。
酒を仰ぐ大人たちを見て、ぼんやりとそんなことを考えた。
居間から大きな笑い声が聞こえてくる。
酒が入った大人たちの会話にはついて行けず、ぼくとつゆりさんは二人して縁側に逃げてきた。
ぼくはぼうっと庭を眺めていて、つゆりさんはじっと下を向いていた。お互いに何も話さない状態がずっと続いている。
不意に口を開いたのはつゆりさんの方だった。
「明日、帰っちゃうんですよね……」
「う、うん……」
そして、訪れたるは沈黙。
ああもう、一体何を話せばいいのかわからない。
内心で頭を抱えていたその時、コツンと頭に何かが当たった。
「うわっ!?」
「ど、どうしたんですか?」
「いや、何かが頭に当たって……」
きょろきょろと辺りを見回してみると、近くに小石が落ちていた。
え、何でこんなものがと二人して見ていると、「若ー!」「にきー!」と庭の方から声を掛けられた。
そちらを見てみれば、こっちへ来いと手招きしている河童や小鬼たちがいた。
お腹がいっぱいになったから寝る、と言って筒の中で眠っていたはずの管狐の姿もそこにはあった。つゆりさんも気づいていなかったようで、「あれ、いつの間に……」と驚きを含んだ声がぼくの隣から聞こえてきた。
奴らは何故か各々懐中電灯を手に持っていた。
懐中電灯の光によってぼんやりと照らされているその姿は、いつにも増して不気味さが醸し出されている。
全く、一体その懐中電灯何処から持ってきたんだよ……。取り敢えず、不気味だから今すぐやめていただきたいのだが。
「何か呼ばれているからちょっと行ってくるね」
「は、はい」
つゆりさんに断りを入れ、サンダルを足に引っ掛けて彼らのいる方へと向かう。
「何か用か?というか、その懐中電灯何処から持ってきたんだよ」
「そこら辺からちょっと拝借してきた。それはそうと、全く、キミは何やってんの!」
「はい?」
開口一番に管狐に駄目出しを食らった。いやいや、訳がわからないんですけど。
首を傾げれば「あ、ダメだこいつ」みたいな視線を送られて更に訳がわからなかった。
「何だよ。用がないなら戻るぞ」
「戻ってどうするってのさ。さっきからろくにつゆりと話せてないくせにー」
「んぐっ」
痛いところを突かれてしまった。押し黙るぼくに管狐が話を続ける。
「という訳で、さっさとつゆりに告白してきなよ」
「……はいっ?」
突拍子もない話にぼくは思わず素っ頓狂な声を上げた。
一体何を言ってるんだこいつは!
驚きのあまり固まっていると、ぽんと背中を叩かれる。振り向けばそこには河童がいた。
「そうっすよ若!今が告るチャンスっす。今言わないんでいつ言うんすか!」
「そうだよ、言っちゃいなよ」
「言っちゃえー!」
「言っちゃえー!」
ぐっと拳を握りしめ力強く語る河童とにやにやといやらしく笑いながら面白そうに促す管狐。その後に小鬼たちが続く。おまけにがさがさと、まるでぼくを励ますかのように庭の木々や草花が騒めいた。
「……ああもうわかったよ!」
やいのやいのと騒がしくなるあやかしたちを蹴散らして、ぼくはつゆりさんの元へと向かった。「おお、行ったー!」と後ろからそれはもう楽しそうな歓声が聞こえてきたが気にしない。気にしたら負けだ。
黙々と歩いて、ぼくはつゆりさんの隣に腰を下ろした。
「何のご用だったんですか?」
「え?ああ、いや、うん……」
訊かれて咄嗟に顔を下に逸らす。床の木目が視界に入った。
……ああ、そういえば、つゆりさんと最初に出会ったのはこの縁側だったっけ。
そんな現実逃避をしていると、視界の片隅で何かが動いた。何かとは言わずもがな。小石を投げようとしているあやかしたちが先程よりも近くにいた。
……ああもう!
「あ、あの!つゆりさんに言いたいことがあって……」
「はい、何でしょうか?」
じっと見つめられて言葉が詰まる。顔が熱くて熱くて仕方がない。
熱を逃すためにも、落ち着くためにも、深く息を吸って吐いた。そして、覚悟を決め、思い切って顔を上げる。
ぼくは真っ直ぐとつゆりさんを見つめる。そして、勇気を振り絞って告げた。
「ま、また来るから!電話もするから!」
顔を真っ赤にしながら言えたのはただそれだけだった。
訪れたるはまたしても沈黙。何とも言えない空気が辺りを漂っている。
「ああー、何やってるんすかー」
「ヘタレだなー」
呆れたと言わんばかりに何やらぐちぐちと言っている声が聞こえてくる。突っ込みたい衝動に駆られたが今は無視だ無視。
向こうのことよりも今はこっちの方が大事なのだから。
ぼくの視線はじっと目の前の少女に向けられていて、ぼくはただただ彼女の反応を窺っていた。
つゆりさんはきょとんとした様子で目を瞬かせていた。だが、次第にその目は潤んでいき、ついにはぽろりと雫が溢れ落ちた。
「え、ちょ、つゆりさん?何で泣いているの?」
「う、嬉しくてつい……」
「泣くほどのこと?」
「うー……」
「あー、腫れるから擦っちゃ駄目だよ」
「うわー、泣かせたー」
「泣かせたー」
「五月蝿いぞお前たち!」
慌てふためくぼくに、小鬼たちが野次を飛ばす。遂に耐えられなくなって怒鳴れば、「ひゃー怒ったー」「ひゃー怒ったー」と奴らはきゃっきゃきゃっきゃと笑いながら逃げ去った。
全く、と溜息をつき、つゆりさんへと向き直る。
必死で泣きやもうとしているつゆりさんを見て、「そういえば、前にもこんなやり取りをしたなぁ」と回想して一人で苦笑した。
そんなことを考えていると、ぽつりとつゆりさんが言葉を漏らした。
飛ばしていた意識を再度彼女へと戻す。
「……手紙」
「え?」
「電話だと父に切られてしまう可能性があるので、その……にきくんに手紙書いてもいいですか?」
「……もちろん」
少し目を腫らしながらもしっかりと紡がれた言葉に力強く頷けば、彼女はまるで蕾が綻ぶように微笑んだ。
……ああ、今はこの笑顔だけで十分だ。
嬉しそうに笑うつゆりさんにぼくも笑い返す。
ぼくたちの関係は、取り敢えずはここまでだ。
「いろんなことがあったなぁ……」
ページをめくりながら、この家に来てからの出来事を思い出す。どれも奇怪な話で。でも、どれも本当の話だ。しょうもないことばかりだったけれど、ぼくにとってはとても大切な思い出だ。
「にきちゃん。つゆりちゃんたちが来たよ」
「あ、はーい」
ばあちゃんに呼ばれて、持っていたスケッチブックを置いて部屋を出る。
ぼくの足の怪我もすっかりと完治した今日。ばあちゃんの家に滞在する最後の夜を迎えていた。
つゆりさんとつゆりさんのお父さんを呼んで、皆で一緒に夕食を食べることになっていた。
父さんがこっちに来てから知ったことなのだが、なんと、父さんとつゆりさんのお父さんは親友だったらしい。二人で酒を交わし、まるで学生時代に戻ったかのようにあれやこれやと懐かしそうに、楽しそうに話していた。
「そうかぁ、あいつの倅だったのか……。だが、つゆりに手を出したら許さねぇからな」
「は、はあ……」
最初の言葉は明るい声で。そして、最後の言葉はそれはそれはドスの効いた低い声で。酒の力も相俟って、つゆりさんのお父さんに言われた言葉は……いや、つゆりさんのお父さんはそれはもう恐ろしかった。
けれど、その印象はがらりと変わった。いや、変わってはいないけれど、別の一面も見てしまったというか何というか……。
食事会に呼ばれたのは二人だけではなく、管狐や河童もいた。そして、この家に棲みついている小鬼たちも加わって、彼らも食事を楽しんでいた。
あやかしたち用に別に用意しておいた食事はあっという間になくなった。
相変わらず食べるの速いなあいつら、と思っていた矢先、つゆりさんのお父さんが突然叫んだのだ。
「い、一瞬のうちにして食事がなくなった、だと……!?一体どれだけのあやかしがいるんだこの家は!」
その声は震えていた。でも、決して怒っているからじゃなくて、どちらかと言えば恐怖故の震えのような……。
「あんたは相変わらずやねぇ」
「まあまあ、酒でも飲んで落ち着けよ」
ばあちゃんが呆れたように溜息をつき、父さんがつゆりさんのお父さんを宥める。
何だ何だと目をぱちぱちと瞬かせているぼくに、こっそりとつゆりさんが耳打ちしてくれた。
「私の父……クダたちやあやかしたちのことは視えていなくても一応認めてくれてはいんです。ですが、実は幽霊とかあやかしとかそういうモノが大の苦手なんです」
「へ、へー」
父さんが言っていた、奇怪なことが大の苦手な友だちってもしかして、いや、もしかしなくても……。
大人になってもやっぱり苦手なモノってあるんだなぁ。
酒を仰ぐ大人たちを見て、ぼんやりとそんなことを考えた。
居間から大きな笑い声が聞こえてくる。
酒が入った大人たちの会話にはついて行けず、ぼくとつゆりさんは二人して縁側に逃げてきた。
ぼくはぼうっと庭を眺めていて、つゆりさんはじっと下を向いていた。お互いに何も話さない状態がずっと続いている。
不意に口を開いたのはつゆりさんの方だった。
「明日、帰っちゃうんですよね……」
「う、うん……」
そして、訪れたるは沈黙。
ああもう、一体何を話せばいいのかわからない。
内心で頭を抱えていたその時、コツンと頭に何かが当たった。
「うわっ!?」
「ど、どうしたんですか?」
「いや、何かが頭に当たって……」
きょろきょろと辺りを見回してみると、近くに小石が落ちていた。
え、何でこんなものがと二人して見ていると、「若ー!」「にきー!」と庭の方から声を掛けられた。
そちらを見てみれば、こっちへ来いと手招きしている河童や小鬼たちがいた。
お腹がいっぱいになったから寝る、と言って筒の中で眠っていたはずの管狐の姿もそこにはあった。つゆりさんも気づいていなかったようで、「あれ、いつの間に……」と驚きを含んだ声がぼくの隣から聞こえてきた。
奴らは何故か各々懐中電灯を手に持っていた。
懐中電灯の光によってぼんやりと照らされているその姿は、いつにも増して不気味さが醸し出されている。
全く、一体その懐中電灯何処から持ってきたんだよ……。取り敢えず、不気味だから今すぐやめていただきたいのだが。
「何か呼ばれているからちょっと行ってくるね」
「は、はい」
つゆりさんに断りを入れ、サンダルを足に引っ掛けて彼らのいる方へと向かう。
「何か用か?というか、その懐中電灯何処から持ってきたんだよ」
「そこら辺からちょっと拝借してきた。それはそうと、全く、キミは何やってんの!」
「はい?」
開口一番に管狐に駄目出しを食らった。いやいや、訳がわからないんですけど。
首を傾げれば「あ、ダメだこいつ」みたいな視線を送られて更に訳がわからなかった。
「何だよ。用がないなら戻るぞ」
「戻ってどうするってのさ。さっきからろくにつゆりと話せてないくせにー」
「んぐっ」
痛いところを突かれてしまった。押し黙るぼくに管狐が話を続ける。
「という訳で、さっさとつゆりに告白してきなよ」
「……はいっ?」
突拍子もない話にぼくは思わず素っ頓狂な声を上げた。
一体何を言ってるんだこいつは!
驚きのあまり固まっていると、ぽんと背中を叩かれる。振り向けばそこには河童がいた。
「そうっすよ若!今が告るチャンスっす。今言わないんでいつ言うんすか!」
「そうだよ、言っちゃいなよ」
「言っちゃえー!」
「言っちゃえー!」
ぐっと拳を握りしめ力強く語る河童とにやにやといやらしく笑いながら面白そうに促す管狐。その後に小鬼たちが続く。おまけにがさがさと、まるでぼくを励ますかのように庭の木々や草花が騒めいた。
「……ああもうわかったよ!」
やいのやいのと騒がしくなるあやかしたちを蹴散らして、ぼくはつゆりさんの元へと向かった。「おお、行ったー!」と後ろからそれはもう楽しそうな歓声が聞こえてきたが気にしない。気にしたら負けだ。
黙々と歩いて、ぼくはつゆりさんの隣に腰を下ろした。
「何のご用だったんですか?」
「え?ああ、いや、うん……」
訊かれて咄嗟に顔を下に逸らす。床の木目が視界に入った。
……ああ、そういえば、つゆりさんと最初に出会ったのはこの縁側だったっけ。
そんな現実逃避をしていると、視界の片隅で何かが動いた。何かとは言わずもがな。小石を投げようとしているあやかしたちが先程よりも近くにいた。
……ああもう!
「あ、あの!つゆりさんに言いたいことがあって……」
「はい、何でしょうか?」
じっと見つめられて言葉が詰まる。顔が熱くて熱くて仕方がない。
熱を逃すためにも、落ち着くためにも、深く息を吸って吐いた。そして、覚悟を決め、思い切って顔を上げる。
ぼくは真っ直ぐとつゆりさんを見つめる。そして、勇気を振り絞って告げた。
「ま、また来るから!電話もするから!」
顔を真っ赤にしながら言えたのはただそれだけだった。
訪れたるはまたしても沈黙。何とも言えない空気が辺りを漂っている。
「ああー、何やってるんすかー」
「ヘタレだなー」
呆れたと言わんばかりに何やらぐちぐちと言っている声が聞こえてくる。突っ込みたい衝動に駆られたが今は無視だ無視。
向こうのことよりも今はこっちの方が大事なのだから。
ぼくの視線はじっと目の前の少女に向けられていて、ぼくはただただ彼女の反応を窺っていた。
つゆりさんはきょとんとした様子で目を瞬かせていた。だが、次第にその目は潤んでいき、ついにはぽろりと雫が溢れ落ちた。
「え、ちょ、つゆりさん?何で泣いているの?」
「う、嬉しくてつい……」
「泣くほどのこと?」
「うー……」
「あー、腫れるから擦っちゃ駄目だよ」
「うわー、泣かせたー」
「泣かせたー」
「五月蝿いぞお前たち!」
慌てふためくぼくに、小鬼たちが野次を飛ばす。遂に耐えられなくなって怒鳴れば、「ひゃー怒ったー」「ひゃー怒ったー」と奴らはきゃっきゃきゃっきゃと笑いながら逃げ去った。
全く、と溜息をつき、つゆりさんへと向き直る。
必死で泣きやもうとしているつゆりさんを見て、「そういえば、前にもこんなやり取りをしたなぁ」と回想して一人で苦笑した。
そんなことを考えていると、ぽつりとつゆりさんが言葉を漏らした。
飛ばしていた意識を再度彼女へと戻す。
「……手紙」
「え?」
「電話だと父に切られてしまう可能性があるので、その……にきくんに手紙書いてもいいですか?」
「……もちろん」
少し目を腫らしながらもしっかりと紡がれた言葉に力強く頷けば、彼女はまるで蕾が綻ぶように微笑んだ。
……ああ、今はこの笑顔だけで十分だ。
嬉しそうに笑うつゆりさんにぼくも笑い返す。
ぼくたちの関係は、取り敢えずはここまでだ。
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