にきの奇怪な間話

葉野亜依

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第十一話 夏祭り(六)

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 右足を引き摺りながら、真っ暗闇の中をただただひたすらに歩く。何処へ行けばいいかなんて全然わからなかったけど、恐怖を感じてはいなかった。
 早く帰りたい。
 早く皆に会いたい。
 その思いがぼくの心の中を占めていて、歩みを早くする。

「……にきー!」

 不意に名前を呼ばれた。
 そうかと思えば、ぼくの顔面に白いものがぶつかってきた。

「うがっ!?」

 顔面に衝撃を受け、踏ん張ろうとしたものの足が痛んでそれはかなわなかった。

「痛っ!?」

 気づいた時には地面へダイブ、再び。
 くっ、一度ならず二度までも……。
 流石にこれには身に堪えた。……精神的な意味でも肉体的な意味でも。
 悔しげに虚空を見上げていると、視界に白が入り込んできた。

「全くもう!何また巻き込まれているんだよー!」
「いや今回のはマジで不可抗力……って、何で管狐がいるの?」

 白い尻尾でべしべしとぼくの頭を叩いてくる管狐に、ぼくは疑問を投げかけた。

「何かあった時のために二人を尾行していたんだよ。ぶっちゃけ、にきが何かやらかしてそれを笑いのタネにするために尾行していたんだけどね。そしたら何故かにきが突然消えちゃうし!つゆりは泣きそうになっているし!河童は役立たずだし!もうここはボクが頑張るしかないと思って迎えに来たんだよ!」
「お前、少しは包み隠せよな……でも、ありがとう」

 全くこいつはと思いつつも、迎えに来てくれたことにぼくは素直に感謝した。
 管狐はふんと鼻息荒く、「お礼の果物楽しみにしているからね!」と言った。
 苦笑を浮かべつつ上体を起こして立ち上がろうとしたが、足が痛んでつい顔をしかめてしまった。

「にき、どうしたの?何処か怪我でもしたの?」
「ちょっと足を……」
「鈍くさっ」
「……五月蠅いよ」

 管狐に鼻で笑われてしまった。
 反論しつつも、そんないつもの遣り取りに安心してしまっている自分がいるのも確かで。ぼくは口元を緩めた。

「……ああもう、世話が焼けるなぁ!」

 管狐が大声を上げたかと思えば、突如その真っ白な体躯が輝きだした。
 まばゆい光に目が眩んで、思わず目を閉じる。
 そして、光が止んだ頃、恐る恐る瞼を上げた。
 ぼくの目の前にいたのは、大きな白い獣だった。
 その獣は、まるで暗闇に浮かぶ三日月のように細くて美しい瞳でぼくを静かに見つめている。
 神々しいその姿に、ぼくはごくりと息をのんだ。

「……えっと、どちら様ですか?」
「管狐だけど?」
「えっ!?」

 さらりと返された言葉に、ぼくは驚きのあまり目を丸くする。
 確かに、さっきまでそこにいたのは管狐で。幾分が低くなっているもののその声には聞き覚えがあって。大きさは違えども白い体躯の毛も管狐のそれで。
 わなわなと震える口でぼくは独り言のように呟いた。

「さ、詐欺だ……」
「何言ってんの。そんなことより、さっさと帰るよ」
「うわっ!?」

 管狐に衿元をくわえられたかと思えば、ぽいっとその背中に放られた。
 もふもふの毛に受け止められたが、地味に足に痛みが響いた。
 もう少し丁寧な扱いをしてほしいなぁ……と密かに思った。

「しっかり掴まっていてよ」

 掛け声とともに、ぐんっと身体が引き上げられるような感覚を感じた。
 長いような短いような浮遊感に襲われ、そして――
 気づいた時には、ぼくは石碑の前に座り込んでいた。
 傍らでは、元の大きさに戻った管狐が「あー、疲れたー」と怠そうに唸っている。

「にきくん!」
「若!」

 ぼくに気づいたつゆりさんと河童が急いで駆け寄ってきた。

「あ、二人とも。心配掛けてごめ――」

 ぼくの言葉は途中で遮られた。
 あたたかな体温に包まれる。華奢な肩は震えていて、微かに鼻を啜る音が聞こえてきた。

「よかった……本当に、よかった……」

 涙混じりのその声が心地よい。自分以外のあたたかな体温に安心する。
 自分のことを心配してくれている相手にそんなことを考えてしまうなんて、不謹慎この上ないなとぼくは自分自身に苦笑した。

「心配掛けてごめんね」

 つゆりさんを落ち着かせるようにぽんぽんとその背中を叩く。
 暫くして落ち着きを取り戻したつゆりさんが「失礼しました……」と恥ずかしそうにぼくから離れた。
 パッと離れたぬくもりに少しだけ残念に思ってしまった自分に気がついて、恥ずかしくなったのはここだけの話。

「わ、若……」

 震えた声で話しかけてきたのは河童だった。

「話はお嬢とクダから聞きやした……おいらを追いかけてくださったせいでこんなことになって……本当にすみません!」

 河童はがばりとその場で土下座をした。頭のお皿がそれはもうよく見える程の低い低い土下座である。

「ぷぷー、これはまた見事な土下座だね」
「いけませんよ、クダ」

 河童を見て笑う管狐をつゆりさんが窘める。「はいはい、黙ってますよー」といじける管狐を横目に、「すみません。続けてください」とつゆりさんが申し訳なさそうに先を促した。
 それでは、と咳払いをしてぼくは河童に向き直る。

「顔を上げてよ、河童」
「若……」
「ぼくたちが気になって追いかけてきちゃっただけだしさ。こんなことになるなんて普通誰も思わないだろ。だから気にしないで」
「わ、若ー……」
「まあ、酒を飲むのは程々にしてもらいたいけど……」
「違うんっす」
「ん?何が?」

 あのー、そのー、と頭のお皿を撫でながら河童が口籠もる。何か言いにくそうにしている河童に、「どうしたんだ?」とぼくは首を傾げる。
 河童の代わりに口を開いたのはつゆりさんだった。

「正確に言うと河童さん、酔っ払っていなかったんです」
「は?」
「おいらが飲んだのは酒じゃなくてサイダーなんすよ。祭りの雰囲気に当てられて……何か、その、酒を飲んだみたいな感じについつい上機嫌になっちまって……」
「酒じゃなくてサイダーって……なんだよ、それ……」

 お前なぁ、と続けようとしたが、呆れのあまり気が緩んでしまったのだろう。
 皆の驚いた顔が見えたと思った時には、ぐらりと身体が傾いていた。
 ……ああ、今日これで三度目だ。
 土の感触を味わいながら、そんなことをぼんやりと考えた。
 そして、ぼくはそのまま意識を手放してしまったのである。
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