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第十話 迷わし神(三)
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「それでは、にきくんが一息ついたところで。家に辿り着けない原因についてなのですが……」
……ああ、忘れていた。元々それが原因で熱中症になりかけていたというのに。まあ、それどころじゃなかったから仕方がないか。
「ちょっと失礼しますね」
一言断りを入れて、つゆりさんはぼくの背中の方に回った。そして、「ああ、やっぱり」と頷いた。
「ごめんなさい、この人から離れてください」
つゆりさんは突然ぼくの背中に向かって頭を下げた。
すると、すとんと何かが背中から飛び降りたのを感じた。
「え?何か付いてた?」
「付いていたと言いますか、憑いていたと言いますか……」
つゆりさんが困ったように『それ』がいる方へと目を向ける。ぼくもその視線を追った。
確かに、そこには何かがいた。でも、それは蜃気楼のように直ぐに消えてしまった。
一瞬見えた小さな影はぼくを見て笑っていたような気がする。
何が何だかよくわからなくて首を傾げるぼくに、つゆりさんが声を掛けてきた。
「説明は後にして、そろそろ帰りましょう。おばあさまも待っていることですし」
「そうだね」
つゆりさんの言葉に頷く。無駄に体力を使ったし、早く家に帰りたい。
立ち上がる時、よいしょ、とまた言ってしまった。
これは、本格的にばあちゃんの口癖が移っちゃったなぁ……。
なんて、のんびりと考えた矢先、ぐらりと足元がふらついた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫」
そうは言ったけど、覚束ない足取りで歩く姿は何処からどう見ても大丈夫じゃないだろう。
困った様子でぼくを見ていたつゆりさんが「そうだ!」と手を叩いた。そして、くるりと河童を振り返った。
「河童さん、お願いできますか?」
「任せるっす!」
「え……え?」
目配せをしたつゆりさんに、河童がグッと親指を立てる。
どうやら理解できていないのはぼくだけらしい。
二人を眺めつつ、一体何をするつもりだろうと思っていると、不意に浮遊感に襲われた。
「うわぁっ!?」
突然のことで酷く情けない声がぼくの口から零れ出た。
いやでも仕方がないじゃないか。だって、河童がぼくよりも短いその手で、ぼくを持ち上げたのだから。
まるで重量挙げ選手がバーベルを持ち上げるかのように頭上に高々と。更に言えば、軽々と、だ。
……そういえば、河童は力持ちだったなぁ。この前ばあちゃんに頼まれて重い荷物を運んでいたのを見たし。
そう、河童が力持ちなだけだ。断じてぼくがひょろっこいからではない。そう、断じて違うのだ!
などと、ぼくは頭の片隅で現実逃避をすることしかできない。絵面的にかっこ悪すぎるし、何よりつゆりさんの前でこんな姿を晒すことになるなんて……うん、恥ずかし過ぎる。
尤も、今日のことも含め既に醜態を晒したことはあるので今更だと思わなくもないけど。
でも、誰だって男としては女の子の前で情けない姿を晒したくはないだろう。好意を寄せている相手なら尚更だ。
当の彼女はぼくのそんな葛藤など露ほども知らないのだろうけど。
「よっし、それじゃあ行くっすよ!」
「行きましょう!」
「うわあっ――!?」
声を張り上げた河童が走り出し、つゆりさんがそれに続く。
二つの掛け声の後に聞こえた叫び声が誰のものかなんて言うまでもない。
*
クーラーは偉大な発明品だと思う。だって、こんなにも涼しい空間を作り出すことができるのだから。
そんなことをしみじみと思いながら、クーラーの効いた涼しい食卓で、皆で昼食を取っていた。
家に帰れてよかったと一人で内心安堵しつつ、ばあちゃんお手製のきゅうりの漬け物を噛み締める。
ずずず、とお茶を啜りながらばあちゃんがのんびりと説明し始めた。
「にきちゃんは迷わし神に憑かれていたんよ」
「まどわしがみ?」
「迷い神とも言うっすねぇ」
ぽりぽりと生のきゅうりをかじりながら河童が補足をする。
「え、神様がぼくに憑いていたってこと?」
「神は神でも、人を迷わせる神よ。普通は町境や村境の境界に現れるんやけどね」
「いや、町境までは行ってないんだけど……」
「うーん、神社のこっち側と向こう側ではやっぱり世界が違いますし……多分、その境界で憑かれたんじゃないでしょうか」
つゆりさんの仮説を聞いて、なるほどなぁと納得する。
確かに神社に来る前は何ともなかったのに、神社を出た後にああなってしまったのだから。
境内を出た直後に背中に感じた衝撃。今思えば、あの時に迷わし神がぼくに憑いたのだろう。
「というか、そんな神様がいるのか……」
仮にも神という名がついているのだから冒涜しちゃいけないのはわかっているけど、ここはあえて言わせてもらおう。
「迷惑な神様だなぁ」
溜息を吐くぼくを見て、ばあちゃんが「大変やったんやねぇ」と笑った。
……いやいや、笑い事じゃないんだけど。
「迷わし神は黄昏時に出るもんなんやけどねぇ。まさか昼間から出るとはねぇ」
「やったっすね若。レアケースっすよレアケース」
「……全然嬉しくない」
「でも、にきちゃんはまだいい方よ。つゆりちゃんなんて、小さい時に憑かれたんよ。勿論電話なんて持ってなかったし、しかも夕方に憑かれたせいで夜になってもずっと歩き回っとったんよ」
「ええっ!?」
驚いてつゆりさんを見遣れば、当の本人は「そんなこともありましたねぇ」と他人事のようにご飯を頬張っていた。
「しかもその時はクダを家に置いてきてしまっていましたしね」
「だ、大丈夫だったの?」
「はい。迎えに来てくれた方がいたので。でも、どちらかといえば、騒いだ父を静かにすることの方が大変でした」
「それはそれは……」
当時のことを思い出したのか、つゆりさんが遠い目をした。
どうやら彼女の父親は以前管狐が言っていた通りかなりの親バカらしい。
そういえば、門限があるとも言っていたっけ……。
ぼくの父さんは親バカという訳ではないが、基本放任主義なくせに変に過保護なところがあるから彼女の気持ちがちょっとだけわかる。
深く溜息を吐くぼくたちを、ばあちゃんが苦笑いを浮かべながら窘める。
「まあまあ。それだけあんたたちが大切ってことさ。迷惑かけたり心配かけたりできる相手がいるのは幸せなことなんよ。まあ、迷惑をかけたり心配をかけたりしたら、その分恩返しして、相手が困っていたら同じように助けたらええんよ」
――わかったね?
ぼくとつゆりさんをじっと見つめながら、確かめるようにばあちゃんが告げる。
「うん、わかってるよ」
「はい、わかってますよ」
そう答えた後、チラリとぼくとつゆりさんは顔を見合わせる。そして、二人してくすくすと笑い合った。
なんせ、ばあちゃんが言った台詞はさっき聞いたばかりのものだったから。
突然笑い出したぼくたちに、ばあちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「なんか、おんなじような言葉をさっき聞いたっすねぇ」
ぽりぽりぽり。
美味しそうに生のきゅうりを頬張りながら河童が独り言のように呟いた。
……ああ、忘れていた。元々それが原因で熱中症になりかけていたというのに。まあ、それどころじゃなかったから仕方がないか。
「ちょっと失礼しますね」
一言断りを入れて、つゆりさんはぼくの背中の方に回った。そして、「ああ、やっぱり」と頷いた。
「ごめんなさい、この人から離れてください」
つゆりさんは突然ぼくの背中に向かって頭を下げた。
すると、すとんと何かが背中から飛び降りたのを感じた。
「え?何か付いてた?」
「付いていたと言いますか、憑いていたと言いますか……」
つゆりさんが困ったように『それ』がいる方へと目を向ける。ぼくもその視線を追った。
確かに、そこには何かがいた。でも、それは蜃気楼のように直ぐに消えてしまった。
一瞬見えた小さな影はぼくを見て笑っていたような気がする。
何が何だかよくわからなくて首を傾げるぼくに、つゆりさんが声を掛けてきた。
「説明は後にして、そろそろ帰りましょう。おばあさまも待っていることですし」
「そうだね」
つゆりさんの言葉に頷く。無駄に体力を使ったし、早く家に帰りたい。
立ち上がる時、よいしょ、とまた言ってしまった。
これは、本格的にばあちゃんの口癖が移っちゃったなぁ……。
なんて、のんびりと考えた矢先、ぐらりと足元がふらついた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫」
そうは言ったけど、覚束ない足取りで歩く姿は何処からどう見ても大丈夫じゃないだろう。
困った様子でぼくを見ていたつゆりさんが「そうだ!」と手を叩いた。そして、くるりと河童を振り返った。
「河童さん、お願いできますか?」
「任せるっす!」
「え……え?」
目配せをしたつゆりさんに、河童がグッと親指を立てる。
どうやら理解できていないのはぼくだけらしい。
二人を眺めつつ、一体何をするつもりだろうと思っていると、不意に浮遊感に襲われた。
「うわぁっ!?」
突然のことで酷く情けない声がぼくの口から零れ出た。
いやでも仕方がないじゃないか。だって、河童がぼくよりも短いその手で、ぼくを持ち上げたのだから。
まるで重量挙げ選手がバーベルを持ち上げるかのように頭上に高々と。更に言えば、軽々と、だ。
……そういえば、河童は力持ちだったなぁ。この前ばあちゃんに頼まれて重い荷物を運んでいたのを見たし。
そう、河童が力持ちなだけだ。断じてぼくがひょろっこいからではない。そう、断じて違うのだ!
などと、ぼくは頭の片隅で現実逃避をすることしかできない。絵面的にかっこ悪すぎるし、何よりつゆりさんの前でこんな姿を晒すことになるなんて……うん、恥ずかし過ぎる。
尤も、今日のことも含め既に醜態を晒したことはあるので今更だと思わなくもないけど。
でも、誰だって男としては女の子の前で情けない姿を晒したくはないだろう。好意を寄せている相手なら尚更だ。
当の彼女はぼくのそんな葛藤など露ほども知らないのだろうけど。
「よっし、それじゃあ行くっすよ!」
「行きましょう!」
「うわあっ――!?」
声を張り上げた河童が走り出し、つゆりさんがそれに続く。
二つの掛け声の後に聞こえた叫び声が誰のものかなんて言うまでもない。
*
クーラーは偉大な発明品だと思う。だって、こんなにも涼しい空間を作り出すことができるのだから。
そんなことをしみじみと思いながら、クーラーの効いた涼しい食卓で、皆で昼食を取っていた。
家に帰れてよかったと一人で内心安堵しつつ、ばあちゃんお手製のきゅうりの漬け物を噛み締める。
ずずず、とお茶を啜りながらばあちゃんがのんびりと説明し始めた。
「にきちゃんは迷わし神に憑かれていたんよ」
「まどわしがみ?」
「迷い神とも言うっすねぇ」
ぽりぽりと生のきゅうりをかじりながら河童が補足をする。
「え、神様がぼくに憑いていたってこと?」
「神は神でも、人を迷わせる神よ。普通は町境や村境の境界に現れるんやけどね」
「いや、町境までは行ってないんだけど……」
「うーん、神社のこっち側と向こう側ではやっぱり世界が違いますし……多分、その境界で憑かれたんじゃないでしょうか」
つゆりさんの仮説を聞いて、なるほどなぁと納得する。
確かに神社に来る前は何ともなかったのに、神社を出た後にああなってしまったのだから。
境内を出た直後に背中に感じた衝撃。今思えば、あの時に迷わし神がぼくに憑いたのだろう。
「というか、そんな神様がいるのか……」
仮にも神という名がついているのだから冒涜しちゃいけないのはわかっているけど、ここはあえて言わせてもらおう。
「迷惑な神様だなぁ」
溜息を吐くぼくを見て、ばあちゃんが「大変やったんやねぇ」と笑った。
……いやいや、笑い事じゃないんだけど。
「迷わし神は黄昏時に出るもんなんやけどねぇ。まさか昼間から出るとはねぇ」
「やったっすね若。レアケースっすよレアケース」
「……全然嬉しくない」
「でも、にきちゃんはまだいい方よ。つゆりちゃんなんて、小さい時に憑かれたんよ。勿論電話なんて持ってなかったし、しかも夕方に憑かれたせいで夜になってもずっと歩き回っとったんよ」
「ええっ!?」
驚いてつゆりさんを見遣れば、当の本人は「そんなこともありましたねぇ」と他人事のようにご飯を頬張っていた。
「しかもその時はクダを家に置いてきてしまっていましたしね」
「だ、大丈夫だったの?」
「はい。迎えに来てくれた方がいたので。でも、どちらかといえば、騒いだ父を静かにすることの方が大変でした」
「それはそれは……」
当時のことを思い出したのか、つゆりさんが遠い目をした。
どうやら彼女の父親は以前管狐が言っていた通りかなりの親バカらしい。
そういえば、門限があるとも言っていたっけ……。
ぼくの父さんは親バカという訳ではないが、基本放任主義なくせに変に過保護なところがあるから彼女の気持ちがちょっとだけわかる。
深く溜息を吐くぼくたちを、ばあちゃんが苦笑いを浮かべながら窘める。
「まあまあ。それだけあんたたちが大切ってことさ。迷惑かけたり心配かけたりできる相手がいるのは幸せなことなんよ。まあ、迷惑をかけたり心配をかけたりしたら、その分恩返しして、相手が困っていたら同じように助けたらええんよ」
――わかったね?
ぼくとつゆりさんをじっと見つめながら、確かめるようにばあちゃんが告げる。
「うん、わかってるよ」
「はい、わかってますよ」
そう答えた後、チラリとぼくとつゆりさんは顔を見合わせる。そして、二人してくすくすと笑い合った。
なんせ、ばあちゃんが言った台詞はさっき聞いたばかりのものだったから。
突然笑い出したぼくたちに、ばあちゃんは不思議そうに首を傾げた。
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