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第九話 磐座(二)
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それから暫く河童と無駄な攻防戦を繰り広げた。
こんなことになるなら素直に相撲をとっていた方がよかったかもしれない……いや、やっぱり負け戦なんてしたくないし、怪我もしたくはないな。
これでよかったのだと自身に言い聞かせながら、ぼくはホースで水を掛け続ける。因みに、庭の草木にではない。
「はー、生き返るっすー」
「そうか、そいつはよかったよ」
水を浴びているのは河童である。
シャワーのように水を浴びる河童はとても幸せそうだ。これぞ水も滴る良い河童……などとはこれっぽっちも思わない。
――ああ、そうだ。水浴びでもしないか?
話を逸らすためにそう提案したら、河童はすぐにその提案を受け入れた。
管狐もそうだったが、河童も案外チョロいやつだった。
こいつらを見ていると、おいそれで良いのかと少々心配になってくる。
まあ、平和が一番だしこれでいいか。
自問自答をしていると、「それにしても」と河童が口を開いた。
「これはまた面白いモノがあるっすね」
「面白いモノ?」
ぼくからしたらお前たちあやかしも十分面白いモノだけどな。
心の中で突っ込みつつ、「何が面白いんだ?」と河童に問う。
「あれっすよあれ」
河童が指差した方を見遣れば、そこには庭石があった。所々に苔の生えた大きな石だ。この上に乗って野良猫がひなたぼっこしているのを偶に見かける。
「庭石がどうかしたのか?」
「これ、ただの庭石じゃないっすよ」
頭の皿を撫でながら河童が指摘する。
そう言われても、ぼくにはどう見てもただの庭石にしか見えないのだが……。
「もしかして、何か憑いているのか?」
「憑いているというより、憑いていた、と言った方が正しいっすね」
「どういうこと?」
「これ、元は磐座だったんじゃないっすか?」
「いわくら?」
はて、いわくらとは?
首を傾げるぼくに河童が説明してくれた。
本日二度目の河童による説明会の始まりである。
磐座――それは、神様の御座所。所謂、神様の鎮座する所である。
岩石に対する信仰または信仰の対象となる岩石そのものを示す言葉であり、日本の自然信仰の一種だという。
「え、それじゃあ、この庭石には神様がいるってこと?」
「確かに、この庭石からは神聖な気を感じられるっす。けど、それも極僅かっす。今は磐座としての役割を果たしてはいないみたいっすね。ずうっとずうっと昔にはその役割を果たしていたんでしょうけど」
「へー」
ここに神様がねぇ……。
まじまじと見てみるが、やっぱりただの石にしか見えなかった。神聖な気なんてものもぼくにはさっぱりわからないし。
というか、神様が座っていた場所であの猫たちは寝ていたということになるのか……凄いなあの猫たち。罰が当たったりしないといいのだが。
「……丁重に扱わなくて祟られたりしないだろうか」
心配になって、思わず口に出してしまった。
ぼくの言葉を耳にした河童が「かっかっかっ」と笑った。
「心配しなくても大丈夫っすよ。昔は神様の御座所だったとしても、もうここに神様はいないっす。この石がどういう経緯でここにあるかはわからないっすけど、今はただの庭石としてここにあるんすから。元神様の御座所だろうが猫の寝床になろうが石は石としてあり続けるだけっす。そりゃあ割ったりしたら祟られるかもしれないっすけど。そのモノの価値観なんて人それぞれっすよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものっす」
河童が力強く頷いた。
……河童の言う通りかもしれない。
ぼくも河童に言われるまで、これはただの庭石だとしか思っていなかった。
石は石。ただそれだけ。この石は庭の一部としてそこにあるのが当然だと……いや、言ってしまえば、特にこれといって気にもしていなかった。
神様にとっては元鎮座する場所。猫にとっては寝床。ぼくにとってはただの庭石。
価値観は様々だけど、それでも石は石としてそこにあり続ける。
ただそれだけのことなのだ。
ぼうっと庭石を眺めていたら、徐にくいっと服が引っ張られた。驚いてそちらを向けば、河童と目が合った。
「若、水浴びはもういいっすよ」
「あ、うん」
言われて水を止める。「あー、気持ちよかった」と河童が満足そうにぐぐっと背伸びをした。
「という訳で、若。今度こそ相撲をとるっす!」
「……いや何で?」
くるりと振り返った河童があまりにも当然のように言ったものだから、反応が遅れてしまった。
一呼吸置いて訊ね返せば、さっきも聞いた言葉が返ってきた。
「河童といえば相撲っすから」
「……そういうものなのか?」
「そういうものっす」
河童がニヤリと口角を上げ、水に濡れた頭の皿がきらりと光る。ぺたん、ぺたん、と四股を踏む音が辺りに響いた。
「おいらのコンディションはばっちりっす!さあさあ、若!いざ、尋常に勝負!」
「盛り上がっているところ悪いけど、ぼくは相撲をとる気なんて全然ないから」
「どうしてっすか!?」
「いや、どうしてって言われても……」
お前が今言ったじゃないか!「コンディションはばっちり」って!
水を浴びたことにより、更に河童の力は上がっているはずだ。そんな相手と相撲なんてとりたくはない。
「無駄な勝負はしたくない主義なんで」
「若、それでも漢っすか!?大丈夫っすよ!もし怪我をしてもさっきの薬を使えばすぐに治るっすから」
「だーかーらー!」
こうして、再びぼくと河童の攻防戦が幕を開けた。
その時にはぼくの意識はすっかりそちらに向いていて。
この石を丁重に扱った方が良いのでは、という考えなんて頭からすっかり抜け落ちていた。
やっぱりぼくにとってこの石はただの庭石でしかなかった。
こんなことになるなら素直に相撲をとっていた方がよかったかもしれない……いや、やっぱり負け戦なんてしたくないし、怪我もしたくはないな。
これでよかったのだと自身に言い聞かせながら、ぼくはホースで水を掛け続ける。因みに、庭の草木にではない。
「はー、生き返るっすー」
「そうか、そいつはよかったよ」
水を浴びているのは河童である。
シャワーのように水を浴びる河童はとても幸せそうだ。これぞ水も滴る良い河童……などとはこれっぽっちも思わない。
――ああ、そうだ。水浴びでもしないか?
話を逸らすためにそう提案したら、河童はすぐにその提案を受け入れた。
管狐もそうだったが、河童も案外チョロいやつだった。
こいつらを見ていると、おいそれで良いのかと少々心配になってくる。
まあ、平和が一番だしこれでいいか。
自問自答をしていると、「それにしても」と河童が口を開いた。
「これはまた面白いモノがあるっすね」
「面白いモノ?」
ぼくからしたらお前たちあやかしも十分面白いモノだけどな。
心の中で突っ込みつつ、「何が面白いんだ?」と河童に問う。
「あれっすよあれ」
河童が指差した方を見遣れば、そこには庭石があった。所々に苔の生えた大きな石だ。この上に乗って野良猫がひなたぼっこしているのを偶に見かける。
「庭石がどうかしたのか?」
「これ、ただの庭石じゃないっすよ」
頭の皿を撫でながら河童が指摘する。
そう言われても、ぼくにはどう見てもただの庭石にしか見えないのだが……。
「もしかして、何か憑いているのか?」
「憑いているというより、憑いていた、と言った方が正しいっすね」
「どういうこと?」
「これ、元は磐座だったんじゃないっすか?」
「いわくら?」
はて、いわくらとは?
首を傾げるぼくに河童が説明してくれた。
本日二度目の河童による説明会の始まりである。
磐座――それは、神様の御座所。所謂、神様の鎮座する所である。
岩石に対する信仰または信仰の対象となる岩石そのものを示す言葉であり、日本の自然信仰の一種だという。
「え、それじゃあ、この庭石には神様がいるってこと?」
「確かに、この庭石からは神聖な気を感じられるっす。けど、それも極僅かっす。今は磐座としての役割を果たしてはいないみたいっすね。ずうっとずうっと昔にはその役割を果たしていたんでしょうけど」
「へー」
ここに神様がねぇ……。
まじまじと見てみるが、やっぱりただの石にしか見えなかった。神聖な気なんてものもぼくにはさっぱりわからないし。
というか、神様が座っていた場所であの猫たちは寝ていたということになるのか……凄いなあの猫たち。罰が当たったりしないといいのだが。
「……丁重に扱わなくて祟られたりしないだろうか」
心配になって、思わず口に出してしまった。
ぼくの言葉を耳にした河童が「かっかっかっ」と笑った。
「心配しなくても大丈夫っすよ。昔は神様の御座所だったとしても、もうここに神様はいないっす。この石がどういう経緯でここにあるかはわからないっすけど、今はただの庭石としてここにあるんすから。元神様の御座所だろうが猫の寝床になろうが石は石としてあり続けるだけっす。そりゃあ割ったりしたら祟られるかもしれないっすけど。そのモノの価値観なんて人それぞれっすよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものっす」
河童が力強く頷いた。
……河童の言う通りかもしれない。
ぼくも河童に言われるまで、これはただの庭石だとしか思っていなかった。
石は石。ただそれだけ。この石は庭の一部としてそこにあるのが当然だと……いや、言ってしまえば、特にこれといって気にもしていなかった。
神様にとっては元鎮座する場所。猫にとっては寝床。ぼくにとってはただの庭石。
価値観は様々だけど、それでも石は石としてそこにあり続ける。
ただそれだけのことなのだ。
ぼうっと庭石を眺めていたら、徐にくいっと服が引っ張られた。驚いてそちらを向けば、河童と目が合った。
「若、水浴びはもういいっすよ」
「あ、うん」
言われて水を止める。「あー、気持ちよかった」と河童が満足そうにぐぐっと背伸びをした。
「という訳で、若。今度こそ相撲をとるっす!」
「……いや何で?」
くるりと振り返った河童があまりにも当然のように言ったものだから、反応が遅れてしまった。
一呼吸置いて訊ね返せば、さっきも聞いた言葉が返ってきた。
「河童といえば相撲っすから」
「……そういうものなのか?」
「そういうものっす」
河童がニヤリと口角を上げ、水に濡れた頭の皿がきらりと光る。ぺたん、ぺたん、と四股を踏む音が辺りに響いた。
「おいらのコンディションはばっちりっす!さあさあ、若!いざ、尋常に勝負!」
「盛り上がっているところ悪いけど、ぼくは相撲をとる気なんて全然ないから」
「どうしてっすか!?」
「いや、どうしてって言われても……」
お前が今言ったじゃないか!「コンディションはばっちり」って!
水を浴びたことにより、更に河童の力は上がっているはずだ。そんな相手と相撲なんてとりたくはない。
「無駄な勝負はしたくない主義なんで」
「若、それでも漢っすか!?大丈夫っすよ!もし怪我をしてもさっきの薬を使えばすぐに治るっすから」
「だーかーらー!」
こうして、再びぼくと河童の攻防戦が幕を開けた。
その時にはぼくの意識はすっかりそちらに向いていて。
この石を丁重に扱った方が良いのでは、という考えなんて頭からすっかり抜け落ちていた。
やっぱりぼくにとってこの石はただの庭石でしかなかった。
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