にきの奇怪な間話

葉野亜依

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第一話 家鳴(二)

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 案内されたのは、真正面に襖、他三方を障子で囲われた部屋だった。部屋の中央には年季の入った木製の机があり、片隅には積まれた座布団があった。

「暑かったでしょう。さあさ、一服しましょうかね。お茶持って来るからちょっと待っててね」

 座布団を敷きながら祖母が言った。
 ぼくは促されるまま荷物を置いて座布団の上に正座した。
 それを見ていた祖母がくすくすと笑った。……何か可笑しかっただろうか。

「別に正座じゃなくて胡座でいいんよ」
「ああ、はい」

 言われて足を崩す。よしよし、と頷いて祖母は部屋から出て行った。
 それを見届けて、はあと息を吐いた。一旦座り込んだせいか、疲れがどっと押し寄せてきた。

「あー、疲れた」

 寝転がりたいところだがそこまでだらけるわけにもいかない。
 手持ち無沙汰だったためぐるりと部屋を見渡す。
 見上げれば松や竹、鳥の彫刻が施された部分がある。
 今は閉じられているが、富士山と鶴が描かれた襖の奥には更に部屋があって、そこには確か仏壇があったはずだ。
 何となくだけど覚えているもんだなぁ……。

「……ん?」

 思い馳せていたその時、ふと視界の片隅で何かが動いた気がした。
 そちらを見てみるがそこには何もない。

「気のせいか……」

 そんなに疲れがたまっているのかなぁ……。
 そう思っていると、障子が開いた。入ってきたのは言わずもがな祖母である。

「お待たせ。さあさ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 出されたコップを受け取ってぐいっと飲む。キンキンに冷えた麦茶が喉の渇きを潤していく。自分が思っていたよりも喉が渇いていたらしい。
 ぼくは止まることなくごくごくとそれを飲み干した。

「おかわりいるかい?」
「あ、もう大丈夫です」
「そうかい。それにしても、さっきから気になっていたんやけど……にきちゃんはいつもそんな風に喋っとるの?」
「え?」
「さっきから敬語ばかりよ」
「ああ……いえ、違います」
「ほらまた」

 指摘されて、あ、と口元をおさえる。そんなぼくを見て祖母が笑った。

「私はにきちゃんのおばあちゃんなんよ?まあ、そういう風に敬語を使えって躾る家もあるんやろうけどね。私の前で敬語なんて使わなくていいんよ。あと、何処かに出掛けてここに帰ってくる時はただいまと言うんよ。おじゃましますはやめてな」
「は、はい……じゃなくて、うん、わかったよ」

 ぼくの言葉を聞いて、祖母――いや、ばあちゃんが満足そうに頷いた。

「さて、にきちゃんの部屋やけどね、離れの部屋を掃除しておいたんよ」
「離れってあそこの部屋だよね」

 ぼくは庭の方を指差した。庭の奥には小さな建物がある。そこが離れで、この母屋の渡り廊下を歩いて行けばそこにたどり着けたはずだ。

「よう覚えとるね」
「いや、何となくだけど……」
「にきちゃんがこの家で暮らしていたのは、もう何年も前のことやのにねぇ……」

 感慨深げにばあちゃんが頷いた。

 そう、ぼくはこの家で暮らしていたことがある。とは言っても、ばあちゃんの言うとおりもう何年も前のことだ。
 今回のように父の仕事が忙しく、ぼくが幼かったのも相俟って、ここに預けられていたらしい。
 今のぼくからしたらその時の記憶は酷く曖昧で。まあ、ぼくも幼かったから、覚えていなくても仕方がないだろう。
 だが、この家で過ごしたのはそれから一度もなかった。
 何故だかわからないが、昔のぼくにはどうしてもこの家に行きたくないという思いが強くあって。
 尤も、その思いがもう薄れているからこうしてぼくはこの家に来たのだけれど。
 ……どうしてここがぼくにとって鬼門のような場所になったのだろう。
 考えてみるがさっぱりわからない。
 ここにいても、特に嫌な気はしない。ああ、あそこにはあれがあったな、などと思い出すのも楽しい。何より懐かしくて安心する。ただ、何処か不思議な感じはするのだけれど、それはきっと住み慣れていない家に来たからだろう。
 物思いに耽っていると、突然電灯ががたがたと揺れ出した。

「じ、地震?」

 驚いたぼくは慌てて腰を上げかけたが、ばあちゃんにそれを制された。

「大丈夫だから座ってなさい」

 ばあちゃんがのんびりとお茶を啜る。その姿に、慌てているぼくの方がおかしいんじゃないかと思えて、多少心配ながらもその場に座り直す。
 けれども一向に部屋の揺れは収まらない。ぼくは取りあえず電灯が落ちてこない位置に移動しようとした、のだが――

「いい加減にしなさい!」

 突然ぴしりとばあちゃんが叫んだ。
 その声にびくりと肩が揺れる。どくどくと心臓が鳴り、少しばかり冷や汗が出た。
 ……ぼく、何かやらかしただろうか。
 素行?……いや、ばあちゃんの言うとおり座っていたし。もしかして、移動しようとしたから怒られたのか?
 考えてみるがわからない。理由はわからないが謝っておいた方がいいだろうか。

「すみませんでした」
「何でにきちゃんが謝るの?……ああ、悪かったね。さっきのはにきちゃんに言ったわけじゃないんよ。びっくりさせちゃってこちらこそ悪かったねぇ」
「い、いえいえ大丈夫です」
「にきちゃん、また敬語」
「……あ」

 ぼくたちがそんな遣り取りをしている間にも部屋は揺れ続けている。
 やれやれといった様子でばあちゃんが立ち上がる。

「早くやめなさい。悪い子は締め出すよ」

 部屋中に響き渡るように告げられた言葉。笑顔で紡がれたそれには、有無を言わせぬ圧力があった。
 ああ、この人を怒らせちゃいけない。
 直感的にぼくは思った。

「怒られたー」
「怒られたー」

 ぴたりと揺れが収まったかと思えば、とすん、と上から何かが落ちてきた。それも続け様に、だ。

「驚かそうと思っただけなのにー」
「だけなのにー」

 赤と青のそいつらは机の上で、きゃっきゃきゃっきゃと騒いでいる。対してぼくは目を丸くした。
 頭に二本の角を生やした赤いモノと、一本の角を生やした青いモノ。
 そいつらの姿は、信じがたいが昔話によく出てくる鬼のそれだった。けれど、決しておどろおどろしいモノではなく、手のひらサイズの可愛らしい小鬼だった。
 彼らがぴょんぴょん飛び跳ねる毎に、どしんどしんと机が揺れる。

「これお前たち、机の上でそんなことをするんじゃないよ」
「はーい」
「はーい」
「全く、いつになったらその素直な返事が本当になるのかしらねぇ……」

 慣れた様子でばあちゃんが小鬼たちを諫める。
 一方ぼくはというと、未だ固まったままだった。
 目を見開いて、金魚のように口をぱくぱくとしている姿はさぞかし滑稽だろう。
 そんなぼくを見て、ばあちゃんがちょっと驚いた様子で訊ねた。

「おや、この子たちが視えているのかい?」
「う、うん」

 こくりと頷けば、「そうかいそうかい。視えているんだねぇ」と微笑まれた。その笑顔は何処か嬉しそうだった。
 ぼくは目の前にいる奇怪なモノたちの存在が信じられなくて、古典的ではあるが自分の頬を抓ってみる。

「……痛い」

 夢ではない。どうやらこれは現実のようだ。

「何で頬抓ってるのー?」
「抓ってるのー?」
「自虐趣味でもあるのー?」
「あるのー?」
「そんな趣味ないわ!」

 ぼくは思わず突っ込んだ。
 だが、小鬼たちはきゃっきゃきゃっきゃと笑うだけだった。きっと、ぼくの反応を見て面白がっているのだろう。……いや、どう見ても面白がっている。腹抱えて笑っているし。

「ごめんなさいね、にきちゃん。この子たちは悪戯っ子でね。さっきの家鳴もあの子たちが原因なのよ」
「やなり?」
「さっきの揺れのことよ。ほら、あんたたちも謝りなさい」
「あんまり驚いていなかったからやだー」
「つまんなかったからやだー」

 小鬼たちが不服そうにぷくっと頬を膨らませる。そして、ぱっと机から飛び降りてどろんした。
 それはもう脱兎のごとく……いや、兎は消えはしないし、そもそも奴らは兎なんて可愛いモノではない。
 騒がしかった二体がいなくなり、まるで台風が過ぎ去ったかのように部屋に静寂が戻った。

「……えっと」

 ぼくは口を開いたがすぐに噤んだ。
 いきなり現れて消えたあいつら――小鬼のことをばあちゃんに何て訊けば良いのかかよくわからなかったから。
 けれど、ばあちゃんはぼくのことを見透かしていた。「ええよ。何でも訊きなさい」と静かに告げたのだ。
 許可を得たぼくは再び口を開く。

「あいつらって何なの?」
「見ての通り小鬼だよ。あやかし、妖怪、物の怪、怪異、魔物、化け物――呼び方は色々あるけど、まあそういった類の子たちよ」
「……へぇー」

 然も当然といった風に説明され、ぼくは頷くことしかできなかった。
 あやかしなんてそんなモノ、信じられないが先程確かにこの目で視た。
 今は痛みが和らいでいるが、抓った頬は確かに痛かった。
 お伽噺や昔話で出てくるあやかしは確かに存在していたのだとぼくは悟った。
 不思議なことにあやかしのことを否定する気にはなれなくて……ぼくはその事実をすんなりと受けいれたのだった。
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