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第三話 名を呼ぶ(三)

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 わたしたちの間に漂う何とも言えない空気を壊したのは、白宇くんだった。

「お会計をしてくれたそこのお嬢さん、シフト上がりは何時ですかな?」
「……え?」

 突然のことにわたしは素っ頓狂な声を上げる。
 どうやら、客役を白宇くんはまだ続けているようだ。

「もし良ければ、この後一緒に喫茶店にでも行きませんか?」
「ええっと……」
「待て待て待て」

 わたしが狼狽えていると、待ったを掛けたのは久閑さんだった。
 眉間に皺を寄せて久閑さんが白宇くんを睨む。

「お前は一体何を訊いているんだ?」
「いやだって、留花ちゃんにちょっかいを掛けてくる輩がいるかもしれないだろ?その時どう対処するかも考えておかないと」
「……確かに」

 うーん、と深刻に考え始める男二人に苦笑するしかない。

「そんなヒトいないと思いますけど……」
「初めて会った時、ナンパされていたよね?」
「……あれってやっぱりナンパだったんですか?」

 踊り猫のことを言っているのだと察して訊き返す。自意識過剰かなと思っていたのだが、側から見てもそのように見えていたらしい。
 良かった良かった。……いや、何も良くはないな?隙を見せないように気をつけていかないと。
 わたしが思案している傍らで、久閑さんと白宇くんがお互いに顔を見合わせた。

「これは危ないな」
「ふむ、危ない」
「危機管理能力がなさ過ぎる」
「同意見だ」
「古澄さん、この店につれて来た僕が言うのもなんだけど、知らない人にはついて行っちゃダメだよ」
「ついて行きませんよ!」

 散々な言われように思わず立腹する。「わたしは大丈夫です」と言っても、男二人は納得していないようで、

「……やっぱり、対処法を考えないとだな」
「うむ」

 と、二人が話し合いを続けている。
 大丈夫なのになぁ……。
 不服に思いながらも、空いた時間ができたので、メモを見返してレジ打ちの練習を脳内で何度も反芻した。
 男二人の話し合いなんて知らない。知らないったら知らない。

「――よし、取り敢えず、穏便に言ってもダメそうなら実力行使ということで」
「ふむ。その後は勿論出禁だな。二度とこの店に足を踏み入れることのないようにしてやろう」

 男二人が頷き合う。彼らに突っ込む声は何処からも聞こえない。
 何だか物騒なこと言っているなぁ……。
 練習に徹しながら、二人の会話を聞いていたわたしは他人事のように思うだけだった。
 ふと、わたしは疑問を口にした。

「そういえば、お客さんの中にはあやかしがいるって前に久閑さん言っていましたよね?それって、あやかしが人間のお金を持っているということですよね?」

 当たり前のことを訊いている自覚はあった。だが、あやかしがどうやって人間のお金を工面しているのか気になったのだ。
 質問の意図を読み取った久閑さんが答えた。

「人間に変化して人間社会に紛れて暮してお金を稼いでいるあやかしって結構いるんだ。こいつみたいにね」

 久閑さんが指差した先に目を向ければ、白髪の少年がこちらを見ていて――

「いやー、そんなに見つめられると照れますな」

 白宇くんがちっとも照れていない様子で頭を掻く。
 一方のわたしはというと瞠目して、一拍おいて、そして大きな声を発した。

「……白宇くんってあやかしなんですか!?」
「あやかしですなー」
「こんな身なりをしているけど、僕たちよりもずっと年上のあやかしだよ」
「えっ!?」
「こんな身なりなんて言うなよー。動きやすくて結構気に入っているんだぞこの姿」
「因みに、大人の姿にもなれます」
「えっ!?」
「稀にだけどな」
「そして、こんなんでもこの店の店主です」
「えっ!?」
「こんなんなんて言うなよー。歴とした店長だぞー」

 なんて事のないように二人が会話を続けているが、わたしはそれどころじゃなかった。
 次から次へと言われる新事実に、驚きの声を発することしかできない。
 ま、まさか、白宇くんがあやかしだったとは……。しかも年上で、このお店の主だなんて……!
 失礼ながらもそう驚愕してしまった。
 なるほど、『人を見た目で判断してはいけません』なんてよく言うけれど、それはあやかしにも当てはまるようだ。
 わたしはわなわなと震えていたが、これはいけないとがばりと頭を下げた。

「す、すみませんでした!」
「……司樹よ。何故留花ちゃんは謝っているのだ?」
「いや、僕にもわからない」
「し、知らなかったとはいえ、『白宇くん』と気安く呼んでしまってごめんなさい!これからは『白宇さん』とお呼びします!」
「あー、そういうこと。古澄さんは真面目だなぁ」
「ふーむ、おれは別に『くん』でも『さん』でもどちらでも構わないが、『白宇くん』の方が親近感があるから今まで通りで良いぞ」
「……わ、わかりました」

 お、怒られなくてよかった……。
 もう『様』付けでもした方が良いのではないかと考えてしまった程にはテンパっていた。
 お咎めは特になく、ほっと胸を撫で下ろしていると、「そうだ」と何かを思いついた白宇くんがとある提案をした。

「これを機に司樹と留花ちゃんも名前で呼び合ったらどうだ?」
「は?」
「はい?」

 久閑さんとわたしは同時に首を傾げた。
 ……えっと、白宇くんは一体何を言っているのかな?

「苗字で呼び合うなんて色気がな……距離を感じるからな。名前で呼び合った方がおもしろ……親睦を深められると思うんだ」
「おい、何かいろいろと言おうとしただろ」
「何のことだ?」

 突っ込んだ久閑さんに白宇くんはすっとぼけた。

「名前を呼び合うぐらい簡単なことだろ?ほらほら、呼んでみたまえよ」

 白宇くんはニヤニヤと笑っている。
 た、楽しんでいるなこれは……。

「いやいや、名前は一番身近で一番短い呪なんだから、そう易々と呼べるわけ……」
「何をぐちぐち言っているのだ。全く、ほんと司樹はへたれだなー」
「へたれ言うな!」

 ぎゃーぎゃー騒ぐ声を耳で拾いつつも、わたしの頭の中はぐるぐると回っていて。
 名前で呼び合う、とは……?いや、そのまんまの意味なんだろうけど……家族以外に呼ばれた記憶は……ないな、うん。
 呼ばれたとしてももっと幼かった頃ぐらいだ。今では苗字だったり、『貴女』だったり、『お前』だったり、『おい』だったり、『ちょっと』だったり……うん、まともな呼ばれ方をされていないな。いや、わたしも相手を名前で呼んだ記憶はないんだけど。
 白宇くんの場合は、『白宇』としか教えられていなかったし、自分で進んで誰かを名前で呼んだことは……あるようなないような……。
 わたしが一人で過去を振り返っていると、がばりと久閑さんが振り返った。

「古澄さんも名前で呼ばれるのは嫌だよね!?」
「……うーん、久閑さんに呼ばれるのは別に嫌ではないですよ?」
「えっ!?」

 久閑さんがこれでもかと目を見開いた。
 ……あれ、何か間違えたか?でも、想像してみたが、久閑さんに名前を呼ばれたとしても別に嫌な感じはしない。
 寧ろ、自分の名前は気に入っているので、名前を呼んでもらいたいし、久しぶりに誰かの名前を呼んでみたいという気持ちがわき上がった。
 名前を呼ばれるのも呼ぶのも全然嫌じゃないことを素直に告げると、久閑さんが固まった。
 うっ、と言葉に詰まってしどろもどろする久閑さんに、白宇くんがしっかりしろと言わんばかりに「ほれ」と蹴りを入れる。
 その衝撃で久閑さんがたたらを踏んだ。その分だけわたしとの距離が縮まった。
 しっかりと立った久閑さんが視線を合わせてくる。そして、意を決した様子で口を開いた。

「えっと……留花さんって呼んでも良い、ですか?」
「はい……司樹さん」

 二人でいざ名前で呼び合うと、気恥ずかしくて顔が熱くなった。
 ……何これ思っていたよりも恥ずかしい!……でも、何だか、落ち着くなぁ。
 よくわからない感情がわたしの中で迫り上がる。
 熱くなった頬に手を当てつつちらりと司樹さんの様子を窺うと、彼の顔も些か赤い気がする。
 再び目が合って、司樹さんが照れ臭そうに頬を掻きながら笑った。幼く感じるその笑みに心臓がぎゅっと締め付けられるような気がした。
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