よろずやさんの雑綺帳

葉野亜依

文字の大きさ
上 下
9 / 42

第三話 名を呼ぶ(三)

しおりを挟む
 わたしたちの間に漂う何とも言えない空気を壊したのは、白宇くんだった。

「お会計をしてくれたそこのお嬢さん、シフト上がりは何時ですかな?」
「……え?」

 突然のことにわたしは素っ頓狂な声を上げる。
 どうやら、客役を白宇くんはまだ続けているようだ。

「もし良ければ、この後一緒に喫茶店にでも行きませんか?」
「ええっと……」
「待て待て待て」

 わたしが狼狽えていると、待ったを掛けたのは久閑さんだった。
 眉間に皺を寄せて久閑さんが白宇くんを睨む。

「お前は一体何を訊いているんだ?」
「いやだって、留花ちゃんにちょっかいを掛けてくる輩がいるかもしれないだろ?その時どう対処するかも考えておかないと」
「……確かに」

 うーん、と深刻に考え始める男二人に苦笑するしかない。

「そんなヒトいないと思いますけど……」
「初めて会った時、ナンパされていたよね?」
「……あれってやっぱりナンパだったんですか?」

 踊り猫のことを言っているのだと察して訊き返す。自意識過剰かなと思っていたのだが、側から見てもそのように見えていたらしい。
 良かった良かった。……いや、何も良くはないな?隙を見せないように気をつけていかないと。
 わたしが思案している傍らで、久閑さんと白宇くんがお互いに顔を見合わせた。

「これは危ないな」
「ふむ、危ない」
「危機管理能力がなさ過ぎる」
「同意見だ」
「古澄さん、この店につれて来た僕が言うのもなんだけど、知らない人にはついて行っちゃダメだよ」
「ついて行きませんよ!」

 散々な言われように思わず立腹する。「わたしは大丈夫です」と言っても、男二人は納得していないようで、

「……やっぱり、対処法を考えないとだな」
「うむ」

 と、二人が話し合いを続けている。
 大丈夫なのになぁ……。
 不服に思いながらも、空いた時間ができたので、メモを見返してレジ打ちの練習を脳内で何度も反芻した。
 男二人の話し合いなんて知らない。知らないったら知らない。

「――よし、取り敢えず、穏便に言ってもダメそうなら実力行使ということで」
「ふむ。その後は勿論出禁だな。二度とこの店に足を踏み入れることのないようにしてやろう」

 男二人が頷き合う。彼らに突っ込む声は何処からも聞こえない。
 何だか物騒なこと言っているなぁ……。
 練習に徹しながら、二人の会話を聞いていたわたしは他人事のように思うだけだった。
 ふと、わたしは疑問を口にした。

「そういえば、お客さんの中にはあやかしがいるって前に久閑さん言っていましたよね?それって、あやかしが人間のお金を持っているということですよね?」

 当たり前のことを訊いている自覚はあった。だが、あやかしがどうやって人間のお金を工面しているのか気になったのだ。
 質問の意図を読み取った久閑さんが答えた。

「人間に変化して人間社会に紛れて暮してお金を稼いでいるあやかしって結構いるんだ。こいつみたいにね」

 久閑さんが指差した先に目を向ければ、白髪の少年がこちらを見ていて――

「いやー、そんなに見つめられると照れますな」

 白宇くんがちっとも照れていない様子で頭を掻く。
 一方のわたしはというと瞠目して、一拍おいて、そして大きな声を発した。

「……白宇くんってあやかしなんですか!?」
「あやかしですなー」
「こんな身なりをしているけど、僕たちよりもずっと年上のあやかしだよ」
「えっ!?」
「こんな身なりなんて言うなよー。動きやすくて結構気に入っているんだぞこの姿」
「因みに、大人の姿にもなれます」
「えっ!?」
「稀にだけどな」
「そして、こんなんでもこの店の店主です」
「えっ!?」
「こんなんなんて言うなよー。歴とした店長だぞー」

 なんて事のないように二人が会話を続けているが、わたしはそれどころじゃなかった。
 次から次へと言われる新事実に、驚きの声を発することしかできない。
 ま、まさか、白宇くんがあやかしだったとは……。しかも年上で、このお店の主だなんて……!
 失礼ながらもそう驚愕してしまった。
 なるほど、『人を見た目で判断してはいけません』なんてよく言うけれど、それはあやかしにも当てはまるようだ。
 わたしはわなわなと震えていたが、これはいけないとがばりと頭を下げた。

「す、すみませんでした!」
「……司樹よ。何故留花ちゃんは謝っているのだ?」
「いや、僕にもわからない」
「し、知らなかったとはいえ、『白宇くん』と気安く呼んでしまってごめんなさい!これからは『白宇さん』とお呼びします!」
「あー、そういうこと。古澄さんは真面目だなぁ」
「ふーむ、おれは別に『くん』でも『さん』でもどちらでも構わないが、『白宇くん』の方が親近感があるから今まで通りで良いぞ」
「……わ、わかりました」

 お、怒られなくてよかった……。
 もう『様』付けでもした方が良いのではないかと考えてしまった程にはテンパっていた。
 お咎めは特になく、ほっと胸を撫で下ろしていると、「そうだ」と何かを思いついた白宇くんがとある提案をした。

「これを機に司樹と留花ちゃんも名前で呼び合ったらどうだ?」
「は?」
「はい?」

 久閑さんとわたしは同時に首を傾げた。
 ……えっと、白宇くんは一体何を言っているのかな?

「苗字で呼び合うなんて色気がな……距離を感じるからな。名前で呼び合った方がおもしろ……親睦を深められると思うんだ」
「おい、何かいろいろと言おうとしただろ」
「何のことだ?」

 突っ込んだ久閑さんに白宇くんはすっとぼけた。

「名前を呼び合うぐらい簡単なことだろ?ほらほら、呼んでみたまえよ」

 白宇くんはニヤニヤと笑っている。
 た、楽しんでいるなこれは……。

「いやいや、名前は一番身近で一番短い呪なんだから、そう易々と呼べるわけ……」
「何をぐちぐち言っているのだ。全く、ほんと司樹はへたれだなー」
「へたれ言うな!」

 ぎゃーぎゃー騒ぐ声を耳で拾いつつも、わたしの頭の中はぐるぐると回っていて。
 名前で呼び合う、とは……?いや、そのまんまの意味なんだろうけど……家族以外に呼ばれた記憶は……ないな、うん。
 呼ばれたとしてももっと幼かった頃ぐらいだ。今では苗字だったり、『貴女』だったり、『お前』だったり、『おい』だったり、『ちょっと』だったり……うん、まともな呼ばれ方をされていないな。いや、わたしも相手を名前で呼んだ記憶はないんだけど。
 白宇くんの場合は、『白宇』としか教えられていなかったし、自分で進んで誰かを名前で呼んだことは……あるようなないような……。
 わたしが一人で過去を振り返っていると、がばりと久閑さんが振り返った。

「古澄さんも名前で呼ばれるのは嫌だよね!?」
「……うーん、久閑さんに呼ばれるのは別に嫌ではないですよ?」
「えっ!?」

 久閑さんがこれでもかと目を見開いた。
 ……あれ、何か間違えたか?でも、想像してみたが、久閑さんに名前を呼ばれたとしても別に嫌な感じはしない。
 寧ろ、自分の名前は気に入っているので、名前を呼んでもらいたいし、久しぶりに誰かの名前を呼んでみたいという気持ちがわき上がった。
 名前を呼ばれるのも呼ぶのも全然嫌じゃないことを素直に告げると、久閑さんが固まった。
 うっ、と言葉に詰まってしどろもどろする久閑さんに、白宇くんがしっかりしろと言わんばかりに「ほれ」と蹴りを入れる。
 その衝撃で久閑さんがたたらを踏んだ。その分だけわたしとの距離が縮まった。
 しっかりと立った久閑さんが視線を合わせてくる。そして、意を決した様子で口を開いた。

「えっと……留花さんって呼んでも良い、ですか?」
「はい……司樹さん」

 二人でいざ名前で呼び合うと、気恥ずかしくて顔が熱くなった。
 ……何これ思っていたよりも恥ずかしい!……でも、何だか、落ち着くなぁ。
 よくわからない感情がわたしの中で迫り上がる。
 熱くなった頬に手を当てつつちらりと司樹さんの様子を窺うと、彼の顔も些か赤い気がする。
 再び目が合って、司樹さんが照れ臭そうに頬を掻きながら笑った。幼く感じるその笑みに心臓がぎゅっと締め付けられるような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~

硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚 多くの人々があやかしの血を引く現代。 猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。 けれどある日、雅に縁談が舞い込む。 お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。 絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが…… 「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」 妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。 しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ロボリース物件の中の少女たち

ジャン・幸田
キャラ文芸
高度なメタリックのロボットを貸す会社の物件には女の子が入っています! 彼女たちを巡る物語。

天狐の上司と訳あって夜のボランティア活動を始めます!※但し、自主的ではなく強制的に。

当麻月菜
キャラ文芸
ド田舎からキラキラ女子になるべく都会(と言っても三番目の都市)に出て来た派遣社員が、訳あって天狐の上司と共に夜のボランティア活動を強制的にさせられるお話。 ちなみに夜のボランティア活動と言っても、その内容は至って健全。……安全ではないけれど。 ※文中に神様や偉人が登場しますが、私(作者)の解釈ですので不快に思われたら申し訳ありませんm(_ _"m) ※12/31タイトル変更しました。 他のサイトにも重複投稿しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

梅子ばあちゃんのゆったりカフェヘようこそ!(東京都下の高尾の片隅で)

なかじまあゆこ
キャラ文芸
『梅子ばあちゃんのカフェへようこそ!』は梅子おばあちゃんの作る美味しい料理で賑わっています。そんなカフェに就職活動に失敗した孫のるり子が住み込みで働くことになって……。 おばあちゃんの家には変わり者の親戚が住んでいてるり子は戸惑いますが、そのうち馴れてきて溶け込んでいきます。 カフェとるり子と個性的な南橋一家の物語です。 どうぞよろしくお願いします(^-^)/ エブリスタでも書いています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...