月狐日和

葉野亜依

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第一話

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 机の引き出しを開ける。赤色を中心とした様々な色が目に映った。
 わたしこと真埜月乃は、先日亡くなった祖母の遺品整理のお手伝いをしている真っ最中だ。
 生前の祖母はお洒落な人だったためか、引き出しの中には色とりどりの口紅やアイシャドウ、いくつものファンデーションなどといった化粧品で溢れかえっていた。
 その中にとても綺麗な筒があった。
 おそらく竹でつくられているのであろうそれは艶やかで、何やら花の模様が彫られている。携帯するためだろうか、首から掛ける用であろう緋色の紐が取り付けられている。

「これも口紅なのかな?」

 どんな色の口紅か気になって蓋を取ろうとしたその時、突然筒が震え出した。

「うわっ!?」

 驚きのあまり思わず筒を落としてしまった。その拍子に蓋が取れてしまって、中からもくもくと煙が出て来た。

「一体何なの!?」

 ごほごほと咳き込みながら煙を手で払う。これが玉手箱だったら、煙を浴びたわたしはおばあさんになっていただろうがそんなことはなくて。
 漸く落ち着いてきた頃、目の前に何かがいることに気がついた。
 純白の体毛は見るからに触り心地が良さそうで、つぶらな漆黒の瞳がじっとこちらを見ている。三角の耳はピンと尖っていて、ふさふさの尻尾が床を一つ叩いた。
 ぐっと前脚を伸ばして、大きく伸びをするその姿は何処からどう見ても――

「き、狐?」

 そう、狐である。この辺りでイタチなら前に見たことがあったけど、まさか狐を見る日が来るなんて思わなかった。

「え、何処から入って来たの!?」

 ――片付けている最中に埃が舞うから窓は開けていたけれど、まさかそこから入って来たとか……?

「その筒の中にいたんだよ」

 思わず口から出た言葉に、返事があった。
 だけど、この部屋にはわたしと狐しかいなくて。扉の方を見たけれど、母が来た訳じゃなかった。そもそも聞き覚えのない声だったので母の声ではない。
 きょろきょろと辺りを見回していると、足元に何かが触れて来た。
 下を見てみると、狐が右脚でわたしの足をちょんちょんとつついていた。

「今喋ったのはぼくだよ」
「……き、狐が喋った!?」

 狐は細長い口を動かして確かに喋っていた。

「き、狐が喋った……」
「二回も言わなくても」

 自分に言い聞かせていたら狐に突っ込まれた。

「そんなにびっくりした?」
「いやいやいや、びっくりするでしょ普通!」

 大きな声を出せば、くつくつと狐が笑った。楽しそうでいいわね……こちらはそれどころじゃない。

「ぼくは管狐」
「くだぎつね?」
「あやかしさ」
「あやかし……」

 見た目はただの狐に見える。けれど、ただの狐がこんな当たり前のように話す訳がない。
 信じ難いがこの狐の言う通り、彼はあやかしなのだろう。

「というか、管狐って何?」
「きみ、管狐を知らないの?」
「知らない」
「ううー……時代だなぁ……。それじゃあ、説明するから取り敢えず座りなよ」
「ああはい」

 言われるがままにその場に座る。何故か正座をしてしまった。

「管狐っていうのは、その名の通り管――竹筒に入った狐のあやかしのことだよ」

 部屋の隅に転がっていた筒を咥えて、狐もとい管狐がわたしの目の前に座った。

「この家は狐憑きの家系なんだ」
「狐憑き?」
「ぼくたち管狐を使役していた家系ってこと。最近は全然使われていないけどね」
「なるほど……?」

 そうは言ったものの、よくわかってはないない。まあ、つまりはこの筒の中に管狐がいたということだけはわかった。

「管狐を使役していたって、どんなことができるの?」

 こんな小さな狐にできることなんて限られているだろう。

「うーん、例えば人の過去や未来が視える」
「え、すご」
「他には、呪うべき者に災いをもたらしたりとか」
「え、怖」
「あとは情報収集が得意だよ!」
「情報収集……」

 予想以上にいろいろとできるようだ。過去や未来が視えるというのも気になる。災いをもたらすというのが具体的にどんなものなのかは訊かない方がいいだろう。

「あの……情報収集っていうのは、誰の情報でもいいわけ?」
「というと?」
「そのー……ちょっと気になっている男の子の好きなものが知りたいなーとか思ったり思わなかったり……」
「なるほど……つまり、好きな人のことが知りたいわけだね」
「わーわー!」

 つい顔が熱くなって、管狐の言葉を遮るように大きな声を出してしまった。
 管狐が耳をへにゃりと下げる。

「うるさっ!」
「ご、ごめん……つい……」
「知りたいんなら情報収集して来るよ?ただし、対価が必要だけどね」
「対価……」

 ――何だろう……お金?……もしかして、お前の命、とか言わないよね!?

「ど、どうか命だけは……」
「何言ってんの」
「へ?じゃあ、お金?」
「別にお金なんていらない」
「じゃあ、対価って何?」

 おそるおそる訊ねてみると、管狐は漆黒の瞳を輝かせた。ぶんぶんと尻尾が振られる。

「勿論、食べ物だよ!特に新鮮な果物とか最高だよね!柿とか桃とか梨とか林檎とかぶどうとか!」
「何だ食べ物か……」

 ほっと胸を撫で下ろす。災い云々言っていたから、怖いことを考えてしまったけど考え過ぎでよかった。

「ところであなた名前は?」
「え?管狐ってさっき言ったよね?」
「それはあやかしとしての種族名的なものでしょ?名前はないの?」
「……つね吉」

 管狐は鼻先に皺を寄せて、ぽつりと自身の名前を口に出した。
 ――何だか歯切れの悪いような……いやこれは……。

「もしかして、照れている?」
「うっ……名前なんて訊かれたこと、あまりなかったから」
「そうなの?」
「うん。ほとんどの場合管狐とかクダとか言われるだけだった。それすらも呼ばれないこともあったし」
「名前で呼んでも良いんだよね?」
「……お好きにどうぞ」

 ぷいっと顔をそらした管狐――つね吉が可愛くて、わたしは小さな体躯を抱き上げた。
 つね吉は「何をする!?」とばたばたと暴れたが、無理やり膝の上に乗せてやった。

「わたしの名前は月乃。真埜月乃だよ。よろしくねつね吉」
「……よろしく」

 小さな顔に顔を近づければ、照れくさそうに逸らされた。

「月乃は変わっているね」
「そうかな?」

 つね吉の尻尾が足の間に垂れている。ふふっとわたしは小さく笑った。

「わたし、犬とか猫とか何か動物を飼いたかったんだよねー」
「ぼくをそこらへんの犬や猫と一緒にしないで……あーそこそこ」

 あまり力を込めすぎないように、ふさふさとした体毛を撫でてやる。目を細めるつね吉は気持ちよさそうだ。
 ――こうしていると普通の狐なんだけどなぁ……。

「もっと強く」
「はーい」

 存外嫌ではないらしく注文された。たぶん猫だったらゴロゴロと喉を鳴らしていると思う。狐だけど。
 管狐は主人の命令をきく存在らしい。けれど今は言われるがまま、わたしがつね吉の背を撫でてやる。
 と、ここでつね吉が訊いてきた。

「月乃は好きな人のどんなことを知りたいんだ?」
「えっと……誕生日と血液型と好きな食べ物、趣味、好きな本のタイトル、休日の過ごし方、あとは……」
「もういいもういい。そうか……月乃はその人のことを何も知らないんだな」
「うっ……」

 痛いところをつかれて黙る。

「だって、朝の挨拶とか連絡事項とか必要最低限のことしか話したことないし……」
「ふーん、名前は?」
「上祢くん」
「フルネームは?」
「……言えない。恥ずかしくて」
「重症だな」

 やれやれと溜息をつかれた。……しょうがないじゃん!

「あー、今思い浮かべている男がそうか。ふむ、イケメンという程ではないがなかなか顔が整っているな」
「ちょっと待って、何でそんなことがわかるの?」
「ぼく、神通力が使えるから」
「何でもありじゃん!」

 ――心にその人のことを思い浮かべただけでわかってしまうとは……この狐、有能過ぎでは?

「それじゃあ、早速その上祢とかいう奴の情報収集に行ってくるよ」

 くるりと体を翻して窓の桟の上に飛び乗り、つね吉が外へと出て行こうとする。わたしはそれをすんでのところで止めた。

「ちょっと待って、何処行くの?」
「上祢の家」
「上祢くんの家がわかるの?」

 ――わたしだって知らないのに!
 口には出していないのに、つね吉が呆れた表情を浮かべた。

「そこらのあやかしに聞き込みすればわかるよ。というわけで、いってきまーす」
「……やっぱりいい!」
「何で」
「本人から訊いてもいないのに、住所まで知っていたら怖くない?」
「はあ……」

 つね吉の耳と尻尾が垂れた。次いで、不貞腐れたようにぶんぶんと尻尾で床を叩いた。

「知りたいの?知りたくないの?どっち?」
「知りたいけど、乙女心が邪魔をするの」
「あーもういいや。好きにして」

 ついにはお手上げだと言わんばかりに、つね吉が仰向けに倒れた。
 左右に揺れる尻尾を眺めつつ、わたしは延々と悩むことになるのだった。
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