冥府探偵零時

札神 八鬼

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本編

第二十四話 幻想売りの少女【前編】

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 賑わいと活気を取り戻しつつある街の大通りを通り過ぎ、脇道に逸れると、歩くほどに周囲が静かになっていくのを感じる。
 ぽつりぽつりと大きな屋敷が並ぶ緩やかな坂道を登ると、やがて、目的の場所が見えてくる。

 ヨウファンの屋敷は街中にあるからか洒落た塗りの壁だったが、こちらは自然の多い景観に溶け込むような石壁だ。
 以前に来た時には気づかなかったが、昔からそうだったのだろうか。
 それともヨウファンが指示して手を入れたのだろうか?

 いや……きっと昔からだ。
 近づいてみて、白羽は思う。
 壁からも表門からも、歳月を重ねた風合いを感じる。
 修繕したとしても最低限だろう。

 細やかな彫り装飾が施された大きな門は、固く閉ざされている。
 視界の端に、サンファが困惑しているような表情を浮かべているのが見えた。
「行き先を教えてくれていれば入れるようにヨウファンに頼んだのに」とでも言いたげだ。
 普段の彼女なら即座に口にしただろう。黙っているのは白羽がそう指示したためだ。

 ここへくるまでの道すがら、白羽は彼女に「なにも言わないでほしい」と頼んだのだ。
 どこへ行っても、なにがあっても、ただじっと見守っていてほしい。心配させるようなことは絶対にしないから、許可を出すまで話しかけないでいてほしい、と。
 我ながら勝手な頼みだとは思ったが、譲れなかった。
 と、サンファは少しだけ困ったような顔をしたものの、「畏まりました」と応じてくれた。「その分しっかりと目を光らせております」と、ふざけたように言いながら。

 白羽は上から下まで確かめるように門を見る。鍵というより魔術で封じられているようだ。ある種の結界。
 それならば、と静かに手を掲げ、そっと触れる。
 と、解錠される感覚があった。
 思い切って押してみると、それはゆっくりと動く。

「まあ……」

 サンファが思わず、と言ったように声をあげ、慌てて自身の口を押さえる。白羽はそんな様子に苦笑しつつ「いいよ」と目で返事をするとそのまま足を踏み入れる。

 サンファは驚いていたが、白羽はなんとなく自分なら入れるような気がしていた。
 ここは、ティエンの邸だから。

 一歩入ると心地よい風が髪を通り抜けていく。
 外の音もほとんど聞こえなくなった。静かな場所とはいえまるで別世界のようだ。

 ゆるい階を、一歩一歩上っていく。
 左右には、自然のままのように枝葉を伸ばす木々。色とりどりの野の花たち。どこからか鳥の声も聞こえてくる。
 どこか懐かしいような感覚がするものの、物珍しさの方が大きい。

 考えてみれば、ここを訪れるのはティエンに呼び出された時以来だし、あの時は何が何だかわからず案内してくれた人について行っただけだ。それに緊張もしていたから周りをゆっくり見る余裕なんかなかった。
 それに、騏驥になればそれ以前の記憶は次第に曖昧になる。
 覚えていることよりも初めて見るものの方が多く感じるのは当然なのだろう。

(でも……)

 実際に見るものや聞くものは初めてでも、肌に感じる感覚はなんとなく馴染みがあるように思える。
 雰囲気や気配——。そういった目に見えないもの・形にはならないものが、なぜか感じられるのだ。
 おそらく、この邸の主であり隅々まで造りにこだわったティエンの持つ雰囲気であり趣味なのだろう。
 そう——おそらく、彼が白羽のために設えてくれた離房に似ているのだ。

 邸自体はさほど広くないものだった。
 今白羽が身を寄せている、ヨウファンの屋敷のその離れよりもさらに小さいぐらいだ。
 だが隅々まで手入れが行き届いている。
 おそらく、主の訪れがなくなってからもヨウファンがしっかりと管理していたのだろう。
 
 加えて母屋の傍には、放牧場のような広い草地まで作られている。これは、以前にはなかった気がするものだ。実際、土もまだ新しそうだ。
 おそらく、自分が主となった際には白羽をここに住まわせようとしていたヨウファンの計らいなのだろう。
 白羽のことを思っての準備だったのだろうが、もしレイゾンを追うことがなければ、本当にここに住むことになっていたかもしれないと改めて感じ、白羽は胸がキュッと痛むような気がした。

 数歩歩いては立ち止まって眺め、見つめ、ゆっくり歩き、小さな池のある庭をぐるりと回り込み、さらに奥に足を進める。
 と——。

(ああ……)

 そこにはまさに、見覚えのある景色が広がっていた。
 神秘的にも感じられる苔庭。木々の葉陰。そっと咲く香り高い花々。磨かれた石で作られた腰掛けと卓……。
 秘密の森。

 白羽は胸の中で感嘆の息をつく。
 懐かしさに胸が熱くなる。揺さぶられる。まだこの光景が残っていたなんて。 
 涙が出そうだった。あの時はここに「彼」がいた。

 ゆっくり——ゆっくりと首を巡らせて全てを眺める。
 清浄に感じられる空気を存分に味わうように大きく息をつき、地に、木に、花に触れる。
 全身で、この場所の気配を感じたくて。
 
 ここから全てが始まった……。

(そして今……わたしは……)

 白羽は天を仰ぐ。
 木漏れ日が、心地良くも眩しい。

 白羽はしばらく目を閉じると、やがて、腰掛けに腰を下ろした。
 サンファは少し離れたところにいる。気を利かせてくれている侍女に感謝しつつ白羽は手招くと、

[ここは懐かしい場所なんだ]

 と書いて見せた。

[まだ人だった頃、ここでティエンさまと会って……お側に仕えることになって……]

 懐かしい。全部が。
 彼の側にいられた日々の全てが。
 全てが大切で、思い出深い。
 
 誰より眩しく、けれど儚かった人。
 ずっと慈しんでくれた。その最期の時まで。
 優しかったティエン。

 でも——。

[でも陛下ティエンさまは……悪い騏驥は……お好きではないよね……]

「…………し……ろはね……さま……?」

 それまでは、にこにこと白羽が書いた紙を見ていたサンファが、恐る恐ると言ったように小さな声を零す。
 白羽はそれを咎めることはしなかった。ただ、唇を噛む。



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