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七章
終結 その2
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「そうか…」
目をつむり、なにかの物思いにふけるような態度で、リバーヘイブン伯は言っていた。
エリックもまた真剣な眼差しで彼の老躯と対峙していた。
どこまで話しただろうか。
確かフローズン・シャドウホール内でなにが起きたのかまでは話した。
『時空のコンパス』それ自体にはなにも意味がないということとクロノスフィアという存在についてもだ。
驚くべきことに。いや、よく考えると当然かも知れない。このリバーヘイブン伯はクロノスフィアのことを知っていた。
「わたしが『時空のコンパス』を探して、こちらに持ってくるように言ったのは、お前も察しが付いていることだろう。かの《古代の遺産》があれば、ヴィクトリオをまたこの時代、この場所へと戻せるかも知れないと思った。いや、その手がかりを掴めるかも知れないとも考えた。だが、これではその意味もなく必要もないということだ。喜ばしいか悲しむべきか…」
この老将はそう言って、頭を軽く横に二度三度と振っていた。
「時の流れとは残酷なものだ…。この時代であの二人はどう生き抜く? もう知人は老い、住む場所は存在せず…だ。もはやすべてを失ったと言っても過言ではあるまい? いや、杞憂か。あいつはそんなことはどうでも良いことだと考える。そういうやつか。恐らくは誰にも頼らず、またこの時代で『自分』というものを貫くのだろうな…」
囁くようにリバーヘイブン伯爵はその言葉を口にするのだった。
◆◇◆
その日、アリアに伴われて、セリアがまだおぼつかない足取りでアドベンチャーズロッジの階下の飯屋に現れていた。
セリアは楚々とした雰囲気で、同じ場所にいた客たちの視線を釘付けにしていた。
まあ、こう小柄で線の細い少女などは珍しくもある。
若い冒険者にこういう少女はいないことはないと思うが、きわめて希少な存在なのだ。それゆえにであろう。
やや周囲の雰囲気に気後れし、さらに目の前にいるエリックやキョウにも気後れしながらアリアと共に彼女は席に着くと、やはり遠慮がちにも見えてしまう態度で、終始食事をしていた。
彼女はエリックが街まで運んだ。
そのときはまだ意識がなく、ようやく目を開いたのは半日過ぎた昨日の昼頃のことだった。
傍らで寝ていたアリアは涙を流しながら喜んでいたらしい。
ちなみに彼女がクロノスフィアに意識を乗っ取られている間のことはまったく覚えていないとのことだ。
いったい、彼女自身にどういう異変が起きたのかを説明すると、ややさびしそうな表情で首飾りのなくなった胸元に手をあてがっていたそうだ。
それにしてもこの痛々しいまでの少女を見ていると、どうにもエリックはいつもの調子が出ないのか、食事中は終始無言だった。
相変わらず、アリアとキョウはけたたましく、そのやりとりにセリアは大きな金色の瞳を時折パチパチさせていた。
少し外の空気に当たろうと言うことで、食事のあとは外に出た。
不意にキョウはセリアの近くによると、その頭を撫でた。
「…身体の調子が治ったら、アリアと旅に出るんだってな?」
唐突にそんなことを言われて、最初は戸惑った様子のセリアであった。
「俺はちょいと野暮用で一緒には行けないが、今度また…どこかで会ったらその時は一緒に冒険しような!」
キョウが満面の笑みで言う。
だが、傍らにいたエリックは分かっている。
彼が何者で、セリアが何者で、この台詞がどういう意味を持つのかを。
こうして見ていると、キョウがかなり我慢しているのが分かってしまう。
記憶のないセリアには当然、そんな彼の気持ちをくみ取ることが出来ない。
ただ彼女は太陽のような笑みを見せて、「はい!」と応えるのみだった。
「そろそろ部屋に戻ろうか?」
「はい。アリアさん…」
表情や態度に疲労が垣間見えたため、アリアがそれを提案した。
セリアはそれを受け入れて、エリックとキョウに背を向けた。
わずかに歩き出した時だった。
またセリアがくるりとキョウのほうに向き直り、もう一度、彼の元へと戻ってきた。
「あの今までありがとうございました。たくさんたくさんありがとうございました!」
にこやかな面持ちでセリアはキョウに言った。
一瞬、言葉の意味が分からずにその場にいた三人は皆一様にきょとんとした顔つきを示した。
「…ごめんなさい。いきなり。でもたぶん。なんとなくなんですけど。キョウさんには記憶の彼方の自分がたくさんお世話になったような気がして…。それでお礼を言っておこうと。どうしてそう思ったのかは自分でもよく分からないですけど、たぶん。そういう人じゃなかったら、今回わたしを助けるようなことにはならないのだと思います。きっと…ですけど」
わずかに自信がなさそうに見える態度だ。しかし、何かしらのひどく感覚的な確信が彼女にその台詞を吐かせている気はしてしまう。
今度こそセリアはキョウに背中を向ける。
アリアは彼女を伴ってアドベンチャーズロッジの中へと消えていった。
そこには男二人が残された。
「良いのですか? 卿。真実を話せば…あなたの身分と彼女の本当の名前を呼びかければ、もしかして記憶も…」
「いいんだよあれで。きっとな…」
わずかばかり寂しそうにキョウは言っていた。
「…過去ってのは良いことばかりじゃねぇ。つらいことだってあるさ。人によっては思い出したくないこともある。あれで良かったんだと俺はそう思いたい。それにこの時代だ。もうあの子を虐める兄王もいなければ、ネズミや虫を食わされなくても済む。食うのを拒否したあいつの代わりに殺される侍女もいなければ、その侍女の血を飲まなければ次の使用人を殺すとも言われねぇ…。アリアに任せておけばあの子は人並みには幸せになってくれる。きっとだ…」
そして、キョウもアドベンチャーズロッジに背を向けた。
『じゃあな、俺の可愛い黒猫ちゃん…。今度こそ幸せになれよ…』
セリアに言えず、誰にもまた言えない台詞を心の中で呟いた。
わずかに吹いた風が彼の長い髪をたなびかせる。
昔々にその髪を結ってくれた少女がいた。
これからは自分でなんとかしなければならないなと考えて、寂しい英雄は街の外へと向かって歩き出したのだった。
目をつむり、なにかの物思いにふけるような態度で、リバーヘイブン伯は言っていた。
エリックもまた真剣な眼差しで彼の老躯と対峙していた。
どこまで話しただろうか。
確かフローズン・シャドウホール内でなにが起きたのかまでは話した。
『時空のコンパス』それ自体にはなにも意味がないということとクロノスフィアという存在についてもだ。
驚くべきことに。いや、よく考えると当然かも知れない。このリバーヘイブン伯はクロノスフィアのことを知っていた。
「わたしが『時空のコンパス』を探して、こちらに持ってくるように言ったのは、お前も察しが付いていることだろう。かの《古代の遺産》があれば、ヴィクトリオをまたこの時代、この場所へと戻せるかも知れないと思った。いや、その手がかりを掴めるかも知れないとも考えた。だが、これではその意味もなく必要もないということだ。喜ばしいか悲しむべきか…」
この老将はそう言って、頭を軽く横に二度三度と振っていた。
「時の流れとは残酷なものだ…。この時代であの二人はどう生き抜く? もう知人は老い、住む場所は存在せず…だ。もはやすべてを失ったと言っても過言ではあるまい? いや、杞憂か。あいつはそんなことはどうでも良いことだと考える。そういうやつか。恐らくは誰にも頼らず、またこの時代で『自分』というものを貫くのだろうな…」
囁くようにリバーヘイブン伯爵はその言葉を口にするのだった。
◆◇◆
その日、アリアに伴われて、セリアがまだおぼつかない足取りでアドベンチャーズロッジの階下の飯屋に現れていた。
セリアは楚々とした雰囲気で、同じ場所にいた客たちの視線を釘付けにしていた。
まあ、こう小柄で線の細い少女などは珍しくもある。
若い冒険者にこういう少女はいないことはないと思うが、きわめて希少な存在なのだ。それゆえにであろう。
やや周囲の雰囲気に気後れし、さらに目の前にいるエリックやキョウにも気後れしながらアリアと共に彼女は席に着くと、やはり遠慮がちにも見えてしまう態度で、終始食事をしていた。
彼女はエリックが街まで運んだ。
そのときはまだ意識がなく、ようやく目を開いたのは半日過ぎた昨日の昼頃のことだった。
傍らで寝ていたアリアは涙を流しながら喜んでいたらしい。
ちなみに彼女がクロノスフィアに意識を乗っ取られている間のことはまったく覚えていないとのことだ。
いったい、彼女自身にどういう異変が起きたのかを説明すると、ややさびしそうな表情で首飾りのなくなった胸元に手をあてがっていたそうだ。
それにしてもこの痛々しいまでの少女を見ていると、どうにもエリックはいつもの調子が出ないのか、食事中は終始無言だった。
相変わらず、アリアとキョウはけたたましく、そのやりとりにセリアは大きな金色の瞳を時折パチパチさせていた。
少し外の空気に当たろうと言うことで、食事のあとは外に出た。
不意にキョウはセリアの近くによると、その頭を撫でた。
「…身体の調子が治ったら、アリアと旅に出るんだってな?」
唐突にそんなことを言われて、最初は戸惑った様子のセリアであった。
「俺はちょいと野暮用で一緒には行けないが、今度また…どこかで会ったらその時は一緒に冒険しような!」
キョウが満面の笑みで言う。
だが、傍らにいたエリックは分かっている。
彼が何者で、セリアが何者で、この台詞がどういう意味を持つのかを。
こうして見ていると、キョウがかなり我慢しているのが分かってしまう。
記憶のないセリアには当然、そんな彼の気持ちをくみ取ることが出来ない。
ただ彼女は太陽のような笑みを見せて、「はい!」と応えるのみだった。
「そろそろ部屋に戻ろうか?」
「はい。アリアさん…」
表情や態度に疲労が垣間見えたため、アリアがそれを提案した。
セリアはそれを受け入れて、エリックとキョウに背を向けた。
わずかに歩き出した時だった。
またセリアがくるりとキョウのほうに向き直り、もう一度、彼の元へと戻ってきた。
「あの今までありがとうございました。たくさんたくさんありがとうございました!」
にこやかな面持ちでセリアはキョウに言った。
一瞬、言葉の意味が分からずにその場にいた三人は皆一様にきょとんとした顔つきを示した。
「…ごめんなさい。いきなり。でもたぶん。なんとなくなんですけど。キョウさんには記憶の彼方の自分がたくさんお世話になったような気がして…。それでお礼を言っておこうと。どうしてそう思ったのかは自分でもよく分からないですけど、たぶん。そういう人じゃなかったら、今回わたしを助けるようなことにはならないのだと思います。きっと…ですけど」
わずかに自信がなさそうに見える態度だ。しかし、何かしらのひどく感覚的な確信が彼女にその台詞を吐かせている気はしてしまう。
今度こそセリアはキョウに背中を向ける。
アリアは彼女を伴ってアドベンチャーズロッジの中へと消えていった。
そこには男二人が残された。
「良いのですか? 卿。真実を話せば…あなたの身分と彼女の本当の名前を呼びかければ、もしかして記憶も…」
「いいんだよあれで。きっとな…」
わずかばかり寂しそうにキョウは言っていた。
「…過去ってのは良いことばかりじゃねぇ。つらいことだってあるさ。人によっては思い出したくないこともある。あれで良かったんだと俺はそう思いたい。それにこの時代だ。もうあの子を虐める兄王もいなければ、ネズミや虫を食わされなくても済む。食うのを拒否したあいつの代わりに殺される侍女もいなければ、その侍女の血を飲まなければ次の使用人を殺すとも言われねぇ…。アリアに任せておけばあの子は人並みには幸せになってくれる。きっとだ…」
そして、キョウもアドベンチャーズロッジに背を向けた。
『じゃあな、俺の可愛い黒猫ちゃん…。今度こそ幸せになれよ…』
セリアに言えず、誰にもまた言えない台詞を心の中で呟いた。
わずかに吹いた風が彼の長い髪をたなびかせる。
昔々にその髪を結ってくれた少女がいた。
これからは自分でなんとかしなければならないなと考えて、寂しい英雄は街の外へと向かって歩き出したのだった。
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