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六章
アリアと名付けられた少女とアリアと名付けられた女性 その8
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眩しい夕日の光が冒険者たちの視界を埋め尽くす。
太陽は赤く燃え、天空に絶妙な光を投げかけていた。それは自分自身が燃え尽きるまでの最後の抵抗かのように見えた。
「なんて綺麗な夕日…」
まだあどけなさの残る冒険者の少女はつぶやいた。彼女の目には、太陽の光が明るすぎて涙が溢れていた。
一方、戦士の男性は彼女の言葉を聞きながらひとつ深く息を吸い込んだ。彼の心は、その痛みと同じくらいに景色の美しさに打たれていた。
そのフローズン・シャドウホールという壮大な迷宮の出入口である丘から見える光景の話である。
今し方その場所には三十人を超えるであろう冒険者の集団がいた。
皆々がこの狂気の迷宮の中で遭難しかけていたという共通点がある。
もうダメではないかとそう思いかけた時、迷宮内には深い霧のようなもやのようなものが発生し、気づいた時には各々が迷宮の出入口にいたという経緯を持っていた。
彼らは信じられない面持ちで顔を見合わせると、その木偶痔とも呼べる場所を目指して歩いた。
外に出た時に彼らが見たのはこの雄大な沈みゆく太陽だったというわけだ。
「わたしたち本当に出られたんだよね?」
アミーラがそれを口にすると、「そうみたいだな?」とディランが答えた。
「夢じゃないみたいですね」
リリアという少女が言うと、隣にいた巨漢の男フリントは「俺たち助かったみてぇだ」と、やや惚けたような顔つきで頷いていた。
冒険者だけではなかった。
この一行の中にはいくにんか《深きから忍び寄るものたち》たちもいた。
「本当に地上だ。久しぶりの地上だ。なあ、キョウのアニキはいないみたいだけど?」
ダミアンが言うと、隣にいたセバスが静かな口調で言うのだった。
「アニキはその内ひょっこり出てくるよ。だってアニキは…あり魔獣ヴォルガルムを倒したことがあるとか言っていたんだ。そんなに簡単にやられたりはしないよ」
その言葉に《深きから忍び寄るものたち》たちは頷いていた。
彼らの前に広がる景色は壮大な草原と遠くの山脈、そして、それらを包む燃えるような夕日。それは、彼らがこれまでに見た中でも最も美しく、そして、最も厳しい風景のひとつだった。
グリーンヘイブンと呼ばれる冒険者が数多く滞在する街から、約一時間ほど歩いた郊外に
存在するその迷宮こそがフローズン・シャドウホールと呼ばれる迷宮である。
その狂気の人食い迷宮の出入口で彼らはただ呆然と立ち尽くし、それぞれが自分の生命を確かめるようにして様々な思いに馳せていた。
まだ人々は続々と迷宮の穴から這い出てきていた。
その壮大な太陽は自らの身が完全に引いてしまうまで、彼らの身を優しい暖かな眩しい光で包み込んでいるのだった。
◆◇◆
闇は厚く、温度と同じように感じられ、冷たさは静かな音を立てて骨に染み入る。
それは石の床からひんやりと発せられる凍えるような感触だ。
静寂は深い。
だが、それは静寂の中に漂う柔らかな囁きのようでもあった。
遠くで水滴が落ちる音がしていた。
天井のどこからかしみ出したそれが、ある程度の大きさの水たまりを作っている寂しい音であった。
改めてそのフローズン・シャドウホールという迷宮の悪い足場に難儀しながらアリアはキョウの元へと向かった。
どうやら自分もセリアの一撃のせいで足に来ているようだった。
ややいつもよりはおぼつかない足取りで、仰向けの彼の傍らへと向かう。
そして、上からその顔をのぞき込んだ。
確かに息はしている。
目も開いて時折瞬きもしていた。
ただなんだか呆然としている様子である。
彼もまた疲れているのだろう。
なにも考えられないのか、それとも逆に何かの考えに浸っているのかはアリアには分からなかったが。
「…水はあるか?」
唐突に声を掛けられて一瞬戸惑いはしたものの、すぐにアリアは意図を察して腰の水袋を差し出す。
キョウは半身を起こして、その水袋を受け取ると、中をすべて飲みほさんとする勢いで一気に水を腹の中に流し込んでいた。
キョウは一瞥する。
その傍らに砕け散っていたクロノスフィアを。
そして、それからセリアのほうを見ているのだろうか。
なんだか、その横顔がなんとも言えない表情であることにアリアは気づいてしまった。
憂いのような悲しさを押し殺しているような。
なんとも複雑な表情。
それは今までの彼がけして見せたことのない表情だった。
エリックも傍らに来ている。彼もまたいつもは見せない複雑な表情でなにも発しなかった。
「…アリア…この娘はアリアが…君が助けてくれたのか?」
「ええ。わたしとランディがさまよっていたら突然現れたわ」
「そうか…」
小さく呟いて、少し離れた場所に転がっている仲間の死骸を見て、また複雑な顔つきを示すキョウであった。
「この子、記憶を失っていて…自分が誰か分からないみたいなの。セリアって名前を付けてあげたわ。…でもキョウあなたこの子の…」
そこまで言いかけて止めた。
なんだか、察してしまった。
キョウのことやセリアのことをあまり深くは聞かないほうが良い気がしてしまった。
相当に複雑な事情があるに違いない。
少なくとも彼等が自分たちでそのことを話し始めるまではこのままのほうが良い。
言葉を途中で句切ったアリアは何気なしに項垂れるような面持ちを示していた。
「…そうか。セリアって名前なのか。いい名前だな。アリアって名前もいい名前だが。昔同じ名前の猫を飼っていた」
「はぁ?」
突如そんなことを言われてアリアは眉をひそめて表情で抗議していた。
それを見てキョウは「ふふっ」と笑っていた。
「猫の名前って、それってバカにしていない? いい? この名前はわたしを拾ってくれたお姉さんが付けてくれた名前なの! かの英雄、ブレイトハートがソフィア・アルカディア王女に付けた愛称という由緒ある名前なのよ!」
なおも続けようとするアリアの言葉を遮るようにしてキョウは言う。
「よーーーーーく、知ってるよ! あいつがクソみたいな英雄で、そのおかげで戦争が起きたって話までよーーーーく、知っているよ! アルカディア王女が怖い夢を見るからと言う理由でよくブレイトハートの寝所に忍び込んでおねしょしていたことまで知っているよ!」
「はぁ? そんなわけないでしょ! 見てきたようなこと言わないでよ!」
あからさまに怒り収まらない様子でアリアが言うと、キョウは頭を掻きながら「参ったな」と呟いた。
それからアリアは一つ笑いを見せてこう言った。
「それにしても良く隙を突いて首飾りをもぎ取ったわね。最初からああするつもりだったんでしょ? 身体は大丈夫なの?」
「ああ。まあ、やられた振りをすれば近づいて来るだろうってのは考えてた。でも誤算だったのはあの光の球がすっげぇ痛かったことだ。何秒かは本当に意識なくしてたと思う」
「はぁ? ちょっと本気なの? 本当に死んだ可能性もあるってことよね?」
「まあ、な。でもいけるだろう? 俺はわりとタブなほうだからな!」
「あんたバカじゃないの?」
またしても怒ったように言うアリア。
今度は笑みをみせるでもなく、キョウはまた再びその場にドッと倒れて悪びれもなく言うのだった。
「その言葉よく言われるから慣れてるぜ! それよりアリア…」
「なによ?」
「…俺に惚れるなよ!」
冗談めかしてキョウが言うと、アリアはぷいっとそっぽを向いた。
「やらせないからね!」
「…まだあの時のこと覚えていたのか…? もう忘れろ…」
キョウは少しだけ困ったようにしてその台詞をアリアに投げかけていた。
太陽は赤く燃え、天空に絶妙な光を投げかけていた。それは自分自身が燃え尽きるまでの最後の抵抗かのように見えた。
「なんて綺麗な夕日…」
まだあどけなさの残る冒険者の少女はつぶやいた。彼女の目には、太陽の光が明るすぎて涙が溢れていた。
一方、戦士の男性は彼女の言葉を聞きながらひとつ深く息を吸い込んだ。彼の心は、その痛みと同じくらいに景色の美しさに打たれていた。
そのフローズン・シャドウホールという壮大な迷宮の出入口である丘から見える光景の話である。
今し方その場所には三十人を超えるであろう冒険者の集団がいた。
皆々がこの狂気の迷宮の中で遭難しかけていたという共通点がある。
もうダメではないかとそう思いかけた時、迷宮内には深い霧のようなもやのようなものが発生し、気づいた時には各々が迷宮の出入口にいたという経緯を持っていた。
彼らは信じられない面持ちで顔を見合わせると、その木偶痔とも呼べる場所を目指して歩いた。
外に出た時に彼らが見たのはこの雄大な沈みゆく太陽だったというわけだ。
「わたしたち本当に出られたんだよね?」
アミーラがそれを口にすると、「そうみたいだな?」とディランが答えた。
「夢じゃないみたいですね」
リリアという少女が言うと、隣にいた巨漢の男フリントは「俺たち助かったみてぇだ」と、やや惚けたような顔つきで頷いていた。
冒険者だけではなかった。
この一行の中にはいくにんか《深きから忍び寄るものたち》たちもいた。
「本当に地上だ。久しぶりの地上だ。なあ、キョウのアニキはいないみたいだけど?」
ダミアンが言うと、隣にいたセバスが静かな口調で言うのだった。
「アニキはその内ひょっこり出てくるよ。だってアニキは…あり魔獣ヴォルガルムを倒したことがあるとか言っていたんだ。そんなに簡単にやられたりはしないよ」
その言葉に《深きから忍び寄るものたち》たちは頷いていた。
彼らの前に広がる景色は壮大な草原と遠くの山脈、そして、それらを包む燃えるような夕日。それは、彼らがこれまでに見た中でも最も美しく、そして、最も厳しい風景のひとつだった。
グリーンヘイブンと呼ばれる冒険者が数多く滞在する街から、約一時間ほど歩いた郊外に
存在するその迷宮こそがフローズン・シャドウホールと呼ばれる迷宮である。
その狂気の人食い迷宮の出入口で彼らはただ呆然と立ち尽くし、それぞれが自分の生命を確かめるようにして様々な思いに馳せていた。
まだ人々は続々と迷宮の穴から這い出てきていた。
その壮大な太陽は自らの身が完全に引いてしまうまで、彼らの身を優しい暖かな眩しい光で包み込んでいるのだった。
◆◇◆
闇は厚く、温度と同じように感じられ、冷たさは静かな音を立てて骨に染み入る。
それは石の床からひんやりと発せられる凍えるような感触だ。
静寂は深い。
だが、それは静寂の中に漂う柔らかな囁きのようでもあった。
遠くで水滴が落ちる音がしていた。
天井のどこからかしみ出したそれが、ある程度の大きさの水たまりを作っている寂しい音であった。
改めてそのフローズン・シャドウホールという迷宮の悪い足場に難儀しながらアリアはキョウの元へと向かった。
どうやら自分もセリアの一撃のせいで足に来ているようだった。
ややいつもよりはおぼつかない足取りで、仰向けの彼の傍らへと向かう。
そして、上からその顔をのぞき込んだ。
確かに息はしている。
目も開いて時折瞬きもしていた。
ただなんだか呆然としている様子である。
彼もまた疲れているのだろう。
なにも考えられないのか、それとも逆に何かの考えに浸っているのかはアリアには分からなかったが。
「…水はあるか?」
唐突に声を掛けられて一瞬戸惑いはしたものの、すぐにアリアは意図を察して腰の水袋を差し出す。
キョウは半身を起こして、その水袋を受け取ると、中をすべて飲みほさんとする勢いで一気に水を腹の中に流し込んでいた。
キョウは一瞥する。
その傍らに砕け散っていたクロノスフィアを。
そして、それからセリアのほうを見ているのだろうか。
なんだか、その横顔がなんとも言えない表情であることにアリアは気づいてしまった。
憂いのような悲しさを押し殺しているような。
なんとも複雑な表情。
それは今までの彼がけして見せたことのない表情だった。
エリックも傍らに来ている。彼もまたいつもは見せない複雑な表情でなにも発しなかった。
「…アリア…この娘はアリアが…君が助けてくれたのか?」
「ええ。わたしとランディがさまよっていたら突然現れたわ」
「そうか…」
小さく呟いて、少し離れた場所に転がっている仲間の死骸を見て、また複雑な顔つきを示すキョウであった。
「この子、記憶を失っていて…自分が誰か分からないみたいなの。セリアって名前を付けてあげたわ。…でもキョウあなたこの子の…」
そこまで言いかけて止めた。
なんだか、察してしまった。
キョウのことやセリアのことをあまり深くは聞かないほうが良い気がしてしまった。
相当に複雑な事情があるに違いない。
少なくとも彼等が自分たちでそのことを話し始めるまではこのままのほうが良い。
言葉を途中で句切ったアリアは何気なしに項垂れるような面持ちを示していた。
「…そうか。セリアって名前なのか。いい名前だな。アリアって名前もいい名前だが。昔同じ名前の猫を飼っていた」
「はぁ?」
突如そんなことを言われてアリアは眉をひそめて表情で抗議していた。
それを見てキョウは「ふふっ」と笑っていた。
「猫の名前って、それってバカにしていない? いい? この名前はわたしを拾ってくれたお姉さんが付けてくれた名前なの! かの英雄、ブレイトハートがソフィア・アルカディア王女に付けた愛称という由緒ある名前なのよ!」
なおも続けようとするアリアの言葉を遮るようにしてキョウは言う。
「よーーーーーく、知ってるよ! あいつがクソみたいな英雄で、そのおかげで戦争が起きたって話までよーーーーく、知っているよ! アルカディア王女が怖い夢を見るからと言う理由でよくブレイトハートの寝所に忍び込んでおねしょしていたことまで知っているよ!」
「はぁ? そんなわけないでしょ! 見てきたようなこと言わないでよ!」
あからさまに怒り収まらない様子でアリアが言うと、キョウは頭を掻きながら「参ったな」と呟いた。
それからアリアは一つ笑いを見せてこう言った。
「それにしても良く隙を突いて首飾りをもぎ取ったわね。最初からああするつもりだったんでしょ? 身体は大丈夫なの?」
「ああ。まあ、やられた振りをすれば近づいて来るだろうってのは考えてた。でも誤算だったのはあの光の球がすっげぇ痛かったことだ。何秒かは本当に意識なくしてたと思う」
「はぁ? ちょっと本気なの? 本当に死んだ可能性もあるってことよね?」
「まあ、な。でもいけるだろう? 俺はわりとタブなほうだからな!」
「あんたバカじゃないの?」
またしても怒ったように言うアリア。
今度は笑みをみせるでもなく、キョウはまた再びその場にドッと倒れて悪びれもなく言うのだった。
「その言葉よく言われるから慣れてるぜ! それよりアリア…」
「なによ?」
「…俺に惚れるなよ!」
冗談めかしてキョウが言うと、アリアはぷいっとそっぽを向いた。
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