フローズン・シャドウホールの狂気

バナナチップボーイ

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五章

冷たい影の穴の中で…。 その4

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見渡す限り、この通路は無機質な沈黙に包まれていた。
静寂は耳鳴りのように深い闇の中に響き渡り、壁からしみ出す湿気が空気を濃厚で冷たいものに変えていた。
穴に逃れて難を逃れたアリアとセリアは穴の奥が意外に広くなっていることに気づき、先へと進んだ。
やはり同じように狭い穴をくぐり抜けるとそこには通路があったのだ。
人間が一度通り過ぎた形跡のある壁は、かつてあった力強さを今は失い、彼らの寂しさを訴えるかのように所々崩れ落ちていた。壁にくっついた苔は、生命の息吹を思わせる唯一の存在だったが、それさえも朽ちかけていた。
かすかに響く水滴の音は、この無機的な世界に対する不協和音のようであり、それは何時間も通路の静寂を刺すように響き続けた。それが奏でる音楽は、この場所が時とともにじわじわと変わりつつあることを暗示していた。
その通路の途中ではもう何年前の犠牲者なのか、ひからびた死体一体に出くわしたのみである。
供養の手間を掛けるいとまも準備もない彼女たちはその死体を無視して慎重に先へと進んだ。
セリアは片手には杖を握りしめ、もう片手ではアリアの衣服の裾を掴んでいる。
穴から這い出てから緊張した面持ちで随時その調子であった。
ふとセリアが無理をしているのではないかということに気づいてアリアは歩みを止めた。
「ちょっと休みましょう」
荷物を下ろして、通路に腰掛ける。
壁により掛かって二人はまるで寄り添うようにしていた。
「…大丈夫? 足とか痛くなってない?」
「…うん」
隣でうなずくセリアである。
こうして近い位置で見ると、驚くべきほどに容姿が整っているとアリアは改めて感じた。
すすや泥で汚れているが、それが妙に痛々しい。
水を差しだしてセリアに飲ませる。
けして残りは多くなかった。
どこかで水源に出くわしてくれれば良いと切実に思うのだ。
食料もけして多いわけではない。何日かは持つだろうという量は持ち込んでいたが、それはあくまでアリア一人分だった。
こうして探索の途中で人数が増えるという自体は予想していなかった。
二人で一人分の食料を分けると想定の半分の日数分しかないということになる。
もっとも、どこかで先ほどの死体のような行き倒れがいれば、もう使わなくなった道具類や食料などをいただくことが出来るのだが。
正直参っている。
迷宮ダンジョンで「迷う」ということは死に繋がる。
こちらが望んでいなくてもあちら側からヒシヒシとそれは迫っているのだ。
「傷とかない? 大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「無理とかしないで正直に言ってね。その傷が膿んでそれが原因で死ぬ人もいるから…」
「はい。傷はないと思います」
念を押して言っておいた。なんでか、「遠慮」とかそういったものが感じられる娘なのだ。
卑屈とまでは言いたくないが、このセリアという子はなにか自分に不都合があっても「我慢」という選択しそうな雰囲気をアリアは感じ取っていた。
自分もそうだったから分かるのだ。
なんだか、それを申し出るのはひどく良くないことではないかと思えてしまうのだ。
奴隷として過ごしたのは、故郷で売られて姉と慕う冒険者に助けられるまで数日なのに、ずいぶんと奴隷根性が染みついたものだった。
「あのアリアさん…わたしたちはこれからどうなるのでしょう?」
うつむきながらぽつりとセリアがこぼした。
「まず地上に出るわ。この通路の先に進むの。それと…」
「はい…」
「どうなるのでしょう…という言い方はしてはダメ。自分の運命を預けてはダメ。大事なのは『どうする』か…よ」
「…はい。すみません」
そう答えたセリアの表情は暗い。なんだか、こういう物言いが苦手なのかも知れない。
「謝らなくてもいいわ。わたしのそれも受け売りなの。わたしが最初に姉さんから言われたことよ」
アリアがやや遠い目をすると、セリアは少しだけ驚いたように金色の目を大きくした。
「それともう一つ…」
「はい…」
「…わたしのことはアリアではなくて、お姉さんとかお姉ちゃんとかお姉様って呼んでいいのよ…」
アリアが提示すると、セリアは困ったような表情でうつむいてしまうのだった。

                 ◆◇◆

「おかしい」
そう思いつつもアリアは言葉には出さなかった。
セリアに対して言ってしまった手前、自分が弱音を吐くことは出来なかった。
あの死体がある通路に出てからすでにかなりの時間が経過していた。
通路を前に進むと、あの死体がある場所に戻ってしまう。
すでに最初に死体を見つけてから、二人は三回の食事と二回の排泄を済ませていたが、通路を脱出することはかなわなかった。
足を止める。
三回目の遭遇。またあのひからびた死体がある場所だ。
二回目に遭遇した時点で、目印は付けてある。
もしかしたら似たような死体が存在して、自分たちが勘違いしていると言うことも想定されるためだった。
しかしながら、目印は存在している。
つまりは似たような死体と遭遇しているのではなくて、あの同じ死体と遭遇しているのだった。
「…ここはそういう通路なのかしら?」
つまりのところは回廊になっており、延々と自分たちは同じところを走っている。
もしかしたらこの死体もここから出られずにこうなったのかも知れない。
「どうすれば…?」
セリアが杖をぎゅっと握りしめながら口にした。様々な思いがあるのだろうが、口に出さないようにしているのだろう。数日前のアリアの一言を意識しているのかも知れない。
「考えるのよ…! こういうときは他に取るべき選択がないかどうか…」
アリアはこのダンジョンに潜って初めて難しい顔つきを示した。
「…あの」
おそるおそると言った雰囲気でセリアが声を掛ける。アリアが彼女に向き直る。
「今来た道を逆に戻ってみてはどうでしょうか…?」
言った後でセリアはぎゅっと今度は目をつむった。
とても自分はバカなことを言ったと後悔しているような顔つきだった。
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