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第13話 夢を結う
2 あふれる世界
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階段をあがってすぐの国王の執務室へと、るりなみは急ぎ足で向かった。
鏡の奥のゆめづきと話していたのは、どのくらいのあいだだったのか……時間をよくたしかめてもいなかったが、執務室の扉のもとに立っていた衛兵は、無言で礼をして、るりなみを中へ通した。
ガラス張りの部屋の窓の向こうには、灰色の曇り空が広がっていた。
こちらに背を向け、そのもとの王都の街を見下ろしている人がいた。
国王あめかみだった。
るりなみは、父であるあめかみに、おずおずと近づいていく。るりなみに気づいているはずなのに、あめかみはまだ外を見ている。
その父のうしろ姿からは、ぴりぴりと張りつめたものが感じられた。
ひょっとして、ゆめづきのことを、なにか知っているのだろうか?
鏡の向こうに現れたゆめづきのことを、話せるだろうか。
いや、るりなみの話なんて、信じてくれないだろうか……。
そう思いながら父に近づいたるりなみは、ついに声をかけた。
「父上」
その呼びかけで、やっと、あめかみはこちらを向いた。
そしてるりなみにじっと目を向け、特別に威厳のある声で言った。
「るりなみ。王位継承者になる気はあるか?」
るりなみは、雷に打たれたように固まった。
とっさに、いろいろなことが心をめぐった。
ゆめづきが今までに何度も見せてくれた、あの時計。
その針が、先を決めてしまったこと。
時空を変えてしまった、と言い残して、どこかの世界へ消えていったゆめづき──。
ゆめづきが王位継承者から外れるような道に、時空が変わってしまったのだろうか?
ゆめづきは、自らそれを変えたのだろうか?
それで、あんなふうに鏡の奥へ──?
心がざわざわとして、るりなみはそのことしか考えられなくなる。
広がる王都を背にして立つ父が、るりなみの心を見極めようとするように、すう、と目を細める。
その姿も、ぐわんぐわんとゆがんで見えるかのようだった。
るりなみは、ふるふると首を小さく横に振って、なんとか言葉をしぼりだした。
「かっ、考えさせてください……!」
その言葉を残し、逃げるように執務室を──父のもとを退出した。
* * *
らせん階段を駆けおりようとして、るりなみはぎょっとして立ちすくんだ。
階段の壁に張られた、あのゆめづきを映した鏡。
そこに映る自分が──数字でできているように見えた。
「うああっ」
るりなみは飛びあがりそうになり、階段を踏み外した。
何段かを転がって、打ちつけた体の痛みに泣きそうになりながらも、顔をあげる。
おそるおそる鏡を見あげると、その向こうの数の世界が──るりなみが少し前に迷いこんだ、すべてが数で埋め尽くされた世界が、どくん、と脈うった。
鏡の向こうは、見たこともない文字や記号の世界にもなり、音符たちの世界にもなり、それらがめちゃくちゃに重なりあって、わけのわからない世界が映された。
「あ、あ……っ」
口をぱくぱくさせるるりなみの前で、鏡の向こうの文字や記号の乱舞が、大波をなして鏡からあふれだし、おそいかかってきた。
無数の記号の大群は、水流のように階段にあふれ続ける。
その波や端っこから転がったかけらに触れられた先から、階段の輪郭が、あいまいに置きかえられていく……数や音符に、あるいは見たことのない文字や記号に……。
あの波をかぶったら、自分も数や文字になってしまう!
ぞわりとした震えに立ち上がらされ、るりなみは階段を夢中で駆けおりた。
しかし自分の部屋のある階にたどりつき、ちらりと部屋のほうを見たとたん、るりなみは階段から一歩も動けなくなった。
数や文字の波が、らせんの上のどこまでせまってきているか、振り向くこともできず、その場に縫いつけられたように、体が動かない。
「あっ、えっ、なんで……!」
恐怖と混乱で涙がこぼれそうになる中で、るりなみは、自分の目の前にうっすらとできた影がひとりでに、ちょいちょい、と手先を動かすのを見た。
「僕の影さん……!」
影は、るりなみの部屋のほうを指さしていた。
心の中に、お祭りの夜にも聞いた影の声が響いた。
〝るりなみ。逃げるなら、あの宝物を持っていったほうがいい〟
影の言葉で、るりなみはぴんときた。
影がうなずくと、体の自由が戻った。
るりなみは自分の部屋に駆けこみ、大急ぎで、だがしっかりとした手つきで、誕生日にもらった三つの贈り物を、引き出しから取り出した。
羅針盤と望遠鏡は、かばんに入れて、肩からななめにかける。
大きな青い帽子は、少し迷ってから、頭にかぶった。
どこに逃げればいいか、なにが起こっているのか、ゆめづきはどうしてしまったのか……わからないことだらけだったが、自分の影がいつもいっしょにいてくれることを思い出して、心強かった。
〝急ごう、るりなみ〟
影の声にうながされ、るりなみが部屋を走りだそうと扉を開けた先で、らせん階段の上から、数字や文字の大波がなだれこみ──るりなみの部屋の前の世界を組みかえていった。
〝こっちだ!〟
るりなみは見えないものに手を引かれるように、いや、床に伸びた影に動かされるようにして、部屋にあともどりして、はっとした。
バルコニーに駆け出して、るりなみは、奥に開かれたままになっていた穴を見つけた。
そこから続く滑り台を降りれば、下の階へ逃げられる。
その階からは、らせん階段とは別の階段を下っていけるはずだ。
るりなみは穴に飛びこみ……そうして、なんとか屋上庭園まで逃げのびた。
* * *
鏡の奥のゆめづきと話していたのは、どのくらいのあいだだったのか……時間をよくたしかめてもいなかったが、執務室の扉のもとに立っていた衛兵は、無言で礼をして、るりなみを中へ通した。
ガラス張りの部屋の窓の向こうには、灰色の曇り空が広がっていた。
こちらに背を向け、そのもとの王都の街を見下ろしている人がいた。
国王あめかみだった。
るりなみは、父であるあめかみに、おずおずと近づいていく。るりなみに気づいているはずなのに、あめかみはまだ外を見ている。
その父のうしろ姿からは、ぴりぴりと張りつめたものが感じられた。
ひょっとして、ゆめづきのことを、なにか知っているのだろうか?
鏡の向こうに現れたゆめづきのことを、話せるだろうか。
いや、るりなみの話なんて、信じてくれないだろうか……。
そう思いながら父に近づいたるりなみは、ついに声をかけた。
「父上」
その呼びかけで、やっと、あめかみはこちらを向いた。
そしてるりなみにじっと目を向け、特別に威厳のある声で言った。
「るりなみ。王位継承者になる気はあるか?」
るりなみは、雷に打たれたように固まった。
とっさに、いろいろなことが心をめぐった。
ゆめづきが今までに何度も見せてくれた、あの時計。
その針が、先を決めてしまったこと。
時空を変えてしまった、と言い残して、どこかの世界へ消えていったゆめづき──。
ゆめづきが王位継承者から外れるような道に、時空が変わってしまったのだろうか?
ゆめづきは、自らそれを変えたのだろうか?
それで、あんなふうに鏡の奥へ──?
心がざわざわとして、るりなみはそのことしか考えられなくなる。
広がる王都を背にして立つ父が、るりなみの心を見極めようとするように、すう、と目を細める。
その姿も、ぐわんぐわんとゆがんで見えるかのようだった。
るりなみは、ふるふると首を小さく横に振って、なんとか言葉をしぼりだした。
「かっ、考えさせてください……!」
その言葉を残し、逃げるように執務室を──父のもとを退出した。
* * *
らせん階段を駆けおりようとして、るりなみはぎょっとして立ちすくんだ。
階段の壁に張られた、あのゆめづきを映した鏡。
そこに映る自分が──数字でできているように見えた。
「うああっ」
るりなみは飛びあがりそうになり、階段を踏み外した。
何段かを転がって、打ちつけた体の痛みに泣きそうになりながらも、顔をあげる。
おそるおそる鏡を見あげると、その向こうの数の世界が──るりなみが少し前に迷いこんだ、すべてが数で埋め尽くされた世界が、どくん、と脈うった。
鏡の向こうは、見たこともない文字や記号の世界にもなり、音符たちの世界にもなり、それらがめちゃくちゃに重なりあって、わけのわからない世界が映された。
「あ、あ……っ」
口をぱくぱくさせるるりなみの前で、鏡の向こうの文字や記号の乱舞が、大波をなして鏡からあふれだし、おそいかかってきた。
無数の記号の大群は、水流のように階段にあふれ続ける。
その波や端っこから転がったかけらに触れられた先から、階段の輪郭が、あいまいに置きかえられていく……数や音符に、あるいは見たことのない文字や記号に……。
あの波をかぶったら、自分も数や文字になってしまう!
ぞわりとした震えに立ち上がらされ、るりなみは階段を夢中で駆けおりた。
しかし自分の部屋のある階にたどりつき、ちらりと部屋のほうを見たとたん、るりなみは階段から一歩も動けなくなった。
数や文字の波が、らせんの上のどこまでせまってきているか、振り向くこともできず、その場に縫いつけられたように、体が動かない。
「あっ、えっ、なんで……!」
恐怖と混乱で涙がこぼれそうになる中で、るりなみは、自分の目の前にうっすらとできた影がひとりでに、ちょいちょい、と手先を動かすのを見た。
「僕の影さん……!」
影は、るりなみの部屋のほうを指さしていた。
心の中に、お祭りの夜にも聞いた影の声が響いた。
〝るりなみ。逃げるなら、あの宝物を持っていったほうがいい〟
影の言葉で、るりなみはぴんときた。
影がうなずくと、体の自由が戻った。
るりなみは自分の部屋に駆けこみ、大急ぎで、だがしっかりとした手つきで、誕生日にもらった三つの贈り物を、引き出しから取り出した。
羅針盤と望遠鏡は、かばんに入れて、肩からななめにかける。
大きな青い帽子は、少し迷ってから、頭にかぶった。
どこに逃げればいいか、なにが起こっているのか、ゆめづきはどうしてしまったのか……わからないことだらけだったが、自分の影がいつもいっしょにいてくれることを思い出して、心強かった。
〝急ごう、るりなみ〟
影の声にうながされ、るりなみが部屋を走りだそうと扉を開けた先で、らせん階段の上から、数字や文字の大波がなだれこみ──るりなみの部屋の前の世界を組みかえていった。
〝こっちだ!〟
るりなみは見えないものに手を引かれるように、いや、床に伸びた影に動かされるようにして、部屋にあともどりして、はっとした。
バルコニーに駆け出して、るりなみは、奥に開かれたままになっていた穴を見つけた。
そこから続く滑り台を降りれば、下の階へ逃げられる。
その階からは、らせん階段とは別の階段を下っていけるはずだ。
るりなみは穴に飛びこみ……そうして、なんとか屋上庭園まで逃げのびた。
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