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第11話 風の航海

7 めぐる世界の中で

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 るりなみの部屋は、しかし、がらんとしていた。

 広々とした部屋の真ん中のベッドの前に、銀の竪琴たてごとが立っていて、お昼の太陽の光をびて、いっぱいに音楽おんがくひびかせていた。
 そそぐ光を、音にしてっていくはたのようなたたずまいだ。

 そこに、いているはずの……弾いているべき、ゆいりの姿すがたが見えないことに、るりなみはむしょうにさみしくなり、心にざわざわと波が立った。

 るりなみはとぼとぼと竪琴に近づいていく。

「ゆいり……」

 風にほどけるように消えていく竪琴を前にして、ぽろり、とるりなみの目から、涙がひとつぶこぼれ落ちた。

「どっ、どうしたんだ、るりなみ!」

 風の子がひゅっ、と風の姿になって竪琴のあった場所にまわりこみ、心配しんぱいそうな少年の姿にもどって、るりなみをのぞきこむ。

「な、なんでもないんだ」
「なんでもないようには、見えないぞ!」

 心のそこから心配しているような風の子に見つめられ、るりなみは……ぽつりぽつりと、心になみったことを、言葉にしていた。

「もし、いつか、ゆいりが……いなくなってしまったとき……、ゆいりはこうやって、姿はあらわさないけれど、魔法の楽器がっきかなでたり、魔法の船をある朝、僕のまくらもといておいてくれたりするのかな、って思っちゃって……」

 風の子は本当に心配そうに目を見ひらいたあと、急にその目をせた。
 そうしてしばらく、うつむいてだまっていたが……。

「るりなみ。俺、るりなみの友達だけど、るりなみに言えないこと、いっぱいあるよ」
「え?」

 つらそうなその口調くちょうに、るりなみは悲しい空想くうそうも半分き飛ばされて、風の子をまじまじと見た。

「話したいのに、話せないことが、たくさんあるの?」
べつに、とりたてて話したいわけじゃない。俺はるりなみに出会って、あの風の伯爵はくしゃくのもとへ行って……『しき風』になろうと、やいばみがいているんだ」

 るりなみがこの風の子と出会ったとき、やまいをもたらす「悪しき風」である風の伯爵があらわれて、るりなみを高熱こうねつませ、体の中のいのち戦場せんじょう案内あんないした。

 戦場でのたたかいを見た風の子は、命をうばちからに……「悪しき」とも言われる力の先になにかを見て、風の伯爵のもとについていくことを決めたのだった。

 その力をあらわすような漆黒しっこく衣装いしょうらしながら、風の子はつづけた。

動物どうぶつ植物しょくぶつの命を奪う場面ばめんだって、いっぱいあるんだ。生きとし生けるもの……人間だってそうだ」
「あ……」

 るりなみは、言葉にまってしまった。

 なにを話されても、ちゃんと聞こう──そう思ったばかりなのに。

「うん……」

 なんとかるりなみはそう言った。

 でも、想像そうぞうしていた。

「悪しき風」がもたらすやまいが、大切な人の命を奪おうとしている場面を。
 ねつにうなされて寝込む、ゆいりのこと。ゆめづきや、あめかみの姿を。

「……うん」

 もう一度、るりなみはそう言ってうなずいた。

 前に、風の子たちに出会ったときには、思いもしなかった。

 もしかしたら、もしかしたら……こうやって毎年、としをとって大きくなるうちに、そういう心配をしてしまう見方みかたもいっぱいおぼえて……大人になってしまったら、風の子たちとすぐにけて友達になるなんて、できなくなってしまうのだろうか。

 そんなのいやだ、と小さく首を横にりながら、るりなみは、そのとき心にかんできたことを、言葉にしていた。

「君がさっき言っていた、大いなる風が吹いてめぐっている、いっしょくたの世界だったら……生きている人も、死んでしまった人も、おんなじように命の光に見えるのかもしれない。少しいろいやかたちや、うずのどこに立ってるかがちがうだけで」

 風の子は静かに、るりなみを見ている。

「君がもし、そういう世界をめぐっていて……僕とは、命を奪う場面や、命がなくなっていく場面を、まったく違う気持ちで見ているんだとしても……」

 るりなみは、しどろもどろになりながらも、続けた。

「僕は、そんな場所をえらんでたびった君をすごいと思うし、君がどこの世界でなにをしていって、銀河ぎんがうずをも見下ろして、もう、ちっぽけすぎる僕のことなんてどうでもよく見えちゃうくらいのところにいていったとしても……僕は君と友達でいられたら、うれしいんだ」

 風の子が、大きく二回、目をまたたいた。
 そのとおった少年の姿が、きらきらとかがやいた。

「るりなみ……おまえ、いいやつだな」

 風の子の手がびて、るりなみのかたをぽんぽん、とたたいた。

 実際じっさいには、叩くことはできない。
 ひゅっひゅ、と耳もとで、風が切られる音がした。

「おまえと友達でいられて、嬉しいよ──さぁ、おたからけようぜ!」

 そう言われて、るりなみははじめて、この部屋にも宝物たからものがあるのかも、と思いいたった。

 あわてて部屋を見まわすと、あたりにちる水のおびおく、るりなみのベッドの上に、船は停泊ていはくしていた。

 その船が今朝、小さな姿で入っていたガラスびんが、まだまくらの上にころがっていた。

 そしてベッドの上の布団ふとんが、宝物をかくすようにして、ふっくらとり上がっていた。
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