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第十話 そして、物語は続く
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不意にそんなことを聞かれるが、安易に答えるわけにはいかない質問だ。シャルロッテは口元に手を当てて、じっと考え込む。
だが、ユリウスは水平線に目をやり、独り言のように続ける。
「帝国との緊張状態は、一旦落ち着いた。これからは、新たな関係を模索していかねばならない。同盟内の関係も同様に」
この国は、長い間大陸の南側に勢力を伸ばしてきたフェルス帝国の侵略に抗ってきた。しかし強大な帝国を前に、小国であるレーヴェなど容易く蹂躙されてしまう。それに抗うために、北側の小国たちが手を結んだのが、北方諸国同盟だった。いわば軍事同盟だ。
その戦いに終止符が打たれたのは、つい先日のこと。これからは、かの国も変わっていくだろう。そして、この国もいつまでも同じではいられない。
「どうすれば、この国を守れるだろうか。そのために俺はどうあるべきか。それをずっと考えている……」
海鳥の群れが、空に舞う。その行く先を、二人は並んで目で追いかけた。
「一人の力でできることには、限りがあります。上流階級が富や力を独占していては、いつかどうしようもない歪みが生まれるでしょう。――こうお考えになってはいかがでしょう? 民は、殿下が守るべき人々であると同時に、殿下の支えになる人々です。国とは、人です。民が強くなれば、国もおのずと強くなります」
小説には、主人公とその周囲のわずかな人々の物語しか描かれない。だが、現実には想像の及ばないほどたくさんの人がいるし、その全ての人々が、自分だけの物語を生きている。
「何かやりたいことがあるのだな?」
ユリウスは口の端を上げて面白そうに笑い、シャルロッテに続きを促す。
「力とは、自ら考え選び取る力だと、わたくしは考えます。誰もがそれを得るために必要なこと――教育の推進です」
「ほう?」
長い間、学問は王侯貴族と、商人など、一部の財力のある人間だけのものだった。庶民は、文字も読めない者が多い。当然、書物を読み、自ら知識を求める術も持たない。不遇な環境に生まれても、それを脱することができず、諦め、それを当然と思うしかないのだ。
「けれど、知恵と知識があれば、上に行くことができる。そのような環境ができれば、この国の大きな力となってくれる者が、きっとたくさん現れます」
脅威は、戦争だけではない。災害や疫病など、未曽有の事態は起こり得る。その時に、一人一人の力が強ければ、何が起きてもきっと立ち上がることができる。
そして、民の識字率が向上すれば、姫の小説を読んでくれる人間も増える――なんてことを考えたわけではない。ユーフェミアの小説は、狭い宮廷の中だけで終わるものではない。そのために何かできることはと、あれこれ妄想を巡らせたわけでは別にないと、姫は心の中で言い訳をする。読書が娯楽として認知されるには、まず余暇の時間が必要であるなど、また別の障壁が立ちはだかるのだが、それはまた別の話である。
「異国の書物で読みました。『持てる者こそ、与えなくては』と。わたくしたちは力を持って生まれたけれど、私利私欲のためにそれを使ってはならないと」
熱く語る姫に、ユリウスは声を上げて笑う。
「やはり、そなたは面白いことを考える。そなたを妃に迎えられたこと、俺は誇りに思うぞ」
そんなことを言われては、姫は頬を紅潮させるしかなかった。ユリウスはその肩に腕を回して抱き寄せる。
「しかし、それを実現するには、多くの困難が立ちはだかるだろうなあ。一度得た特権というのは、手放したくなどないものだろうし……」
耳元でぼやく夫に、姫は拳を胸に当てて、力強く宣言する。
「やってやりましょう。わたくしはどこまでも、ユリウス様のお力になってみせます」
夕日に照らされながら、姫はこれから先の未来を思う。あれこれ想像を巡らせるのは楽しい。
そして何より、この人と結婚できてよかったと、心から思うのだった。二人の未来を想像するだけで、明日が楽しみになるのだ。
やがて、二人の尽力により、まず王都に、誰でも身分を問わず、公費で通える初等学校が設立される。そこでは基本的な読み書きや算術、日常的な礼儀作法などが教育された。そして時が経つにつれ、歴史や地理、哲学など、扱う項目は多岐に渡っていく。子供の教育は義務化され、実力があり、希望する者は高等教育機関に上がり、更に専門的な知識を身に着けることもできるようになっていった。その動きは、徐々に地方に、そして国外にも広がっていく。
それは新たな技術や学問の誕生など、様々な転換点をもたらした。生活は便利になり、民に余裕が生まれていく。
もちろん、多くの反発もあった。しかし、ユリウスとシャルロッテは、根気強く周りを説得し、改革を進めていった。困難も多くあったが、彼らの志を継ぐ者が一人、二人と現れ、その動きは途切れることなく、波紋のように広がっていく。
そうやって撒かれた種がやがて芽吹き、のちにたくさんの文化が生まれ、学問や産業が発展していくのだが、それはもっと先の未来の話である。そして、二人は庶民の生活水準を向上させ、学問や芸術・文化の発展に尽くした名君として、後世に名を残すことになるのだった。
そして、謎の小説家ユーフェミアの作品も、古典的名作として語り継がれることになったとか、ならなかったとか。
――『王女様は妄想がお好き』了
だが、ユリウスは水平線に目をやり、独り言のように続ける。
「帝国との緊張状態は、一旦落ち着いた。これからは、新たな関係を模索していかねばならない。同盟内の関係も同様に」
この国は、長い間大陸の南側に勢力を伸ばしてきたフェルス帝国の侵略に抗ってきた。しかし強大な帝国を前に、小国であるレーヴェなど容易く蹂躙されてしまう。それに抗うために、北側の小国たちが手を結んだのが、北方諸国同盟だった。いわば軍事同盟だ。
その戦いに終止符が打たれたのは、つい先日のこと。これからは、かの国も変わっていくだろう。そして、この国もいつまでも同じではいられない。
「どうすれば、この国を守れるだろうか。そのために俺はどうあるべきか。それをずっと考えている……」
海鳥の群れが、空に舞う。その行く先を、二人は並んで目で追いかけた。
「一人の力でできることには、限りがあります。上流階級が富や力を独占していては、いつかどうしようもない歪みが生まれるでしょう。――こうお考えになってはいかがでしょう? 民は、殿下が守るべき人々であると同時に、殿下の支えになる人々です。国とは、人です。民が強くなれば、国もおのずと強くなります」
小説には、主人公とその周囲のわずかな人々の物語しか描かれない。だが、現実には想像の及ばないほどたくさんの人がいるし、その全ての人々が、自分だけの物語を生きている。
「何かやりたいことがあるのだな?」
ユリウスは口の端を上げて面白そうに笑い、シャルロッテに続きを促す。
「力とは、自ら考え選び取る力だと、わたくしは考えます。誰もがそれを得るために必要なこと――教育の推進です」
「ほう?」
長い間、学問は王侯貴族と、商人など、一部の財力のある人間だけのものだった。庶民は、文字も読めない者が多い。当然、書物を読み、自ら知識を求める術も持たない。不遇な環境に生まれても、それを脱することができず、諦め、それを当然と思うしかないのだ。
「けれど、知恵と知識があれば、上に行くことができる。そのような環境ができれば、この国の大きな力となってくれる者が、きっとたくさん現れます」
脅威は、戦争だけではない。災害や疫病など、未曽有の事態は起こり得る。その時に、一人一人の力が強ければ、何が起きてもきっと立ち上がることができる。
そして、民の識字率が向上すれば、姫の小説を読んでくれる人間も増える――なんてことを考えたわけではない。ユーフェミアの小説は、狭い宮廷の中だけで終わるものではない。そのために何かできることはと、あれこれ妄想を巡らせたわけでは別にないと、姫は心の中で言い訳をする。読書が娯楽として認知されるには、まず余暇の時間が必要であるなど、また別の障壁が立ちはだかるのだが、それはまた別の話である。
「異国の書物で読みました。『持てる者こそ、与えなくては』と。わたくしたちは力を持って生まれたけれど、私利私欲のためにそれを使ってはならないと」
熱く語る姫に、ユリウスは声を上げて笑う。
「やはり、そなたは面白いことを考える。そなたを妃に迎えられたこと、俺は誇りに思うぞ」
そんなことを言われては、姫は頬を紅潮させるしかなかった。ユリウスはその肩に腕を回して抱き寄せる。
「しかし、それを実現するには、多くの困難が立ちはだかるだろうなあ。一度得た特権というのは、手放したくなどないものだろうし……」
耳元でぼやく夫に、姫は拳を胸に当てて、力強く宣言する。
「やってやりましょう。わたくしはどこまでも、ユリウス様のお力になってみせます」
夕日に照らされながら、姫はこれから先の未来を思う。あれこれ想像を巡らせるのは楽しい。
そして何より、この人と結婚できてよかったと、心から思うのだった。二人の未来を想像するだけで、明日が楽しみになるのだ。
やがて、二人の尽力により、まず王都に、誰でも身分を問わず、公費で通える初等学校が設立される。そこでは基本的な読み書きや算術、日常的な礼儀作法などが教育された。そして時が経つにつれ、歴史や地理、哲学など、扱う項目は多岐に渡っていく。子供の教育は義務化され、実力があり、希望する者は高等教育機関に上がり、更に専門的な知識を身に着けることもできるようになっていった。その動きは、徐々に地方に、そして国外にも広がっていく。
それは新たな技術や学問の誕生など、様々な転換点をもたらした。生活は便利になり、民に余裕が生まれていく。
もちろん、多くの反発もあった。しかし、ユリウスとシャルロッテは、根気強く周りを説得し、改革を進めていった。困難も多くあったが、彼らの志を継ぐ者が一人、二人と現れ、その動きは途切れることなく、波紋のように広がっていく。
そうやって撒かれた種がやがて芽吹き、のちにたくさんの文化が生まれ、学問や産業が発展していくのだが、それはもっと先の未来の話である。そして、二人は庶民の生活水準を向上させ、学問や芸術・文化の発展に尽くした名君として、後世に名を残すことになるのだった。
そして、謎の小説家ユーフェミアの作品も、古典的名作として語り継がれることになったとか、ならなかったとか。
――『王女様は妄想がお好き』了
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