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第五話 ささやかなる願いを
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可憐な王太子妃と、凛々しい少年のような宮廷魔術師が連れ立って歩く姿に、行き交う人々は物珍しそうな視線を投げてよこす。性質の違う美しさを持つ二人が並んでいるところは、実に絵になるのだった。しかし、シャルロッテが嬉しそうににこにこしているのに対し、宮廷魔術師は目を眇めて不機嫌そうな顔をしているのは、奇妙な絵面だった。
その一歩後ろを、侍女のミシュアがついてくる。こちらは、宮廷魔術師にじっとりとした視線を送っていた。ほとんど睨んでいると言ってもいい。まるで大事な妹に悪い虫が付くのを警戒する、姉か何かのようだった。
そんな侍女をよそに、姫は楽しそうにあれこれとエディリーンに話しかけている。三人は、気の向くままに王宮を散策した。シャルロッテも、こう見えて足腰は多少鍛えている。小説を書くのには、体力がいるのだ。
厨房や馬小屋、衛兵の詰所など、高貴な姫が顔を出すようなところではない場所ばかり、シャルロッテは見たがった。
姫が顔を出すと、仕事をしていた者たちはそろって驚き、急いで敬礼するが、
「お仕事の邪魔をするつもりはないの。どうか気にしないでくださいな」
親しげに微笑んでいく姫に、やがて誰もが笑顔で挨拶を返していくようになるのだった。
そんな姫を見て、宮廷魔術師はぼそりとこぼす。
「王子もこういった場所に出入りするのが好きみたいですけど、どうしてです? 見て面白いものなんてないでしょうに」
呆れたように言うエディリーンに、シャルロッテは何を言うのかとおどけて見せる。
「あら、自分が住んでいる場所でどんな人が働いていて、何をしているのか知らないなんて、落ち着かないではないの」
似たもの同士の夫婦かとエディリーンはぼやいたが、姫には聞こえなかったようだ。
祖国で父に見つかれば「下々の人間と気安く関わるものではない」と怒られたが、姫はめげずに誰にでも気さくに話しかけ、独自の情報網を築いていた。単に色々な人と関わるのが好きだったというのもある。そして目下、姫の興味はこの宮廷魔術師にあった。
自分の人生で経験できることには、限りがある。だから姫はたくさんの人に会いたいと思うし、書物も読みたい。そして自分で物語を書いて、自分とは違う人生を妄想してみるのだ。
そして、決められた役割をこなすしかないない自分とは違って、女性でありながら戦場を駆け、周囲に媚びず、鮮烈な輝きを放つこんな人が、物語の主人公に相応しいと思うのだった。
シャルロッテはエディリーンの人となりをもっと知りたがった。魔術師とはどんなものか、世界はどんなふうに見えるのか、これまで何をして生きてきたのかなど、飽きずに話しかける。
エディリーンは仏頂面ではあるが、答えられることには答えてくれた。ただ、自分の過去のことはあまり語りたくないようだった。言葉を濁し、話題を逸らされてしまう。
「ねえ、戦場はどんなところ?」
そう振った姫に、エディリーンは眉を寄せる。
「……姫がそんなことを知って、どうするんです?」
「戦が起きたら、ユリウス様も行かれるのでしょう? でも、危ないことはないわよね?」
総大将は安全な所で指揮を執るものだ。戦の現実など知らない姫は、そう思っていたのだが。
「危なくない戦場なんてないのでは?」
戦場では、綺麗事は通じない。武将だろうが一般兵だろうが、振りかざされた刃の前には、等しく脆い命だ。そう語る宮廷魔術師の顔は、同じ年頃の女性ではなく、歴戦の戦士のそれだった。
「それにあの人、特に重要な局面では、自分で前線に突っ込むし。わたしと初めて会った時だって、死にかけてましたし」
黙って後ろにいたミシュアは、王子を「あの人」と呼ぶ宮廷魔術師を咎めようとするが、二人の会話に割り込むことに失敗する。
「まあ、そうなの!?」
詳しく聞きたいと、姫は身を乗り出す。口を滑らせたエディリーンは、しまったというように口元を歪め、
「本人に聞けばいいじゃないですか」
夫婦なのだからとのたまうエディリーンに、姫は顔を曇らせた。
「……ユリウス様は、わたくしにそのようなことは、きっと教えてくださらないわ」
女は政治や軍事に口を出してはならない。姫の心に刻まれたその規範が、ユリウスにもっと近付きたいという思いを阻んでいる。
「あの王子が? そんなことないと思いますけど」
姫は眩しいものを見るように、エディリーンを仰ぎ見る。自分は婚約者としての期間は長いが、臣下としての信頼は、きっとこの人の方が勝ち得ている。
それを言うと、エディリーンは臣下になった覚えはないと、奇妙なことを言う。
「わたしは金で雇われているだけです。元はどこの馬の骨とも知れない平民ですので。忠誠を誓った覚えはないし、貴族や王族なんて嫌いです」
「何ということを……!」
ミシュアはこの発言は看過できないと声を荒らげかけるが、姫は静かにそれを制する。
「……そう思っていた時もありました。お偉方なんて、権力を笠に着て威張り散らし、庶民のことなど、税を搾り取るものとしか思っていない連中だと。でも、王子や周りにいる連中を見ていると、そうでもないのかと思うようになりました。それぞれの立場でしかできないことがあって、それを全うするために必死で生きる人間もいるんだと」
誰もが望んでこの場所に生まれたわけではない。けれど、在り方は選べる。そして、命を燃やし生きるのだ。この世界に生きる全ての人に、そんな物語がきっとある。
「……わたくしにも、そんな生き方ができたらいいのに……」
自分にはそんなことは許されていない。だからせめて、願いを物語に託すのだ。切なそうに呟く姫を、エディリーンは横目で見やる。
「言いたいことや聞きたいことがあるなら、ちゃんと言えばいいじゃないですか。夫婦なんだから。……願いも思いも、言葉にしなければ何も始まりませんよ」
面倒くさそうに言うエディリーンは、思い出したように付け加える。
「そうそう、姫がエグレットから持ち込んだ紙、使い心地が良いからもっと欲しいって、王子が言ってましたよ」
まったくあの王子も人を伝言板みたいに使わないで自分で言えばいいのにと、エディリーンはぶつくさぼやく。
そして、そろそろ仕事に戻らなければならないからと、シャルロッテたちと別れた。
その一歩後ろを、侍女のミシュアがついてくる。こちらは、宮廷魔術師にじっとりとした視線を送っていた。ほとんど睨んでいると言ってもいい。まるで大事な妹に悪い虫が付くのを警戒する、姉か何かのようだった。
そんな侍女をよそに、姫は楽しそうにあれこれとエディリーンに話しかけている。三人は、気の向くままに王宮を散策した。シャルロッテも、こう見えて足腰は多少鍛えている。小説を書くのには、体力がいるのだ。
厨房や馬小屋、衛兵の詰所など、高貴な姫が顔を出すようなところではない場所ばかり、シャルロッテは見たがった。
姫が顔を出すと、仕事をしていた者たちはそろって驚き、急いで敬礼するが、
「お仕事の邪魔をするつもりはないの。どうか気にしないでくださいな」
親しげに微笑んでいく姫に、やがて誰もが笑顔で挨拶を返していくようになるのだった。
そんな姫を見て、宮廷魔術師はぼそりとこぼす。
「王子もこういった場所に出入りするのが好きみたいですけど、どうしてです? 見て面白いものなんてないでしょうに」
呆れたように言うエディリーンに、シャルロッテは何を言うのかとおどけて見せる。
「あら、自分が住んでいる場所でどんな人が働いていて、何をしているのか知らないなんて、落ち着かないではないの」
似たもの同士の夫婦かとエディリーンはぼやいたが、姫には聞こえなかったようだ。
祖国で父に見つかれば「下々の人間と気安く関わるものではない」と怒られたが、姫はめげずに誰にでも気さくに話しかけ、独自の情報網を築いていた。単に色々な人と関わるのが好きだったというのもある。そして目下、姫の興味はこの宮廷魔術師にあった。
自分の人生で経験できることには、限りがある。だから姫はたくさんの人に会いたいと思うし、書物も読みたい。そして自分で物語を書いて、自分とは違う人生を妄想してみるのだ。
そして、決められた役割をこなすしかないない自分とは違って、女性でありながら戦場を駆け、周囲に媚びず、鮮烈な輝きを放つこんな人が、物語の主人公に相応しいと思うのだった。
シャルロッテはエディリーンの人となりをもっと知りたがった。魔術師とはどんなものか、世界はどんなふうに見えるのか、これまで何をして生きてきたのかなど、飽きずに話しかける。
エディリーンは仏頂面ではあるが、答えられることには答えてくれた。ただ、自分の過去のことはあまり語りたくないようだった。言葉を濁し、話題を逸らされてしまう。
「ねえ、戦場はどんなところ?」
そう振った姫に、エディリーンは眉を寄せる。
「……姫がそんなことを知って、どうするんです?」
「戦が起きたら、ユリウス様も行かれるのでしょう? でも、危ないことはないわよね?」
総大将は安全な所で指揮を執るものだ。戦の現実など知らない姫は、そう思っていたのだが。
「危なくない戦場なんてないのでは?」
戦場では、綺麗事は通じない。武将だろうが一般兵だろうが、振りかざされた刃の前には、等しく脆い命だ。そう語る宮廷魔術師の顔は、同じ年頃の女性ではなく、歴戦の戦士のそれだった。
「それにあの人、特に重要な局面では、自分で前線に突っ込むし。わたしと初めて会った時だって、死にかけてましたし」
黙って後ろにいたミシュアは、王子を「あの人」と呼ぶ宮廷魔術師を咎めようとするが、二人の会話に割り込むことに失敗する。
「まあ、そうなの!?」
詳しく聞きたいと、姫は身を乗り出す。口を滑らせたエディリーンは、しまったというように口元を歪め、
「本人に聞けばいいじゃないですか」
夫婦なのだからとのたまうエディリーンに、姫は顔を曇らせた。
「……ユリウス様は、わたくしにそのようなことは、きっと教えてくださらないわ」
女は政治や軍事に口を出してはならない。姫の心に刻まれたその規範が、ユリウスにもっと近付きたいという思いを阻んでいる。
「あの王子が? そんなことないと思いますけど」
姫は眩しいものを見るように、エディリーンを仰ぎ見る。自分は婚約者としての期間は長いが、臣下としての信頼は、きっとこの人の方が勝ち得ている。
それを言うと、エディリーンは臣下になった覚えはないと、奇妙なことを言う。
「わたしは金で雇われているだけです。元はどこの馬の骨とも知れない平民ですので。忠誠を誓った覚えはないし、貴族や王族なんて嫌いです」
「何ということを……!」
ミシュアはこの発言は看過できないと声を荒らげかけるが、姫は静かにそれを制する。
「……そう思っていた時もありました。お偉方なんて、権力を笠に着て威張り散らし、庶民のことなど、税を搾り取るものとしか思っていない連中だと。でも、王子や周りにいる連中を見ていると、そうでもないのかと思うようになりました。それぞれの立場でしかできないことがあって、それを全うするために必死で生きる人間もいるんだと」
誰もが望んでこの場所に生まれたわけではない。けれど、在り方は選べる。そして、命を燃やし生きるのだ。この世界に生きる全ての人に、そんな物語がきっとある。
「……わたくしにも、そんな生き方ができたらいいのに……」
自分にはそんなことは許されていない。だからせめて、願いを物語に託すのだ。切なそうに呟く姫を、エディリーンは横目で見やる。
「言いたいことや聞きたいことがあるなら、ちゃんと言えばいいじゃないですか。夫婦なんだから。……願いも思いも、言葉にしなければ何も始まりませんよ」
面倒くさそうに言うエディリーンは、思い出したように付け加える。
「そうそう、姫がエグレットから持ち込んだ紙、使い心地が良いからもっと欲しいって、王子が言ってましたよ」
まったくあの王子も人を伝言板みたいに使わないで自分で言えばいいのにと、エディリーンはぶつくさぼやく。
そして、そろそろ仕事に戻らなければならないからと、シャルロッテたちと別れた。
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