48 / 74
第八章 拠るべき場所
#6
しおりを挟む
大股で屋敷の玄関を抜け、門の前まで来たが、足取りは段々と勢いを失くし、やがて止まってしまった。飛び出したものの、金子も私物も持たないままではどこにも行けない。使い慣れた武器もないのはさすがに心許なかった。
かと言って取りに戻るのも間抜けに思えて、戻ったところで再び出て行けるのかというと、それもできない気がした。
大きく息を吸って、吐き出す。それでも、心のもやもやは晴れなかった。
動くことができずに、じっと地面の一点を見つめていると、さわさわと草花が揺れるのに混じって、足音が近付いてくる。
「……エディ」
少しがさついた、けれど低く落ち着いた声がした。名前をくれて、何度も呼んでくれた声だ。
しかし、彼女は振り返らない。どんな顔をすればいいのかわからなかった。唇を固く引き結んで、拳を握る。でないと、ふと浮かんだ疑念が、溢れてしまいそうだった。
この人はもしかしたら、自分の存在がずっと負担だったのではないだろうかと。
幼かったあの日に手を差し伸べられて、それからいつでも、彼の背中が道標だった。もう親の背中を追いかける歳ではないけれど、その絆を信じて疑わなかった。それは間違いだったのかもしれないと、初めて思った。
――いや、本当は、心のどこかに、その言葉はずっとたゆたっていたのかもしれない。
所詮、自分たちは本当の親子ではないのだから。
「お前今、俺がお前を邪魔だから手放そうとしていると思っているだろう?」
図星を差されて、エディリーンはますます黙り込む。考えを読まれてしまうのは、長く共に過ごした年月の賜物か。
「もう親が必要な歳でもないだろうに、今更わざわざ縁を切る理由があるか。今までずっと一緒に過ごしてきて、そんなに信用されてなかったのかと思うと悲しいぞ、俺は」
「それは……」
芝居がかったような言い方をしながら肩をすくめ、ジルはエディリーンの横に並ぶ。
言われてみればもっともだ。いたたまれなくて、エディリーンは目を逸らす。
「俺はなあ、エディ。一つだけ後悔していることがあるんだ」
後悔。その言葉が、鋭くエディリーンの胸に突き刺さった。
ジルは流れる雲を見上げながら、言葉を続ける。
「お前に、普通の女として生きる道を、教えてやれなかったことだ」
その言葉に、エディリーンはばっと顔を上げる。髪が乱れて、風にはためいた。
「俺は剣しか知らないからな。お前が俺から離れようとしなかったから、剣を教えるしかなかったが、それがお前から、安全な場所で穏やかに暮らして、結婚して子どもを育てるっていう普通の幸せを奪ってしまったんじゃないかと……」
そのことにずっと負い目があった。だから、いい機会なのではないかと思った。
「そんなことない。わたしは――っ!」
感情が昂って、言葉を詰まらせる。
この人に命を救われて、危険もあったけれど一緒に旅をして歩いてきた。それを不幸だなどと思ったことはない。それに、魔術の才があっては、どのみちそんな「普通の幸せ」など望めない。それでも、全部自分で選んだことだ。たとえそれしか選べなかったとしても、納得して進んできた。わがままを言って迷惑をかけてきたのは自分のはずなのに。
「……ジルこそ、わたしのことわかってないよ……。わたしは、ジルに助けてもらって、どんなに感謝してるか……!」
生きていく術と力を与えてもらった。この人がいなかったら、自分は何も始まらなかったのだ。
目を伏せて、肩を震わせる。ジルはその頭をぽんぽんと撫でた。
「ま、勝手に気を回して、言ってもいないことを気にするのはやめようや。俺はお前を、本当の娘のように大切に思っている。だからこそだ。このままではお前を守れない。それはわかるだろう?」
エディリーンはこくりと首を縦に振る。
「この先は、あの人たちの力を借りなきゃならん。同時に、お前があの人たちの力になれることもあるだろう。お前がどんな生まれなのかは知らんが、例えこれから何があっても、俺はお前の幸せを祈っている」
エディリーンはくしゃりと顔を歪めて、ジルの胸に顔を埋めた。微かにくぐもった嗚咽がする。
「父さん……」
「おいおい、そんな顔をするなよ。なにも会えなくなるわけじゃないんだから」
ジルは苦笑しつつ、誰にも負けないくらい強くなったと思ったけれど、まだ子どもっぽいところもある娘の背中に腕を回した。
かと言って取りに戻るのも間抜けに思えて、戻ったところで再び出て行けるのかというと、それもできない気がした。
大きく息を吸って、吐き出す。それでも、心のもやもやは晴れなかった。
動くことができずに、じっと地面の一点を見つめていると、さわさわと草花が揺れるのに混じって、足音が近付いてくる。
「……エディ」
少しがさついた、けれど低く落ち着いた声がした。名前をくれて、何度も呼んでくれた声だ。
しかし、彼女は振り返らない。どんな顔をすればいいのかわからなかった。唇を固く引き結んで、拳を握る。でないと、ふと浮かんだ疑念が、溢れてしまいそうだった。
この人はもしかしたら、自分の存在がずっと負担だったのではないだろうかと。
幼かったあの日に手を差し伸べられて、それからいつでも、彼の背中が道標だった。もう親の背中を追いかける歳ではないけれど、その絆を信じて疑わなかった。それは間違いだったのかもしれないと、初めて思った。
――いや、本当は、心のどこかに、その言葉はずっとたゆたっていたのかもしれない。
所詮、自分たちは本当の親子ではないのだから。
「お前今、俺がお前を邪魔だから手放そうとしていると思っているだろう?」
図星を差されて、エディリーンはますます黙り込む。考えを読まれてしまうのは、長く共に過ごした年月の賜物か。
「もう親が必要な歳でもないだろうに、今更わざわざ縁を切る理由があるか。今までずっと一緒に過ごしてきて、そんなに信用されてなかったのかと思うと悲しいぞ、俺は」
「それは……」
芝居がかったような言い方をしながら肩をすくめ、ジルはエディリーンの横に並ぶ。
言われてみればもっともだ。いたたまれなくて、エディリーンは目を逸らす。
「俺はなあ、エディ。一つだけ後悔していることがあるんだ」
後悔。その言葉が、鋭くエディリーンの胸に突き刺さった。
ジルは流れる雲を見上げながら、言葉を続ける。
「お前に、普通の女として生きる道を、教えてやれなかったことだ」
その言葉に、エディリーンはばっと顔を上げる。髪が乱れて、風にはためいた。
「俺は剣しか知らないからな。お前が俺から離れようとしなかったから、剣を教えるしかなかったが、それがお前から、安全な場所で穏やかに暮らして、結婚して子どもを育てるっていう普通の幸せを奪ってしまったんじゃないかと……」
そのことにずっと負い目があった。だから、いい機会なのではないかと思った。
「そんなことない。わたしは――っ!」
感情が昂って、言葉を詰まらせる。
この人に命を救われて、危険もあったけれど一緒に旅をして歩いてきた。それを不幸だなどと思ったことはない。それに、魔術の才があっては、どのみちそんな「普通の幸せ」など望めない。それでも、全部自分で選んだことだ。たとえそれしか選べなかったとしても、納得して進んできた。わがままを言って迷惑をかけてきたのは自分のはずなのに。
「……ジルこそ、わたしのことわかってないよ……。わたしは、ジルに助けてもらって、どんなに感謝してるか……!」
生きていく術と力を与えてもらった。この人がいなかったら、自分は何も始まらなかったのだ。
目を伏せて、肩を震わせる。ジルはその頭をぽんぽんと撫でた。
「ま、勝手に気を回して、言ってもいないことを気にするのはやめようや。俺はお前を、本当の娘のように大切に思っている。だからこそだ。このままではお前を守れない。それはわかるだろう?」
エディリーンはこくりと首を縦に振る。
「この先は、あの人たちの力を借りなきゃならん。同時に、お前があの人たちの力になれることもあるだろう。お前がどんな生まれなのかは知らんが、例えこれから何があっても、俺はお前の幸せを祈っている」
エディリーンはくしゃりと顔を歪めて、ジルの胸に顔を埋めた。微かにくぐもった嗚咽がする。
「父さん……」
「おいおい、そんな顔をするなよ。なにも会えなくなるわけじゃないんだから」
ジルは苦笑しつつ、誰にも負けないくらい強くなったと思ったけれど、まだ子どもっぽいところもある娘の背中に腕を回した。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた
中七七三
ファンタジー
■■アルファポリス 第1回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞■■
無職ニートで軍ヲタの俺が太平洋戦争時の聯合艦隊司令長官となっていた。
これは、別次元から来た女神のせいだった。
その次元では日本が勝利していたのだった。
女神は、神国日本が負けた歴史の世界が許せない。
なぜか、俺を真珠湾攻撃直前の時代に転移させ、聯合艦隊司令長官にした。
軍ヲタ知識で、歴史をどーにかできるのか?
日本勝たせるなんて、無理ゲーじゃねと思いつつ、このままでは自分が死ぬ。
ブーゲンビルで機上戦死か、戦争終わって、戦犯で死刑だ。
この運命を回避するため、必死の戦いが始まった。
参考文献は、各話の最後に掲載しています。完結後に纏めようかと思います。
使用している地図・画像は自作か、ライセンスで再利用可のものを検索し使用しています。
表紙イラストは、ヤングマガジンで賞をとった方が画いたものです。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
SEVEN TRIGGER
匿名BB
SF
20xx年、科学のほかに魔術も発展した現代世界、伝説の特殊部隊「SEVEN TRIGGER」通称「S.T」は、かつて何度も世界を救ったとされる世界最強の特殊部隊だ。
隊員はそれぞれ1つの銃器「ハンドガン」「マシンガン」「ショットガン」「アサルトライフル」「スナイパーライフル」「ランチャー」「リボルバー」を極めたスペシャリストによって構成された部隊である。
その中で「ハンドガン」を極め、この部隊の隊長を務めていた「フォルテ・S・エルフィー」は、ある事件をきっかけに日本のとある港町に住んでいた。
長年の戦場での生活から離れ、珈琲カフェを営みながら静かに暮らしていたフォルテだったが、「セイナ・A・アシュライズ」との出会いをきっかけに、再び戦いの世界に身を投じていくことになる。
マイペースなフォルテ、生真面目すぎるセイナ、性格の合わない2人はケンカしながらも、互いに背中を預けて悪に立ち向かう。現代SFアクション&ラブコメディー
貞操逆転世界の温泉で、三助やることに成りました
峯松めだか(旧かぐつち)
ファンタジー
貞操逆転で1/100な異世界に迷い込みました
不意に迷い込んだ貞操逆転世界、男女比は1/100、色々違うけど、それなりに楽しくやらせていただきます。
カクヨムで11万文字ほど書けたので、こちらにも置かせていただきます。
ストック切れるまでは毎日投稿予定です
ジャンルは割と謎、現実では無いから異世界だけど、剣と魔法では無いし、現代と言うにも若干微妙、恋愛と言うには雑音多め? デストピア文学ぽくも見えるしと言う感じに、ラブコメっぽいという事で良いですか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる