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第八章 拠るべき場所
#5
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「やっぱり無理なんじゃないのか? 諦めたらどうだ」
エディリーンはテーブルに頬杖をついて、気だるげな視線をアーネストに向ける。
時刻は昼過ぎ。差し込む陽気な日差しとは裏腹に、室内の空気はどんよりとしていた。
グレイス邸の一室を借り、彼らは今後の方針を決めようとしていたのだが、元々乗り気ではなかったエディリーンは、全く真面目に考える気がないようだった。
「それでは君の身を守れない。何か方法を考えないと……」
向かい側に座ったアーネストはそう言うが、やや途方に暮れているように見えた。ジルはエディリーンの隣で腕を組み、髭をなでながら考え込んでいる。
「俺はエディと一緒にどこか遠くに逃げることもやぶさかではないが……」
「ジル殿、それでは困るのです。帝国にこちらに攻め込む口実を与えることになりかねない」
どうして帝国がそこまでエディリーンの身柄を手に入れようとしているのか、それがわかれば対処のしようもありそうだが、それを今ここで考えても仕方がない。
「ジルまで付き合うことはない。逃げるなら一人で行くよ」
エディリーンは口を挟むが、二人に止められる。
「エディ、それは思い止まってほしい」
「そうだ。仮にも若い娘に、そんな人生を捨てたような生き方をさせるのは忍びない。行くなら俺も行くさ」
「ジル殿、そういう問題では……」
エディリーンはそんなやり取りを、どこか他人事のように聞いていた。
王立魔術研究院は、平民にも門戸を開いている。だから、書類を整えて、エディリーンの入所を申し入れた。ユリウス王子の署名まで添えてだ。しかし、教授たちは協議の結果、その書類を突っぱねた。身元の不確かな人間を受け入れることはできないと言うのが、その理由だった。
平民と言えども、きちんと定住して仕事をし、領主に税を納めている人間と、旅暮らしの流れ者では扱いが全く異なる。後者は、一歩間違えば縄をかけられる恐れもある。それが生まれのわからない人間となれば、尚更だった。
それを言われてはどうしようもない。どうあがいても、生まれは変えられないのだから。好き好んでこのように生まれたわけではないけれど、そのことは別にどうとも思っていない。今、自分はこうして生きている。それが全てだった。
だが、人それぞれ様々な事情を抱えてはいるだろうが、他人がいちいちそれを斟酌している暇はないのだ。外から見れば、自分のような人間は決まった税も収めず、住む土地も持たない怪しい人間。それが事実だった。
加えて、ベアトリクスの弟子というのも良くなかったらしい。教授たちの中には、ベアトリクスの名を聞いて、苦い顔をする者も多かった。彼女が魔術研究院に所属していたというのはエディリーンも初耳だったが、在籍時代に一体何をやらかしたのか。あの人の振る舞いを見れば、傍若無人な態度で周囲を翻弄していたのだろうということは、想像に難くないが。
王子の権限で側近の一人にでもするかという話も出たようだが、やはり出自が問題になる。あまり突飛なことをすれば、権限を濫用する傲慢な王子という印象を周囲に与えかねない。第一王子と王位継承権を争っている今、評判が落ちるようなことは避けなければならなかった。
「第一王子派の妨害もあるだろうな。ユリウス殿下が手を回していることは知られているだろうから……」
学問の場といっても、政争からは逃げられないようだ。いくら身を守るためとはいえ、今までの生活を捨てて、そんなものに巻き込まれるのは面倒だとしか思わない。
「ともかく、俺はもう一度王都に戻って、何か対策を……」
その時、控えめに扉を叩く音がした。
この部屋にはしばらく誰も近付かないよう頼んでいたはずだが、そっと扉を開けて顔をのぞかせたのは、グレイス夫人だった。
「ごめんなさいね、立ち聞きなんてしてしまって。やっぱり、ソムニフェルムの件以外でも困り事があったのね、アーネスト殿。よければ、詳しく聞かせてくれないかしら」
一同は一瞬ためらうが、聞かれてしまったのなら仕方がない。アーネストは、かいつまんで事の次第を説明する。
夫人は開いている椅子に腰かけ、黙って話を聞いていた。聞き終えると、少し考えるようにしてから、口を開く。
「つまり、身元が問題なのね?」
「ええ」
アーネストは苦々しげに首肯する。
「学び舎は平民にも広く門戸を開いていると謳っていても、結局はそこにこだわるのねえ」
グレイス夫人は頬に手を当てて、事もなげにそんなことを言う。
そうは言っても、身分がものを言う社会だ。どうすることもできない。
しかし、グレイス夫人は少しの間目を伏せて何か考えるようにした後、口を開く。
「そういうことなら、うちがあなたの身元を引き受けましょう。もちろん、ジル殿が許可してくださればだけれど……」
言われた意味がわからず、一同は首を傾げる。
「エディリーン。うちの養女になってくれないかしら?」
それを聞いたエディリーンたち三人は、目を見開いた。
「グレイス夫人、よろしいのですか?」
アーネストは思わず身を乗り出す。
「もちろん。今回のことで、あなたには助けられたもの。うちは特に大きな力は持っていないけれど、子爵家の名があれば、多少は助けになるでしょう」
夫人はそう言うと、ジルに視線を移す。
「ジル殿。いかがかしら」
「……それは、願ってもない申し出ですが……」
ジルは宙に視線を彷徨わせる。
「ジル! なんで……!」
唯一、当のエディリーンだけが椅子を蹴立てて気色ばんだ。
「悪い話じゃないだろう。旅暮らしの傭兵なんかより、安全でいい暮らしができる」
穏やかに言うジルに、エディリーンの青い瞳が揺れる。まるで、寄る辺のない子どものようだった。
「エディリーン。もちろん、ジル殿と縁を切れなんて言わないわ。あくまで、名前だけ使ってくれれば……」
グレイス夫人が言葉を重ねるが、エディリーンは低く押し殺した声でそれを遮る。
「わたしの家族はジルだけです。他の家の養子になんてなれません」
それだけ言うと、エディリーンは勢いよく扉を開けて、部屋を出て行ってしまった。
「……怒らせてしまったみたいね」
グレイス夫人は申し訳なさそうに息を吐いた。
「いえ、今のは俺がまずかった。何分気難しい娘で、ご無礼を」
頭を下げるジルに、夫人はとんでもないと首を横に振る。
アーネストはエディリーンの後を追おうとしたが、ジルがそれを止めた。
「俺が行きます」
ジルは短く言うと、胸中に複雑な思いを抱きながら、エディリーンの後を追った。
エディリーンはテーブルに頬杖をついて、気だるげな視線をアーネストに向ける。
時刻は昼過ぎ。差し込む陽気な日差しとは裏腹に、室内の空気はどんよりとしていた。
グレイス邸の一室を借り、彼らは今後の方針を決めようとしていたのだが、元々乗り気ではなかったエディリーンは、全く真面目に考える気がないようだった。
「それでは君の身を守れない。何か方法を考えないと……」
向かい側に座ったアーネストはそう言うが、やや途方に暮れているように見えた。ジルはエディリーンの隣で腕を組み、髭をなでながら考え込んでいる。
「俺はエディと一緒にどこか遠くに逃げることもやぶさかではないが……」
「ジル殿、それでは困るのです。帝国にこちらに攻め込む口実を与えることになりかねない」
どうして帝国がそこまでエディリーンの身柄を手に入れようとしているのか、それがわかれば対処のしようもありそうだが、それを今ここで考えても仕方がない。
「ジルまで付き合うことはない。逃げるなら一人で行くよ」
エディリーンは口を挟むが、二人に止められる。
「エディ、それは思い止まってほしい」
「そうだ。仮にも若い娘に、そんな人生を捨てたような生き方をさせるのは忍びない。行くなら俺も行くさ」
「ジル殿、そういう問題では……」
エディリーンはそんなやり取りを、どこか他人事のように聞いていた。
王立魔術研究院は、平民にも門戸を開いている。だから、書類を整えて、エディリーンの入所を申し入れた。ユリウス王子の署名まで添えてだ。しかし、教授たちは協議の結果、その書類を突っぱねた。身元の不確かな人間を受け入れることはできないと言うのが、その理由だった。
平民と言えども、きちんと定住して仕事をし、領主に税を納めている人間と、旅暮らしの流れ者では扱いが全く異なる。後者は、一歩間違えば縄をかけられる恐れもある。それが生まれのわからない人間となれば、尚更だった。
それを言われてはどうしようもない。どうあがいても、生まれは変えられないのだから。好き好んでこのように生まれたわけではないけれど、そのことは別にどうとも思っていない。今、自分はこうして生きている。それが全てだった。
だが、人それぞれ様々な事情を抱えてはいるだろうが、他人がいちいちそれを斟酌している暇はないのだ。外から見れば、自分のような人間は決まった税も収めず、住む土地も持たない怪しい人間。それが事実だった。
加えて、ベアトリクスの弟子というのも良くなかったらしい。教授たちの中には、ベアトリクスの名を聞いて、苦い顔をする者も多かった。彼女が魔術研究院に所属していたというのはエディリーンも初耳だったが、在籍時代に一体何をやらかしたのか。あの人の振る舞いを見れば、傍若無人な態度で周囲を翻弄していたのだろうということは、想像に難くないが。
王子の権限で側近の一人にでもするかという話も出たようだが、やはり出自が問題になる。あまり突飛なことをすれば、権限を濫用する傲慢な王子という印象を周囲に与えかねない。第一王子と王位継承権を争っている今、評判が落ちるようなことは避けなければならなかった。
「第一王子派の妨害もあるだろうな。ユリウス殿下が手を回していることは知られているだろうから……」
学問の場といっても、政争からは逃げられないようだ。いくら身を守るためとはいえ、今までの生活を捨てて、そんなものに巻き込まれるのは面倒だとしか思わない。
「ともかく、俺はもう一度王都に戻って、何か対策を……」
その時、控えめに扉を叩く音がした。
この部屋にはしばらく誰も近付かないよう頼んでいたはずだが、そっと扉を開けて顔をのぞかせたのは、グレイス夫人だった。
「ごめんなさいね、立ち聞きなんてしてしまって。やっぱり、ソムニフェルムの件以外でも困り事があったのね、アーネスト殿。よければ、詳しく聞かせてくれないかしら」
一同は一瞬ためらうが、聞かれてしまったのなら仕方がない。アーネストは、かいつまんで事の次第を説明する。
夫人は開いている椅子に腰かけ、黙って話を聞いていた。聞き終えると、少し考えるようにしてから、口を開く。
「つまり、身元が問題なのね?」
「ええ」
アーネストは苦々しげに首肯する。
「学び舎は平民にも広く門戸を開いていると謳っていても、結局はそこにこだわるのねえ」
グレイス夫人は頬に手を当てて、事もなげにそんなことを言う。
そうは言っても、身分がものを言う社会だ。どうすることもできない。
しかし、グレイス夫人は少しの間目を伏せて何か考えるようにした後、口を開く。
「そういうことなら、うちがあなたの身元を引き受けましょう。もちろん、ジル殿が許可してくださればだけれど……」
言われた意味がわからず、一同は首を傾げる。
「エディリーン。うちの養女になってくれないかしら?」
それを聞いたエディリーンたち三人は、目を見開いた。
「グレイス夫人、よろしいのですか?」
アーネストは思わず身を乗り出す。
「もちろん。今回のことで、あなたには助けられたもの。うちは特に大きな力は持っていないけれど、子爵家の名があれば、多少は助けになるでしょう」
夫人はそう言うと、ジルに視線を移す。
「ジル殿。いかがかしら」
「……それは、願ってもない申し出ですが……」
ジルは宙に視線を彷徨わせる。
「ジル! なんで……!」
唯一、当のエディリーンだけが椅子を蹴立てて気色ばんだ。
「悪い話じゃないだろう。旅暮らしの傭兵なんかより、安全でいい暮らしができる」
穏やかに言うジルに、エディリーンの青い瞳が揺れる。まるで、寄る辺のない子どものようだった。
「エディリーン。もちろん、ジル殿と縁を切れなんて言わないわ。あくまで、名前だけ使ってくれれば……」
グレイス夫人が言葉を重ねるが、エディリーンは低く押し殺した声でそれを遮る。
「わたしの家族はジルだけです。他の家の養子になんてなれません」
それだけ言うと、エディリーンは勢いよく扉を開けて、部屋を出て行ってしまった。
「……怒らせてしまったみたいね」
グレイス夫人は申し訳なさそうに息を吐いた。
「いえ、今のは俺がまずかった。何分気難しい娘で、ご無礼を」
頭を下げるジルに、夫人はとんでもないと首を横に振る。
アーネストはエディリーンの後を追おうとしたが、ジルがそれを止めた。
「俺が行きます」
ジルは短く言うと、胸中に複雑な思いを抱きながら、エディリーンの後を追った。
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