蒼天の風 祈りの剣

月代零

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第八章 拠るべき場所

#1

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 ぼんやりと意識が戻ってきて、まず視界に入ったのは頭上に穿たれた小さな窓だった。そこから光が細く差し込み、光の筋の中に埃が舞うのが見える。

――同じだ。あの時と。

 覚醒しきらない意識の中で、記憶の中の情景と、目の前の光景が重なる。
 冷たい床。飢えて思うように動かない身体。いつも寂しさと心細さを感じていたけれど、その感情の名前すらわからなかった。

 ここはどこ。
 寒い。苦しい。助けて。誰か。誰か。

 虚空に手を伸ばす。否、その手は背中に縛られていて、動かせなかった。そこで意識が覚醒する。
 エディリーンは手を後ろに縛られて、床に頬を付けていた。剣も取り上げられている。
 あまり広くはない部屋だった。周りは石壁だが、季節柄もあってか涼しい程度で、寒くはない。天井の近くの壁に、細い窓が見える。外に草が生えた土が見えるので、あの窓は明かり取り用で、ここは地下室のようだった。その割に黴臭さや湿っぽさがないのは、人の出入りがある証拠か。部屋の中には埃や何かの破片が残っているだけで、目ぼしいものは何もない。木の扉があるが、外の様子は見えなかった。
 視線を動かすと、アンジェリカも同じように縛られて、傍らに横たわっていた。しかし、こちらはまだ固く目を閉じている。
 エディリーンは歯噛みした。だが、失態を悔やんでも事態は変わらない。今何ができるか考えなければ。
今の自分には、戦う力がある。考えることもできる。もう無力な子供ではない。自分の運命を他人に委ねたりしない。
 指先に、足先に順に力を込め、感触を確かめる。大丈夫。動ける。何の薬を嗅がされたのかはわからないが、影響はなさそうだ。

 そこに足音が複数近付いてきて、エディリーンは動こうとするのをやめた。
 がちゃりと鍵を外す音がして、扉が開く。アンジェリカを襲った男と、もう一人――おそらくエディリーンを捕らえた男が入ってきた。筋肉が盛り上がったいかにも荒くれといった風体の男と、もう一人は背が高く一見細身だが、身のこなしに隙がなく、荒事に慣れている印象の男だった。

「おっと、もう起きてやがる」

 荒くれ男はエディリーンが目を開けているのを見て、驚いたように言う。しかし、動こうとしないエディリーンの前に、もう一人が屈みこむ。その襟首を掴んで、乱暴に上を向かせた。
 エディリーンは男を睨みつけ、しかし無抵抗に首を垂れる。

「あれだけ薬を嗅がせたんだ。意識はあっても、さすがに動けねえだろ」

 男は抵抗しないエディリーンを、舐めるように眺める。その視線の気色悪さに、腹の底が煮え返るが、顔に出さないように努める。

「それで、こいつらどうする?」

 屈強な方の男が尋ねる。どうやら、こちらの細身の男の方が立場が上のようだ。

「薬漬けにして、あの若い魔術師の連中と一緒に売っ払えばいいだろ。薬が欲しくて逃げようともしない、最高の奴隷の出来上がりだ」

 男はくつくつと笑う。

「しっかし、これ、女なんだよなぁ?」

 もう一人の方も、エディリーンを覗き込んでくる。

「男みてぇななりだが、顔だけ見れば上物だし、珍しい毛色をしてやがる。好事家に高く売れるだろうよ」

 男がエディリーンの髪を覆っていた布を剝ぎ取った。露わになった髪が、微かに差し込む光を反射して輝く。

「待て。そういえば、帝国が空色の髪の女を探してるって情報があったぞ」
「ほう?」

 男はエディリーンの髪を一房、面白そうに摘まむ。
 聞き捨てならない話だが、髪を無遠慮に触られる不快感の方が上回る。それを必死で抑え込んで、隙ができるのを待った。
 全力で暴れればこの場を逃げ出すことは可能かもしれないが、外がどうなっているかわからないし、アンジェリカの安全も確保しなければならない。下手に動くのは危険だ。

「ともかく、嗅ぎ回られてる以上、とっととずらかるぞ」
「そうだな。どっちみちあいつらも帝国に売るんだ。同じことだろ」

 細身の男はエディリーンの襟首から手を離して投げ出し、後ろを向いた。その瞬間、エディリーンは風を操ってかまいたちを起こし、手を縛っていた縄を切断する。
 男はその気配に再び振り返るが、エディリーンの方が速い。気合と共に、男の鳩尾に拳を叩き込んだ。
 男が息を詰まらせたところに更に蹴りを入れ、床に転がす。

「このアマァ!」

 もう一人の男が激昂し、エディリーンに飛びかかろうとする。すぐさま応戦しようとするエディリーンだが、くらりと視界が白くなった。
 男はその隙を逃さず、彼女の頬を強かに殴りつけた。いくら並の男には負けないと言っても、細いエディリーンの身体は軽々と吹き飛ばされる。受け身も取れず、反対側の壁に背中を打ち付けた。口の中が切れたのか、鉄の味がする。
 更に、男は倒れた彼女の腹を、容赦なく蹴りつけてきた。

「ぐっ……」

 息が詰まり、喉の奥から呻き声が漏れる。
 まだ薬の影響が残っていたのか、思うように動けない。意識が集中できず、魔術の発動も難しそうだった。通常の手順を省略して術を行使できるとは言った彼女だが、こちらの体力や精神状態に左右されるという点では、そう万能なものではないのだ。

「……おい、大事な売り物だ。顔は傷付けるなよ」

 先程倒したはずの男が、腹を押さえながらゆらりと立ち上がる。無力化しきれていなかったようだ。己の不甲斐なさに唇を噛む。

「売る前に躾が必要じゃねえか? ちょっとくらい痛めつけても構わねえだろ」

 目の前の男が、エディリーンの胸ぐらを掴んで顔を仰向かせる。息がかかりそうなくらい顔を寄せられて、鳥肌が立った。

(くそ……っ)

 動け。戦え。
 自分の運命は自分で切り開け。教えられた言葉を胸に、自分を叱咤する。
 その時だった。部屋の中に新たな人影が乱入し、弱っていた細身の男の頭を、何かで殴り倒した。今度こそ男は昏倒し、エディリーンはその好機を逃さず、もう一人の男の手を振りほどき、その鳩尾に全力で膝を突き入れた。更に首筋を手刀で強かに打つ。男は床に倒れ伏し、動かなくなった。

「……大丈夫ですか」

 乱れた呼吸を整えながら、エディリーンは入口の方に視線を移す。
 二人の男の向こう側にいたのは、肩で大きく息をするヨルンだった。
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