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第六章 籠の鳥は、
#2
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思わず声が素っ頓狂な声を上げてしまい、慌てて抑える。
「……冗談にも程があるぞ」
「冗談ではない。他に妙案がないんだ」
王子に帝国の皇族を妃として迎えさせるわけにはいかない。そんなことをすれば、レーヴェは実質、帝国の支配下に入ったも同然になってしまう。よって、この人質交換のような要求を受けることは、断じてできない。帝国の下に付こうと画策している第一王子の一派にも、この動きは知られてはならないことだった。こちらにとっては幸いなことに、第一王子ギルベルトは政務にあまり熱心でないため、この要求のことはまだ知られていない。知っているのはユリウス王子と、一部の腹心の部下だけだった。
「そこで、既成事実を作ろうと思う」
彼らが用意しようとしている筋書きは、こうだった。
その魔術師は、とうの昔に正式に我が国に亡命し、臣民となっている。優秀な戦士及び魔術師としての実績も多数あり、国の要職にある者である。よって貴国に引き渡さなければならない謂れはない、というものだった。それが要するに、宮廷魔術師の席を利用しようということだった。
「それに、殿下には縁談を進めている姫がいる。正式な発表はまだだが、お相手は北方諸国同盟に属する、オリヴィニス王国の王女殿下だ。皇帝の弟君の娘とはいえ、皇女でもない姫と、同盟国の王女――どちらを取るかは明白だ。この縁談を断る口実はある。あとは君のことだ」
大陸の北側には、まだ帝国の支配に抗っている国々が点在している。それらの国々が組んでいるのが、北方諸国同盟だった。帝国の脅威に共に立ち向かい、有事の際には資金や援軍の提供を惜しまないと、互いに約束を交わしている。その先鋒に立っているのが、帝国と国境が接しているレーヴェであり、その動向は他の同盟国の、最も注視するものであった。
「……やっぱり国外逃亡か……」
足を組んで頬杖をつき、再びぼそりと呟く。ジルは黙って、難しい顔をしていた。
「エディ……!」
国外に逃げると言っても、帝国の手から逃れるのは簡単ではないだろう。大陸の南側はほとんど帝国領、あるいは属国になっているし、北側に逃げたとしても、帝国が勢力を広げてきたら逃げ場はない。
「簡単に言うけどな。この前も言ったと思うが、どこの馬の骨とも知れない人間を、どうやって王宮に入れるつもりだ?」
「それなんだが、まず王立魔術研究院に入ってもらいたい。そこで認められれば、宮廷魔術師に推薦されることも可能だ。だから……」
「それで、わたしに今の生活を捨てろと?」
エディリーンはアーネストの言葉をぴしゃりと遮って立ち上がる。
王立魔術研究院は、平民にも門戸を開いている。そこで修練を積めば、何より箔が付くし、身分も保証される。どこかで魔術師に弟子入りして修行するよりは、よほどいい暮らしができる。だが、問題はそんなことではない。
「わたしはこの国に忠誠を誓った覚えはないし、国がどうなろうと知ったことじゃない。王宮で贅沢な暮らしができるなら、喜んでついて行くだろうとでも思ったか? 馬鹿にするな。こっちにだって積み上げてきたものくらいあるんだ。それを捨てて、王族や貴族に頭を下げて暮らせって言うのか? 高貴なお方ってのは、これだから気に食わないんだ。自分たちの持っているものが至上だと思って、こっちの都合なんか無視して押し付けてくる。ふざけるな」
アーネストは言葉を失い、呆然と彼女を見つめていた。
「話は終わりだ。もう寝る。出ていけ」
思わず声を荒らげてしまったことを少しだけ決まり悪そうにしながら、アーネストを追い出す。今は彼女をそっとしておいた方がいいと判断したのか、ジルもそれに続いた。
エディリーンの部屋を出た二人は、廊下の隅に移動した。うなだれてしまった若者の背中に、ジルは声をかける。
「すみませんね、口の悪い娘で」
ジルはそう言ったが、あまり悪いと思っているわけではなさそうな、軽い口調だった。
「でも、こうと決めたら意地でも動かない娘なんでねえ。俺が今何か言っても意固地になるだけだと思うし、父親代わりの自分が言うのもなんですが、あれで賢い子です。どうするのが一番いいかは自分で決めるでしょうから、少しそっとしておいてやってもらえませんか」
普通なら娘は父親に従うものだというのが、この世界の常識だった。しかし、その点でこの親子を非難するつもりは、アーネストにはなかった。はっきりとものを言う彼女の態度に、好感すら覚えていた。味方になってくれたら頼もしいだろうとも思う。
「……いえ、わたしの方こそ、考えが足りませんでした。申し訳ない」
「それはあの子に直接言ってやってください」
ユリウス王子のために、国のためになにができるか、いつもそれを第一に考えて行動してきた。それが当たり前だった。でも、それが誰にとっても当たり前ではないという意識が抜け落ちていた。それで彼女を説得できるわけがなかったのだ。
「大事なものは人それぞれってことです。そこに良いも悪いもない。それだけのことだ」
アーネストはまだ少し衝撃から立ち直れないまま、床を見つめていた。
「ま、とりあえず寝ましょうや。明日も仕事がある。あの子も一晩経てば、多少落ち着くでしょう」
あくびを噛み殺しながら部屋に向かうジルに、アーネストは頭を下げた。
微かな月明かりが、窓から差し込んでいた。
「……冗談にも程があるぞ」
「冗談ではない。他に妙案がないんだ」
王子に帝国の皇族を妃として迎えさせるわけにはいかない。そんなことをすれば、レーヴェは実質、帝国の支配下に入ったも同然になってしまう。よって、この人質交換のような要求を受けることは、断じてできない。帝国の下に付こうと画策している第一王子の一派にも、この動きは知られてはならないことだった。こちらにとっては幸いなことに、第一王子ギルベルトは政務にあまり熱心でないため、この要求のことはまだ知られていない。知っているのはユリウス王子と、一部の腹心の部下だけだった。
「そこで、既成事実を作ろうと思う」
彼らが用意しようとしている筋書きは、こうだった。
その魔術師は、とうの昔に正式に我が国に亡命し、臣民となっている。優秀な戦士及び魔術師としての実績も多数あり、国の要職にある者である。よって貴国に引き渡さなければならない謂れはない、というものだった。それが要するに、宮廷魔術師の席を利用しようということだった。
「それに、殿下には縁談を進めている姫がいる。正式な発表はまだだが、お相手は北方諸国同盟に属する、オリヴィニス王国の王女殿下だ。皇帝の弟君の娘とはいえ、皇女でもない姫と、同盟国の王女――どちらを取るかは明白だ。この縁談を断る口実はある。あとは君のことだ」
大陸の北側には、まだ帝国の支配に抗っている国々が点在している。それらの国々が組んでいるのが、北方諸国同盟だった。帝国の脅威に共に立ち向かい、有事の際には資金や援軍の提供を惜しまないと、互いに約束を交わしている。その先鋒に立っているのが、帝国と国境が接しているレーヴェであり、その動向は他の同盟国の、最も注視するものであった。
「……やっぱり国外逃亡か……」
足を組んで頬杖をつき、再びぼそりと呟く。ジルは黙って、難しい顔をしていた。
「エディ……!」
国外に逃げると言っても、帝国の手から逃れるのは簡単ではないだろう。大陸の南側はほとんど帝国領、あるいは属国になっているし、北側に逃げたとしても、帝国が勢力を広げてきたら逃げ場はない。
「簡単に言うけどな。この前も言ったと思うが、どこの馬の骨とも知れない人間を、どうやって王宮に入れるつもりだ?」
「それなんだが、まず王立魔術研究院に入ってもらいたい。そこで認められれば、宮廷魔術師に推薦されることも可能だ。だから……」
「それで、わたしに今の生活を捨てろと?」
エディリーンはアーネストの言葉をぴしゃりと遮って立ち上がる。
王立魔術研究院は、平民にも門戸を開いている。そこで修練を積めば、何より箔が付くし、身分も保証される。どこかで魔術師に弟子入りして修行するよりは、よほどいい暮らしができる。だが、問題はそんなことではない。
「わたしはこの国に忠誠を誓った覚えはないし、国がどうなろうと知ったことじゃない。王宮で贅沢な暮らしができるなら、喜んでついて行くだろうとでも思ったか? 馬鹿にするな。こっちにだって積み上げてきたものくらいあるんだ。それを捨てて、王族や貴族に頭を下げて暮らせって言うのか? 高貴なお方ってのは、これだから気に食わないんだ。自分たちの持っているものが至上だと思って、こっちの都合なんか無視して押し付けてくる。ふざけるな」
アーネストは言葉を失い、呆然と彼女を見つめていた。
「話は終わりだ。もう寝る。出ていけ」
思わず声を荒らげてしまったことを少しだけ決まり悪そうにしながら、アーネストを追い出す。今は彼女をそっとしておいた方がいいと判断したのか、ジルもそれに続いた。
エディリーンの部屋を出た二人は、廊下の隅に移動した。うなだれてしまった若者の背中に、ジルは声をかける。
「すみませんね、口の悪い娘で」
ジルはそう言ったが、あまり悪いと思っているわけではなさそうな、軽い口調だった。
「でも、こうと決めたら意地でも動かない娘なんでねえ。俺が今何か言っても意固地になるだけだと思うし、父親代わりの自分が言うのもなんですが、あれで賢い子です。どうするのが一番いいかは自分で決めるでしょうから、少しそっとしておいてやってもらえませんか」
普通なら娘は父親に従うものだというのが、この世界の常識だった。しかし、その点でこの親子を非難するつもりは、アーネストにはなかった。はっきりとものを言う彼女の態度に、好感すら覚えていた。味方になってくれたら頼もしいだろうとも思う。
「……いえ、わたしの方こそ、考えが足りませんでした。申し訳ない」
「それはあの子に直接言ってやってください」
ユリウス王子のために、国のためになにができるか、いつもそれを第一に考えて行動してきた。それが当たり前だった。でも、それが誰にとっても当たり前ではないという意識が抜け落ちていた。それで彼女を説得できるわけがなかったのだ。
「大事なものは人それぞれってことです。そこに良いも悪いもない。それだけのことだ」
アーネストはまだ少し衝撃から立ち直れないまま、床を見つめていた。
「ま、とりあえず寝ましょうや。明日も仕事がある。あの子も一晩経てば、多少落ち着くでしょう」
あくびを噛み殺しながら部屋に向かうジルに、アーネストは頭を下げた。
微かな月明かりが、窓から差し込んでいた。
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