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第四章 憂いと光と
#1
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雨は上がり、中天に昇った月が、雲の隙間から覗いていた。砦のあちこちには篝火が設けられ、兵士が交代で見張りに当たっているが、大半は寝静まっていた。明朝になれば、また戦局は動くだろう。しかし、遠目からでもあの雷を目にした兵士たちの間には、あの力があれば帝国が何をしてきても勝てるのではないかという楽観が広がっていた。その裏側では、何が行われていたのか知らされることのないまま。
ユリウス王子の容体は悪化し、戦場に立つことはままならない身体となった。代わりに指揮権を握ったのは、宮廷魔術師のベルンハルト卿。宮廷魔術師は、本来は軍を指揮するような立場ではないが、将校たちからも支持され、いつの間にかそういう流れになっていた。
砦の一室には、一人の少女が滞在している。素性は詳しく知らされていないが、ベルンハルト卿の客人という扱いになっていた。しかし、部屋の扉の前には見張りが立ち、事実上は軟禁状態だった。
部屋には外から鍵がかけられており、あの少女を助け出すには、まず鍵を入手しなければならない。鍵が保管してあるのは、一階の詰所のような部屋だ。アーネストはそこに忍び寄り、そっと中を窺う。こちらにも、見張りの兵が一人詰めていた。
見張りは交代したばかり。後は、朝まで交代はない。ここであの兵士を倒して鍵を奪っても、露見するまでには時間がかかるはずだ。
素早く部屋に入り込み、油断している兵士の首筋に手刀を当てて気絶させる。鍵を手に入れると、次はエディリーンが軟禁されている部屋へ向かった。
ベルンハルト卿は、ユリウス王子を放置していた。今のところ命に別状はなさそうだが、あの男が何をするつもりかわからない以上、楽観視はできない。であれば、当初の予定通り、エディリーンに魔術書と呪いをどうにかしてもらうしかなかった。
しかし、とアーネストは立ち止まる。
ベルンハルト卿があのままでは、こちらの立場が危ういことに変わりはない。見込みが甘かったと言われればそれまでだが、こんなことになるとは思わなかった。
アーネストにとって一番大切なのは、ユリウス王子だ。王子のためであれば、どんなことだってしてみせる。けれど、あの少女は宮廷の権力争いとは関係がない。なんとか無事に返してやりたいが、良い方法が浮かばない。それでも、じっとしているわけにはいかなかった。
廊下を曲がった突き当りが、エディリーンのいる部屋だった。こちらにも見張りが一人立っている。同じ国の人間同士で争ことは避けたいが、仕方がない。
飛び出そうと足に力を込めたその時、気配を消して背後に近付かれていたことに気付いた。
「――!」
振り向き、臨戦態勢を取る。
しまった。油断はしていないつもりだったが、自分にここまで気配を悟らせない相手がこの場にいるとは思わなかった。
この二人を倒すことは簡単だが、それでは騒ぎになってしまう。焦るアーネストに、暗がりから現れた男はしかし、口の前に人差し指を立てて、静かにするよう目配せした。
「君は、エディリーンと一緒にいたな?」
思わぬ言葉に、アーネストは目を見張る。
灰色の髪と口髭を生やした、初老の男だった。しかし、その体躯に衰えは見えず、身のこなしも隙が無かった。
「あなたは……?」
「話は後だ。あの子を助けるつもりなら、協力してくれ」
男はそれだけ言うと、悠々と見張りの方へ歩いていく。
「よう。お勤めご苦労さん。交代の時間だ」
現れた男を、見張りの兵士は若干不審そうに見る。
「ああ……? 今日はもう交代はないはずじゃなかったか?」
「おや、聞いてなかったのか? まあいい。ここは俺が代わるから、あんたは休みな」
「そういうことなら、後は頼んだ」
見張りに当たっていた兵士は、欠伸をしながらアーネストがいる方とは別の廊下を曲がっていった。
それを見届けると、男はアーネストに来い、と合図を送る。
「この部屋を開けるのに鍵が必要なのはわかったんだが、どこにあるかわからなくてね。君が手に入れてくれて助かったよ」
どこか人好きのする笑顔を浮かべて、男は言う。
アーネストは手早く鍵を鍵穴に差し込む。扉を開けると、警戒心を露わにしたエディリーンが目に入った。だが、
アーネストと共に現れた男を見ると、目を丸くした。
「父さ……ジル! どうしてここに?!」
言って、男に駆け寄った。声は抑えているが、その声には隠しようのない驚きと喜びが滲み出ていた。
「いや、傭兵としてこの戦に参加していたんだがな。お前が現れたのが見えたと思ったら、閉じ込められているみたいじゃないか。だから、とりあえず助けに来た」
アーネストは扉を閉めつつ、外の気配に耳を澄ませようとしたが、二人の親しげな様子も気になる。
「お前こそ、ここで何をしているんだ? ベアトリクスと別件に当たっていると思っていたんだが」
エディリーンは、これまでのことをかいつまんで説明した。アーネストも要所要所で話に加わる。
ユリウス王子の容体は悪化し、戦場に立つことはままならない身体となった。代わりに指揮権を握ったのは、宮廷魔術師のベルンハルト卿。宮廷魔術師は、本来は軍を指揮するような立場ではないが、将校たちからも支持され、いつの間にかそういう流れになっていた。
砦の一室には、一人の少女が滞在している。素性は詳しく知らされていないが、ベルンハルト卿の客人という扱いになっていた。しかし、部屋の扉の前には見張りが立ち、事実上は軟禁状態だった。
部屋には外から鍵がかけられており、あの少女を助け出すには、まず鍵を入手しなければならない。鍵が保管してあるのは、一階の詰所のような部屋だ。アーネストはそこに忍び寄り、そっと中を窺う。こちらにも、見張りの兵が一人詰めていた。
見張りは交代したばかり。後は、朝まで交代はない。ここであの兵士を倒して鍵を奪っても、露見するまでには時間がかかるはずだ。
素早く部屋に入り込み、油断している兵士の首筋に手刀を当てて気絶させる。鍵を手に入れると、次はエディリーンが軟禁されている部屋へ向かった。
ベルンハルト卿は、ユリウス王子を放置していた。今のところ命に別状はなさそうだが、あの男が何をするつもりかわからない以上、楽観視はできない。であれば、当初の予定通り、エディリーンに魔術書と呪いをどうにかしてもらうしかなかった。
しかし、とアーネストは立ち止まる。
ベルンハルト卿があのままでは、こちらの立場が危ういことに変わりはない。見込みが甘かったと言われればそれまでだが、こんなことになるとは思わなかった。
アーネストにとって一番大切なのは、ユリウス王子だ。王子のためであれば、どんなことだってしてみせる。けれど、あの少女は宮廷の権力争いとは関係がない。なんとか無事に返してやりたいが、良い方法が浮かばない。それでも、じっとしているわけにはいかなかった。
廊下を曲がった突き当りが、エディリーンのいる部屋だった。こちらにも見張りが一人立っている。同じ国の人間同士で争ことは避けたいが、仕方がない。
飛び出そうと足に力を込めたその時、気配を消して背後に近付かれていたことに気付いた。
「――!」
振り向き、臨戦態勢を取る。
しまった。油断はしていないつもりだったが、自分にここまで気配を悟らせない相手がこの場にいるとは思わなかった。
この二人を倒すことは簡単だが、それでは騒ぎになってしまう。焦るアーネストに、暗がりから現れた男はしかし、口の前に人差し指を立てて、静かにするよう目配せした。
「君は、エディリーンと一緒にいたな?」
思わぬ言葉に、アーネストは目を見張る。
灰色の髪と口髭を生やした、初老の男だった。しかし、その体躯に衰えは見えず、身のこなしも隙が無かった。
「あなたは……?」
「話は後だ。あの子を助けるつもりなら、協力してくれ」
男はそれだけ言うと、悠々と見張りの方へ歩いていく。
「よう。お勤めご苦労さん。交代の時間だ」
現れた男を、見張りの兵士は若干不審そうに見る。
「ああ……? 今日はもう交代はないはずじゃなかったか?」
「おや、聞いてなかったのか? まあいい。ここは俺が代わるから、あんたは休みな」
「そういうことなら、後は頼んだ」
見張りに当たっていた兵士は、欠伸をしながらアーネストがいる方とは別の廊下を曲がっていった。
それを見届けると、男はアーネストに来い、と合図を送る。
「この部屋を開けるのに鍵が必要なのはわかったんだが、どこにあるかわからなくてね。君が手に入れてくれて助かったよ」
どこか人好きのする笑顔を浮かべて、男は言う。
アーネストは手早く鍵を鍵穴に差し込む。扉を開けると、警戒心を露わにしたエディリーンが目に入った。だが、
アーネストと共に現れた男を見ると、目を丸くした。
「父さ……ジル! どうしてここに?!」
言って、男に駆け寄った。声は抑えているが、その声には隠しようのない驚きと喜びが滲み出ていた。
「いや、傭兵としてこの戦に参加していたんだがな。お前が現れたのが見えたと思ったら、閉じ込められているみたいじゃないか。だから、とりあえず助けに来た」
アーネストは扉を閉めつつ、外の気配に耳を澄ませようとしたが、二人の親しげな様子も気になる。
「お前こそ、ここで何をしているんだ? ベアトリクスと別件に当たっていると思っていたんだが」
エディリーンは、これまでのことをかいつまんで説明した。アーネストも要所要所で話に加わる。
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