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第四話 こどもたちのよすが
#2
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昴の実家は、電車とバスを乗り継いで二時間余りの、隣の県にある。頻繁に帰れない距離ではないが、気軽に行き来できる距離でもない、微妙なところにあった。
それでも、大学に入って最初の夏休み以来、帰っていない。
理由は至極簡単で、家族と折り合いが悪いので帰りたくないという、今時たぶん珍しくもないものだった。
昴の父親は、独善的な、自分が白と言えば黒も白で、妻子が気に入らないことをすれば暴言を吐き、人格否定までするような人物だった。
何故そんな人間と結婚したのかと、母に聞いたことがある。しかし母は、「どうしてだろうね」と曖昧に微笑むだけだった。
小さい頃は父親にされるがままだったが、ある程度大きくなってからは、反抗するようになった。母親を庇い、おかしいことはおかしいと言うようになった。
それが気に障ったのか、父親は昴のやることなすことに文句をつけるようになった。母親は一緒に戦ってくれるものと思っていたが、矛先が自分から反れたのをこれ幸いと思ったのか、何も言ってくることはなかった。
次第に家の何もかもに愛想を尽かした昴は、高校卒業と同時に、家を出た。母親の弟である陽介はその辺りの事情を知っていて、沈んだ顔で桜華堂にやってきた昴を、温かく迎えてくれた。
そうして、二度と実家に帰るつもりはなかった。連絡もろくに取っていない。次に会うのは冠婚葬祭の葬ではないかと、薄情だと思いつつも考えていたが、八月に入ったばかりのある日、急遽帰ってきてほしいと、母親から連絡が入った。
父が、入院したという知らせだった。
日帰りで往復するには忙しない行程になってしまうので、気は進まなかったが、一泊分の着替えや身の回りの品をボストンバッグに詰め、電車に乗った。
母親にはどういうわけか日付を指定されて、この日に帰ってきてくれと言われた。ちょうど桜華堂のバイトは休みだったので、突っぱねる理由もなくなってしまった。それに、ちょっとした怪我や何かで入院したのなら見舞いに行く必要性など感じないが、もっと切羽詰まった雰囲気が電話越しからも感じ取れたので、それを無視するほど非情にもなれなかったのだった。
電車に揺られながら、考えまいとしても、あの家で過ごした日々が蘇ってくる。
やることなすこと認められず、罵声を浴び続けた日々は、まだ遠い思い出にはならない。
外では辛いことを押し隠して、本の中で想像の翼を羽ばたかせる時だけが、本当に自由でいられる時間だった。
やがて自分で小説を書き始め、コンクールで賞をもらって出版にこぎつけた。無論、小説を書くこと自体にいい顔はされていなかったが、これであの父親の世話にならず、自分の力で生きていけるのだと思った。
だが、当時中学生だった昴に賞金や印税を自由にする権利は与えられず、それらは親の管理下に入った。その金がどうなったのか、昴は聞かされていない。
昴の生まれ育った街は、田舎でもなく、かと言って都会でもない、これといって特徴のない街だった。各駅停車の駅があり、いくつかの店舗が集合した中規模なショッピングセンターがあって、商店街と住宅街が続く、そんな街。
目的の駅に降りた昴は、実家には向かわず、指定された病院へ向かうバスに乗った。なんでも数日前に緊急入院し、今日が手術だという。
二十分ほどで目的のバス停に着いた。すぐ目の前に、病院の白い建物が横たわっている。
自動ドアをくぐってロビーに入ると、病院独特の匂いというか、気配がした。冷房は効いているが、手放しで心地よいとは言えない、人々の不安や憂いといった感情が澱のように沈んだような。
入ってすぐのところには総合受付があって、並べられた椅子に、子どもからお年寄りまでたくさんの人が座っていた。
昴は受付で手術の付き添いである旨を申し出て、病棟に案内された。
手術中の患者の家族が待つ待合室は、小さめの四角いテーブルと、それを囲む椅子が四却置かれただけの、あまり広くはない部屋だった。
「……久しぶり」
手術は既に始まっていて、そこには母親が一人ぽつんと座っていた。昴は荷物を空いている椅子に置くと、母親の斜向かいに座った。
「久しぶりね。元気にしてる?」
約一年ぶりに会った母親は、元から快活という言葉が似合うような人ではなかったが、会わない間に少しやつれたように見えた。
「うん、まあ」
会話がぎこちないのは、互いの間に空いた時間のせいだけではないだろう。それを埋める術を、昴は知らない。母親の方も、息子にどう接していいかわからないような、よそよそしい態度が見て取れた。
待ち時間は長い。しかし、元から会話の絶えない明るい家族でもなかったため、大学はどうだとか、向こうの暮らしはどうだとか、言葉少なに近況を報告し合った後は、気詰まりな沈黙が続く。
途中、腹ごしらえに売店で飲み物やおにぎりを買って食べたり、スマートフォンを眺めたり持ってきた本を読んだりして、時間を潰した。
やがて医師がやってきて、手術が終わったことを告げられる。そして揃って診察室へ移動し、手術の結果や、今後の治療の説明が始まった。
それでも、大学に入って最初の夏休み以来、帰っていない。
理由は至極簡単で、家族と折り合いが悪いので帰りたくないという、今時たぶん珍しくもないものだった。
昴の父親は、独善的な、自分が白と言えば黒も白で、妻子が気に入らないことをすれば暴言を吐き、人格否定までするような人物だった。
何故そんな人間と結婚したのかと、母に聞いたことがある。しかし母は、「どうしてだろうね」と曖昧に微笑むだけだった。
小さい頃は父親にされるがままだったが、ある程度大きくなってからは、反抗するようになった。母親を庇い、おかしいことはおかしいと言うようになった。
それが気に障ったのか、父親は昴のやることなすことに文句をつけるようになった。母親は一緒に戦ってくれるものと思っていたが、矛先が自分から反れたのをこれ幸いと思ったのか、何も言ってくることはなかった。
次第に家の何もかもに愛想を尽かした昴は、高校卒業と同時に、家を出た。母親の弟である陽介はその辺りの事情を知っていて、沈んだ顔で桜華堂にやってきた昴を、温かく迎えてくれた。
そうして、二度と実家に帰るつもりはなかった。連絡もろくに取っていない。次に会うのは冠婚葬祭の葬ではないかと、薄情だと思いつつも考えていたが、八月に入ったばかりのある日、急遽帰ってきてほしいと、母親から連絡が入った。
父が、入院したという知らせだった。
日帰りで往復するには忙しない行程になってしまうので、気は進まなかったが、一泊分の着替えや身の回りの品をボストンバッグに詰め、電車に乗った。
母親にはどういうわけか日付を指定されて、この日に帰ってきてくれと言われた。ちょうど桜華堂のバイトは休みだったので、突っぱねる理由もなくなってしまった。それに、ちょっとした怪我や何かで入院したのなら見舞いに行く必要性など感じないが、もっと切羽詰まった雰囲気が電話越しからも感じ取れたので、それを無視するほど非情にもなれなかったのだった。
電車に揺られながら、考えまいとしても、あの家で過ごした日々が蘇ってくる。
やることなすこと認められず、罵声を浴び続けた日々は、まだ遠い思い出にはならない。
外では辛いことを押し隠して、本の中で想像の翼を羽ばたかせる時だけが、本当に自由でいられる時間だった。
やがて自分で小説を書き始め、コンクールで賞をもらって出版にこぎつけた。無論、小説を書くこと自体にいい顔はされていなかったが、これであの父親の世話にならず、自分の力で生きていけるのだと思った。
だが、当時中学生だった昴に賞金や印税を自由にする権利は与えられず、それらは親の管理下に入った。その金がどうなったのか、昴は聞かされていない。
昴の生まれ育った街は、田舎でもなく、かと言って都会でもない、これといって特徴のない街だった。各駅停車の駅があり、いくつかの店舗が集合した中規模なショッピングセンターがあって、商店街と住宅街が続く、そんな街。
目的の駅に降りた昴は、実家には向かわず、指定された病院へ向かうバスに乗った。なんでも数日前に緊急入院し、今日が手術だという。
二十分ほどで目的のバス停に着いた。すぐ目の前に、病院の白い建物が横たわっている。
自動ドアをくぐってロビーに入ると、病院独特の匂いというか、気配がした。冷房は効いているが、手放しで心地よいとは言えない、人々の不安や憂いといった感情が澱のように沈んだような。
入ってすぐのところには総合受付があって、並べられた椅子に、子どもからお年寄りまでたくさんの人が座っていた。
昴は受付で手術の付き添いである旨を申し出て、病棟に案内された。
手術中の患者の家族が待つ待合室は、小さめの四角いテーブルと、それを囲む椅子が四却置かれただけの、あまり広くはない部屋だった。
「……久しぶり」
手術は既に始まっていて、そこには母親が一人ぽつんと座っていた。昴は荷物を空いている椅子に置くと、母親の斜向かいに座った。
「久しぶりね。元気にしてる?」
約一年ぶりに会った母親は、元から快活という言葉が似合うような人ではなかったが、会わない間に少しやつれたように見えた。
「うん、まあ」
会話がぎこちないのは、互いの間に空いた時間のせいだけではないだろう。それを埋める術を、昴は知らない。母親の方も、息子にどう接していいかわからないような、よそよそしい態度が見て取れた。
待ち時間は長い。しかし、元から会話の絶えない明るい家族でもなかったため、大学はどうだとか、向こうの暮らしはどうだとか、言葉少なに近況を報告し合った後は、気詰まりな沈黙が続く。
途中、腹ごしらえに売店で飲み物やおにぎりを買って食べたり、スマートフォンを眺めたり持ってきた本を読んだりして、時間を潰した。
やがて医師がやってきて、手術が終わったことを告げられる。そして揃って診察室へ移動し、手術の結果や、今後の治療の説明が始まった。
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