17 / 17
歌なき恋の想い人
Ⅴ
しおりを挟む
三人が帰った後に先生はわたしにこう言いました。
「江藤くんの結論では、不十分だね。あれでは結婚前の歌が詠まれていない説明がされていないからね。まあ、そのあたりは梅田くんがフォローしてくれるだろうから、心配はしてないけど」
「母親への反発でしょうか?」
「ああ、たぶんそうなんだろうね……」先生は少し寂し気に答えました。
幼い頃の十市皇女のには、母が父と別れて権力者に媚びを売ったと見えたかもしれません。歌で頂点を極めるために父は捨てられた。自分はそんな薄情な女にはなりたくないと……。
実際に大友皇子と結婚し、政治の権謀術数の中に叩き込まれて、初めて母の行動の意味を理解したのでしょうか。でも、もうその時には歌を詠むことも出来なかったのでしょう。
突然、思い出したように先生が言いました。
「そうだ、信ぴょう性は薄いんだけど。伊勢下向の途上、波多神社(三重県津市)に参詣したときに十市皇女が詠んだ歌だって言うのが一つあるんだよ。十市皇女が亡き夫を偲んで詠んだ歌と言われているんだがね。きっと、後になって誰かが詠んだのだろうね」先生がその歌をゆっくりと詠います。
霰(あられ)降りいたく風吹き寒き夜や旗野に今夜(こよひ)我(あ)がひとり寝む
「最後まで大友皇子を想っていたのだったら、その点では彼も幸せだったのかも知れないね……」
先生のそんなつぶやきが部屋に静かに染み入るように聞こえました。
わたしは戦いに敗れた大友皇子をそっと抱きしめている十市皇女の姿が目に浮かんでくるような気がしました。
たとえ言葉(歌)に出来なくとも、確かに大事な想いがそこにあったんだと……。
音もなく降り続く、このつゆの雨が十市皇女の流した涙のように感じられました。
了
「江藤くんの結論では、不十分だね。あれでは結婚前の歌が詠まれていない説明がされていないからね。まあ、そのあたりは梅田くんがフォローしてくれるだろうから、心配はしてないけど」
「母親への反発でしょうか?」
「ああ、たぶんそうなんだろうね……」先生は少し寂し気に答えました。
幼い頃の十市皇女のには、母が父と別れて権力者に媚びを売ったと見えたかもしれません。歌で頂点を極めるために父は捨てられた。自分はそんな薄情な女にはなりたくないと……。
実際に大友皇子と結婚し、政治の権謀術数の中に叩き込まれて、初めて母の行動の意味を理解したのでしょうか。でも、もうその時には歌を詠むことも出来なかったのでしょう。
突然、思い出したように先生が言いました。
「そうだ、信ぴょう性は薄いんだけど。伊勢下向の途上、波多神社(三重県津市)に参詣したときに十市皇女が詠んだ歌だって言うのが一つあるんだよ。十市皇女が亡き夫を偲んで詠んだ歌と言われているんだがね。きっと、後になって誰かが詠んだのだろうね」先生がその歌をゆっくりと詠います。
霰(あられ)降りいたく風吹き寒き夜や旗野に今夜(こよひ)我(あ)がひとり寝む
「最後まで大友皇子を想っていたのだったら、その点では彼も幸せだったのかも知れないね……」
先生のそんなつぶやきが部屋に静かに染み入るように聞こえました。
わたしは戦いに敗れた大友皇子をそっと抱きしめている十市皇女の姿が目に浮かんでくるような気がしました。
たとえ言葉(歌)に出来なくとも、確かに大事な想いがそこにあったんだと……。
音もなく降り続く、このつゆの雨が十市皇女の流した涙のように感じられました。
了
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【か】【き】【つ】【ば】【た】
ふるは ゆう
ミステリー
姉の結婚式のために帰郷したアオイは久しぶりに地元の友人たちと顔を合わせた。仲間たちのそれぞれの苦痛と現実に向き合ううちに思いがけない真実が浮かび上がってくる。恋愛ミステリー
恋歌(れんか)~忍れど~
ふるは ゆう
恋愛
大学三年の春、京極定家は親友の有田業平の手伝いで大学の新入生歓迎会を手伝うことになる。そこで知り合った文学部の賀屋忍と北家高子、この二人との出会いが京極にとって、とても大切な一年になっていく。
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる