グリムの囁き

ふるは ゆう

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第三話・ヘンゼルとグレーテル

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 陣内は受付の前でやっと冷静になって今の状況を把握した。エレベーターで同期連中から冷やかされて、思わず早く逃れようとヒナタの手を引いてここまで来てしまったのだ。
「ご、ごめん。驚かしちゃったね……」
 陣内は手を離して照れ隠しに頭を掻きながら笑った。
「い、いえ……」
 耳まで赤くなったヒナタもそれ以上言葉が出ない。
「近くの喫茶店でも入ろうか?」
「はい……」
 ヒナタは改めて手を繋いで欲しかったのだが、その思いは陣内には届かなかった。

 それほど歩かない距離の所に落ち着いた感じの喫茶店がある。マスターの趣味であろう、中の装飾はまるで山小屋のようであった。
「カラン!」
 木製のドアを開けると熊よけの鈴のような音が響いた。
 少し暗めの店内には山の写真とアイゼンなどの登山道具が所狭しと飾ってあった。
「どう? 都心とは思えないでしょう。マスターの趣味なんだよ」
 楽しげに話しながら、陣内が奥ばった席にヒナタを案内する。
「若造、良いのか? こんな時間に油売ってて」
 注文を取りに来たマスターがコップを置きながら言った。
「ええ、今日は石川さんの許可もらって来ました」
 怪しむマスターに対し、誇らしげに陣内が答える。注文を取ったマスターはカウンターの中に戻っていった。
「うん、顔色も良さそうだし……。完全復活で良いのかな?」
 陣内はヒナタを覗き込むようにして尋ねた。
「は、はい! もう大丈夫ですから、ご心配をお掛けしました」
 陣内の視線から逃げるようにヒナタは頭を下げたが、耳の赤さまでは隠せない。
「良かった。安心した……。俺も心配だったんだ……。単に被害者の女性としてでなくて……」
 改めて真面目な顔になって陣内は話を続ける。
「刑事と被害者ではなくて、一人の男としてキミのことを……」
 そう言いかけた陣内の話の腰を折るように、マスターが注文の飲み物を持ってきて言った。
「おい、若造! 女はな、そういう話はもっと思い出に残るような場所で聞きたいもんだぞ!」
 しまった、と言う顔で陣内は頭をかいた。
「……わ、わたしは、どこでも構わないです……」
 モジモジしながらヒナタがフォローする。「そ、そうですね。こんな喫茶店じゃあ、不味いですよね!」
 マスターに向かって陣内が考えなしに答えたが、
「この野郎! お前は当分出入り禁止な」
 その答えはマスターの逆鱗に触れたのだった……。

 それから、少しの時間ではあったが楽しく話し、次の週末にデートの約束をして別れる。
「バイト終わる頃に迎えに行くからね」
「はい、楽しみにしています」
 帰り道、ヒナタの足取りも自然と軽やかになっていった。

 ☆ ☆ ☆
 
 デート当日、ヒナタがお店に来る前に、朝早くから出かける人物があった。
「響子さん、もう出かけるんですか?」
 悠斗が顔を出して尋ねた。
「ええ、別荘で業者と打ち合わせなの。夜までかかるようなら向こうに泊まってくるわ」
 そう言って響子は朝食も取らずに出かけていった。

 バイトでヒナタは開店前の準備から張り切って手伝っている。芽衣の代わりに、菜々美の指示にしたがって焼きあがったお菓子をショーケースに並べていく。
「ヒナタちゃん、ちょっとこっち手伝って」
「はい!」
 中央のテーブルにいる菜々美から声がかかった。どうやらお菓子の家を動かすようである。
「そっちの屋根を持っていてね、持ちあげるからね。よいしょっと!」
 ヒナタと二人がかりでお菓子の家の屋根を持ち上げる。
「え! これ取れるんですか?」
 驚いたヒナタが声を上げた。
「驚いたでしょう。ただ乗っているだけなんだよ」
 嬉しそうに菜々美が説明してくれる。お菓子の家は四隅の壁を作って、固定してから最後に屋根を乗せるそうだ。
 お菓子の家の中をのぞき込んだヒナタは少し残念そうに言った。
「うーん、中は空っぽなんですね……」
「残念! テーブルとか暖炉なんかがあると思った? 窓が飾り付けだから中がのぞけないの、今度はくり抜き窓にして、中も見れるようにしようかな……」
「すごく楽しみです。手伝えることあったら言ってくださいね」
 ヒナタはまるで子供の頃のお人形の家を思い出していた。

「こっちのワゴンに、そう、中央のクッションに乗せるように置いてね」
 菜々美の指示で屋根をゆっくりと壊れないようにクッションの上に乗せる。その時、後ろから不意に悠斗が顔を出して言った。
「芽衣はもう行っちゃた?」
 忘れ物か何かがあったのか急に声をかけたのだ。
「!」
「大丈夫?」
「あ、はい!」
 菜々美の心配した声にヒナタは慌てて何かを隠した。
「だ、大丈夫です……」
 菜々美はその言葉に安心して次の作業に移っていった。
 ヒナタは再度自分の手の中にあるものを確認して、背中に冷や汗が伝わるのを感じた。
(ヤバイ! 折れちゃったよ。どうしよう……)仕方なくハンカチに丁寧に包んでエプロンのポケットへしまったのだった。
 その後すぐに開店すると忙しくなり、ヒナタはすっかり折れた破片の事など忘れてしまった。
 さらに、午後には陣内が迎えに来てくれて、舞い上がったヒナタが破片の事を思い出したのは、デートを終えての帰り道になってからだった。
「どうしたの? 気分でも良くない」
 デートの帰り、助手席で黙ってしまったヒナタを心配して陣内は話しかけた。
「いいえ、そうじゃあなくって……。バイト先に忘れ物しちゃって……」
 ヒナタはお菓子の破片の事を正直に陣内に話した。

「OK、そっちに寄ってから帰ろう」
 陣内は車を「ヘンゼルとグレーテル」へ向かわせた。

「お邪魔します……」
 夜八時過ぎたので、もう誰もいないかと思って静かに入って行くと、明かりのついた調理室から出てくる菜々美とバッタリ会った。
「あ! ヒナタちゃん。ちょうど良かった、屋根のそっちがわを持ってほしいんだけど」
 今、出来たばかりの新しいお菓子の家の組み立て最中だったようだ。
「え! これ新作?」
「そう、今出来たばっかりの新作。お菓子の家バレンタインバージョンです!」
 楽しそうにそう宣言する菜々美に、ヒナタは結局、前のお菓子の家を少し壊してしまった事を話し出せなかった。

 陣内の待っている車に、しょぼんとしてヒナタが戻ってきた。
「あ……、菜々美さんに言えなかったよ。これどうしようか?」
 ヒナタは折れた破片を大事そうに見せた。
それを見せられた陣内は少し考えてから諭すように話した。
「ヒナタの気持ちだから、あの人達に対し隠し事をしたくないんだろう? 明日でも、次回のバイトの時でも良いから話してみたら……」
「うん、そうする」
 そう言ってヒナタは、破片をまた丁寧にハンカチに包んだ。

 その後の家までの帰り道は、二人の会話も途切れがちではあったが、ヒナタの心の中は幸せな気持ちで満たされていたのだった。
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