茨の女王

ふるは ゆう

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第二章 薔薇の洋館

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 数日後、これから撮影も後半に移る。明日からはいよいよ旧古河庭園の洋館での撮影が本格的に始まる。
 その前に今夜は薔薇と洋館のライトアップに合わせ、この秋公開予定の「茨の園」監督と女優陣のトークショーが開かれることになり、その大々的な報道で沢山のギャラリーが集まると予想されていた。

 そんな慌ただしい中でも、いつもと変わらずに薔薇たちの手入れをする老人が居た。首のタオルで汗を拭きながら丁寧に世話をしている。いくらギャラリーが多くても薔薇にとっては同じ事とでも言いたい様であった。
「滝川さん、滝川清さんですね! 」いきなり後ろから声を掛けられて、滝川は驚いた。
 振り向くと小柄なメガネの中年がいた。人懐っこそうな笑顔をして、歩いて来る。
「初めまして、わたくし探偵をやっております。剣豊作と申します」わざとらしい演技の様な挨拶であった。
 滝川は探偵と聞いて表情を硬くした。
「貴方は、二十年以上前からここで庭師をやっておられるとお聞きしまして。是非、当時のお話をお聞かせ願いたいと…… 」揉み手の様な体制で剣が話しかけて来て、これは捕まったら話が長いぞと思った時、横からの大きい声が剣の行く手を遮った。
「滝川さん、今日はいつもより早く仕上げて欲しいんですから。油売ってないで下さいよ! 」公園事務員の西原はそう言って、そそくさとベランダのセッティングに行く。大忙しの様であった。

 その様子を遠くから心配そうに眺めていたのは、田端葵であった。
 葵の横を滝川が通り過ぎる時、葵は笑顔で挨拶をした。
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、いよいよ今晩ですね」
「はい、そうです! 頑張ります」
 滝川はそのまま長いロープを重たそうに担ぎながら歩いて行った。この時の二人の表情までは遠目からは窺い知れなかった。

 仕方なく、剣は旧古河邸の中に入り二階を目指す。そこには映画「茨の園」のヒットを受けてこじんまりとした資料室が作られて、当時の資料が綺麗に陳列されていた。目的の人物はその一番奥のガラスのショーケースの前にいた。
「どの様な気分なのでしょうか? ご自分たちの造った映画の資料がこうやって陳列されるのをご覧になるのは…… 」
 剣はケースを覗き込んでいる岩淵に静かに問いかけた。岩淵は少し驚いたが、そのままの姿勢で少し考えてから答えた。
「複雑です。懐かしくもあり、しかし、こうすればとか後悔もありますし、これ以上の作品を作るんだと言う気持ちを奮い立たせてもくれる…… 表現し難い複雑な感情が生まれますね」
「ここに来て、単に気持ちを奮い立たせているだけでは無いんですね」
「まあ、それがメインですけれど…… 」岩淵は少しはにかむ様に答えた。案外、繊細な人物なのかも知れなかった。

「ここのスペースが変に空いているのですが? 」ショーケースの中央のスペースがぽっかりと空いている事に気が付き剣が尋ねると、岩淵が丁寧に教えてくれた。
「ここには『破った脚本』があったそうですよ。事務の人が、数日前から団体へ貸出していると言ってましたね」
「それは残念、せっかく『破られた脚本』が拝めると思ったのに…… 」剣はそう言ってその場を立ち去った。

 岩淵はその後もしばらくはそこに佇んでいた。

 × × ×
○昭和十九年十一月、神宮司家書斎(昼)
  電報を受け取った、和枝は腰から砕ける様に座り込む。
  横に居た千秋は驚いて抱きかかえた。

千秋「お母様、どうなさったのですか? (和枝の持っていた電報を確認する)」
和枝「あなた…… 」
千秋「そ、そんな…… これは何かの間違えではなくて! 」

  敗戦が濃厚となり、神宮寺は撤退を決断するが時遅く、
  乗ったフィリピンからの引き上げ船が沈没し行方不明となる。
  神宮司家は主を失くしここから傾き始める。
 × × ×

「すみませんが、そろそろわたしは所長からの指示で一旦事務所にもどりますので…… 」残念そうに菫は葵たちに話した。
「わたしたちも楽しかったし、色々差し入れも有難うございました」
「また、遊びに来てね。探偵の話も面白かったし」
「そう、わたしも今度、探偵もののドラマ出たいな…… 」
「問題は、演技力だから! 」
「参った! 」(みんなの笑い)
 すっかり友達の様になった三人は菫がもどるのをとても残念がってくれた。

 午後から映画の衣装での撮影会があり、そのまま夕方からのトークショーに移行する予定である。
 葵は休憩時間にすきを見て封筒を岩淵の机に置いた。菫が事務所に戻っているこのすきを逃すわけにはいかなかった。
 撮影会も終わり、やがて日も落ちて来た六時過ぎから、毎年恒例の旧古河邸と薔薇のライトアップが何人かの思惑を絡めながら始まったのであった。


 建築家コンドルの晩年の設計である旧古河邸は、大正時代に作られた英国建築様式であり、庭園と共に国の名勝に指定された文化財である。
 その厳かな容姿が今、色とりどりのライトに照らされて浮かび上がる。
その瞬間に、集まったギャラリーのため息の様な声が静かに響いた。

「ようこそ、薔薇の洋館へ。今年のライトアップは特別なモノになりそうです」司会の声が静かに響いてショーは始まった。
 薔薇に囲まれた中央の道を一人ずつ紹介されながら正面玄関前に用意されたテラスまで歩く、途中ライトアップされた階段を上がり思い思いのパフォーマンスを繰り広げフラッシュの光とシャッターの音が止むことは無かった。
 最後に薔薇の女王と言われた、桐ヶ丘結衣が監督の岩淵にエスコートされて登場すると、ステージは最高潮の盛り上がりを見せる。
「二十年の時を経て再びこの場所に立てる喜びを監督の岩淵と共に味わっております。前作以上の更に素晴らしい『茨の園』をお見せすることを今ここに約束いたします」
 堂々とした結衣の宣言に締めくくられて、トークショーに移り、若手三人の面白い会話などで盛り上がって、一時間の予定のショーは時間を多少オーバーして幕を閉じた。


 慌ただしいステージの撤収の中、急いで岩淵はあてがわれた部屋に戻って、もう一度手紙の内容を確認した。

  貴方が破り捨てた本当の脚本が欲しければ、今夜三階の右の窓辺に    
  来い。窓の外にそれはある。   真相を知るモノ

 岩淵は手紙を封筒と共にシュレッダーにかけてから右三階の部屋に上って行った。
 旧古河邸は二階建てだが、左右に屋根裏部屋の様なものがある。右には小さな窓が、左には小さいがベランダが付いている。神山が自殺したのは左のベランダであった。両方の部屋は今回の撮影では使われておらず、全くの空き部屋になっていた。
 その右の部屋に岩淵は恐る恐る登って行きドアを開ける。明かりは無いがまだライトアップの光で辺りは明るい。岩淵は正面の小窓に慎重に近付き、そこから下を覗き込んだ。

 そこからの景色はまるで町中が赤く焼野原になった様であった。

 × × ×
○昭和二十年四月、奥多摩の神宮司家・別荘(夜)
  同年三月の東京大空襲で和枝と千秋は屋敷を閉じ奥多摩に疎開した。

千秋「お母様、ご覧下さい。お屋敷の方向が! 」
和枝「空があんなに真っ赤に…… (二人呆然と立ち尽くす)」
千秋「薔薇たちは、あの庭はどうなったでしょうか? 」
和枝「とても無事とは思えないわね…… (二人、いつまでも立ち尽くした)」

  四月の王子区の陸軍兵器工場を狙ったとされる城北大空襲で、
  豊島区、滝野川区、荒川区などの住宅地が火の海になった。
 × × ×

「今だ! 」
 葵は渾身の力を込めて、全体重を乗せながらロープを引き下ろした。予め窓わくに滝川が仕込んで置いたロープが、岩淵の首を絞めるはずだったのだが…… 窓わくに仕掛けられたロープは1ミリたりとも動かなかった。

「! 」
 葵の引いたロープには手ごたえは全く無く、お蔭で床に盛大に尻餅をついてしまった。
「? 」
 全く理解出来ず座り込んでいた葵に、背後から聞きなれた声が静かに響いた。
「葵さん、そこまでです! 一緒に大広間に来ていただけますか? 」
 いつもの態度と全く違った、菫が真面目な顔で葵に手を差し伸べた。この手は逃がさないと言うことなのだろうか? 葵は菫に手を引かれて、一階の大広間に連れて行かれた。
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