茨の女王

降羽 優

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第一章 迷探偵登場

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 剣 豊作つるぎほうさくは昼間からほの暗くした事務所のソファで、送られて来た資料のブルーレイを今、やっと見終わった所であった。げっそりした顔で、隣に座る溝ノ口 菫みぞのぐちすみれを睨みながら言った。
「菫さん、結局最後まで見てしまったじゃあないですか。私の依頼した件はどうしました? 」
「はい! これからとりかかりますので少々お待ちを」
 見終わってからやるのが当然とばかりの言いようだった。

「この映画はラストが最高に良いんですよ! 見出したら最後まで見たくなるじゃあないですか! わたし、最低でも3回は見ましたね」
 興奮気味の菫が熱弁を振るう、映画の最中も余計な解説を挟んでくるため、剣は全く映画に集中できなかった。
 取り出したディスクをしまいながら、紙の資料とスタッフ名を確認し難しい顔で考え込んだ。
「さて、この依頼。どちらから進めましょうかね? 」
 剣にとってこれは難しくも楽しい依頼の様であった。

 × × × 
○神宮司家、薔薇に囲まれた広い庭園(昼)
  屋根のあるテラスで紅茶とお菓子を頂きながらの娘たちの会話。  

春江「あの方はこの『薔薇の園』に相応しいとは到底思えないわ」
夏美「でも、お姉さま。あの方は大学出のとても優秀な方と聞き及んでいますわ」
千秋「お父様は大学教授だそうです…… 」
春江「(二人を睨みながら)あなたたちはそれで良いの? あんな目立たない地味な方をお母様と呼べますの! 」

  二人は顔を見合わせて黙り込む。

春江「少なくとも、わたしは認めませんから。あの方をお母様とは!
(宣言するように言う)」
 × × ×

 午前十時、緑川スタジオ前。飛鳥商事の小林は撮影所受付の前である人物を待っていた。指示ではここでの待ち合わせになっていたからである。
 その人物は、時間丁度に彼の前に現れた。丁寧にお辞儀をして、仰々しく名刺を小林に渡してこう言った。
「飛鳥商事の小林さんですね。本日はご同行感謝いたします。私は名探偵の剣豊作と言います」
 小林も交換で名刺を渡し挨拶をした。長年色々な業界の人と交際のある小林であったが、自分から名探偵を名乗る探偵を見るのは今回が初めてであった。

 アシスタントを含め三人は関係者と書かれたカードを受け取り、指示されたDスタジオを探す。
「所長あれですね」菫が低い身長を思いっきり伸ばしながら奥の倉庫の様な建物を指さした。
「菫さん、そんなに背伸びしなくても見えますよ」剣がからかう様に話す。
「すいませんね! 横幅ばかりで」ふくれっ面をしながら菫はどんどんと先頭を歩いて行った。

 Dスタジオは並んだ倉庫の一番奥にあった。周りの人々は慌ただしく荷物やセットを動かしているが、その倉庫だけは静かに静まり返っていた。
 さすがに菫もその重たいドアを慎重に開けた。恐る恐る中を覗いていると慌てたスタッフが駆け寄って来る。
「すいません、撮影中です。関係者以外は…… 」途中で言葉を遮りながら小林がカードを見せて言った。
「飛鳥商事の小林です。見学よろしいでしょうか? 」

 急ぎ上司の元に戻ったスタッフは丁重に三人を案内し始める。
「私は、雑務担当の太田です。案内をさせて頂きますので静かにこちらの指示に従ってください」三人はスタッフの太田の後に続いてスタジオの中へ入って行った。

 眩(まばゆ)い照明の中には、英国風の豪華な部屋があり、その中に衣装を着飾った女性たちが演技の最中であった。手前のほの暗い中にカメラと複数の人物が蠢(うごめ)くその光景は、光と影のコントラストを余計に引き立てていた。


 × × ×
○神宮司家食堂(夜)
  父の不在で四人での夕食。無言、食器の音だけが聞こえる。

和枝「皆さん、学校は如何でしょうか? 楽しい学園生活ですか? 」
 
  和枝の質問に戸惑って顔を見合わせる三人、代表して春江が返答。

春江「(自慢げに)もちろん、充実した学園生活ですわ」
和枝「ええ、春江さんは生徒会で活躍、夏美さんは学年トップの成績ですし、千秋さんは優しくお友達も多いと聞いています」

和枝「(三人の顔を見て微笑む)お父様も、自慢してらっしぃました」
 
○春江の部屋(夜)
  三人で今日の和枝の態度に話がいく。

夏美「和枝さん、良い人の様ですし、あまりぎすぎすした態度はどうなのでしょう? 」
千秋「ちゃんとわたしたちの事を見ていてくれている様ですし、こちらだけ一方的に嫌うのも…… 」
春江「分かったわ、敵視はしないけど…… 亡くなられたお母様の代わりでは無いんですから! それだけは分かって欲しいの」
夏美・千秋「ええ、もちろん! 分かっているから(二人は春江をそっと抱きしめた)」
 × × ×

 撮影現場で、今にも飛び出して行きそうな剣を抑えながら、菫も少なからず興奮を覚えていた。何せ目の前で演技をしているのが、誰あらん若手人気女優「赤羽一花あかばねいちか」であり、人気アイドルの「中里美月なかざとみずき」であり、そして押しも押されぬ大女優、薔薇の女王こと「桐ヶ丘結衣きりがおかゆい」であったからである。
「所長、鼻の穴広げて興奮しないで下さい。それじゃあ、盛りのついた犬以下ですよ」
「菫くん、何を言っているんだね。私はこの撮影事態を俯瞰して見渡しているだけなのだよ! ただの変態にしないでくれたまえ」
「そうですね。それじゃあ、変態に悪いですからね! 」
 この二人、仲が良いのか悪いのか、息だけはぴったり合った掛け合いであったが、スポンサーの小林もスタッフの太田も呆れてモノも言えなくなっていた。
 監督の横に居たスタッフが三人に気が付いて、監督に耳打ちする。監督は振り返り確認してから指示を出した。
「はい、ここで十分間休憩します! 」横に居たスタッフが声を張り上げた。


「わざわざ休憩を入れていただいてしまい申し訳ありませんでした」
 丁寧に小林は監督の岩淵に頭を下げた。
「何をおっしゃいます。飛鳥商事さんがスポンサーとして名乗り出て下さらなければ、この映画の企画は日の目を見なかったんですから。私達は本当に感謝しているんですよ」
 岩淵監督はことさらに笑顔を強調して小林に話しかけた。
「で、こちらの方々は? 」
 岩淵は小林の後ろに控えている二人に興味を持って尋ねて来た。上司でも連れて来たと勘違いしたのだろう、手でも揉みそうな態度だ。小林はそれを即座に否定する。
「はい、今日は別のスポンサーのご要望で探偵社の方をお連れしました」
「探偵社…… 」岩淵の思考は一瞬止まってしまった。
「はい」
 剣は前に進み出て岩淵に名刺を差し出し、演技じみたポーズでお辞儀をして言った。
「わたくし、スポンサーから依頼を受けました。名探偵の剣豊作と申します。以後よろしくお見知りおきを」

 この時、現場の全てのスタッフの頭の上に「? 」のマークが付いたに違いなかった。


「え? 探偵さんが来ているんですか。どうしてなんですか? 」
 楽屋に戻った田端葵たばたあおいは隣の中里美月に不安げに尋ねる。
「知らない! 分かんないわ」軽いノリで美月は答えた。
「そんな事より、さっきの演技固いわよ! 」美月の向こうどなりから指摘が飛ぶ。
「す、すいません」
 赤羽一花はメイクさんに髪を整えてもらいながら強い声で指摘した。

「まあ、最初だから仕方がないんじゃない? 」
 奥のソファーから桐ヶ丘結衣のゆったりとした声が響く。
「ただね、クランクインしたら、1カ月少ししか撮影の期間は無いの、その間で結果を出すのがプロ。出せなければ消えるだけよ! 」
 大女優の優しくも厳しい言葉に部屋の空気が緊張した。

 と、そこにスタッフの太田が二人の人物を連れて遠慮がちに入って来て。
「すいません皆さん、探偵の剣さんと助手の方が少しお話を聞きたいとおしゃいまして、お連れしたのですが…… 」と、びくついた態度で恐る恐る聞いた。
「良いわよ! どうぞこちらに案内して」結衣は良く通る声で答えた。

「初めまして、皆さま。わたくし名探偵の剣 豊作と言います。で、こちらは助手の溝ノ口菫」
「知ってる! ネットで話題になってた。何か凄い事件を解決したとかで」アイドルの美月はスマホを見せながらはしゃいでいる。他の二人もその記事を覗きながら驚いていた。
「リアル、名探偵だ! 写真良いですか? 」美月はすぐに並んでスマホで撮ってSNSへアップしている。
「今の若い人は情報が早いですね…… 」剣もまんざらではなさそうであったが、女王の一声で場面が反転する。

「さあ、そろそろ休憩は終了よ! 探偵さん、用件が無いようならわたしたちは撮影に戻りますけど」
 結衣の言葉に全員が無言で動き出した。

「さすが『茨の女王』ですね! 」剣が独り言の様に呟く。
「いいえ、わたしは『薔薇の女王』と呼ばれた女よ」結衣の瞳が怪しく光った。

「わたくしが今回調べているのは、二十年前の神山監督の自殺に関してです。ですので、この中では結衣さん、貴方にお話を少し聞ければと思っております」
「分かったわ。皆さん、先に撮影に戻って。終わったらすぐ行きます」
 女帝は、ゆっくりとソファに座り直して微笑んだ。
「さあ、何でも聞いて頂戴、探偵さん。年齢以外は構わないわよ」
 剣の質問が始まった。

 × × ×
○父の書斎(昼)
  珍しく休日に父がいて、三姉妹を呼び出す。和枝も同席。

神宮寺「お前たちに、重要な話がある。良く聞きなさい(重々しい口調で三姉妹に話し出す)」  
神宮寺「我が神宮司家は軍部の要請を受けて、台湾とフィリピンで新しい会社を立ち上げる事にした。当分、私は向こうで暮らすことになる。和枝! 」
和枝「はい! 」
神宮寺「この家の事は、お前は任せる。頼めるな? 」
和枝「分かりました。安心してお励(はげ)み下さい。後の事は、この和枝にお任せください! 」

  神宮寺は満足そうに和枝の言葉に頷きながら。
  今度は三姉妹を見て話し出す。

神宮寺「お前たちにはもう一つ別の話がある…… 詳しくは後で和枝から聞きなさい」
 × × ×

 結衣と剣を残して、三人は撮影現場のセットへと向かう。その後ろから明るい声で菫が声を掛けた。
「皆さんは知ってました? 前の作品の監督が撮影途中で死亡している事は」何気なくサラッと聞いてみる。
「当然、受ける仕事はちゃんとリサーチしてから受けるわ」一花は当然とばかりに答える。
「そうなの? わたしなんか事務所が勝手にゴリゴリ入れてきたのよ」
美月は全く分かっていなかった。
「ふっ、皆さん色々なんですね。わたしはオーディションですから、一生懸命調べて勉強しましたよ」葵は努力して勝ち取ったと言う事らしい。
 
「でも何でなの? いまさら二十年前の事件を掘り起こすの、もうとっくに時効なんでしょう? 」一花の疑問は正しい。それが依頼者にどの様なメリットになるのか…… 。

「まあ、私達は依頼されれば調べるのが仕事ですからね」菫はその疑問には答えなかった。

「葵さん、個人的にわたしオーディションにすごく興味あるんですけど、詳しく教えてくれませんか? 」
「え、オーディションについてですか? 」
「はい、どのぐらいの人数の人がエントリーして、どう言う審査をしてとか…… 」
 キラキラした目で迫った。これはもう、探偵助手の仕事から大きく外れている様であった。(完全な趣味だろう、これは)
 葵はそんな菫の質問に一つ一つ丁寧に答えていった。
 

 結衣への質問を終えた剣は撮影現場を覗くと、まだ、菫が葵たちと立ち話で盛り上がっている最中で、仕方なく近くのスタッフに声を掛けた。
「ちょっとキミ、少し教えて欲しいんだが」
「はい、私で良ければ」
「今回の映画で、前回と同じメンバーはどの位いるんだい? 」
「そんなには、いませんよ。何せ二十年前ですから…… 」
 スタッフは考えながら一人づつ名前を挙げた。
「監督の岩淵さん、美術の佐々木さん…… 後は、女優の桐ヶ丘結衣さんぐらいでしょうか? 」
「脚本の担当者は? 」
「いいえ、今回は別の人です。何だか高齢で引退したとか…… 」

 剣はスタッフにお礼を言うと、早速、美術のスタッフを探しに慌ただしい現場に足を踏み入れた。そこで指揮を執るだみ声の人物を見つけ、この人だろうと当たりを付けて剣は話しかけた。
「すいません、美術の佐々木さんですか? 」
 その声に答えて、大工の棟梁の様な男が振り向いた。
「おう、何だ? 俺に用事か? 」
「ええ、二十年前の事件についてお聞きしたいんですがよろしいでしょうか? 」
 佐々木は脚立の様なモノからゆっくり降りて来てこう言った。
「俺で良ければいくらでも話すが、大した話は出来ねぇぞ! 」
 ぶっきら棒だが、ちゃんと話をしてくれる様だった。

 当時は全ての撮影を薔薇の庭園で有名な旧古河庭園と中の洋館でやっていたそうだ。今回の様にスタジオでの撮影はせずに、薔薇の開花時期に合わせて短期間で撮ったそうだ。
「お蔭で、俺たちも泊りがけで大変だったよ。大広間に雑魚寝、夜中じゅう撮影なんて日もあったな…… まあ、最後は監督がああなっちゃったがな! 」
 佐々木にとっては、それでも懐かしくも楽しい思い出の様であった。

「あの映画は俺たちにとっても勲章みたいなもんさ! 」
 誇らしげに語る佐々木の笑顔がとても印象的であった。

「あんた、俺なんかよりも脚本の一条に聞いた方が良いぜ! 監督と一番接点があったのは奴だからな」そんなアドバイスをもらい住所まで教えてもらった剣は、最後に岩淵監督に話を聞いた。

 岩淵は忙しそうに今回の脚本担当と打ち合わせをして、細かい指示をスタッフに出していた。剣が申し訳なさそうに近づくと、話を打ち切って剣を奥の部屋に案内する。
「スタジオは騒がしいでしょう。ここなら落ち着いて話せます」剣に椅子を勧めてきた。
「すいません、お忙しいところ…… 話はすぐ終わりますので」剣も時間を気にして、すぐに本題へと移った。
「単刀直入にお聞きします。神山監督は本当に自殺でしょうか? 」
「え? 」
「他殺、つまり誰かに殺されたと言う事は考えられませんか? 」
 岩淵は余りの突拍子の無さに声も出ないと言う顔をしてこう言った。

「誰が? そんな事をしたらここまで作って来た作品がボツにだってなりかねない。少なくとも関係者でそんな事をしようと考える奴は一人もいないな! 」
 その言葉に剣はうなずいて理解を示した。
「全く、得になる人物がいない。まさにその通りですね…… 」

 剣は丁寧にお辞儀をして、部屋を出て行った。岩淵はそれを確認してから、深い深いため息をついた。

 × × ×
○春江の部屋(夜)
  フィリピン行きの話しの続き、和枝が神宮司から引き継いで話す。

和枝「これからこの国も戦争に参加していく事になるでしょう。神宮司家は積極的に軍部に密着していきます。しかし、この先どうなるかは誰にも分からない…… だからこそ、あなたたちには違う道を模索してもらいたいの」
春江「和枝さん! それは、どう言った道ですの? 」
和枝「春江さん、夏美さん、あなた方お二人はそろそろ結婚を考えても良い年頃ですわね? 」
夏美「では、軍部の方ではなく逆に遠い方に嫁ぐのですか? 」
和枝「ええ、夏美さん。お父様もその様に考えて、春江さんには政治家のご長男、夏美さんには経営者のご子息をと考えておいでです」
春江・夏美「は、はい」
和枝「今すぐと言う事ではありませんので。じっくり考えて下さい。決して悪い話ではありません(親身になって話す)」
千秋「あの、わたしは…… (不安げに問いかける)」
和枝「千秋さん、あなたはまだ幼いのだからわたしのお手伝いをしてくださいね。お父様の留守を頑張って守りましょう」
千秋「はい。(元気よく返事をした)」

  和枝と三姉妹の間も少しずつだったが良くなっていく。
  その後すぐに、春江は政治家、夏美は経営者の家に嫁いでいった。
 × × ×

 剣はこの後、撮影所を離れ、アシスタントの菫は楽しそうに撮影の見学に勤しんでいた。
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