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春 一歌
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【サクラ咲く 春の宴に酔いしれて】
また今年も、桜が咲く季節になった。
春の香りを風が運んでくれるこの季節が俺は嫌いじゃない。むしろ何か新たなことが起こる気がしてワクワクする。
まあ、たいがいその期待は外れるのだが……。特に不満もなく大学生活も気が付けば半分が過ぎようとしていた二十歳の春。俺にとって大切な運命の歯車がここから急に動き出す。
この日は有田業平、俺の唯一親友と呼べる友達から、急きょ手伝ってくれと言う応援要請を受け、仕方なく新入生歓迎パーティーを手伝うことになっていた。
「すまん、定。ヘルプ頼んでた奴が都合悪くなっちゃってな、ホント助かる!」
そう言って、業に拝まれてしまう。
「こう言う席は、苦手なんだが。お前に頼まれちゃ仕方ないよ……」
俺は裏方で手伝うだけだが、少しは彼の役に立つのならと、この時は軽い気持ちで引き受けたのだった……。
「乾杯!」
大学近くの居酒屋の二階を貸し切り、有田の司会進行で始まった歓迎会は、学部バラバラのごった煮のような感じだった。
俺は集金、計算、支払いと会場の隅で事務処理を淡々とこなしながら、ちびちびとアルコールとつまみをもらっていた。
時間も半分ほど過ぎた頃。
「すまんな! 定。ホント助かったよ」
赤い顔をした業が横に座る。
「まあ、いつもは色々と助けられているからな! お互いさまだろ」
まだまだ、俺の方が助けられた回数は多いと思っている。
「しっかり食っていってくれよ!」と業はやっと司会進行から解放されて、食べ損ねていた料理を急いで頬張った。
「さて、そろそろ」と俺は会計を済ませようと腰を浮かせた時、後ろから声をかけてくる人物がいた。
「あの……京極定家さんですよね?」
キラキラとした笑顔で微笑む女性だった。
「ちょっと、忍! よしなさいよ」
小声で隣の女性が袖を引いているが、お構いなしにその笑顔の娘は話を続ける。
「このパーティーのスタッフの名前を見たんです! あなたが定家さんですよね!」
そう言ってチラシを差し出すが、俺はこの時、初めて自分の名前まで載っている事を知った。
「そうだけど、何か?」
わからずに答えた俺の手を両手で握り、力を込めてこう言った。
「式子内親王です! 定家さま、お慕い申しております!」
「……」
俺には日本語なのにその言葉は全く理解できない言葉だった。
☆ ☆ ☆
「失礼しました! ホントにごめんなさい」
連れの一年生は平謝りを繰り返すのだが、当の本人は気付くと壁にもたれて居眠りを始めていた。
「私たちは文学部の一年で、私が北家高子、彼女が賀屋忍と言います」
真面目そうな一人は自己紹介をしてくれたが、もう一人の居眠り姫は舟を漕いでいる。
「定家さんと業平さんですよね、二人とも百人一首の歌人なんですけど……お分かりでしたか?」
北家高子も新たな発見に嬉しそうだった。
「え? そんな事……言われたことあったっけ?」
「いや、特には無いけど……」
俺も、業も今まで文学には縁がない、なにせ理工学部だからね……。
三人で少し話していると、もう一人の居眠り姫がお目覚めになる。
「高子、何で私が寝ているうちに二人と仲良くなっているの? ズルいよ!」
居眠り姫こと賀屋忍は不満気に口をとがらせた。
「自分で勝手に寝ちまったんだろう!(寝てしまったんでしょう!)」
三人の突っ込みが重なった。
「私は忍! 忍ばない忍! よろしくね」
彼女の定番の自己紹介だそうだ。確かに忍びそうもないなこいつは……。
「でも業平と高子は不味くない?」
忍ばない忍はそう主張したが、俺にはなんだか全く分からない。
「定家と式子内親王だって結局ダメだったんでしょう?」
負けじと真面目さんも主張し始めた。
「二人とも言ってることが難しすぎて分からないんだけれど……解説してくれる?」
業は二人に頼んだ。
「伊勢物語の中の話です、在原業平と藤原高子は駆け落ちしかけたんですよ……でも、藤原の家の人に阻止されたんです!」
「平安時代だよね?」
「そうです! 今っぽいでしょう」
「で、定家の方は?」
「ハイ!詳しく話しますね……」
こうして、四人は時間の過ぎるのも忘れて会話を楽しんだ。
会も終了し、業は反省会と称して二次会へ行き、俺たちは別れた。
俺は業務終了で帰宅の予定だったのだが、問題が発生する。
さっきまで一緒にいた、二人ののん兵衛がくだを巻いていたからだ。
「定家先輩! 次、行こう!」
「ダメよ! 忍、帰りましょう!」
俺にこの二人を見捨てて行く度胸は無かった。
「これじゃ、タクシーも拾えないぞ! お前らどうするつもりだったんだ?」
まだ終電はあったが、酔っ払いの女二人をこのままま帰すわけにもいかず、俺は頭を抱える。
「高子のアパートが近いからそこに行くぅ!」
「わかった、一緒に行ってやるからちゃんと歩けよ!」
「了解です!」忍は変な敬礼をしてよろよろと歩き出す。
「ホントにすいません、ご迷惑をおかけします」
高子も足取りが少し怪しいがどうにか家まで案内は出来そうだ。
「げっ、おえっ!」
目を離したすきに忍は電信柱にしゃがみこんで吐いていた。
「定家先輩!」
振り向いた忍はさらに吐こうとする。
「止め! おまえこっち向くな!」
強引に俺は忍の顔を電信柱に向かせる、危なくズボンにかけられるところだった。
「おまえ、背中に吐いたら絶交だぞ!」
「天地神明に誓って!」
「ふっ、ふっ……」
忍をおんぶして歩く俺たちの少し先を歩きながら、高子は楽しそうに笑っていた。
結局、俺たちが高子のアパートにたどり着いたのは終電もとっくに終わった頃だった。
「あのぅ、定家先輩。終電も終わっちゃったようですので、良かったらわたしのアパートで休んでいきませんか?」と、高子は言い出した。
「一応、俺、男なんだけど良いの?」
「二人だけでは不味いですけど、忍もいるから……」
「じゃあ、始発動き出すまでお邪魔しようかな?」
「はい! 狭い部屋ですけどどうぞ」
俺は忍をベッドに降ろし、高子は部屋を片づけて、ようやく一息つけた。
「いつもこうなの?」
「いいえ、私たち、そもそも飲み会に出たのが初めてですから」
初めての飲み会で羽目を外した感じか、変な奴につかまらなくて良かったと思ったのだが。話は違う方向に進んだ。
「主催者に『定家』と言う名前があったので、忍が是非会ってみたいって言い出したんです……」
「式子内親王は萱齋院とも言われて、彼女『賀屋』だし、百人一首の句に『忍恋』を詠んでるんですよ。それで、忍は恋の相手と言われている『藤原定家』に興味を持ったんです」
「それで、俺を『さだいえ』でなくて『ていか』って呼んだのか」
「それに、定家さんは『京極』姓ですよね! 藤原定家は住んだ場所から『京極殿』とも呼ばれていたんです」
今まで、そんな事を指摘する人はいなくて驚いた。誰だ俺の名前を付けたのは? 実家に帰ったら今度聞いてみようと思った。名前負けしてるだろ俺……。
とりあえず、始発が動くまで俺はベッドの脇で横にならせてもらい、女性二人はベッドに収まる。俺も飲み会の疲れですぐに睡魔に襲われた。
窓を開ける音と隙間風で俺は目を覚ました。そこには、ベッドから降り窓にもたれかかる忍がいた。
「ゴメン、起こしちゃった? もうすぐで夜が明けるよ」
そう言って忍は東の空を見つめる。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」
「春はさぁ! 今じぶん、東の空が明け始めてほのかに白くなってくる。この時が一番きれいなんだよ!」
そう囁く、忍の横顔が何故か神秘的に見えて俺は見入ってしまった。
春を告げる桜の花が散って、香りだけを残し緑の葉を茂らそうとしている。
四月がもうすぐ終わろうとしていた。
【サクラ咲く春の宴に酔いしれて 赤くなったり青くなったり】
また今年も、桜が咲く季節になった。
春の香りを風が運んでくれるこの季節が俺は嫌いじゃない。むしろ何か新たなことが起こる気がしてワクワクする。
まあ、たいがいその期待は外れるのだが……。特に不満もなく大学生活も気が付けば半分が過ぎようとしていた二十歳の春。俺にとって大切な運命の歯車がここから急に動き出す。
この日は有田業平、俺の唯一親友と呼べる友達から、急きょ手伝ってくれと言う応援要請を受け、仕方なく新入生歓迎パーティーを手伝うことになっていた。
「すまん、定。ヘルプ頼んでた奴が都合悪くなっちゃってな、ホント助かる!」
そう言って、業に拝まれてしまう。
「こう言う席は、苦手なんだが。お前に頼まれちゃ仕方ないよ……」
俺は裏方で手伝うだけだが、少しは彼の役に立つのならと、この時は軽い気持ちで引き受けたのだった……。
「乾杯!」
大学近くの居酒屋の二階を貸し切り、有田の司会進行で始まった歓迎会は、学部バラバラのごった煮のような感じだった。
俺は集金、計算、支払いと会場の隅で事務処理を淡々とこなしながら、ちびちびとアルコールとつまみをもらっていた。
時間も半分ほど過ぎた頃。
「すまんな! 定。ホント助かったよ」
赤い顔をした業が横に座る。
「まあ、いつもは色々と助けられているからな! お互いさまだろ」
まだまだ、俺の方が助けられた回数は多いと思っている。
「しっかり食っていってくれよ!」と業はやっと司会進行から解放されて、食べ損ねていた料理を急いで頬張った。
「さて、そろそろ」と俺は会計を済ませようと腰を浮かせた時、後ろから声をかけてくる人物がいた。
「あの……京極定家さんですよね?」
キラキラとした笑顔で微笑む女性だった。
「ちょっと、忍! よしなさいよ」
小声で隣の女性が袖を引いているが、お構いなしにその笑顔の娘は話を続ける。
「このパーティーのスタッフの名前を見たんです! あなたが定家さんですよね!」
そう言ってチラシを差し出すが、俺はこの時、初めて自分の名前まで載っている事を知った。
「そうだけど、何か?」
わからずに答えた俺の手を両手で握り、力を込めてこう言った。
「式子内親王です! 定家さま、お慕い申しております!」
「……」
俺には日本語なのにその言葉は全く理解できない言葉だった。
☆ ☆ ☆
「失礼しました! ホントにごめんなさい」
連れの一年生は平謝りを繰り返すのだが、当の本人は気付くと壁にもたれて居眠りを始めていた。
「私たちは文学部の一年で、私が北家高子、彼女が賀屋忍と言います」
真面目そうな一人は自己紹介をしてくれたが、もう一人の居眠り姫は舟を漕いでいる。
「定家さんと業平さんですよね、二人とも百人一首の歌人なんですけど……お分かりでしたか?」
北家高子も新たな発見に嬉しそうだった。
「え? そんな事……言われたことあったっけ?」
「いや、特には無いけど……」
俺も、業も今まで文学には縁がない、なにせ理工学部だからね……。
三人で少し話していると、もう一人の居眠り姫がお目覚めになる。
「高子、何で私が寝ているうちに二人と仲良くなっているの? ズルいよ!」
居眠り姫こと賀屋忍は不満気に口をとがらせた。
「自分で勝手に寝ちまったんだろう!(寝てしまったんでしょう!)」
三人の突っ込みが重なった。
「私は忍! 忍ばない忍! よろしくね」
彼女の定番の自己紹介だそうだ。確かに忍びそうもないなこいつは……。
「でも業平と高子は不味くない?」
忍ばない忍はそう主張したが、俺にはなんだか全く分からない。
「定家と式子内親王だって結局ダメだったんでしょう?」
負けじと真面目さんも主張し始めた。
「二人とも言ってることが難しすぎて分からないんだけれど……解説してくれる?」
業は二人に頼んだ。
「伊勢物語の中の話です、在原業平と藤原高子は駆け落ちしかけたんですよ……でも、藤原の家の人に阻止されたんです!」
「平安時代だよね?」
「そうです! 今っぽいでしょう」
「で、定家の方は?」
「ハイ!詳しく話しますね……」
こうして、四人は時間の過ぎるのも忘れて会話を楽しんだ。
会も終了し、業は反省会と称して二次会へ行き、俺たちは別れた。
俺は業務終了で帰宅の予定だったのだが、問題が発生する。
さっきまで一緒にいた、二人ののん兵衛がくだを巻いていたからだ。
「定家先輩! 次、行こう!」
「ダメよ! 忍、帰りましょう!」
俺にこの二人を見捨てて行く度胸は無かった。
「これじゃ、タクシーも拾えないぞ! お前らどうするつもりだったんだ?」
まだ終電はあったが、酔っ払いの女二人をこのままま帰すわけにもいかず、俺は頭を抱える。
「高子のアパートが近いからそこに行くぅ!」
「わかった、一緒に行ってやるからちゃんと歩けよ!」
「了解です!」忍は変な敬礼をしてよろよろと歩き出す。
「ホントにすいません、ご迷惑をおかけします」
高子も足取りが少し怪しいがどうにか家まで案内は出来そうだ。
「げっ、おえっ!」
目を離したすきに忍は電信柱にしゃがみこんで吐いていた。
「定家先輩!」
振り向いた忍はさらに吐こうとする。
「止め! おまえこっち向くな!」
強引に俺は忍の顔を電信柱に向かせる、危なくズボンにかけられるところだった。
「おまえ、背中に吐いたら絶交だぞ!」
「天地神明に誓って!」
「ふっ、ふっ……」
忍をおんぶして歩く俺たちの少し先を歩きながら、高子は楽しそうに笑っていた。
結局、俺たちが高子のアパートにたどり着いたのは終電もとっくに終わった頃だった。
「あのぅ、定家先輩。終電も終わっちゃったようですので、良かったらわたしのアパートで休んでいきませんか?」と、高子は言い出した。
「一応、俺、男なんだけど良いの?」
「二人だけでは不味いですけど、忍もいるから……」
「じゃあ、始発動き出すまでお邪魔しようかな?」
「はい! 狭い部屋ですけどどうぞ」
俺は忍をベッドに降ろし、高子は部屋を片づけて、ようやく一息つけた。
「いつもこうなの?」
「いいえ、私たち、そもそも飲み会に出たのが初めてですから」
初めての飲み会で羽目を外した感じか、変な奴につかまらなくて良かったと思ったのだが。話は違う方向に進んだ。
「主催者に『定家』と言う名前があったので、忍が是非会ってみたいって言い出したんです……」
「式子内親王は萱齋院とも言われて、彼女『賀屋』だし、百人一首の句に『忍恋』を詠んでるんですよ。それで、忍は恋の相手と言われている『藤原定家』に興味を持ったんです」
「それで、俺を『さだいえ』でなくて『ていか』って呼んだのか」
「それに、定家さんは『京極』姓ですよね! 藤原定家は住んだ場所から『京極殿』とも呼ばれていたんです」
今まで、そんな事を指摘する人はいなくて驚いた。誰だ俺の名前を付けたのは? 実家に帰ったら今度聞いてみようと思った。名前負けしてるだろ俺……。
とりあえず、始発が動くまで俺はベッドの脇で横にならせてもらい、女性二人はベッドに収まる。俺も飲み会の疲れですぐに睡魔に襲われた。
窓を開ける音と隙間風で俺は目を覚ました。そこには、ベッドから降り窓にもたれかかる忍がいた。
「ゴメン、起こしちゃった? もうすぐで夜が明けるよ」
そう言って忍は東の空を見つめる。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」
「春はさぁ! 今じぶん、東の空が明け始めてほのかに白くなってくる。この時が一番きれいなんだよ!」
そう囁く、忍の横顔が何故か神秘的に見えて俺は見入ってしまった。
春を告げる桜の花が散って、香りだけを残し緑の葉を茂らそうとしている。
四月がもうすぐ終わろうとしていた。
【サクラ咲く春の宴に酔いしれて 赤くなったり青くなったり】
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