150 / 162
中世ヨーロッパの生活
貴族の幼少期(男女共に)
しおりを挟む
もくじ
【基本的にイギリス貴族の場合】
・子どもの生活環境の基礎知識。
・子どもの食事メニューと食べ物。
・服装:乳児~12歳、または13歳くらいまで。
★生活環境の基礎知識
貴族家の邸宅は多くの場合、2階建てか3階建てでした。
貴族の子女は、邸宅の2階または3階の主人一家のフロアに設けられた『子ども部屋』で大半の時間を過ごします。
18世紀後半まで、子どもは『愛され慈しまれる存在』とは思われていませんでした。
聞き分けなく、暴れ、泣き、騒々しい存在だったのです。
ですから『リーディング・ストリング』という『現代の迷子紐』で、ペットのように柱や柵に繋がれることが普通でした。
この様子からも分かるように、子どもは動物と同じく『厳しく躾けなければならない』存在だと信じられていました。
邸宅によっては、大人と子どもの場所を区切るため、騒音・脱走防止の扉が設置されていたくらいです。
子どもたちはナニー(乳母、保育士)や、ナースメイド(子守り女中、乳母の補佐)によって世話され、1日の中で親と接する時間制限がありました。
子どもたちが親や大人と一緒に過ごすために、午後の『お茶の時間』を設けたり、夜会が無くて家にいる日など、晩餐後に『家族団欒の時間』が設けられたりと、わざわざ時間を工面して大人のスケジュールに組み込んでもらいます。
そして、その時々に合わせた装いにドレスアップされて、やっと親たちに会わせてもらえます。
親はというと……。
『子どもの時間』という『親子が触れ合うための時間』が、執事や秘書、または側近などによって、スケジュールの中に組み込まれていました。
その時に、綺麗に着飾られた子供を使用人が用意し、その準備されたものを提供されます。
現代とは感覚がかけ離れていて、あまり人間扱いされていない感じでした。
* * * * *
しかし子どもの扱いについては、日本もそれほど変わりなく、明治・大正時代の華族や富裕層では、七五三が終わるまで、父親や大人たちと一緒に食事をさせませんでした。
実年齢で言うと、男子は4~5歳、女子は6~7歳です。
ちなみに、明治や大正時代の日本は数え年だったので、お正月に全員一斉に歳を取りました。
現在の誕生日で数える歳より数ヶ月、12月生まれならほぼ1歳年上に数えられることになります。
日本の場合、上流階級の家庭では『お箸の持ち方が正しい』ことが、父親と一緒に食卓に着けるかどうかの第一関門となります。
もし、食事のマナー、特にお箸の持ち方や使い方と正しい姿勢が重要ですが、ほかにも茶碗の持ち方や魚の食べ方がなどがおかしいとか、咀嚼音や大きいなど、躾が行き届いていなければ、本人は当然ですが母親も叱責されます。
上流階級の嫁は、家事のほとんどを女中が行い、育児は乳母や子守りがします。
それでも監督責任は嫁なので、子育てについての叱責は『妻として失格』ということに直結し、大変不名誉で屈辱的なことでした。
日本の明治のはじめ頃でもこうだったので、現在の世の中では奇妙に思えることでも、その当時のヨーロッパの貴族の暮らしや家族関係が、特別風変わりだったとは言えません。
* * * * *
ヨーロッパの話に戻りますが。
子どもの遊び相手は、兄弟姉妹がいる場合もいない場合も(ナースメイド以外では)手が空いている使用人です。
彼らとはトランプ遊びをしたり、手品やジャグリングを見せてもらうこともあり、時には厨房(キッチン)に入り込み、コックやキッチンメイドに面倒見てもらうこともありました。
食事は7歳~8歳くらい(現在だと幼稚園児)までは、親たち(大人の貴族)とは一緒に食べまないため、子供部屋に運ばれていました。
★イギリス貴族の子どもメニュー
【朝食】
⚫︎ミルク
⚫︎ポリッジ(イギリスのお粥)
⚫︎フレンチトースト
⚫︎焼いたベーコンorハム
【おやつ】
⚫︎刻んだりんご
子どもが食べやすい大きさにカットした果物。
【昼食】
・ゼリー寄せスープ(日替わりスープ)
・魚料理or鶏料理
【お茶の時間】
・パン(バター、ジャム)
・サンドイッチ(野菜系、果物系)
・スポンジケーキ
・ミルク
【夕食】
・パン(バター、ジャム)
・ミルク
【日替わりのお茶のお菓子の定番】
・スコーン(バター、ジャム、クリーム)
・パイ(りんご、かぼちゃ、ひき肉など)
・ミルクプディング
・クッキー
栄養や安全が優先され、美味しさは二の次にされていました。
メニューはバリエーションが少なく、ほとんど同じものの繰り返しだったようです。
まぁ、イギリスなので(^^;
* * 詳しい解説 * *
【ミルク】
牛乳とは限らず、ヤギのミルクも飲まれていました。
ヤギのミルクは臭みがありますが、栄養価は牛乳より高かったようです。
【ポリッジ】(イギリスのお粥)
・麦
・粟
・蕎麦などの穀類
・豆類
・芋類
これらを多めの水、またはミルクで柔らかく煮た料理です。
【フレンチトースト】
卵と牛乳の混合液にパンを浸し、オリーブ油or溶かしバターで焼いた料理。
シロップをかけて食べます。
・蜂蜜
・糖蜜=砂糖を水で溶かしたシロップ。
・メイプルシロップ
*油で焼いた場合はバターを塗ったり、溶かしバターをかけることもあります。
【くだもの】
⚫︎生で食べられていた果物。
・デザートアップル(生食用のリンゴ)
品種:コックス(赤と緑のサビ色リンゴ。甘酸っぱい。生ジュースにも)
ボームウォーター(大型で甘い)
ブラウンドレル(赤褐色のリンゴ)
・チェリー
・葡萄
・桃
・プラム
・木いちご(ラズベリー)
・野生いちご、または野いちご(ワイルドストロベリー)
・桑の実
品種:マルベリー
木苺に似た小さな実の塊。
赤、濃い紫、黒に近い紫の実。
・木の実(これも果物の括りに入れられていた)
⚫︎加工して食べた果物。
(焼く・シロップ煮・ジャムなど)
・クッキングアップル(料理用のリンゴ)
品種:ブラムリー(イギリスを代表する、酸っぱい青リンゴ。煮ると蕩ける)
コスタード(大型のリンゴ)
ビタースウィート(シードルの原材料)
生で食べる品種もジャムやデザート(アップルパイなど)に加工されていました。
・ウォーデン梨
人気が高く、梨の代名詞になっていて、ほかの梨と区別していました。
・西洋梨
品種:カイユー
レギュール
パスピュセル
黄金クノープ
・桑の実
品種:マルベリー
木苺に似た見た目で、赤色、またはブルーベリーのような黒っぽい、小さな実の塊。
赤い実が、料理の彩りとして使われていました。
・西洋花梨
・マルメロ(花梨に似た実/バラ科)
よく食べられていたようで、残された文献によく出てくる果物です。
・西洋こけもも(黒い小さな実/ツツジ科)
・西洋すぐり(グーズベリー。ぶどうに似た色の緑や紫で、ブルーベリーに似た形の実)
⚫︎ドライフルーツ(一般的なもの)
・葡萄
・ナツメヤシ
・いちじく
⚫︎高価で貴族しか食べていなかった果物。
外国から持ち込まれて生産できるようになったり、比較的簡単に輸入できる果物です。
・メロン
・オレンジ(スペインから輸入)
・レモン(スペインから輸入)
⚫︎南方の果物。
エジプトやイスラエルなどで採れる果物です。
輸入で入って来た果物もありますが、輸送が難しく、初期の頃は現地でしか食べられない物もあります。
こちらは旅や旅行先で食べる以外、基本は貴族や富裕層しか食べられませんでした。
・ストロベリー(オランダイチゴ)
・パイナップル
・ドラゴンフルーツ
・バナナ(輸送困難)
・ざくろ(輸送困難)
★服装
【生後以降、6~8ヶ月まで】
・スワドリング(18世紀後半まで)
幅広の包帯に似た細い布で、ミイラのようにグルグル巻きにして、繭のような状態で拘束されていました。
これは背骨が弓なりに曲がって前屈みになる『脊柱後弯症』通称『せむし』になるのを防ぎ、まっすぐな背に育つと信じられていたからです。
18世紀後半以降に、大変影響力のある育児書が出て、徐々に廃れていきました。
*本来は、カルシウムとリンをビタミンDの働きで腸から体内に取り込み、強い骨が出来上がるのですが、その3つのどれかが不足して弱い骨が作られたために出る症状です。
【生後~1才半くらいまで】
⚫︎男女共通
・ベビードレス
生後8ヶ月以降、または18世紀後半以降はスワドリングに代わり、生後すぐからベビードレスが使用されました。
短いものは足首まで。
夜間や外出時、日焼けや寒さなど、もっと長いベビードレスも着せていました。
形は裾が広がったAラインや、筒状のIラインです。
長い物は80cm~150cmある物もあります。
現在の日本では、お宮参り用や洗礼用のベビードレスがそれに該当します。
【1才半以降】
⚫︎女の子
成人女性と同じ形のドレスを着ていました。
当時はハンギングスリーブ(掛け袖)が多かったようです(ハンギングスリーブとは、腕を通していない、装飾のための袖を吊り下げた袖の事で、ケープを着たようにも見えるので、筒状になっていない長いケープスリーブや、丈の長いスリットスリーブに見えることもある)
そして子供らしい服装のポイントは。
・胸当て付きのエプロン(裕福な家ではフリル付き)
・リーディング・ストリング(迷子紐)
・ヘッドバンド(詰め物入りの鉢巻き状のカチューシャのようなもの。分類は帽子)
⚫︎男の子
16世紀半ば~20世紀はじめまでの西欧諸国。
・ガウン、またはドレス。
女の子と区別が無かった。
19世紀後半までのイギリス。
・成人男性用と同じ上着。
・キルト(チェック地の男性用スカート)
・タイツ(ハイソックスの長さ)
子どもは『性の無い、曖昧な存在』とされていたため、女の子と区別なくスカートを履いていました。
日本でも5歳、あるいは7歳の七五三が終わるまで、女児の衣服を着せて邪悪なものから守っていた時代があり、とても興味深い共通点です。
それとは別に、現実問題として当時は布や衣服が貴重であり、子どもの成長に合わせていくつも用意するのが大変でした。
そして何より、ズボン(ブリーチズやトラウザーズ)は留め具の扱いが複雑で、着脱が難しかったため、動き回る子どもに着付けするのが大変だったことが原因と言われています。
ですから、トイレトレーニングや、大人しく着付けさせてくれるようになる時期、または自分で脱着可能になるまでは、ドレスやスカートのほうが都合が良かったと考えられます。
18世紀後半以降。
・スケルトンスーツ
丈の短い上着と長いズボンをボタンで繋いだ服装が、男児の子供服として使用されていました。
これが現在のベビー服の由来となっています。
すべての家に普及していたわけではなく、依然としてドレスやキルトを履かせている、伝統的な家が並行していたようです。
【5才前後以降】
⚫︎女の子
19世紀以降。
・子供用のドレス
装飾が多く、子供らしい可愛らしさを追求した服装が登場する。
普段着は以前としてエプロンドレスが主流で、シフトドレスやギャザードレスに胸当てエプロンの組み合わせだったが、袖が膨らんだレッグオマトン・スリーブ、ジゴスリーブ、バルーンスリーブ、パフスリーブなどが流行った。
⚫︎男の子
通常は2歳~8歳以降。
19世紀以降は、早ければ1歳半から。
・成人男性と同じ上着
・ブリーチ/ブリーチズ(半ズボン)
・帽子
日本の『袴着の式』や、男の子の『七五三』と同じように『ブリーチング』という名前のお祝いがあり、この儀式以降ブリーチズ(半ズボン)を履きました。
このブリーチング以降、親が子育てに関わる機会が増えていきます。
これは、ある程度言うことが聴けて行儀良くできたり、弱くて死んでしまう可能性が低くなり、教育しても無駄にならないという、身も蓋もない現実があります。
★教育
幼少期(幼児以降、7~8歳くらい)までは子供部屋で、ナーサリー・ガヴァネス(幼児用家庭教師、保育士)から読み書きや、音楽の初歩的なことを学びます。
それ以降はガヴァネス(家庭教師)に代わり、ようやく本格的に教わることになります。
【マリア・テレジアの育児法】
マリー・アントワネットのお母さんが、王女たちに施した教育プログラムです。
⚫︎通常科目
・ダンス
・音楽
・演劇
・歴史
・絵画
・数学
・政治学
・外国語
⚫︎姫の嗜み
・手芸
・工芸
・会話術
*姫の嗜みについては『貴族令嬢の少女時代』で詳しく書きます。
【一般的な勉強の内容】
こちらは、一般的な貴族子女が習っていたとされる内容です。
・母国語の読み書き。
・共通言語の習得。
当時はラテン語が共通言語でした。
官職、教会職、学者など、どの国であってもラテン語さえマスターしていたら問題ありませんでした。
・外国語の習得。
特にフランス語が重要でした。
これは、パリが文化の中心地だったことが関係しています。
英語は現代のように共通語では無かったため、必須ではありませんでした。
ほかに、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポーランド語など、名前が違ってもロマン語系と呼ばれる言語は、日本語で言うと訛りの強い方言くらいの違いだそうです。
・算術。
簡単な四則計算など。
興味と才能により、難易度が変わってきます。
・地理
自国の地図は有っても、他国の精密な地図は入手が難しかったようです(軍事面の安全のため)
現代のような、真上からの俯瞰した地図はほとんど無く、観光案内マップのような地図が普通でした。
大きな街や街道、宿場、野営地、泉や川、井戸の位置、危険な地域(谷、崖、通行困難な場所、盗賊の出没地)それらが分かる、大まかな地図しか一般には出回っていなかったそうです。
余談ですが、お城や邸宅の見取り図も、安全面から普通は作られませんし、分からなくなるからといって勝手に手書きしたら罪に問われることもありました(機密漏洩罪)
たまに、覚えられないから書いちゃえ的な作品が見受けられますが、アレ、絶対アウトですよね(^^;
・歴史
主に自国の歴史。
広く学んでも、自国と関係がある近隣国の歴史までだそうです。
そのほかで学ぶとすれば、旅行記のような個人の手記や、吟遊詩人のような口伝から学んでいたようです。
・音楽
ピアノなどの楽器も含まれました。
声楽も盛んで、歌が上手だとそれも長所になりました。
・絵画
描くことも学美ますが、主に有名絵画や宗教画、有名な画家を学ぶことのほうが重要視されていました。
【基本的にイギリス貴族の場合】
・子どもの生活環境の基礎知識。
・子どもの食事メニューと食べ物。
・服装:乳児~12歳、または13歳くらいまで。
★生活環境の基礎知識
貴族家の邸宅は多くの場合、2階建てか3階建てでした。
貴族の子女は、邸宅の2階または3階の主人一家のフロアに設けられた『子ども部屋』で大半の時間を過ごします。
18世紀後半まで、子どもは『愛され慈しまれる存在』とは思われていませんでした。
聞き分けなく、暴れ、泣き、騒々しい存在だったのです。
ですから『リーディング・ストリング』という『現代の迷子紐』で、ペットのように柱や柵に繋がれることが普通でした。
この様子からも分かるように、子どもは動物と同じく『厳しく躾けなければならない』存在だと信じられていました。
邸宅によっては、大人と子どもの場所を区切るため、騒音・脱走防止の扉が設置されていたくらいです。
子どもたちはナニー(乳母、保育士)や、ナースメイド(子守り女中、乳母の補佐)によって世話され、1日の中で親と接する時間制限がありました。
子どもたちが親や大人と一緒に過ごすために、午後の『お茶の時間』を設けたり、夜会が無くて家にいる日など、晩餐後に『家族団欒の時間』が設けられたりと、わざわざ時間を工面して大人のスケジュールに組み込んでもらいます。
そして、その時々に合わせた装いにドレスアップされて、やっと親たちに会わせてもらえます。
親はというと……。
『子どもの時間』という『親子が触れ合うための時間』が、執事や秘書、または側近などによって、スケジュールの中に組み込まれていました。
その時に、綺麗に着飾られた子供を使用人が用意し、その準備されたものを提供されます。
現代とは感覚がかけ離れていて、あまり人間扱いされていない感じでした。
* * * * *
しかし子どもの扱いについては、日本もそれほど変わりなく、明治・大正時代の華族や富裕層では、七五三が終わるまで、父親や大人たちと一緒に食事をさせませんでした。
実年齢で言うと、男子は4~5歳、女子は6~7歳です。
ちなみに、明治や大正時代の日本は数え年だったので、お正月に全員一斉に歳を取りました。
現在の誕生日で数える歳より数ヶ月、12月生まれならほぼ1歳年上に数えられることになります。
日本の場合、上流階級の家庭では『お箸の持ち方が正しい』ことが、父親と一緒に食卓に着けるかどうかの第一関門となります。
もし、食事のマナー、特にお箸の持ち方や使い方と正しい姿勢が重要ですが、ほかにも茶碗の持ち方や魚の食べ方がなどがおかしいとか、咀嚼音や大きいなど、躾が行き届いていなければ、本人は当然ですが母親も叱責されます。
上流階級の嫁は、家事のほとんどを女中が行い、育児は乳母や子守りがします。
それでも監督責任は嫁なので、子育てについての叱責は『妻として失格』ということに直結し、大変不名誉で屈辱的なことでした。
日本の明治のはじめ頃でもこうだったので、現在の世の中では奇妙に思えることでも、その当時のヨーロッパの貴族の暮らしや家族関係が、特別風変わりだったとは言えません。
* * * * *
ヨーロッパの話に戻りますが。
子どもの遊び相手は、兄弟姉妹がいる場合もいない場合も(ナースメイド以外では)手が空いている使用人です。
彼らとはトランプ遊びをしたり、手品やジャグリングを見せてもらうこともあり、時には厨房(キッチン)に入り込み、コックやキッチンメイドに面倒見てもらうこともありました。
食事は7歳~8歳くらい(現在だと幼稚園児)までは、親たち(大人の貴族)とは一緒に食べまないため、子供部屋に運ばれていました。
★イギリス貴族の子どもメニュー
【朝食】
⚫︎ミルク
⚫︎ポリッジ(イギリスのお粥)
⚫︎フレンチトースト
⚫︎焼いたベーコンorハム
【おやつ】
⚫︎刻んだりんご
子どもが食べやすい大きさにカットした果物。
【昼食】
・ゼリー寄せスープ(日替わりスープ)
・魚料理or鶏料理
【お茶の時間】
・パン(バター、ジャム)
・サンドイッチ(野菜系、果物系)
・スポンジケーキ
・ミルク
【夕食】
・パン(バター、ジャム)
・ミルク
【日替わりのお茶のお菓子の定番】
・スコーン(バター、ジャム、クリーム)
・パイ(りんご、かぼちゃ、ひき肉など)
・ミルクプディング
・クッキー
栄養や安全が優先され、美味しさは二の次にされていました。
メニューはバリエーションが少なく、ほとんど同じものの繰り返しだったようです。
まぁ、イギリスなので(^^;
* * 詳しい解説 * *
【ミルク】
牛乳とは限らず、ヤギのミルクも飲まれていました。
ヤギのミルクは臭みがありますが、栄養価は牛乳より高かったようです。
【ポリッジ】(イギリスのお粥)
・麦
・粟
・蕎麦などの穀類
・豆類
・芋類
これらを多めの水、またはミルクで柔らかく煮た料理です。
【フレンチトースト】
卵と牛乳の混合液にパンを浸し、オリーブ油or溶かしバターで焼いた料理。
シロップをかけて食べます。
・蜂蜜
・糖蜜=砂糖を水で溶かしたシロップ。
・メイプルシロップ
*油で焼いた場合はバターを塗ったり、溶かしバターをかけることもあります。
【くだもの】
⚫︎生で食べられていた果物。
・デザートアップル(生食用のリンゴ)
品種:コックス(赤と緑のサビ色リンゴ。甘酸っぱい。生ジュースにも)
ボームウォーター(大型で甘い)
ブラウンドレル(赤褐色のリンゴ)
・チェリー
・葡萄
・桃
・プラム
・木いちご(ラズベリー)
・野生いちご、または野いちご(ワイルドストロベリー)
・桑の実
品種:マルベリー
木苺に似た小さな実の塊。
赤、濃い紫、黒に近い紫の実。
・木の実(これも果物の括りに入れられていた)
⚫︎加工して食べた果物。
(焼く・シロップ煮・ジャムなど)
・クッキングアップル(料理用のリンゴ)
品種:ブラムリー(イギリスを代表する、酸っぱい青リンゴ。煮ると蕩ける)
コスタード(大型のリンゴ)
ビタースウィート(シードルの原材料)
生で食べる品種もジャムやデザート(アップルパイなど)に加工されていました。
・ウォーデン梨
人気が高く、梨の代名詞になっていて、ほかの梨と区別していました。
・西洋梨
品種:カイユー
レギュール
パスピュセル
黄金クノープ
・桑の実
品種:マルベリー
木苺に似た見た目で、赤色、またはブルーベリーのような黒っぽい、小さな実の塊。
赤い実が、料理の彩りとして使われていました。
・西洋花梨
・マルメロ(花梨に似た実/バラ科)
よく食べられていたようで、残された文献によく出てくる果物です。
・西洋こけもも(黒い小さな実/ツツジ科)
・西洋すぐり(グーズベリー。ぶどうに似た色の緑や紫で、ブルーベリーに似た形の実)
⚫︎ドライフルーツ(一般的なもの)
・葡萄
・ナツメヤシ
・いちじく
⚫︎高価で貴族しか食べていなかった果物。
外国から持ち込まれて生産できるようになったり、比較的簡単に輸入できる果物です。
・メロン
・オレンジ(スペインから輸入)
・レモン(スペインから輸入)
⚫︎南方の果物。
エジプトやイスラエルなどで採れる果物です。
輸入で入って来た果物もありますが、輸送が難しく、初期の頃は現地でしか食べられない物もあります。
こちらは旅や旅行先で食べる以外、基本は貴族や富裕層しか食べられませんでした。
・ストロベリー(オランダイチゴ)
・パイナップル
・ドラゴンフルーツ
・バナナ(輸送困難)
・ざくろ(輸送困難)
★服装
【生後以降、6~8ヶ月まで】
・スワドリング(18世紀後半まで)
幅広の包帯に似た細い布で、ミイラのようにグルグル巻きにして、繭のような状態で拘束されていました。
これは背骨が弓なりに曲がって前屈みになる『脊柱後弯症』通称『せむし』になるのを防ぎ、まっすぐな背に育つと信じられていたからです。
18世紀後半以降に、大変影響力のある育児書が出て、徐々に廃れていきました。
*本来は、カルシウムとリンをビタミンDの働きで腸から体内に取り込み、強い骨が出来上がるのですが、その3つのどれかが不足して弱い骨が作られたために出る症状です。
【生後~1才半くらいまで】
⚫︎男女共通
・ベビードレス
生後8ヶ月以降、または18世紀後半以降はスワドリングに代わり、生後すぐからベビードレスが使用されました。
短いものは足首まで。
夜間や外出時、日焼けや寒さなど、もっと長いベビードレスも着せていました。
形は裾が広がったAラインや、筒状のIラインです。
長い物は80cm~150cmある物もあります。
現在の日本では、お宮参り用や洗礼用のベビードレスがそれに該当します。
【1才半以降】
⚫︎女の子
成人女性と同じ形のドレスを着ていました。
当時はハンギングスリーブ(掛け袖)が多かったようです(ハンギングスリーブとは、腕を通していない、装飾のための袖を吊り下げた袖の事で、ケープを着たようにも見えるので、筒状になっていない長いケープスリーブや、丈の長いスリットスリーブに見えることもある)
そして子供らしい服装のポイントは。
・胸当て付きのエプロン(裕福な家ではフリル付き)
・リーディング・ストリング(迷子紐)
・ヘッドバンド(詰め物入りの鉢巻き状のカチューシャのようなもの。分類は帽子)
⚫︎男の子
16世紀半ば~20世紀はじめまでの西欧諸国。
・ガウン、またはドレス。
女の子と区別が無かった。
19世紀後半までのイギリス。
・成人男性用と同じ上着。
・キルト(チェック地の男性用スカート)
・タイツ(ハイソックスの長さ)
子どもは『性の無い、曖昧な存在』とされていたため、女の子と区別なくスカートを履いていました。
日本でも5歳、あるいは7歳の七五三が終わるまで、女児の衣服を着せて邪悪なものから守っていた時代があり、とても興味深い共通点です。
それとは別に、現実問題として当時は布や衣服が貴重であり、子どもの成長に合わせていくつも用意するのが大変でした。
そして何より、ズボン(ブリーチズやトラウザーズ)は留め具の扱いが複雑で、着脱が難しかったため、動き回る子どもに着付けするのが大変だったことが原因と言われています。
ですから、トイレトレーニングや、大人しく着付けさせてくれるようになる時期、または自分で脱着可能になるまでは、ドレスやスカートのほうが都合が良かったと考えられます。
18世紀後半以降。
・スケルトンスーツ
丈の短い上着と長いズボンをボタンで繋いだ服装が、男児の子供服として使用されていました。
これが現在のベビー服の由来となっています。
すべての家に普及していたわけではなく、依然としてドレスやキルトを履かせている、伝統的な家が並行していたようです。
【5才前後以降】
⚫︎女の子
19世紀以降。
・子供用のドレス
装飾が多く、子供らしい可愛らしさを追求した服装が登場する。
普段着は以前としてエプロンドレスが主流で、シフトドレスやギャザードレスに胸当てエプロンの組み合わせだったが、袖が膨らんだレッグオマトン・スリーブ、ジゴスリーブ、バルーンスリーブ、パフスリーブなどが流行った。
⚫︎男の子
通常は2歳~8歳以降。
19世紀以降は、早ければ1歳半から。
・成人男性と同じ上着
・ブリーチ/ブリーチズ(半ズボン)
・帽子
日本の『袴着の式』や、男の子の『七五三』と同じように『ブリーチング』という名前のお祝いがあり、この儀式以降ブリーチズ(半ズボン)を履きました。
このブリーチング以降、親が子育てに関わる機会が増えていきます。
これは、ある程度言うことが聴けて行儀良くできたり、弱くて死んでしまう可能性が低くなり、教育しても無駄にならないという、身も蓋もない現実があります。
★教育
幼少期(幼児以降、7~8歳くらい)までは子供部屋で、ナーサリー・ガヴァネス(幼児用家庭教師、保育士)から読み書きや、音楽の初歩的なことを学びます。
それ以降はガヴァネス(家庭教師)に代わり、ようやく本格的に教わることになります。
【マリア・テレジアの育児法】
マリー・アントワネットのお母さんが、王女たちに施した教育プログラムです。
⚫︎通常科目
・ダンス
・音楽
・演劇
・歴史
・絵画
・数学
・政治学
・外国語
⚫︎姫の嗜み
・手芸
・工芸
・会話術
*姫の嗜みについては『貴族令嬢の少女時代』で詳しく書きます。
【一般的な勉強の内容】
こちらは、一般的な貴族子女が習っていたとされる内容です。
・母国語の読み書き。
・共通言語の習得。
当時はラテン語が共通言語でした。
官職、教会職、学者など、どの国であってもラテン語さえマスターしていたら問題ありませんでした。
・外国語の習得。
特にフランス語が重要でした。
これは、パリが文化の中心地だったことが関係しています。
英語は現代のように共通語では無かったため、必須ではありませんでした。
ほかに、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポーランド語など、名前が違ってもロマン語系と呼ばれる言語は、日本語で言うと訛りの強い方言くらいの違いだそうです。
・算術。
簡単な四則計算など。
興味と才能により、難易度が変わってきます。
・地理
自国の地図は有っても、他国の精密な地図は入手が難しかったようです(軍事面の安全のため)
現代のような、真上からの俯瞰した地図はほとんど無く、観光案内マップのような地図が普通でした。
大きな街や街道、宿場、野営地、泉や川、井戸の位置、危険な地域(谷、崖、通行困難な場所、盗賊の出没地)それらが分かる、大まかな地図しか一般には出回っていなかったそうです。
余談ですが、お城や邸宅の見取り図も、安全面から普通は作られませんし、分からなくなるからといって勝手に手書きしたら罪に問われることもありました(機密漏洩罪)
たまに、覚えられないから書いちゃえ的な作品が見受けられますが、アレ、絶対アウトですよね(^^;
・歴史
主に自国の歴史。
広く学んでも、自国と関係がある近隣国の歴史までだそうです。
そのほかで学ぶとすれば、旅行記のような個人の手記や、吟遊詩人のような口伝から学んでいたようです。
・音楽
ピアノなどの楽器も含まれました。
声楽も盛んで、歌が上手だとそれも長所になりました。
・絵画
描くことも学美ますが、主に有名絵画や宗教画、有名な画家を学ぶことのほうが重要視されていました。
0
お気に入りに追加
143
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる