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中世ヨーロッパの生活

国王陛下の1日 「ルイ14世の場合」

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フランス国王、ルイ14世の1日のスケジュール

 7:30 小起床の義
 8:30 大起床の義
 9:30 政務会議
12:30 礼拝
13:00 昼食
14:30 狩猟または、散歩
17:00 礼拝
19:00 余興
22:00 夕食
23:00 就寝


 ルイ14世のスケジュールは厳密に決まっていた。

 王のスケジュールは『儀礼』によって決まっており、その『儀礼作法』を守れるかどうかで臣下の評価を決めていた。

 王のあらゆる行動が『儀礼化』されていて、その『儀礼』に参加しない貴族には『貴族年金』を取り上げたり、ベルサイユ宮殿からの追放などの罰が与えられ、国王は冷酷に実行した。

 この場合の『貴族年金』とは、今の日本の年金とは全く違い、どちらかと言えば『年俸』のようなもので、その収入の中には、領地(土地)や領民(人)からの税金収入や、教会ならばお布施(信者からの寄付)なども含んで、そのすべての収入が『年金』という名目で国王から支給された財産と考えられていた。


★7:30……小起床の義

 寝室で行われる『起床』と『就寝』の義が、王の儀礼の中で特に重要な儀礼だった。
 この儀礼は、特別に許可のあるの者しか参加できないため、参加できるだけでステータスとなった。

◎健康診断。
 朝7時半、侍従長の「陛下、お時間でございます」の声で王は目覚める。
 王の首席医師と外科医が入室し、王の健康を確認後、ベッドの厚い天幕が開かれる。
 
◎朝のあいさつ。
 王の寝室に入れる『入室特権』の順位が高い人から順に入って来る。

【王族入室特権】
 妻、子供、孫、王族。
 身支度のあと、彼らと共に朝の祈りを行う。

【大入室特権】
 高官など。

【第一入室特権】
 進講官、遊芸総監督など。
 進講官とは、王に業績などを説明する人。
 執事、秘書などがその職務を担当していた。

【美容師と髪師】
 王がカツラを(約1,000この中から)選ぶ。
 国王がベッドから出て、スリッパを履く。
 ベッドから出たのち、美容師が王の顔を洗う。

◎履物や服の着付け
 衣装を脱がせるにも『儀礼』が存在する。
 着替えは入室が許されている貴族が行う。

 国王は、簡単な部屋着(ナイトガウン)を着てベッドから出る。
 国王専用の椅子に腰かけ、ナイトキャップを取る。
 衣装部の侍従がナイトガウンの右袖を脱がす。
 衣装部の小姓頭が左袖を持って脱がすと決まっている。
 このように各儀礼により、順番や役目は細かく決まっていた。
 ルイ14世は背が低かったため、靴は上げ底(ハイヒール)で身長を誤魔化していたという逸話も伝わっている。

 このような『儀礼』では、貴族の中の序列や、国王との距離の近さは一目瞭然だった。

 この序列の分かりやすさは、いつどのようにして不興を買ったのか、または気に入られたのか分かるため、臣下は気を抜けず、国王は一挙手一投足で巧みに臣下の貴族を掌握していた。

 入室人数が少ない『小起床の義』は、国王に直訴や目に留まるのが比較的容易だったため、ここで進言や願いを訴えるチャンスでもあった。
 そういう特権的な事が可能であった『大入室特権』や『第一入室特権』を持っている事は、他の貴族に比べ大変に力のある貴族と見られた。


★8:30……大起床の義

 【寝室入室特権】:国務卿、国務評定官、元帥、近衛隊長が入室。
 【一般入室特権】:貴族。

◎貴族のあいさつ。
 寝室から出て『大起床の義』のための広間に、総勢100人の貴族が、筆頭侍従に名前を呼ばれた順番で入室する。
 寝室は狭いのでリビングに移るようなもので、ここもまだ国王の私的空間の中だった。

 全員が入室する間に、直訴や進言、願いを訴える機会でもあったが、この間、国王はお丸付きの椅子(移動式の便座で、豪華絢爛な陶器製など)に座って、用を足していたので、話しかけるタイミングとしても不興を買わないようにするのは大変だったと推察される。

◎朝食。
 全員が揃うと『朝餐の間』で食事が始まる。
 国王の食卓に、ブイヨンスープのみ用意される。

◎国王のお替え(メインイベント)
 『大起床の義』の広間で、執務用の服に着替える。

 その場に居る中で、王の次に偉い人物(王太子)がシャツを差し出す事ができる。
 王太子が不在の場合は、ブルゴーニュ公(筆頭公爵)など、順番が決まっている。

 ネクタイは、国王が自分で締める。
 最後は国王の『時計のネジ巻き係』がネジを巻いて手渡す。

 祈祷台で再度、神に祈りを捧げる。
 カツラを執務用の威厳のある髪に変えて、大起床の義が終了となる。


★9:30……政務会議。
 『大起床の義』の広間から『閣議の間』に移り、政務会議を行う。

 月曜日:最高諮問しもん会議、または内務諮問しもん会議。
 火曜日:財務諮問しもん会議。
 水曜日:最高諮問しもん会議。
 木曜日:休み(時々臨時招集)
 金曜日:宗務会議。
 土曜日:財務諮問しもん会議。
 日曜日:最高諮問しもん会議。


 諮問しもん会議とは、有識者や専門家や詳しい説明ができる担当者から、意見を聞いたり質問をしたりして物事を決めるための指針となるような知識を得るための会議のこと。

 審議しんぎが、物事や事件の可否を決めることなので、ここでは具体的な決定はしなかったという事が分かる。

 国王が大臣などから報告を受け、国王の意向を取り入れ、それを実行に移すために各部署へ持ち帰る。
 『最高諮問会議』が週に3回もあることから、各機関が最終的な決定の前に国王に確認するなどが主な会議の内容だったのではないかと考えられる。

 ルイ14世は、たくさん戦争をして愛人を大勢侍らせ、豪華な宮殿で優雅に暮らしていた印象が強いが、国王としては有能で、公人として規則正しく生活していた。

 王としてはかなり真面目に生きていて、戦争の時には軍の先頭に立ちフランス全土を駆け巡り、遠方の国民にも顔を見せていたし、ベルサイユ宮殿でも陳情に来る地方の役人の話にも耳を傾けていた。

 会議が終わると『鏡の間』へ移動。
 「皆様、国王陛下のお出ましにございます」の掛け声で、待ち受けていた貴族たちが国王をお辞儀で迎える。


★12:30……礼拝。

 鏡の間から貴族たちが国王に付き従い、大集団で礼拝堂に向かう。
 礼拝も含め、国王に顔を見せる絶好の機会なので、貴族が競って参列する。

 王の寝室に入れない貴族にとって、この時間が直訴する大チャンスとなる。
 ここで国王に顔を見せておかないと、肝心な時に話を聞いてもらえない。

 例えば、いざ頼みごとをした時に。
『そなた、何者じゃ? 余には覚えが無いが?』とか。
『見かけぬ顔だが、余がそなたに会うのは初めてよな?』
 なんて意地悪をされたりする事になるので、顔を覚えてもらうのは非常に重要だった。


★13:00……昼食。

◎昼食には2種類の方法がある。

小膳式しょうぜんしき
 国王が1人で昼食を摂る。

 国王だけが1人用の食卓(現代のイメージだと大きめのダイニングテーブル)に着く。
 そして貴族たちは立ったまま国王の食事を見守る。

 王の他に着席できる(王の食卓の椅子に座れる)のは、王妃または王弟のみ。
 王太子も立って見守る。


大膳式だいぜんしき】(グランド・クーベル)
 他の王族や貴族と一緒に食事をする。
 昼餐会(広間で数名がテーブルや、ロの字に並べられたテーブルに着席して食べる)

 食事をする部屋には、1時間前から貴族が集まって待っている。
 昼餐の招待を受けた貴族や、礼拝に参加できなかった貴族などが先に待っている。
 ギャラリーは食事せず、食事会に招かれた王族や貴族の食事を見学する。

◎『陛下のお肉料理のお時間です』という声と共に、大膳式のに参加する一団が入室する。

 先頭は近衛兵2名。
 続いて扉番。
 召使い頭(侍従長)
 給仕パン係(侍従、フットマン)
 大膳部総監。
 聖職者管理官。
 肉を運ぶ者(給仕または料理人)
 厨房の近侍。
 食器管理係。
 後方を守る近衛兵。
 
 満を持して国王が入室。

 招待された王族や貴族にあいさつを受けながら、食卓に着く。
 食事会に参加する者が着席。
 見学の貴族は立ったまま。
 公爵夫人の中で、国王の前で『折り畳み式床几椅子しょうぎいすに座る特権』を得ている者は着席を許された。


◎大膳式の料理の量はとても多い。

 ポタージュスープ(野菜などの具を裏ごした濃厚なスープ)
 ソースが添えられた肉や、肉の煮込み料理系が8種類。
 アントレ(子牛のブロック肉や牛フィレの薄切りなど)10種類。
 ロティ(牛、豚、羊などの肉を焼いた料理)4種類。
 アントルメ(パテ、パイ、ガトージュレ、ソーセージなど)8種類。
 サラダ2種類。
 果物4種類。
 コンポート(果物などを甘く煮た料理)6種類。
 取り分けてもらって食べる、現代の給仕付き食べ放題なので、大皿に無くなると新たに追加される方式だった。


◎大食漢だったルイ14世の食事例(王の義妹の証言)

 様々なポタージュ4皿。
 キジを丸ごと1羽。
 ヤマウズラ。
 大盛りのサラダ。
 ハム2切れ。
 肉汁とニンニクで味付けした羊肉ペストリー1皿。
 果物やゆで卵。

 
◎残り物の食事の行方。

 残った料理は給仕や召使いに下げ渡され、持ち帰られる。
 中には横流しして、露店で売られる事もあった。
 時間がたって腐りかける場合もあり、そんな時はソースをかけて誤魔化して売っている物もあった。


 大膳式でコップ、お皿、ナプキン、椅子を取り扱う役職を与えられるのはとても名誉なこと。
 肉の切り分けは、元々剣の腕前を披露するためのもので、食事会の主人(王宮の場合は国王)の仕事だった。
 その主人の代役を務める訳で、この上ない名誉な事だった。

 王の食事は、平日は貴族が見学するが、土日は一般市民も見学する事ができた。
 ルイ14世が古式ゆかしく、フォークを使わずにナイフと手だけで食事をする仕草に、民衆は感心したそうだ。


★14:30……狩猟または、散歩。

 午後は基本的にお楽しみタイムだった。
 お着替えをして狩りに行くか、庭園を散策して楽しむのが恒例となっている。
 きれいに整備された庭の散策はお気に入りで、晩年車いすを使うようになっても、皆を引き連れて毎日行った。

 散策が終わると執務を行う事もあるが、公妾(公式な愛人)を訪ねたりすることもあった。


★17:00……礼拝。

 17時を過ぎると、もう一度礼拝堂に行って、夜のお祈りをする。
 この時も直訴は可能だった。


★19:00……余興。

◎『アパルトマンの日』(Journée des Appartements)

 毎週、火曜日、木曜日、土曜日をフランス宮廷における『王宮公開イベントの日』と決めていた。

 17世紀末から18世紀初頭のヴェルサイユ宮殿には、貴族が寝泊りする部屋を国王から賜っていた。
 それを『アパルトマン(部屋や住居のセット)』と呼んでいて、現在の集合住宅の語源にもなっている。


 国王は宮廷の、、、このイベントを開催していた。

 アパルトマンの日では、宮廷の異なるアパルトマンが一般公開され、それぞれ異なるテーマで飾り付けられた、豪華な内装や装飾が展示されていた。
 これによって、宮廷の威厳や富、芸術的な才能をアピールすると同時に、ルイ14世の統治の側面を見せつけることができた。
 また、外部との交流や社交を促進することが狙いで、訪問者に感銘を与えることも意図していた。

 アパルトマンの日は、宮廷文化やフランス宮廷社会の一端を垣間見ることができるイベントであり、当時の社交界の一環として楽しまれていたとされている。

 

 国王は『アパルトマン』の日は、自由な雰囲気で臣下がリラックスして息抜きできるようにしていた。

 18時くらいになると、貴族たちが広間に集まってきて、舞踏会が開始される。
 この時は、宮廷の儀礼にとらわれず、自由にパートナーを選んで踊ることが許された。

 19時からは国王が貴族に娯楽を提供する時間。
 隣室では王妃主催のカードや、王太子夫妻主催のゲームが行われていた。

 更に隣にはビリヤード台が置いてあった。
 ルイ14世はビリヤードが好きだったが、時には王妃と共にカードゲームを楽しむこともあった。

 飲み物や食べ物のビュッフェ(立食食べ放題)もあり、誰でも自由に飲食できた。
 食事会に招待されなかった貴族は大勢いて、お腹を空かせていたため『アパルトマン』の日は大変喜ばれた。


★22:00……夕食。

 22時の夕食も【小膳式】【大膳式】があった。
 
 さすがに、夕食は昼食より量が少なかったが、大膳式の場合は宴会のようになり、大騒ぎとなった。
 晩餐に参加する事は昼餐に参加するより名誉なことだった。


★23:00……就寝。

◎『就寝の義』

 『起床の義』の逆順番で行われる。
 朝と同様に、100人の貴族に会って、ガウンに着替える。
 その後、寝室に移って高官に会い、寝支度が整えられる。
 最後に王族に会って『おやすみのあいさつ』をしてから就寝する。

 就寝の義は夜なので、灯りが必要となる。
 この蠟燭の燭台を持つ役を王が指名するが、抜擢されるのは名誉なことだとされていた。
 王がベッドに入って天蓋のカーテンを閉められて、その日の儀礼がすべて終了となる。

 これで国王の一日が終了する。

 朝起きてから寝るまで、国王が一人になることは全くなく、トイレや滅多に入らないがお風呂の間も人の目がある生活をしていた事が分かる。



 貴族は王に気に入られると、年金(実質は年俸制の給料)や報奨金、領地に対する助成金ももらえたし、ベルサイユ宮殿に部屋が与えられ、住む事もできた。

 貴族たちは毎日の王の儀礼に参加しなければならないし、御婦人方は日に少なくとも3回以上は着替えなくてはならなかった。
ベルサイユ宮殿に住めるのなら、議会の合間に休憩できたり、友人たちの来客対応ができたり、何かと便利で人気が高かった。

 そのためベルサイユ宮殿の部屋は慢性的に不足していて、ずっと取り合い状態だった。

 ルイ14世は、儀礼的で序列のハッキリしている割に、大勢の貴族と交流する事で、求心力を強化できていた。

 死の直前の日曜日にも、大膳式を行い民衆に公開したくらいで、公的な生活を貫いている。
 ルイ14世がフランスの事で知らないことは無く、王への期待を正面から受け止め期待を裏切らなかった。

 しかしその後のルイ15世、ルイ16世、マリーアントワネットは、ベルサイユ宮殿の儀礼を嫌って、自分の好きな親しい人たちとだけ会うようになり、臣下の貴族や民衆からの支持を維持できなくなり孤立して、王室崩壊を迎えた。

 嫁入りの時、自国の物を何一つ持ち込んではならなかったため、裸で国境を渡った逸話があるマリーアントワネットと言い、フランスの王族にはプライバシーが無いのは普通だったのかもしれない。
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