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シレネ
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サディアスは三ヶ月ほど、アグニール帝国の王宮に滞在することになった。
まさに至れり尽くせりの日々だった。
サディアスの世話役を任された侍女たちは、いずれも高位貴族出身の女性ばかりで見目がいい。
用意された部屋はサディアスの自室よりも広く、窓からは美しい庭園を一望できる。
飲食は自由。アルコールの摂取も許可され、日が出ているうちから堂々と飲める。
サディアスは当初の目的も忘れ、自国よりも快適な暮らしに浸っていた。
「そなたの噂はかねがね耳にしていた。どうか心ゆくまで、我が国での日々を満喫するとよい」
帝国を統べる皇帝は、黒い顎髭を蓄えた美丈夫だ。まだ三十代後半だろうか。その目は理知的な光を宿している。
歳は若いが、酒に溺れた自分の父親よりもよほど威厳があった。
「ずっとサディアス王太子殿下にお会いしたかったの。噂通りの方で、私とっても嬉しいです」
そして一人娘のシレネは、艷やかなプラチナブロンドをシニョンに結んだ女性だった。サディアスより一つ歳上のシレネは皇位継承権を有しており、次期皇帝として父の補佐を務めているらしい。
(女子に継承権を与えるなど……そんな決まりさえなければ完璧なのに残念だ)
驚いたことに、この国では女性にも家督の相続権も認められている。かと言って、男性が不遇な扱いを受けているわけではない。
この国では能力が重要視される。
男であることの優位性を失くすやり方が、サディアスには納得いかなかった。
初めのうちは、そう考えていた。
「シレネ殿下、本日もお一人でお散歩ですか?」
侍女や護衛も伴わず、一人で寂しげに庭園を散策するシレネを見付けると、サディアスは彼女へと足早に駆け寄った。案じるような口調で話しかければ、今にも消え入りそうな儚げな美貌は柔らかに微笑んだ。
「ええ。こうして一人で過ごしている時だけは、嫌なことや辛いことを忘れられますから」
「ですが、次期皇帝であられる方にもしものことがあっては、いけません。私もご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「そんな……サディアス殿下のご迷惑になってしまいますわ」
「私のことは、どうかお気になさらないでください」
シレネの隣に並び立つと、甘い香水の香りが鼻孔をくすぐる。「いい香りですね」と率直に褒めると、少し照れたようような笑顔が返ってきた。
アニュエラとも、ミリアとも、クレイラー商会の令嬢とも違う魅力がシレネにはあった。
彼女を害するあらゆるものから守ってやりたいという庇護欲と、自分だけのものにしたいという独占欲に駆られる。
「ありがとうございます、サディアス殿下。……あなたとこうしていると、何だか昔のことを思い出して懐かしくなります」
「昔のこと……ですか?」
「かつて、私には叔父様がおりました。誰に対してもお優しい方で、私にもとてもよくしてくださったのですよ」
「……そうでしたか」
親戚とはいえ、他の男の話題を出されて機嫌を損ねない男はいないだろう。相槌を打つ声にも棘が混じる。
「叔父様が亡くなった時は、本当に辛くて毎日泣いてばかりでした。お父様も大切な弟を失って、ずっと元気を失くされていました」
「……皇弟殿下は、ご病気か何かで?」
故人のことよりも、自分を見て欲しい。そんな本心を抑えながら尋ねると、シレネの顔が一瞬強張った。
だがすぐに平静を取り繕い、「病気でした」と簡潔に答える。
「ですが、今は私もお父様も立ち直ることが出来ました。ちゃんと前を向いて生きていかなければなりませんものね」
「……シレネ様、もし何かお困りのことがあれば、いつでも私に相談なさってください。私でしたら、きっとあなたのお力になれるはずです」
「はい。その時はどうかお願いいたします」
恭しく頭を下げられ、サディアスは高揚感を覚えた。
(これは……間違いない。今度こそ、本当にシレネは私に気がある)
もしシレネと結ばれたなら、サディアスは次期皇帝の伴侶となる。
聡明ではあるが、どこか危なっかしい彼女を支えて生きて行く。そんな立ち位置も悪くはない。
(帝国での滞在期間は、あと二週間。それまでに互いの想いを交わし合わなければ……)
それから一ヶ月後。
レディーナ王国で多忙を極めていたアニュエラの元に、ある知らせが届く。
「……やってくれたわね、あの人ったら」
アグニール帝国に招待されていたサディアスが、シレネ皇女殿下への強姦未遂罪で捕縛されたというものだった。
まさに至れり尽くせりの日々だった。
サディアスの世話役を任された侍女たちは、いずれも高位貴族出身の女性ばかりで見目がいい。
用意された部屋はサディアスの自室よりも広く、窓からは美しい庭園を一望できる。
飲食は自由。アルコールの摂取も許可され、日が出ているうちから堂々と飲める。
サディアスは当初の目的も忘れ、自国よりも快適な暮らしに浸っていた。
「そなたの噂はかねがね耳にしていた。どうか心ゆくまで、我が国での日々を満喫するとよい」
帝国を統べる皇帝は、黒い顎髭を蓄えた美丈夫だ。まだ三十代後半だろうか。その目は理知的な光を宿している。
歳は若いが、酒に溺れた自分の父親よりもよほど威厳があった。
「ずっとサディアス王太子殿下にお会いしたかったの。噂通りの方で、私とっても嬉しいです」
そして一人娘のシレネは、艷やかなプラチナブロンドをシニョンに結んだ女性だった。サディアスより一つ歳上のシレネは皇位継承権を有しており、次期皇帝として父の補佐を務めているらしい。
(女子に継承権を与えるなど……そんな決まりさえなければ完璧なのに残念だ)
驚いたことに、この国では女性にも家督の相続権も認められている。かと言って、男性が不遇な扱いを受けているわけではない。
この国では能力が重要視される。
男であることの優位性を失くすやり方が、サディアスには納得いかなかった。
初めのうちは、そう考えていた。
「シレネ殿下、本日もお一人でお散歩ですか?」
侍女や護衛も伴わず、一人で寂しげに庭園を散策するシレネを見付けると、サディアスは彼女へと足早に駆け寄った。案じるような口調で話しかければ、今にも消え入りそうな儚げな美貌は柔らかに微笑んだ。
「ええ。こうして一人で過ごしている時だけは、嫌なことや辛いことを忘れられますから」
「ですが、次期皇帝であられる方にもしものことがあっては、いけません。私もご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「そんな……サディアス殿下のご迷惑になってしまいますわ」
「私のことは、どうかお気になさらないでください」
シレネの隣に並び立つと、甘い香水の香りが鼻孔をくすぐる。「いい香りですね」と率直に褒めると、少し照れたようような笑顔が返ってきた。
アニュエラとも、ミリアとも、クレイラー商会の令嬢とも違う魅力がシレネにはあった。
彼女を害するあらゆるものから守ってやりたいという庇護欲と、自分だけのものにしたいという独占欲に駆られる。
「ありがとうございます、サディアス殿下。……あなたとこうしていると、何だか昔のことを思い出して懐かしくなります」
「昔のこと……ですか?」
「かつて、私には叔父様がおりました。誰に対してもお優しい方で、私にもとてもよくしてくださったのですよ」
「……そうでしたか」
親戚とはいえ、他の男の話題を出されて機嫌を損ねない男はいないだろう。相槌を打つ声にも棘が混じる。
「叔父様が亡くなった時は、本当に辛くて毎日泣いてばかりでした。お父様も大切な弟を失って、ずっと元気を失くされていました」
「……皇弟殿下は、ご病気か何かで?」
故人のことよりも、自分を見て欲しい。そんな本心を抑えながら尋ねると、シレネの顔が一瞬強張った。
だがすぐに平静を取り繕い、「病気でした」と簡潔に答える。
「ですが、今は私もお父様も立ち直ることが出来ました。ちゃんと前を向いて生きていかなければなりませんものね」
「……シレネ様、もし何かお困りのことがあれば、いつでも私に相談なさってください。私でしたら、きっとあなたのお力になれるはずです」
「はい。その時はどうかお願いいたします」
恭しく頭を下げられ、サディアスは高揚感を覚えた。
(これは……間違いない。今度こそ、本当にシレネは私に気がある)
もしシレネと結ばれたなら、サディアスは次期皇帝の伴侶となる。
聡明ではあるが、どこか危なっかしい彼女を支えて生きて行く。そんな立ち位置も悪くはない。
(帝国での滞在期間は、あと二週間。それまでに互いの想いを交わし合わなければ……)
それから一ヶ月後。
レディーナ王国で多忙を極めていたアニュエラの元に、ある知らせが届く。
「……やってくれたわね、あの人ったら」
アグニール帝国に招待されていたサディアスが、シレネ皇女殿下への強姦未遂罪で捕縛されたというものだった。
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